ミステリ界の奇才、鯨統一郎氏の人気シリーズ一作目。
明治の文豪・森鴎外が、何者かに殺されかけて逃げていった先は、なぜか現代日本の渋谷だった。
というトンデモなところから始まり、渋谷のギャル女子高生に助けられ、現代の知識を貪欲に吸収していく森林太郎(鴎外の本名ね)、通称モリリン。
果ては時空を越えた殺人事件の謎解きへと発展し……。
と、まあ、トンデモです。(^^ゞ
鯨統一郎氏と言えば、歴史上の謎を独自の新解釈で解き明かすミステリを得意としている作家。
当然、この本もミステリです。
SF風味の味付けがなされていますが、あんまり関係ないです。
あの堅物のイメージがある森鴎外が、現代日本にかぶれていく様は、想像するだけで楽しくなりますよ。
なんというか、教科書の著者近影に、思うさま落書きをしているかのような背徳感。
そこを楽しむことができたら、こっちのもの。
なので、あまり大仰に構えずに、楽しみたい方向けのライトミステリです。
ちなみに僕は、個人的には森鴎外の作品はちょっとイマイチなのですが、森林太郎には、大変お世話になっております。
森鴎外の文学的功績としては、たとえば『舞姫』とか『ヰタ・セクスアリス』とか、その有名な小説がありますが、それらではなく。
本名の森林太郎名義で、ゲーテの『ファウスト』を本邦初訳したこと。
それこそが、僕にとっては一番の功績なのです。
実際に、大学時代、ドイツ文学を専攻していた僕は、ゲーテの『ファウスト』を中心に論文を執筆していました。
現代では、『ファウスト』も多数翻訳が出ているので、訳書によっては解釈が違うことが、ままあるわけです。
そこで、基本となる森林太郎訳の『ファウスト』を手に取り、そこから引用し、論文に役立てていたのです。
ただし、森林太郎役の『ファウスト』には、多数、翻訳間違いの箇所があります。
これは、のちの研究者たちのたゆまぬ努力によって一つずつ解明されていったのですが、そうはいっても、森林太郎訳は、他の訳書に比べて、日本語が伸びやかで、歌うような旋律で訳されていて、非常に楽しいのです。
平明で、美しい日本語、とでも言えば良いでしょうか。
原典の『ファウスト』は、全編が詩文で作られているので、非常にリズムが大事なのですが、韻を踏んだりリズムを取ったりと言うことを、のちの研究者たちは、「言葉のただしさ」に重きを置くために、若干殺してしまった。
でも、森林太郎役の『ファウスト』は、多少の解釈違いがあろうと、非常に軽快な訳文になっていて、それそのものが、翻訳物ではなく、一つの作品として成立しているかのようにすら思えたのです。
とにもかくにも、彼が『ファウスト』含め様々な作品を邦訳してくれたために、のちの文学者たちがとても助かったのは、言うまでもない。
文豪・森鴎外のすごさは、その「文学」よりも、こういった訳書において、わかりやすく発揮されているような気がする。
さて。
この作品ですが、ライトなミステリであり、同時に、渋谷を舞台にした活劇でもあり、そのSF的設定は、僕らがよくやる演劇と、相性がとても良さそうに思えます。
お芝居でやってみたいものですね。