小林恭二のレビュー一覧
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西東三鬼が好きなので読んだが、いやあ、とんでもない傑作だった。小説でなければできない企みに溢れ、正岡子規以降の俳句史(それも三鬼だったらこう見たであろう)も俯瞰でき、第二次世界大戦前夜の日本、アジアの空気がひしひしと伝わってくる。声高ではないがひたすら反戦を詠み続けた三橋敏雄が信頼できる若手として描かれているのも嬉しい。エピローグによると作者が師事していたということか? 高浜虚子にもてっきり批判的かと思ったが、そんな凡庸な描き方はしていない。
作者自身が俳人であり、膨大な知識に裏打ちされたからこそ書けた作品だろう。そして、なんと見事な文章。三鬼が何人かに出した手紙の書き分けも実にスリリングだった。
情報局が内閣直属になったこの時代がまさに今とそっくりであることに慄然とする。今この本を書いた意味はそこにあるのではないか。
小林恭二、なんで今日までこの人のことを知らずにきてしまったのだろう。 -
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30歳を過ぎてから「かっこいい」と思ったことで手を出した新興俳句。その自由な、理解し難い文体により特高に目をつけられる三鬼。いつしか、彼のシンガポール人脈を有用と見た陸軍の誘いを受けるか、出頭するかの決断を迫られることに。
昭和15年夏という、自由人が自由人として生きられた最期の時間を鮮やかに描いた本作。三鬼の軽妙な振る舞いにシンガポールの苦難の歴史が折り重なり、まさに読み応え十分だった。
ストーリーもさることながら、三鬼と他の登場人物との粋なやり取りがまた心地よい。波郷との信頼関係に基づく罵り合い、山下中将・安倍警視総監・高浜虚子との会話劇、ホテルのカフェで綴った数々の手紙の語りかけるような文面。随所で登場するダンスシーン。80年以上昔の中年男でありながら、独特の雰囲気を持つ三鬼は心から「かっこいい」と思えた。
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新興俳句の旗手として活躍した西東三鬼を視点人物に、「京大俳句事件」からアジア太平洋戦争開戦直前の時期までを描く。西東が1925年から3年間シンガポールで歯科医院を開業していたという伝記的事実を出発点に、イギリス領シンガポールの中国系住民・インド系住民との対立を軍事侵攻の「弱い環」として利用しようとした陸軍と、「京大俳句事件」以降の俳句統制を貫徹せんとする内務省・特高警察を巻き込んだインテリジェンスの物語として仕立て上げていく手腕はさすがの一言。「京大俳句事件」というのは確かによくわからない事件で、これは改めて調べ直さなければならないのだけれど、石田波郷や三橋敏雄、小野蕪子、高浜虚子ら文学史上の有名人が活躍しているのも面白い。いかにも「食えない」虚子のありようなど、まさに「さもありなん」という感じだ。
「京大俳句事件」から始まる新興俳句の弾圧について、権力は「わけのわからないこと」に人々が熱中すること、そのことを通じて共同性が作られていくこと自体が許せないのだ、という問題提起は重要なものだと思う。権力が人文(学)を憎むのは、そんな単純な(だからこそ根が深い)理由からなのかもしれないのだ。 -
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20数年ぶりに再読した本。
ロス五輪が開催された年、華やぎとは縁のない下高井戸の地にうらぶれた遊技場がオープンした。メインアトラクションはペンキの剥げた錆だらけの回転木馬。他の施設も倒産した地方の遊園地の不要品ばかり。客は全く入らない。好景気に湧き、バブルへと世の中が絶頂へ向かおうとしているときに、ひっそりと産声をあげたこの廃墟のような遊技場。しかし、この遊技場こそ、後に日本中を狂乱の渦に巻き込み、内乱へと導いたゼウスガーデンの前身だった。
子供の夢を形にした遊園地は数あれど、大人の欲望を実現させる遊園地はかつてなかった。プリンセスになりたいとか、ヒーローになりたい、なんて夢は長ずれば覚める。そんな夢をテーマにするのは三流だ。ジャンヌ・ダルクになりたいとか、チェーザレボルジアになりたいとかの夢をかなえることができる場所、それがゼウスガーデンだ。
ヒーロー体験もできれば、臨死体験もできる。疑似恋愛もできるし、疑似心中もできる。創造主になって数々の奇蹟を起こす体験もできれば、ゾンビになって人を食べることもできるし、ゾンビに食べられる体験もできる。際限のない人間の欲望をすべてを飲み込み巨大化するゼウスガーデン。
地方の弱小遊技場を次々とその配下におさめ版図拡大する。その予算規模はアフリカや中南米の小国の国家予算を凌駕し、遂には日本国からも自治権を獲得する。その中枢で各地方の運営方針を決定する機関が元老院だ。元老院は僭主の登場を拒否する。ゼウスガーデンはあくまで共和制下での発展を目指した。しかし肥大化した組織には必ず腐敗が蔓延る。各派閥の抗争、地域間の主導権争い。硬直化した元老院体制では事態を打開できない。そして遂に皇帝が誕生する。はたしてその栄枯盛衰の結末やいかに。
はまる人にはドツボにはまる圧巻の500ページ。 -
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「電車男」ではなく「電話男」。
実は、この小説は15年以上も前に書かれたもので、これは2000年に角川ハルキ文庫から再び出版されたもの。
<電話男>それは電話相手の話をただただ聞くだけの存在、報酬も求めず、相手に自分の話をすることもない。顔はわからず、素性も一切わからない。
しかし、全国に数多くの電話男が存在し、人々は彼らに電話することで心の孤独を埋めようとする。
それは次第にエスカレートし、社会全体の問題となっていく。
この小説のすごいところは、現代においてもそれが当てはまるところだろう。
インターネット時代が到来し、人々はメールや、サイトによってコミュニケーションをとるようになった。
それは簡単で、手軽な関係である。
しかし、そこには現代のコミュニケーションの希薄感、弧絶感が存在する。
そんな、時代がくるのを15年前にすでに予知していたかのような内容。
今の時代だからこそ読むべき本ではないかと思います。 -
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昭和15年、この時代を描く小説は、たいてい陰鬱とした描写で軍靴の音が聞こえてくるようなものが多い。
本作はそうではない。主人公は、自らも結核の持病を持ちながら、時代に翻弄されながら、それでも颯爽と、毅然と生を謳歌している。
この5年後には終戦となるが、登場人物たちはそれを知らない。その5年は彼らにとって、弾圧と忍耐の長い時間となるだろう。それでも、物語はまるでハッピーエンドの映画を観るように清々しく終わる。
浜辺で虚子が語ったように、彼らのうち終戦を生き延びた者たちには、その先の人生がある。本作は、暗い時代の前日までを、確かにいたであろうある男とそれを取り巻く人間たちの生の煌めきを切り取ったような美しい物語でした。 -
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戦前の不穏な空気が描かれていてそこが興味深かった。
小林恭二さんが多くの文献にあたって当時の日本社会や海外での日本人社会を描写したところが特にリアルだ。
一番忘れられないのは、シンガポールでの日本人社会の描写。
温和で理性的だと評判で、一様に名誉を重んじるが、その名誉というのが他国人にはさっぱりわからない厄介な代物。公然と侮辱したとかではなく、往来ですれ違う時変な目つきをしたとか、そういった瑣末なことで躊躇なく斬りかかってくる。そしてそれが咎められるといつのまにかいなくなっている。訊くと自殺したと言う。名誉のための切腹。あるいは詰腹。
神に変わって世間が日本人にとっての価値基準であった時代。さもありなん。せっかく海外に移住しても必死につまんない世間の名誉にしがみついてた様子が痛い。
かと思えば、
すぐに褌一丁の裸になって他国人の不協を買ったが、本人たちは裸になることは威勢のいいことであり、天に恥じることのない生き方をしているのだと胸を張っていた…
らしい…。
知らない時代なのに、きっとそうだと思わせる。確かにこれは日本人…。現代と地続きな性質。
直接的な権力からの暴力には文句は言えず、温和な外面の裏では、狭い世界で自分を守るつまらないプライドを持ち続け、小さな差異をあげつらい、すぐに傷つき、粘り強い和解への努力は放棄して、ならば、と死を選ぶ。そのくせ、そのプライドの発散の場を求めて自分たちの文化を神格化して騒ぐ…。変わらないね。
当時の俳句の勢力争いも知らないことだったので興味深かった。にしても俳人たちの躍動感たるや!虚子も波郷もかっこいいじゃないですか!二流上等!って。逆に小野蕪子という最低の糞野郎が俳句の世界にいたことも初めて知ったし笑
史実を基に書かれているので、戦時下に躍動する人々の姿、面白く読めました。
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SFと言ってもやっぱり描かれた時代のイメージが強く反映されるというか、ともかくバブル時代のまま2030年くらいまで進んでる感じ。ともかくデカい石像を作れとか、、まぁ今でもないわけでもないか。逆に多様性とか言ってもインバウンドは有名どころに集中して、見た目は違っても本質はそんなに変わってないのかな。
などという大仰な感想はさておき、しかし物語はいちいち大袈裟に展開するのであって、なんかアホっぽく楽しめば良いんだけど、日本が総エンターテイメント空間と化した未来は今の日本と重なる部分もあり、しかし手が足りないという問題については全く解決策が出ていないのであった。バブル時代は人もモノも溢れていたのであろうか。
というわけで結局はマジレスな感想なのであった。