色気ってのは腹が据わった覚悟の有る人間が醸し出すもんだ 知る事の、大切さも無意味さも素晴らしさも恐ろしさも全てこの作品が描いています。 娘ヨレンタがノヴァクの感情の部分に触れる唯一の存在であるのにも関わらず 以降は信念というよりは最早執着 それこそ「アポリア」(相反する二つの見解が等しく成立する場合、解決の糸口を見出せない難問)だと思うんですけど。 ある意味、完全オリジナルを作るという欲望は幻想だったり。もう流石にこの世界には蓄積が有り過ぎるから、どういう組み合わせで更に新しい事があるかなって事を皆探求していると思います。 文化は大きな川の流れであるという事を良く言っているんですけど、文章、文節ってその流れの一部でしかないですよね。 何かにグッと偏ってる 僕には山口さんの世代が、個人と世界を接続する「社会」という中間項を成立させていたように見えるんですよ。 社会性を持つには自分自身のオリジナルな状態を維持しないといけないっていう 人間は結局、回顧主義だから未来のものを懐かしく感じて、過去のものを新しく感じるようなサイクルがずっと続いていく気がする。 地動説への強い憎悪を露わにするノヴァク 自分が『チ。』の物語の悪役だったと気付くところもメタフィクション(フィクションの中のフィクション)的で面白いですよね 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』という曲を作った時は、サブカルチャーとハイカルチャーを融合させて、日本の詩吟とダンスミュージックとクラシックの三角関係を曲にしようと考えたんだけど、純粋にメロディを作ったり歌詞を書いてる時は、ほぼ「無」でやっていたかも。 尖っている個性の手前にある普遍性をどれだけ腑に落とせているかで その行為を「考古学のようで楽しい」と表現していました 僕の二十代の屈辱が疼くのを感じた 感動させる作品には個々の挫折や劣等感と繋がる瞬間がある気がする 今後の僕等には『チ。』が有る。彼等は僕等が前進する意志と共に戦ってくれる。 今でも多くの国が、天体を国旗のシンボルとして採用し続けているのは、その名残だ。 宗教が信徒に求めるのは教義への「信」だが、科学に必要なのは「信」では無い。寧ろ逆である。科学が求めるのは「疑い」だ。だから『チ。』は「信念」の物語であると同時に、いや、寧ろそれ以上に、「疑念」の大切さについての物語でもある。 叶う方法を探せば道筋は立てられる 昨日礼賛されていた言葉が今日は禁句になっているような毎日なのに 私が変化したという事実からあなたは今何かを受け取ったんです γはその紙資料を所定の位置に戻すと 教会が説く善に従う事は、私達自身の生を断念し、道徳的命令に従う「畜群」として生きる事を暗に意味するからである。 重罰になる可能性をも考慮にいれて 「何故人を殺してはいけないのか」という問いに対して、それを予め封印するような動きを見せる「僧侶」達が私達の周りには今も尚存在しているからである。『チ。』は、フィクションの形をとりながら、現代人がどのような〈嘘〉に隷従を強いられているかを私達に改めて問いただすのだ。 時には手厳しい論駁等も珍しく無かった 〈真理〉は、誤りを無慈悲に宣告する。〈真理〉の正しさは、思いや努力等の人間的な事情とは関係ないところにあるからだ。 朽ちる事の無い静かな衝動を指す事を暗示している 迷いは、変化の兆しがそこにある事を意味している。