鈴木輝一郎のレビュー一覧

  • 姉川の四人 信長の逆切れ

    Posted by ブクログ

    楽しみながら読んできた鈴木輝一郎氏による「四人シリーズ」の4冊目です。戦国時代の主役とも思える、信長・秀吉・光秀・家康が同じ場所にいた、という想定で書かれた歴史小説の4番目の舞台(私が読んだ4番目です)は、信長が慌てて戦場から逃げ帰ったといわれる、姉川の戦いです。

    戦国時代を数時間の授業で終わった中学、高校時代の記憶しかない私の「浅井長政像」とは、朝倉家や父親を慮って決断ができずに、いずれは信長に滅ぼされてしまうものでしたが、この本によれば、浅井長政は強かったのですね。驚きました!

    今後は有名な戦いにおいて、惜しくも弱者側になってしまった人たちにもフォーカスをあてて書かれた本や小説を読んでみたいなと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・組織戦闘が主流のこの時代(戦国時代)、剣術・槍術などの個人格闘技は「武芸」としてさげすまされていた。そもそも大将みずから護身術を駆使せねばならないような合戦は、すでに負け戦である(p39)

    ・戦国武将は死と隣り合わせなので勇猛果敢な印象があるが、実際は変節と屈折、内通と陰謀を組み合わせているのが通例である(p53)

    ・征夷大将軍がいる場所が幕府なので、足利義昭が織田の本陣につけば、浅井長政はいやがおうでも幕府(天下の政道)に反逆する立場に置かれる(p70)

    ・柴田勝家は信長に謀反を計画した経験がある、丹羽長秀、佐久間信盛は桶狭間の合戦のとき、信長を見捨てて参陣しなかった(p72)

    ・戦国武将には戦うための優先順位がある、1名前、2所領、3命、4利益、銭金と命の順位の低さは変わらない(p87)

    ・大麻はもっも身近な農作物のひとつであった、実や下剤、種子は食用、茎は乾燥させて松明、上質紙の材料にもなった。木綿の国産化が成功していなかった戦国時代では、重要な衣料素材でもある。この時代には喫煙の習慣、発想はなかった(p107)

    ・鉄砲隊は兵力として運用するには費用がかかりすぎる、弾薬・弾丸を購入する資金力が必要となる、弓矢はその点、矢は消耗品であっても山地に自生している矢竹を伐採して調達できる(p137)

    ・信長は、小規模軍事と大衆煽動、経済に突出している、一方、意思疎通能力が絶望的に低い(p145)

    ・戦国時代の主君の重要な仕事は、家臣団の目標設定、意欲の維持、人間関係の調整である(p148)

    ・騎馬武者の首をひとつとれば、彼の指揮する、槍隊・弓隊・礫隊・鉄砲隊が退却することになる、総大将の首をとれば戦局そのものがひっくり返る(p176)

    ・合戦は三面=囲碁・将棋・双六に似ている。三面のほうが、本物の合戦から要素別に抽象化し遊戯にしたもの。陣取りや領地の攻勢の要素を取り出したのが「囲碁」、将兵の個性を踏まえて適材適所に人物を配する用兵術を取り出したのが「将棋」、運によって変化し続ける戦局から最善手を選ぶ要素を取り出したのが「双六」(p186)

    ・戦国の一個小隊は、弓隊・鉄砲隊・礫隊、槍足軽、徒歩武者、騎馬武者、伝令、隊長から構成され「備」と呼ぶ(p194)

    ・合戦では、刀はあまり実用的な武器ではない、護身のため、敵の首を討つため、戦場で逃亡を図ろうとする味方の足軽を切り捨てるため(p215)

    ・合戦と「祭り」は似ているが違う点、1)命のやり取りの有無、2)本物の合戦では開始の合図はない(p223)

    ・外見に特徴のある家康や秀吉、浅井長政はそう簡単に影武者を立てられない、武田信玄が本陣にどっしり構えていられるのは、幾人もの影武者を仕立てているから(p229)

    2020年1月13月日作成

    0
    2020年01月13日
  • 長篠の四人 信長の難題

    Posted by ブクログ

    令和になって見つけた鈴木氏の書かれた面白い歴史小説の「四人シリーズ」の三冊目です。今回は、この合戦で戦闘の形を変えたともいわれるくらい有名な「長篠の戦い」」です。

    この戦いにも、あの四人(信長、家康、秀吉、光秀)が揃っていたということなのですね。光秀まで本当にいたかは置いといて、その他の三人については当事者だったので、その人たちの心境がこの小説に描かれているので、それを楽しませてもらいました。

    どの歴史小説を読んでも感じることですが、信長の下に仕えていて、その中で出世した人たち(特に秀吉、光秀と、それらに仕える重臣たち)の苦労は想像して余りありますね。家康の場合には、重臣たちが離反しないように苦労をした様子がうかがえます。徳川家康というのは、江戸幕府を開いた、その後大御所になって院政をした、というイメージが私の中で強かったのですが、若い時に苦労した家康の姿がイメージできて良かったです。

    以下は気になったポイントです。

    ・木阿弥は、筒井順慶が成長するまでの間、父の筒井順昭に化け続け、家臣団は内密に幼君順慶を補佐した。信長の上洛する2年前に、木阿弥は影武者の任を解かれて、一介の僧侶へと戻った、これが「元の木阿弥」である(p49)

    ・戦国時代、領民は外敵から守ってもらうために領主に納税している、軍事・外交・警察・治安は、政事をつかさどる者の最低限の義務である(p51)

    ・長篠の戦のころ、徳川家康の版図である、三河は35万石、遠江は36万石、信玄の概算合計76万石と同等レベル(p64)

    ・織田信長は実によく負ける、連戦連勝だったのは、尾張を家督相続し、家臣団から反乱されて尾張を統一するまで、桶狭間の戦いの後は、よく負けている(p79)

    ・美濃の国主になるのに、12年の歳月と5回敗北、勝利は2回のみ、浅井長政を相手にしたときも、勝ったのは姉川の戦い(1570)と、小谷城攻め(1573)の2回のみで、それ以外では負け続けた(p80)

    ・人間は損を嫌う、予測できるの損の倍以上の利が得られる保証がないかぎり、決断はしないもの(p99)

    ・馬一頭で運べる荷物はおよそ90キロ、一両とは本来、金額の単位ではなく、重さの単位。馬の背にくくりつけた革袋2つは、2400石分=2400両(1両=0.0375キログラム=18.75万円)は、徳川の作戦行動費用の3か月分と少しである(p104)

    ・城に備蓄している兵糧の数量が最高軍事機密である理由は、それがばれると籠城に耐えられる期間が判明してしまうから(p137)

    ・軍勢の力は数に比例し、速さの自乗に比例する、同じ速さで進むのなら7分の1でも、3倍の速さで動けば戦力は上回る、勝てるかどうかわからないときには、早く合戦場に着いた者が勝つ(p146)

    ・家康は、三方ヶ原では信玄に負けたがそれ以外ではあまり大きな敗北はないが、勝頼には負け続けている(p156)

    ・江戸の町づくりを事実上差配したのは、奈良屋・樽屋・喜多村、といった町人であった

    ・軍事、合戦という最前線の利益追求部門だけを評価し、財務・人事・総務といった間接部門の重要性を認識できなかったところが家康の弱点の一つであった(p164

    ・戦国時代は能力最優先主義に思えるが実は違う、戦国の人事は能力ではなく、家臣団の納得と調和によって行われる。信長のようなやり方は、家康にはできない(p167)

    ・この時代、所属を明示する制服が無くてもどうにかなった、軍隊といえどっも明確な階級を決めなくても、だいたい機能した。武田の赤備えが画期的なのは、それが一種の制服であった(p296)

    ・鉄砲は野戦では補助武器以上の地位を与えられなかった、真っ先に敵を倒すのが鉄砲隊なら、うち漏らしたら真っ先に逃げ出すのも鉄砲隊だから(p208)

    ・戦傷の割合は、4割は弓矢、2割は鉄砲・槍、刀剣は1割に満たない((p211)

    ・尾張は、美濃国;不破の関、伊勢国;鈴鹿の関よりも東にあるので東国とよばれるが、西国政務をつかさどる六波羅探題は尾張以西を所管としているので、西国の扱い(p251)

    ・織田の戦法は鉄砲が最新兵器、ほぼ西国式の鉄砲戦法に統一されていたので、3倍以上の反乱軍を蹴散らせた(p251)

    ・失敗はそこから教訓を得たら失敗ではない、成功はそこに安住したら成功ではない(p304)

    2019年8月3日作成

    0
    2019年08月29日
  • 金ヶ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康

    Posted by ブクログ

    先日、桶狭間の四人という歴史小説を読みました。天下統一にかかわった歴史上の有名な人物、信長・秀吉・光秀・家康が、同じ場所で仕事(合戦)をしていたのですね。今回の舞台は、信長が朝倉氏と戦った金ヶ崎です、現在の地名では敦賀になりますね。今年2月に旅行したときに、その場所に行って感激したのを覚えています。

    天下統一をした素晴らしい武将としてのイメージが強い各々ですが、若い時には大変な苦労をしている、というのがこの本を通してもよくわかりました。若い頃の苦労は貴重だ、と言われますが、秀吉を見ていると本当にそう思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・信長は伊勢を攻め切ることが出来ずに、次男信雄を伊勢国司北畠氏に、三男信孝を北伊勢神戸氏に、それぞれ人質に差し出すことでようやく伊勢を手に入れた(p6)

    ・信長は、小規模戦闘の天才、そしてどんなに合戦で敗北しても大局的な戦略上で勝利を収めることもたけていたが、中間の、大軍の用兵と戦術の才能がなかった、つまり組織的行動力、人材管理能力、意思疎通能力が欠けていた(p7)

    ・浅井と朝倉の関係は、徳川と今川の関係に似ている。浅井氏は守護職京極佐々木氏の家臣、長政の祖父(亮政)のとき、南近江六角佐々木氏の圧力を受けたために、朝倉氏の支援を受けて六角佐々木氏を撃退し、京極佐々木氏のかわりに北近江を制圧した。(p34)

    ・徳川家康が織田信長時代に、木下秀吉と組んで戦ったのは、金ヶ崎・姉川・長篠の3度のみ(p52)

    ・戦場での死者でもっとも多いのは戦闘ではない、移動中の病と虫刺されである、ツツガムシ病、マラリア、破傷風、過労からくる虫垂炎等(p64)

    ・現在裏切っていないから将来もとりあえず裏切らないだろうというのが信用、自分が裏切らないように家臣も自分を裏切らないだろうと推測するのが信頼である。家康は信用しても信頼しない(p66)

    ・家康は、どれほど信頼している人間でも裏切る弱さがある、と学び、信長は「決して他人は信じない、ただし信じるときには徹底的に信じる」と学んだ、似たような境遇におかれても、人は得るものが異なる(p101)

    ・中規模の組織を統率するのに大切なの能力は、知恵でも知識でもなく、決断力である(p165)

    ・大将の大切な役割の一つに、目標の設定である。戦国時代の勝利とは、1)総大将の戦死、2)総大将の降伏宣言のみ(p177)

    ・人は自分を裏切る者を裏切る、家康の言葉「わしのために死ぬな、自分の名のために死ね。生きて三河に帰るのを最優先させよ」(p213)

    ・人の行動の先を読むには、とった行動の理由を読まなければならない、信長の言葉(p216)

    ・足軽は戦功の員数には換算されず、殺害目標にされることはめったに無い(p288)

    ・戦国武将が守る順序、1)名、2)領地、3)自分の命、4)銭金(p290)

    ・人の価値は、いいときではなく、悪い時にどうするかで決まる(p309)

    ・信じるとは、望んでいることを確信し、まだ見ぬ事実を確認することである(p312)

    ・織田信長は岐阜に戻ると軍勢を整備しなおして、1か月後(6月末)に出陣して、浅井・朝倉連合軍を大敗させたが、同年9月に、浅井長政は比叡山に本陣を移して信長を敗北させた。屈辱的な和解を信長は受けた、そして3年かけて浅井親子、朝倉を討ち果たした(p317)

    2019年7月27日作成

    0
    2019年07月27日
  • もしも義経にケータイがあったなら

    Posted by ブクログ

    なかなか面白かった。むかーし、義経記を読んだ気がするけど、覚えてない。
    義経と頼朝の熱くも冷えた関係か興味深い。本書の中の例えが現在のものなので、イメージ湧きやすく関心持って読み進められた。
    義経ってば、愛すべきアホな子(いい意味で)なのだね。ケータイあったら「アニキー、おれ最前線で、壇ノ浦攻めっから、梶原に言ってやってよ」とか言えたら良かったね。しかし、それ言い出したら、歴史は全てひっくり返るわなぁね。
    卑弥呼がスマホを持ってたら、とか。
    タイトルで、つかまされるけど、普通に頼朝ののパーソナリティや当時の源平の関係が分かって、面白かった。

    0
    2019年06月23日
  • 金ヶ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康

    Posted by ブクログ

    信長、秀吉、光秀、家康の四人を浅井・朝倉連合との戦いの中で描く。信長がよく描けていると思った。言葉使いが現代的すぎるとかの批判があるようだが、歴史小説であり読者がそれなりに楽しめればあまり拘る必要もないと思う。

    0
    2017年11月12日
  • 桶狭間の四人 光秀の逆転

    Posted by ブクログ

    信長、家康、光秀、秀吉の若い時の関係が、分かりやすく(?)、滑稽に描かれていて面白おかしく、ある意味シビアに読みました。人生は簡単には進まない、みんな悩んで生きている。

    0
    2017年10月31日
  • 桶狭間の四人 光秀の逆転

    Posted by ブクログ

    「~の四人」の新作。次はどこに行くのかと思っていたら。桶狭間でした。
    信長は尾張をまとめ上げたころ。家康は今川の人質、まだ名前も元康。秀吉は、雑人の隠密家業。光秀は初老の浪人。四人が四人とも何者でもない頃。言葉を借りれば、夜明け前の四人です。

    光秀の苦労がクローズアップされる今回。いつもは家康が苦労しょいこむんですけどね。光秀の就活物語というのもうなずけます。

    あとがきの「髪と仕事はあるうちに選ばせて遊ばせてあげればいい、年を取ったら選択肢どころか、なくなるから」というのが、先達の重みと戯れの混ざった至言と思います。いつか使わせてもらおうと思います。

    0
    2017年09月25日
  • 桶狭間の四人 光秀の逆転

    Posted by ブクログ

    4人衆シリーズで桶狭間の今川との戦いの前後を光秀、秀吉、家康、信長の4人の絡みを面白く描くフィクション小説で鈴木さんの真骨頂で有る各人の心模様の描写が愉快!!4人の歳の差関係も知れて特に親子程の年上の光秀の苦労を重ね芽が出ぬ生き様が哀愁を感じる。秀吉は、金ヶ崎でも調子が良いが上手く立回る処世術は後々の時代を乗り越える片鱗を感じる。と言ってもそんな堅苦しい内容では無く、単に面白おかしく4人を描く小説で好きなシリーズだ。

    0
    2017年09月03日
  • 長篠の四人 信長の難題

    Posted by ブクログ

    四人シリーズってシリーズ物なのは終わってから知ったんだけど普通に読んでて面白かった。徳川家康の視点で長篠合戦を描いてて、織田信長、明智光秀、羽柴秀吉との関係がコミカルでところどころ笑える。合戦の描写もなかなか。

    0
    2016年11月03日
  • 長篠の四人 信長の難題

    Posted by ブクログ

    前2作に比べるとイマイチ感がぬぐえないが、信長の突発さ、秀吉、光秀ののほほんさに苦労させられる家康の困り顔がすぐに浮かぶのは筆のよさ。いやぁ、面白い。

    0
    2016年03月14日
  • 金ヶ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康

    Posted by ブクログ

    朝倉義景攻めを行う織田信長連合に家康軍が参加し数的優位の状況で楽勝と思いきや先方として乗り込んでいた浅井長政が何故か裏切り反旗を翻し織田軍を襲う。一足先に信長は秀吉を撤収の殿軍大将に任命して1人戦場を後にし逃げ出す。金ヶ崎で残り長政軍の猛攻を凌ぐ秀吉、家康、光秀の3人武士として第一の名を残し死域へ向おうとする家康に対して、生への固執をする秀吉。中立でどちらかと言えば家康寄りの光秀。言い争いの中に信長が戻り説教を垂れて逃げ切る。そして次巻の姉川の戦いでの復讐戦に繋がる。

    0
    2016年02月03日
  • 長篠の四人 信長の難題

    Posted by ブクログ

    長篠の戦いは、徳川家康vs武田勝頼と思っていたが徳川は、織田信長との連合軍で織田家臣、秀吉、光秀が寄り添い面白い描写で戦いを描く。徳川/織田連合3万5千で武田1万5千を大きく上回る軍勢且つ、鉄砲&弾数で上回り楽勝と感じるが信玄の強さで苦汁を飲み続けた家康にとって戦いが終わる迄勝利を信じられず気がつけば完勝で終っていた。この時期、秀吉は戦い下手な田舎っぺで、三成は年配の賭け好きな無責任親父で馬鹿実直な家康との会話が面白く描かれ面白かった。

    0
    2017年09月03日
  • 姉川の四人 信長の逆切れ

    Posted by ブクログ

    浅井長政(朝倉義景)vs織田信長(家康、秀吉、光秀)との姉川の戦いを面白く描く。浅井長政は戦いに敗れるもカリスマ性に溢れ強くカッコ良い、それに引き換え疑心暗鬼の信長、裏切り心で揺れ動く家康、博打好きな光秀、そして弱く生への執着心だけが強いカッコ悪い秀吉が面白かった。

    0
    2016年01月08日
  • 信長と信忠

    Posted by ブクログ

    いい作品だ!自分の中での謎がほんの少しだけ溶けたような気がした。信長率いる織田軍団の中で本当の力を計り知れない人物がいた。伊勢長島の戦闘後の父と子の会見で白装束に身を包み切腹の準備をしていた愚将として存在していたり、武田の滅亡戦では武田のお株を奪う早きこと風の如しであったりと本当に力が測りきれなかった。

    「信長と信忠」

    秋山信友。武田24将に数えられる猛将である。説得により開城した岩村城。その秋山が守る岩村城を信忠は5ヶ月を要しただけで陥としていた。信友が落としきれずに説得により開城させた城をである。武田の最前線を守る男をである。その後も雜賀攻めや信貴山城の戦い、高遠城を陥とすなどと、これだけ攻城戦に強かった武将を僕は知らない。

    特に岩村城や高遠の城に関して、信長自体は無関係で自分の力で陥としている。現代の世で信忠の力不足説は当たり前のように出ているが、織田政権は信長が完成させるのではなく、信忠が引き継いで真の一枚岩となり完成されたものではないかと思う。

    久しぶりに面白い本でした!
      

    0
    2015年03月13日
  • 金ヶ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康

    Posted by ブクログ

    個性豊かな戦国武将たちの駆け引きの様子を、わかりやすい話し言葉に置き換えておもしろく描いた小説。
    家康がちょっとかわいそうでした(笑)

    0
    2012年05月29日
  • 信長と信忠

    Posted by ブクログ

    まぁ、おもしろい。じ~んとくる、ことはくる。...が、今一つ。おもしろいことはおもしろいし、ボリュームも少ないので一気に読める。なのに、何かこう、物足りないというか中途半端というか。

    0
    2010年01月01日
  • 信長が宿敵 本願寺顕如

    Posted by ブクログ

    宿敵・織田信長と戦いながらも、妻とは上手くいかず、息子とは意見の衝突があり、頭の痛い本願寺顕如。“ふるい”足利義昭に味方し、“あたらしい”信長に立ち向かう。

    0
    2009年10月04日
  • 光秀の選択

    Posted by ブクログ

    この本の著者である鈴木氏の、戦国喜劇四人シリーズを以前に楽しく読ませてもらいました、読書記録を読み返していて彼は他に何か書いていないだろうかと調べて見つけたのがこの本です。信長や光秀に関する本を何冊か読んできましたが、これは本能寺の変が起きる10年前が舞台となっています。

    歴史を知っている私達は、信長は天下統一の直前まで成し遂げていたこと、朝倉・浅井、比叡山も最終的には破って「戦争に強い」イメージがありましたが、この本で、初めて信長は小規模の戦い(尾張統一を成し遂げる頃まで)は強かったが、1万以上の大軍を率いた戦いでは、何度も負けていることを初めて認識しました。負けていながら、秀吉や光秀などの新参者を、重臣と同じくらい重用する等、能力主義を取り入れていたのは見事だと思いましたが。

    最近、歴史の研究が進んで、信長や秀吉の見方が変わってきたという本も読みました。それらの本を読んで、今まで学校で習ってきたこととは異なるものの、なんだか人間らしくて(一生懸命、戦国時代を試行錯誤している)親しみが持てるようになりました、これは小説という形を取ってはいますが、筆者は多くの歴史書を読み込んで作られていると思います。

    筆者の執筆にかける情熱に思いを馳せながら、私は楽しい読書ができました。彼の他の本を読むだけでなく、今まで日が当たらなかった武将(特に二代目)についても調査したくなりました。

    以下は気になったポイントです。

    ・人生50年の時代である、光秀は、年齢が年齢だけに、仕官しようにも相手にしてもらえない、生地 鉄砲術や兵法に 長じ、文学に明るいことも災いした。 高禄で 雇うには年齢が高すぎる 戦国の世のこととて 慢性的に人手は足らないか 欲しい人材は「安くて若くて顎で使える者」であって、 そこそこの中堅どころの人材はどこでも余っている(p7)

    ・ 下剋上の戦国時代といえども雑人が 出世できるのはせいぜい 足軽頭 頭であり 木下秀吉は破格の出世を遂げている(p13)

    ・姉川の戦いで 朝倉 浅井 連合軍と織田徳川連合軍が決戦を行った時 木下秀吉の軍は突撃してくる 浅井長政の本体の前にあっけなく崩壊した、 浅井長政の主力が 織田信長本陣にあと一歩というところまで宿泊するのを許したのは 木下秀吉の合戦へたの理由の一つでもある、 幸い 圧倒的多数だったことと 徳川家康が側面から浅井を押したことで 姉川の戦いは勝利を収めることができた(p14)

    ・京都で殿上人と付き合うには、 源氏物語・ 平家物語 などの素養はもちろん 必須である、けれども 秀吉は、武家の一般教養である易経・論語どころか 庶民の協業である「庭訓往来」も目を通しているか定かではない、京都の奉行の1人であるので一通り 文字は読めるようであるが確保はいささか 怪しい。 ただし 光秀が同僚として感心することはある、 秀吉はその場にいない人間の悪口は絶対に言わない、 どんな失策も決して他人のせいにしないことである(p17)

    ・信長は大まかに数えるだけで、 美濃とは 9回合戦し 2度 勝利したものの 6回 敗北、 最後に 稲葉山城攻めで買って 美濃を手に入れた、 この時の 織田信長は 尾張国 57万石( これには 林業 収入 水運 収入 商人からの 租税は 計算されていない)あり、美濃国54万石を上回る、普通の戦国武将 ならこれほど負け続ければ 途中で諦めるが信長が負けても続けられたのは贅沢な 軍資金を調達できたからである、 それ以上に頑迷で粘着質 な信長の性格が大きい(p26)

    ・人は無能になるまで出世する、征夷大将軍は武士の最高位で武士の出生の行き止まりである(p31)

    ・戦国時代 合戦などで 最も大きな 比重を占めるのは 鉄砲 などの装備費でも弾薬や弓矢などの合戦 直接費でも戦場で臨時に構築される人 知の建設費でもない、 戦地へ向かうための旅費交通費・ 戦地近くでの 滞在費である(p42)

    ・通常は謀反が発覚すれば死が待っているものだが、信長は謀反人でも能力があれば 許した、この時期の信長の重臣たちには多くの謀反 経験者がいた、 信長の異母兄・ 津田信宏、 家臣 筆頭の林秀貞 、柴田勝家、 馬回り衆の佐々成政などである、それだけではない 信長はほとんどの家臣に見放されたことがある。 桶狭間の合戦の際、信長は尾張一国をほぼ 掌握していた、 一国でも今川義元に匹敵する資金力があった、 今川が大軍だと言っても信長は2万でも4万でも 動員が可能だった、けれども今川義元と対決することとなった時 信長はほとんどの家臣から見放され わずか2000の将兵だけで戦いを強いられた。 信長が 美濃との戦いで 敗北 し続けたことは決して偶然ではなく 人望のなさである(p55)

    ・戦国時代の 幼児死亡率は高かった、3歳の髪置、 男子5歳の袴着、 女子7歳の帯解と言った子供の祝い事かなぜあるかと言うと、その年までに死んでしまう子供が多いからである(p90)

    ・戦国武将で合戦の最中に 戦死する例は実は珍しい、今川義元が桶狭間で討たれたことと、 斎藤道三 が 長良川の合戦で即死したことぐらいである、 信長の父親 信秀は自宅で急死、 武田信玄の父親 信虎は追放された、 信長に追放された 美濃国主、 斎藤龍興 は合戦の最中に死ぬことなく 追放された(p100)

    ・孫子曰く、賢者はまず勝ちを決めて合戦に臨み、 愚者は戦で勝敗を臨む(p103)

    ・歴史は勝者によって書かれるが、勝者が歴史に残るとは限らない(P106)

    ・ 軍が一定規模を超えると兵糧の輸送、 組織会計、 軍隊 規律 警察、 連絡 といった間接部門が勝敗を決する、 未だ 群雄割拠 から抜け出していない 当時 そうした 大軍 運用経験を持つものはほとんどいなかった。 今川義元が4万の大群を率いて2000の織田信長に敗北したのは偶然でない、 尾張統一後の織田信長が美濃との戦いで敗北しまくったのもまた偶然ではない、 織田信長が他の戦国大名と大きく異なるのは敗北し続けることができるだけの資金力があったこと、 そして そうした 間接部分の重要性を学んで 上洛 時には 6万の大軍を運用できたことにある(P113)

    ・ 戦国の合戦は組織 戦闘が基本である、 そして組織で出世するには 鉄則がある「 しつこく 罵れ 他人の失敗、 笑ってごまかせ 自分の失敗」という 鉄則である(P136)

    ・何を言ってるのかわからない人間は、大抵は何も言っておらず、何を考えているのかわからない人間は、間違いなく 何も考えていない(P136)

    ・合戦 戦争は時代や 場所を問わず 最大の経済行為である、 とにかく合戦はカネがかかる、 そして合戦の費用のほとんどは 実のところ 移動に伴う「 交通宿泊費 ・滞在費」に消える、 つまり 移動の経路上と滞在中の場所に巨額の金銭が落ちる、 そこで 軍の移動の経路と滞在の場所に落ちる 金銭を回収できれば巨額の資金を手に入れられる、織田の諸将が軍役のために 費やす 銭金は周り回って「秀吉」の懐に入っている(P140)

    ・大軍の運用で最も困難なことの一つに「 全員を無事に 戦場に送り届けること」がある、 マラリア や 日本脳炎、 虫垂炎、 赤痢、 食中毒は 病状の存在は知られていても 病名は「おこり」「腹痛」とひとくくりにされていた、死に至るほどの高熱 腹痛と言った症状の存在は知られていても原因も治療法も分かっていなかった時代である、 虫刺されや 食あたりで戦病死するのは珍しくなかった(P157)

    ・強いやつは何で強いかというと自分の力を知っているから強い、自分より強いやつとは 戦わない、 弱いやつは相手の強さがわからないから殴り倒しても 泣きながら立ち上がってくる(P159)

    ・小さい嘘は他人を騙すが大きい 嘘はついている自分を騙すことから始める(P163)

    ・ 威光や権威は価値があると思うものにのみ 価値がある、役人 いえば価値がないと思われた瞬間 価値がなくなる、 足利義昭 はそういう危ういところで戦っていた(p168)

    ・ 織田信長は 尾張統一までの小規模合戦で 連戦連勝を続けたが、 美濃攻略以降、 1万を超える大群を運用するようになってからは 面白いように 負けが多い(p173)

    ・陰陽師は占いだけでなく 暦の作成の責任者である、1年を350日で計算する太陽太陰暦のこの時代 暦の作成は 専門的知識と施行する権威の両方が必要であった、 なぜ陰陽師が 義昭のところにいたのか それは 義昭が総大将として決断するためである、 戦国の大将が重要な決断を迫られた場合に備え、易で気色(運の流れ)を知るために身近に陰陽師を置くのは常識であった (p184)

    ・下剋上の世の中でも「五逆」 と呼ばれる最低限の倫理規定はあった、1)父を殺す こと、2)母を殺すこと、3 )高僧を殺すこと、4)僧の和合を破ること、5)仏体を傷つけること(p204)

    ・組織の中で最も重要なのは言うまでもなく 人事 である、 人事で失敗すると組織は崩れ落ちる、 独断と 専横が目につく 織田信長でさえ 家臣の移行を無視して人事はできない(p237)

    2026年9月30日読破
    2026年10月2日作成

    0
    2026年10月02日
  • 何がなんでもミステリー作家になりたい!

    Posted by ブクログ

    小説家になるための入門書。
    ミステリーを書く気はないが、ミステリーの基本が書いてあるので、ミステリーに少しは詳しくなれたような気がする。
    特に参考になるミステリーをいろいろ挙げてくれているので、ミステリーを語るため?にも今後読みたいリストに全部メモしておいた。
    ヴァンダインの20則
    ノックスの十戎
    この辺も原本に当たってみたい。

    0
    2026年02月01日
  • 何がなんでもミステリー作家になりたい!

    Posted by ブクログ

    小説家を目指してるわけじゃなくても、どのように小説が完成されていくのか、著者の視点が知れておもしろかった。

    0
    2025年12月24日