あらすじ
注目の詩人と教育者による、アウトサイダーのための勉強論
「勉強するのに仲間はいらない。むしろ、ひとりでいるために勉強が必要なのだ」。群れず、つるまず、あなた自身でいるための学び方とは。その試みは、他者を理解し、世界をゆがみなく捉える第一歩となる。一斉授業に困難を抱える中高生から、学び直しを求める大人まで。
朱喜哲(哲学者)推薦!
勉強は、あなたの孤独を守り、
そして自由にする。
学校が苦手で、それでも大学で
哲学をやると信じていた
14歳のわたしと、いま14歳のあなたに、
本書が届きますように。
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Posted by ブクログ
たしかSNSで見かけて、タイトルが気になって借りた本。タイトルからどの層に向けたものか分かりやすく、自分はその層ど真ん中だったのでとても好みの内容だった。
学校というシステムがいかに多くのものを排除して扱いやすい人間を生産するものになっているかという批判がとてもいい。
勉強することが、服従させようとするあらゆるものに抵抗する力になる。反抗して勉強しないことが、かえってもっと悪い服従につながる。
実践編として、英語・数学・国語・社会・理科の勉強の進め方が書いてあり、自分のやり方と概ね同じだった。
学生向けに書かれたものらしいが、言い回しが若干わかりづらいのが難点か。
Posted by ブクログ
主に中、高生向けの自学自習の本なのだけど、「群れ」から逸れて、学校で学ばずにという学びをするこどもに向けての本。これを手にとって実際に勉強をやっていく子は余程の意志のある子だと思う。ほんとうに勉強したいこども、もっとこどもの時に勉強すればよかったと後悔している自分のような人間にはガイドになるとは思う。
読んでいてつくづく、文章を読む、ここからじゃないと勉強ははじまらない、と感じた。当たり前の事がなかなかできないのだなぁ。
Posted by ブクログ
群れから逸れて生きるための自習とあって、著者がくじらさんで、装丁にカモメ?。先ず、内容を良く解さぬまま、いわゆるジャケ買いで、勘違いして読み始めた所から書き出してみたい。これが、複数人で本の中身をワイワイガヤガヤ〝当てっこ“していたなら、少なくとも「群れとクジラ」は関係ないさそうだという事で、生物学の本ではないと気付く(私は生物学の本かと思っていた)。そもそも、帯に「学校が苦手で・・」と書いてあるので、学校の勉強の話だと分かっただろう。複数の〝気づきの目”とそれによる修正機能こそ、群れて学習することの利点と言えそうだ。
他方、ソロモンアッシュの同調試験という有名な実験がある。これは、明らかに間違っている回答に対し、被験者以外の参加者全員が「誤った回答」を選択したとき、被験者は釣られて「誤った回答」を選択してしまう傾向があるという事を示したものだ。こちらは逆に、群れて学習することの不利点と言える。
そんなことを考えながら読み始める。
だとすれば、一人であっても気づきの目を養い〝正しさ“を見失わない学習法が重要だ。大学受験が目的なら、「これはテストに出る」という重要性、いわゆる〝強化学習や重み付け”を一人で体得していくには、どうすれば良いか。
― 全ての勉強は「読む」ことから始まる。あなたがひとりで勉強をしたいと思うのなら、なおさら。もっと正確に言えば、どの地点にいたとしても、「読む」ことは始められる。「読む」こととはつまり「読めない」を発見し、分析して、少しでも多く「わかろうとする」道のりだからだ。授業を黙って聞くことに比べて、「読む」ことの便利な点はびっくりするほど多い。まずは何より、何回もくりかえし読めること。「くりかえし読む」ことがどれほど大切か、この章で何回も書いてきた。しかし、授業を聞いているだけではそれができない。先生には「質問をすればいい」と言われるかもしれないけれど、真剣に考え、わかろうとしているときに行き当たる「なぜ?」の数は、いちいち質問をしていては到底追いつけないほどになるはずだ。くりかえしになるけれど、あなたにはこの「なぜ?」をまず何より大事にしてほしい。そのためには、あなたが何度もつまずき、ふりかえり、行ったり来たりできる環境が必要なのだ。理解につまずくことは悪いことではない。それこそが、あなたの学びを深めていく唯一の道である。
そう。読めばよいのだ。そこでは会議をしたりして〝複数の目“を確かめる必要はない。そうしなくても、それに匹敵するほどの考え方は得られるはずだ。そして、繰り返し、更に何冊も読むことで〝重み付け”は得られるだろう。
― あなたの解けない問題に対して誰かがすぐに答えを出せるのは、あなたにとっては未知の問題でもその人にとっては既知の問題である、というだけである。未知の問題に瞬時に答えを出せる人など、実は地球上にひとりもいない。
読書を肯定する確証バイアスチックな考え方は私の悪い所だが、結局、この本を読んでも私にはその部分が光って見えて、強く刻まれていく。つまり、重み付けは、好みも反映する。だとしたら、群れから離れた学習法は、他者の価値観を切り離し、個性を強化する学習法にならざるを得ない。だが、それで良いのではないのか。
Posted by ブクログ
“勉強の方法がわかっていること、それによって得られた知識があることは、自分の属している集団を冷静に見つめ、また知らない世界に対してひらかれていられる力を、あなたにくれるはずだ。あなたに勉強をしてほしいのは、あなたが近くて小さな関係性に依存させられたり、自分の異質さを怖がったりしなくてすむためでもある。”(p.135)
“自分のやるべきことを持っていて、かつあなたのやるべきことを尊重してくれ、話したあとにも必ずひとりに戻らせてくれるような相手がいるのなら、それは本当に貴重なことだ。”(p.137)
“学ぼうとするときには、「わたしはAだと思う」という重たい装飾を外して、「Aである」と言い切ることだ。「わたしは〜思う」があるうちは、あなたの世界がどれだけ豊かに結びつきながら広がっていたとしても、ちっぽけな自分のことしか語れない。それに、間違うことができない。
けれど、あなたは間違えなくてはいけない。間違えないのなら、そのあとに修正することもできないからだ。”(p.67)