向坂くじらのレビュー一覧
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ネタバレ何か一つの言葉を定義する、という設定で書かれたエッセイ集。「友だち」「遊び」「やさしさ」「恋」など、いろいろな言葉の定義を試みている。
どの回も一つの言葉に真摯に向き合い、過去の経験に照らして熟考し、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませている様子が面白い。それも辞書的な通り一遍の定義ではなく、著者の人生、生き方から導き出された生きた定義だからこそ面白いのだ。
「言葉がわたしの中である意味をむすぶとき、そこにはわたしの記憶や、経験や、痛みや喜びの手ざわりが、どうしょうもなくまとわりつく」
その「言葉にまとわりつく形のないもの」をこそわたしたちは交換したいのではないか、という著者の言葉がすご -
Posted by ブクログ
「アンノがはじめて割れたのも、アケミバレエスクールでのことだった。」p4
芥川賞候補作。
「割れる」という感覚を共有できるかどうかどうかがキモなのかもしれない。
傍目には、キレる、とか、怒る、とかになるんだろう。
自分が理解されなかった、相手が理解できなかった、怒りや悲しみ、衝撃が、ないまぜになって、言語化の難しい感情があふれでてくることなのだろうか。
子供の頃の、まだ感情も、言語もコントロールができなかったころのなまなましさを思い出す。(今でもできてないけれど。)
愛(のようなもの)というのは、絶望的にすれ違うし、取り違うし、勘違いするしで、やっかいだな。
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Posted by ブクログ
愛も家族も信じられないために、自分のせいで愛を与えられずに生まれてこなかった妹の生まれてこなかったそれをアンノは生きている中でなぞっているように思えて読んでいてとても苦しかった。彼女にとっては庭に広げたテントもあーちゃんの家も眠るのに大切な子宮だったのではないだろうか。ならば唯一おなじ存在だと思っていたあーちゃんのちょっとずつの本当を内包した裏切り(というにはあまりにも無責任な期待や決め付けではあるのだけれど)の後に見ることになる解体された家の瓦礫の山に搔爬された命の影を見たんじゃないだろうか。眠る場所は奪われ、しかし体は各部位末端まではっきりと感覚を伴い生きている。この先、どうやって彼女は生
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“勉強の方法がわかっていること、それによって得られた知識があることは、自分の属している集団を冷静に見つめ、また知らない世界に対してひらかれていられる力を、あなたにくれるはずだ。あなたに勉強をしてほしいのは、あなたが近くて小さな関係性に依存させられたり、自分の異質さを怖がったりしなくてすむためでもある。”(p.135)
“自分のやるべきことを持っていて、かつあなたのやるべきことを尊重してくれ、話したあとにも必ずひとりに戻らせてくれるような相手がいるのなら、それは本当に貴重なことだ。”(p.137)
“学ぼうとするときには、「わたしはAだと思う」という重たい装飾を外して、「Aである」と言い切 -
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四年前に死んだと思っていた親友が突然目の前に現れ、家がないから住ませてくれと頼んできた。
最初の方は再び会えた喜びから親友をもてなすのだが、長く居られると不満が溜まる。一度追い出す事を決意するのだが、いざ追い出すとなると優しさや執着で追い出せなくなる。だがやはり、再度不満が溜まって追い出したくなるのだ。
米津さんのおすすめという事で読んだのだが、この主人公と自分の気が合わなすぎてひたすらモヤモヤさせられた話だった。
大学4回生も終わりの時期、3月に引っ越しだから出て行ってね。私は実家に戻るから一緒に来れないよ。と伝えるが、一緒に居たい、居心地が良いと言われなし崩しに実家に連れ込んでしまう。 -
Posted by ブクログ
なんだろう...
主人公の頭の中が、激しめの表現で描かれていて、それが行動として現れるときには他者から到底受け入れられないようなものになっている。だけど、主人公の中では、そういう行動になることは至極普通のことで。読んでいて、主人公と感情と周りの人の当惑と、どちらの立場にもなって読めるような不思議な感覚があった。
大事な人との交流やその人が亡くなるシーン。
一見すると、淡々と描かれていて主人公の「成長」が手に取るような描き方はされておらず、もやっとしてしまう人もいるのかもしれないが、現実の「成長」はあんなもので、すぐにわかるような「変化」みたいなものは少ないのではないかなと思う。そういった点が