奥野修司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
10000円選書本
幽霊は、たぶんいるんだろうなと漠然と思っている。
私は理系で科学の子(笑)だけど、世の中に幽霊がいた方が、世界への理解が進む気がするからだ。
ただ、幽霊が「良いもん」か「悪いもん」かの判断はつけかねている。稲川淳二の世界に出てくる幽霊は、きっと「悪いもん」。人を怖がらせる幽霊なんて、「悪いもん」に決まっている。
でも、今回読んだ本に出てきた人たちは、みんな誰かの愛しい人で、「魂でもいいから、そばにいて」と願われる人・動物たちだった。
読んでいると、
「いやいや、寂しい気持ちを紛らわせるために、自分の都合のいいように生み出した幻影でしょ?」って思ってしまうシーンは多々あった。基本的には、その人の生み出した都合の良い「夢だ」って。
そう思う自分は、大事な人を急に奪われたことのない、幸せな国の住人なんだろうな。
いつから、死に際にみる「お迎え」を、「幻覚」や「せん妄」という言葉で片付けるようになったのかな。大切な人が迎えにきてくれるという、幸せな人生を送ることができたという証につける言葉としては、いささか無機質すぎるなと。
最後の最後まで、生きた証を示したいと願うことはつまり、最後の最後まで精一杯生きるということ。
そして、魂になった彼らの思いを、生あるものが感じることは、彼らが生きた証を受け取ることなのだなと思った。
死を思うことは、生を思うこと。
あまり科学で凝り固まると、見失うものがあるんじゃないか?そう学んだ。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災以降、つぎつぎと亡くなった方の霊に憑依されたある女性の話。
その女性は小さい頃から霊感が強かったようで、自分で除霊のようなこともできていたようでした。それが震災後1年位してから次々と霊に憑依されるようになり、一度に何人もの霊に憑依される。
自分ではどうしようもなくなって、なんとかお坊さんのところに助けを求めて転がり込む。そしてお坊さんに亡くなった人がどういう人が、どういう状況でなくなったのかをできるだけ伝えて(憑依されるとその霊の感じ方を共有できるようなのです。自分の体をその霊にあけわす。すると憑依した霊が女性の身体をかりて話しだす。
お坊さんは既になくなっていること。未練を残さず成仏するべきことなどを言って成仏してもらう。
こういうことが体験としてあるのなら魂や霊魂といったものの存在を信じたくなる。
以前に「津波の霊たち」という本でも同じような話を読んだ。
未練を残して死ぬのは良くない。光をみつけたら光に向かって進め。といったところか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本来、自然界に冬のイチゴは存在しない。季節に逆らって加温しながら育てるから、植物にとってはストレス。病気にかかりやすくなるから、農薬をたくさん使う。
今の農薬の特徴は浸透性。内部に農薬が浸透している。
ビニールハウスの劣化した部分が落ちてきて作物が吸収する。
農薬の毒性があらわれるのは、10年先、20年先、半世紀も先。症状としてあらわれても、長い時間が経っているため、本当に農薬が原因かどうか調べようがない。
スーパーの都合で陳列棚に並べやすいサイズの野菜が作られるようになった。均質で傷がなく、きれいな野菜こそ高級品という価値観。
ネオニコチノイドは270度以上で分解されるため、焙煎が行われる麦茶やウーロン茶からはあまり検出されなかった。
露地栽培よりもハウス栽培の方がネオニコチノイドの検出率が高い。検出されなかったのは人参、蓮根、ブロッコリー、アスパラガス、スイカ
ネオニコチノイド
・水に溶けやすい→植物全体に浸透
・油に溶けやすい→細胞膜(脂質)を通り抜ける
・熱に強い
・血液中に分解する酵素がない
・洗っても落ちない
フィプロニル
・ペットのノミやダニの駆除剤に含まれる、ネオニコチノイド系農薬と同じ浸透性の殺虫剤。
・EUでは禁止され、市場から消えた。
・日本では農薬としてコメやキャベツに使われ、殺虫剤としてゴキブリ駆除剤
ペットの首筋に一滴たらすと、垂らした皮膚からフィプロニルが全身をめぐり、ノミやダニがその血を吸って死ぬ。
日本人は常に農薬を食べている
農薬や化学肥料をたっぷり使った、土壌から生まれた工業製品
かつて露地で栽培されるイチゴの旬は4月~6月だった。クリスマスに合わせて冬に旬をずらしたために、ビニールハウスでの栽培が行われるように。
ネオニコチノイド系農薬の毒性は強く、土壌中の残留時間が長いため、簡単に減農薬栽培が可能。減農薬栽培は安全とは言えない。
ネオニコチノイド系農薬は雨によって河川に流れ込む。ネオニコチノイドは分子量が小さいため、通常の浄水場で除去することはできない。それらが水道水に含まれる。
小麦は収穫直前にラウンドアップを撒いて枯らす。プレハーベスト。 -
Posted by ブクログ
私の中では日本を代表するノンフィクション作家の一人として信頼している奥野修司が、東日本大震災で愛する家族を亡くした人々の身に起こった霊体験とも呼ぶべき不思議な事象をまとめあげた一冊。
出てくるエピソードは第三者から見ればそれが真実かどうかを判断することはできない。しかし、本人たちが科学的には説明が付かないような事象を主観的に経験したという事実だけは残り続ける。
科学的に正しいかどうかはある種どうでも良い。徹底的にその主観性のみにフォーカスし、その経験によって彼らが多少なりとも心の傷を癒すことができた、そういう事実を知れるだけで本書の価値は十分にあると思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ愛する人を失った哀しみを、過ぎる時は慰めてくれない。でも、もし魂があるなら、それは唯一の救いだ。
私がそれまで縁もゆかりもなかった岩手の大学に進んだのは、柳田國男の『遠野物語』を読んで、「昔話とか言い伝えとかって、学問になるんだ」と、衝撃を受けて、民俗学を民俗学が生まれた地で学んでみたいと思い立ったからだ。
卒業して東京に戻ってからも、岩手で出会った人たちとの交流は続けているし、遊びにも行っている。
岩手は私の第2の故郷だ。
だから、あの日、テレビに映された光景に、悲しみと不安と焦りと絶望が渦巻いた。
何度もテレビで流された黒い波がガードレールを越えて道路を覆い被さるように襲う場面。
岩手県の沿岸地方にも友だちが住んでいる。
幸いにも友だちと家族はみんな無事だった。
ただ、大学のクラスメートは、親兄弟を津波で亡くしたと聞いた。
突然、家族を失う哀しみや辛さは、弟を事故で失った私にもわかるが、あんな大きな災害で、目の前で家族や友人を津波で流された人たちの哀しみや後悔なんて、私の想像すら追いつかないもの。
子どもを救えなかった親。
親に声をかけなかったことを後悔する子ども。
今でもあの日の後悔や哀しみが遺族に残されたまま。時が止まるのは、死者だけではなく、生者もだ。
子どもの遺骨を納骨出来ない親が多いのは、彼らがまだあの日にとどまったまま、子と共に生きているからだろう。
ここに出てくる死者のほとんどは音や気配や夢の中で、存在を表している。
それなら、気のせいではないか?と思ってしまうかもしれないが、例えば、死んだ兄から数ヶ月後にメールが届いた話(携帯電話は壊れている)、ご飯だよと声をかけたら、亡くなった子どもが大好きだったアンパンマンのオモチャが突然動いた話、絶対に出るはずのない死者の声が電話から聞こえ、折り返し鳴った話、誰もいない部屋の鉄道のオモチャから突然アナウンスがした話など、たくさんの不思議な話が遺族から語られている。
彼らの魂は生き残った家族が辛い時や哀しい時には現れず、そういうのを乗り越えた時に現れることが多いらしい。
慰めるために出るのではなく、家族と一緒に喜びたい、笑いたいという方が強いらしい。
泣いているお母さんやお父さんよりも、にこにこしている家族に子どもは会いたいのだろう。
親だって、子どもが哀しんでいる姿なんて見たくない。
私はこの箇所を読んだ時に、体験者が語っている魂の存在が気のせいではなく、本物なのだとなんとなく思ってしまった。
震災から数年経った時、沿岸に住む友だちを訪ねた。
海沿いを車で走りながら、「ここに家がたくさんあったんだけど、まだ何にもないんだ」と、まっさらな土地と防波堤と、その向こうのどこまでも広がっていく海に浮かぶ漁船を見ながら、友だちがポツリと呟いた。
あそこにいた人たちは助かったのだろうか。
この本に出てきた死者のように、魂になって、家族を待っている人もいるのだろうか。
どこまでも伸びていた防波堤を思い出しながら、私は今年もあの日を供養する。