鈴木まもるのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
本作は、黒ねこサンゴロウシリーズの最後の1冊である。
おれは日記をつける習慣はない。
三日まえはどこにた?
五日まえはなにをしていた?
ひと月まえは?
そんなことはおぼえていない。
ただ、海があって、船がある。
たいくつなんかしない。
こんなサンゴロウだが、彼は自身の過去の記憶と向き合うことになる。
サンゴロウの失った記憶について、友人で医師であるナギヒコはずっと気にかけている。
ナギヒコは、サンゴロウの記憶について、
うみねこ島にむかうとちゅうで、なにかおそろしい目にあって、
それを忘れようとして消してしまったのではないかと考えている。
記憶は戻らないのではなくて、戻せない。
自分で封印しているのだと。
そして、その鍵はサンゴロウ自身の中にあると。
ナギヒコは、その記憶が戻せないのを、うみねこ島の医学ではどうにもならないのを悔しく思い、
一方、同じく医者であるクルミは、その封印は解くべきではないと考えている。
理由は分からないけれども、自分で選んでいるのだから正しいことのはずだと。
本作は、サンゴロウからナギヒコへの手紙という形式を取っている部分がある。
そこでサンゴロウは過去を回想するのだ。
じぶんがだれなのか、それをさがすのに、船がいちばん役にたつとおもった。
そのとおりだった。
消えた記憶は自分が閉じ込めたのだとしても、
なぜ閉じ込めたのか、例え苦しむことになっても、
それを知らなければならないとサンゴロウは考えた。
サンゴロウは、過去を知るために、ウミガメ号の船長を引退し、今は病床にあるカジキじいさんを訪ねる。
キララの海とハナミサキ海岸のあいだには、ブロックがある。
おれがあそこで難破したときに、ウミガメ号は<ブロックぬけ>をやった。
そうですね?
サンゴロウは、マリン号でブロックぬけをやれないかと考えていたのだ。
おれがこの島にやってきた、その道すじを逆にたどる。
そうすれば、すべての記憶がもどる。
ばらばらのかけらが、きちんとつながる。
いや、そんな保障はどこにもない。
反対に、もういちどすべてをうしなうことになるかもしれない。
サンゴロウは悩む。
そんなとき、北の海でヨットクラブのヨットが転覆し、
カジキ船長の娘のミサキが行方不明になってしまう。
それを聞いたカジキじいさんが病身を押して救出に出てしまうのだ。
サンゴロウは、カジキじいさんを追って、そして、ミサキを助けるために北の海に出る。
そこでサンゴロウが見たものは・・・。
私にはこれ以上を語ることはできない。
ただ、サンゴロウは黒ねこでなければならなかったのだということは言える。
そして、彼の抱える過去―彼は誰なのか、どこから来たのか―とその過去が象徴するもの。
それらを思い出さずとも自然と身に纏って生きてきたサンゴロウは、
この物語の主人公として生きるふさわしい存在だったのだ。
本シリーズは、全体としての文字数はそれほど多くはない。
だが、その余白は物足りなさを感じさせない。
そのまま読んでもおもしろいのだが、余白が深読みを許容する度量のように見える。
本作は、サンゴロウがうみねこ島に来てから3年後と書かれていた。
ケンとミリとサンゴロウの時間的には5年後である『ケンとミリ』が一番最後の話になるようだ。
サンゴロウが誰でどこから来たのかが、シリーズの一番最後に語られ、
それが全体の物語に見事な説得力を与えてくれた。 -
Posted by ブクログ
本書は、黒ねこサンゴロウシリーズの番外編短編集である。
「みどりの小鳥」、「幽霊船」、「王様の島」の3編が収められている。
そして、今までなくて、全体としてもこの巻にしか載っていないのが不思議なのだが、
うみねこ島を中心に、このお話の舞台となる島々の地図が載っている。
サンゴロウとマリン号は、一心同体である。
ここはマリン号の心臓にいちばんちかい。
おれは、船の鼓動を感じ、船といっしょに呼吸する。
おれには船のきもちがわかり、船もおれの気分をよみとる。
話なんかしなくても、かんがえることは、ぴったりあうんだ。
ところが、そんなサンゴロウとマリン号の関係を揺るがす存在が現れる。
それが、「みどりの小鳥」である。
サンゴロウは、嵐に巻き込まれたときに、キャビンの窓ガラスにぶつかってきたみどりの小鳥を助ける。
サンゴロウは船が沈むときは自分も沈むことに対して全く迷いがない。
だが・・・。
しずむときは、しずむさ。しかたない。
でも、この鳥は、たすけたかった。
おかしな話だ。
たまたままぎれこんできただけの、みたこともない鳥なのにな。
サンゴロウと鳥の関係は、サンゴロウと船の関係とは違う、
何か不思議な雰囲気をかもし出している。
きみょうな旅がはじまった。
マリン号は、品物をはこぶことはあるが、
めったにお客はのせない。
ちっぽけな小鳥一羽でも、お客はお客だ。
おれのほかに、船にだれかいるといないとでは、
ずいぶん気分がちがうもんだ。
鳥は話さない。
サンゴロウはひとりごとのように鳥に話しかける。
元気になった鳥の仲間を求めてサンゴロウは方々の島を訪ね歩くが、
この鳥がどんな種類なのか、仲間がどこにいるのか誰も知らない。
キャビンを開けっ放しにしているから、鳥はいつでも飛び立てるはずなのだが、
サンゴロウのそばを離れようとはしない。
南海島に住む、鳥に詳しいイソキチからは、人に慣れた野鳥は自然に戻れなくなると言われる。
サンゴロウが陸に上がると、鳥は肩に止まっている。
名前は付けていない。
飼っているのではなく、預かっているだけだと思っているから。
サンゴロウは、いつしか船をゆっくりにしか走らせないようになっている。
安全な航路しか通らない。
鳥がなれたように、おれも、鳥といっしょにいることになれはじめているんだ。
でも、鳥は、ここにいるべきじゃない。
もっと自由にとばなきゃならない。
船でくらすなんて、不自然すぎる。
鳥は、本シリーズ全体の象徴的な存在でもある。
『キララの海へ』と『ケンとミリ』に登場する
ミリも空を飛びたいと願う女の子だった。
そこには自由への思いがこめられている。
船とは違った意味で同じくらいのメッセージをもっているのだ。
ずっと鳥と一緒にいて、走り方が変わったサンゴロウの影響で、
マリン号も「きげんがわるく」なってきた。
どこかに、目にみえないすきまができていた。
おれとマリン号のあいだに。
水の中でしゃべってるみたいに、ことばがうまくつたわらない。
右だ、とおれがいう。
マリン号にはきこえない。
いや、きこえないふりをして、左にいこうとする。
ちがう! とおれはどなる。
その声も、すきまからこぼれていってしまう。
サンゴロウがどういう決断をしたかは、
実際にサンゴロウに語っていただくとしよう。
あなたにとっての船は? 鳥は?
「みどりの小鳥」は、そんなことを問いかけてくる。
「幽霊船」は、本シリーズの『黒い海賊船』や『青いジョーカー』のような
海賊的な冒険物語の雰囲気を持つ話だ。
真珠島の白ねこ・シーナも登場する。
「王様の島」は、少し不思議な物語だ。
マリン号が警報が鳴り、船が操縦不能になった近くの島で出会った老人。
サンゴロウの船にまつわるヒトリゴトもいい味を出しているが、
この老人の語る話もまた深い。
その味は、サンゴロウのこの言葉に象徴される。
もつべきものを、すべてちゃんともっていた。
そして、けっしてたいくつなんかしてなかった。
だいじなのは、つまり、それだ。
さて、本作のタイトルの、「金の波 銀の風」は何を象徴するのだろうか。
本シリーズに登場するうみねこ族の緊急時の通信手段に、
<声の波>と<貝の耳>がある。
うみねこ族のすべてが使えるわけではなく、向き不向きがあり、
発信する<声の波>と受信する<貝の耳>でセットだ。
ミリは、ニンゲンの女の子でありながら、これが使える。
この声の波を発信するときの描写が、『キララの海へ』にある。
心をおちつけ、集中させ、ほそいほそい波のくさりをあんでいく。
そのくさりに、ことばをのせる。とどけ、とどけ、とどけ、と。
また、ミリが空を飛びたいと語るときに、サンゴロウが感じていたのは
金色の潮だった。
金色の潮がみちてくる。
波の音しかきこえない。
砂の上についた足あとが、ふしぎなもようをえがいて、ひかっている。
金の波と銀の風が象徴するのは、海と空、波と風、船と鳥、そして・・・。
発信と受信。
自分が核として大切にするものは何だろう。
何を伝えたいのか、何を受け取りたいのか。
金の波と銀の風は、私にそれを伝えに来たようだ。 -
Posted by ブクログ
本作は、前編との関係でいうと『黒ねこサンゴロウ3:やまねこの島』に登場した
やまねこ族の隠れ住む<貝がら島>が舞台となる。
『やまねこの島』では、サンゴロウと友人で医師のナギヒコとの関係が中心に語られていたが、
本作では、サンゴロウは、貝がら島のやまねこ族の後継者争いに巻き込まれていき、
サンゴロウとやまねこ族の末裔達とのやりとりが話の中心をなす。
ナギヒコの思い人であるクルミは、貝がら島の医師である。
サンゴロウとナギヒコが訪れたときから、貝がら島の外の世界に思いをはせているようなところがあった。
そして、その思いのために、クルミは少しずつ準備を進めていたのである。
やまねこ族とうみねこ族の間には、先祖の時代に大きな確執があった。
だが、ナギヒコにカレハ熱から助けられた若い者を中心に、意識が少しずつ変わってきてもいる。
後継者争いに巻き込まれて、捕らえられたサンゴロウを助けるのは、そういった子どもの世代なのだ。
サンゴロウは、内省も観察も鋭く、短い言葉で核心を突いていく。
言葉少なな中の冒険者的な名言も健在である。
おれは、どっちみち陸じゃ死なない。死ぬときは、船といっしょだ。
シンプルだが、とても惹かれる。
きっと大きな波がくる。きたら、うまくのれよ、サンゴロウ。
自分も一緒に波を待ってしまうのだ。
サンゴロウは、囚われている部屋で悪夢を見る。
(家がもえている。倉庫がもえている。さけび声が聞こえる。火の粉をあびてにげまどう、たくさんの黒いかげ。)
ところが、それは・・・。
ちがう。夢じゃない。記憶だ。
はるかむかしの、遠い北の陸地。
うみねこ族とやまねこ族の最後のたたかいの夜。
これは、だれの記憶だ?
だれが、なんのために、おれにこんな古い悪夢をみせる?
サンゴロウの記憶は、この状況の中で考えていたのだ。
(船をまもらなくては。船を……。)
本作は、サンゴロウの封印された記憶がキーにもなっている。
もうひとつのキーが、やまねこ族の末裔達が、島のおきてで、長い間船を禁じていた理由、
そして、北の陸地を離れてなぜこの島にやってきたのか。
このやまねこ族の長老の衣装なのだが、どことなく、アイヌの文様のようにも見える。
やまねこ族は、うみねこ族との最後の大きなたたかいで、二せきの船を手に入れた。
一せきは燃えてしまったが、もう一せきは無傷だった。
やまねこ族は、よりすぐった者たちを集め、その船に乗り、
もっと豊かな「南の陸地」があると信じて、航海に出た。
本作は全体として、北の島々の物語なのだ。
やまねこ族は船の操縦はできなかったはずである。
だが、貝がら島にぶつかって沈んでいる船は大型船である。
長老の家には、代々つたえられている話がある。
アンモナイト号の船長は、黒いねこだった、とね。
アンモナイト号の船長とサンゴロウ。
二匹の黒ねこの符合。
うみねこ族も、やまねこ族も、きっと、もとは敵どうしじゃない。
海にでていく船は、山の木でつくられる。
海と山は、ふたごの兄弟だ。
おれたちは、おなじ月をみて、おなじ歌をうたうなかまだったのかもしれない。
本作は、狭間に生きる者の物語である。
いや、シリーズ全体がそうなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
本作は、前編5冊との関係で言うと、
サンゴロウに憧れ、『黒ねこサンゴロウ4:黒い海賊船』で
活躍したイカマルのその後の話である。
『黒い海賊船』で、こっそりサンゴロウのマリン号に忍び込み、
結局すぐに見つかるのだが、助手を務めたイカマル。
今は、船には乗らずに、きつい仕事を引き受け、一生懸命に働いて、
おんぼろではあるが自分の船を手に入れ、
仲間に協力してもらいながら自分で修理して仕上げていた。
イカマルは、サンゴロウの教えを忠実に守っていた。
風にむかってはしりながら、ぼくは、ずっと、船のあやつりかたをかんがえていた。
かんがえなくても、半分ねむりながらでも、しぜんにからだがうごく。
そんなふうにならなきゃ。
陸にいるときでもできる練習のやりかたは、親分にならった。
そう、イカマルは、サンゴロウを「親分」と呼ぶ。
イカマルは、はじめて手に入れた自分の船に「イルカ号」と名付ける。
自分の船を懸命に手入れするイカマルをサンゴロウも認めて、静かに褒める。
サンゴロウは自覚はないが、実は人を育てることに長けている。
褒めるタイミングと言葉がいつも実に絶妙だ。
そんなときにサンゴロウを探して、「真珠島のシーナ」と名乗る白猫が現れる。
イカマルは、『黒い海賊船』に続き、またしてもサンゴロウと共に事件に巻き込まれていくのだった。
関わってくるのは、ニンゲンの世界でのアブナイ薬を髣髴させる薬草である。
それについて語るサンゴロウの言葉がまた深い。
イカマルのサンゴロウへの一途な思いは、変わらない。
そして、サンゴロウも何かあったときは助けてもらうとイカマルに言うまでになっている。
イカマルは、確かに成長もしていて、かつてマリン号を自分が操縦させてもらったときに、
それはサンゴロウがいたからこそできていたのだと気づく。
あのときは、親分がいっしょにいた。
ぼくがかじをとってても、マリン号をはしらせてるのは、
ぼくじゃなかったんだ、ってこと、いまごろわかったよ。
冒険を乗り越えた後のイカマルの言葉が印象的だ。
「苦労したって、いいです。」
親分の目をみて、ぼくはいった。
「ばらばらになって、なおせなくなるまでは、ぼく、これでやります。」
イカマルは、ある瞬間に、イルカ号と気持ちがひとつになったことを感じたのだった。
サンゴロウは船乗りなので、船が全編を通して象徴的な存在としてあり続けるのだが、
イカマルが語る「船」もそれくらいの重みを持つようになってきたと感じた。
親分への憧れをまっすぐに語っていたイカマルの言葉が、
船に対しても同じくらいの説得力を持って輝くようになったのだ。
それでも、憧れを語らせたときが最強なイカマル、ではあるのだが。 -
Posted by ブクログ
本書を前編との対応関係を見てみると、
この『ケンとミリ』には、『黒ねこサンゴロウ1:旅のはじまり』でサンゴロウと旅を共にしたケンと
『黒ねこサンゴロウ2:キララの海へ』でサンゴロウを助けたミリが登場する。
ケンとミリはいとこ同士である。
お互いがサンゴロウと別々なときに会っていたことを知らない。
ケンがサンゴロウと出会ってから5年が経ち、ケンは13歳になっている。
当時とはいろいろなことが変わっている。
ケンは中学生になり、「特急マリン号」は「特急スーパーマリン号」になっている。
当時、ケンの父親が建設にかかわっていたホテル・マリンはできあがっている。
ケンがサンゴロウと歩いた川も橋もほら穴ももうない。
サンゴロウがなぜ自分を宝探しに誘ったのか、
こういうことがわかる感性の少年にケンは成長していた。
あのリュックをしょった男の子が、どこかぼくににているみたいに、
ぼくも、たぶん、サンゴロウににていたんだ。
年がうんとはなれていたって、口をきいたこともなくたって、
ちらっとみただけでピンとくるあいてが、たまにいる。
そして今でもケンは、仲間を探している。
ぼくは、そういうあいてを、こっそり<なかま>ってよんでいる。
おんなじ心をもった者どうし、ってことだ。
ひとり旅をしているとき、ぼくは、ときどき<なかま>をさがしているような気がする。
さがして、どうするっていうんじゃないけど。
ただ、すれちがって、やあ、っていってみたいだけ。
いい感じに成長しているようだ。
いっぽうのミリの方は、『キララの海へ』でも不思議ちゃんだったが、
そのまんままっしぐらにさらに不思議ちゃんに成長した。
ミリは7歳になっている。
小さい頃から考えなくてもコタエが見えているという感じの女の子だった。
トランプの札が見えているような。
手をかざしてカードが見えているように組み合わせていって、
最後にジョーカーを見て、「ねえ、どうして、この人は、ひとりしかないの?」と訊いちゃうような。
ケンは思っている。
ミリは今でもあれができるのだろうかと。
ミリの両親はうまく行っていなくて、別居して、別れる別れないの話し合いをしている。
ミリの父親は、ミリが母親と暮らしたほうがよいと考えている。
ミリは授業中ぼんやりとしていて、宿題もしてこない、空想的過ぎる、先生には口答えする、
友だちとなじもうとしない、病気でもないのに遅刻や欠席が多いという。
「たった七歳の子にだよ。空想をするなといえるか?
山ほどの宿題が必要か? つまらん友だちとむりにつきあって、なんになる?
なにが手おくれだ。学校ってのは、そんなにだいじかね。
もっとだいじなものは、世の中にいくらでもある。」
本書は、紛れもなく、ニンゲンの世界を描いている。
どこまでも現実だ。
ミリのお父さんにケンは頼まれることになる。
遊びがてら宿題でも見てやってくれないかと。
こうやってケンの冬休みは始まった。
ミリは、自分なりの理屈を持って生きている。
漢字の書き方だって、正しい書き順の通りではない。
山は下の横線を引いてその上に縦線を三本並べる。
「だって、地面があって、その上に木がはえてるんでしょ。」
木は、みきが下から上にむかってのび、そこから枝が出るように書く。
算数は、数字を見つめてすっと答えを出す。
早くて正確だが、いつも答えしか書かない。
式が全然書けない。
「だって、答えがわかれば、いいじゃない。」
みんなと同じでなければならないと求められる環境では生きにくいだろう。
ミリは、勘がよいため、父親と母親がなぜうまくいっていないのか
クールに理解して、言い放つようなタイプだ。
「だからね、ママは、べつのおうちにいって、すきなだけおそうじすればいいし、
パパは、すきなだけちらかせばいいのよ。」
大人にとっては痛いことばかり言う、扱いづらい存在だろう。
ケンも途方にくれている。
問題なら、ほかのところにも、いっぱいある。式も答えもない。
すごくこんがらがった問題が。
その世界では、1たす1が2にならないし、三角形の三つの頂点はどうしてもつながらないんだ。
そして、思う。「サンゴロウだったら、どうするかな」と。
ミリは、相変わらずのマイペースで、学校やめちゃったらいけないのと聞いてくる。
そして、ケンは、どうしてずっと学校にいっているのと。
ケンにはその問いにミリが納得いくような答えを出せない。
じゃあ、いったい、なにをしたいんだよと思わず言ってしまうと、
ミリの答えは、「空をとびたい」だった。
とうとうそれがきっかけでケンは切れてしまい、
「空をとびたければ、かってにとべよ!」と
言ってしまうのだった。
そして、ミリがいなくなってしまい・・・。
本作では、半分までニンゲン世界の話で、サンゴロウは出てこない。
後半、サンゴロウがどのように登場するのかは、すべてお楽しみということにさせていただきたい。
本当にいっしょにいるということ、本当の仲間であるということについて、
サンゴロウは教えてくれるということ、
そして、あとあと取り出せる大切な言葉をくれたということだけは書いておこうと思う。 -
Posted by ブクログ
どうしてか、じぶんでもよくわからなかった。
なにか、たりないものをさがしているような気がした。
ねじとか、ねじまわしとか、そんなものだ。
あちこちさがしまわっているが、みつからない。
いや、いったいなにをさがしているのか、それがわからない。
おれは、どこからきたのか。
なぜここにいるのか。
これからどこへいくのか。
なんのために?
気持ちがなぜかささくれ立ち、やせて目つきが悪くなったと
サンゴ屋のおやじに心配されるサンゴロウ。
夏が過ぎて秋になり、鳥の研究をする学者・イソキチに、
南海島まで送り届けてほしいという依頼が入る。
その依頼を受けたサンゴロウは、「風がかわるような気がした」。
イソキチを南海島で降ろす。
おれのさがしているものは、ここにはないな。
そいつは、めずらしい花でも渡り鳥でもない。それだけはたしかだ。
あてもなく島や猟師町を回ったが、何もなかった。
ひとりになったら、あのいらだちがもどってくるような気がした。
酒が急にまわってきて、ねむった。
いつのまにか、霧がでていた。
そして・・・・。
霧のむこうに、灯台があった。
そこには、灯台守のカイがいた。
「歓迎するよ、サンゴロウ。きみを、まってた。」
なぜだか、そのとき、おれは、ふとおもったんだ。
おれが、夏じゅうさがしていたのは、この灯台じゃないかな、と。
サンゴロウは、灯台で霧がしみこんだ服を乾かし、
しばし滞在することになった。
灯台とカイには不思議なことがたくさんあった。
ガラスびんの中にあるミニチュアの船の中に、
マリン号にそっくりなものがあった。
サンゴロウが自分の船に似ているその模型に驚くと、
カイは、でたらめにつくったというが、
「こんな船に会いたいと、おもっていたのかもしれない」とも言う。
「うみねこ島の話をききたいな。きみと、きみの船の話を。
どこからきて、どこへいくのかをね。いいかな。」
「いいよ。」
おれは、こたえた。
それを、話しにきたんだよ。たぶんね。
この「どこからきて、どこへいくのか」は、
単に現実的なマリン号の行き先や冒険だけを指すのではない。
マリン号の航路とは、すなわち、サンゴロウの生き様そのものを指すのではないか。
サンゴロウは、自分のことを語るために、自分のことを知るために、カイを必要としたのだ。
人はだれでもそんな存在を必要とするのではないだろうか。
そして、だれでも必ずそんな相手に出会えるのではないだろうか。
ふたりは、とりとめもなくいろんなことを話した。
サンゴロウは、カイのギターを聴いた。
海の声によくにていた。
サンゴロウは、カイも海の声を聴いているのだと確信する。
それはふたりが感性の点で確かにつながっていることを表現するエピソードだ。
「ワン、ツー、スリーでいこう。ギターが海で、きみは風だ。」
ギターとフルートの曲をギターと口笛で演奏するふたり。
カイは、サンゴロウになんのために生きているのかと問う。
とつぜんきかれて、答えにまよったサンゴロウに、カイは自分が教えるという。
「きみは、あの船にのるために生きてるんだ。
そして、あの船は、きみのためにあるんだ。
きみが生きてるかぎり、船ははしる。」
「サンゴロウ、だいじなのは、それだけだよ。
きみが、どこからきて、どこへいくにしても、
それは、きみがそんなふうにえらんだんだ。
なんにも心配はいらない。
きみが死ぬときは、船も死ぬ。ハッピーエンドだ。」
サンゴロウが、「なぜ、そうおもう?」と問うと、カイは答える。
「おもうんじゃないよ。ただ、わかるんだ。」
おそらく、サンゴロウは、この言葉を聞くためにここに来たのではないか。
そして、サンゴロウがカイを必要としただけではなく、カイもまたサンゴロウを必要としていた。
カイはあることに後悔を残して灯台に留まり続けていたのだ。
カイはその言葉で、サンゴロウに、生きている意味を伝えたが、
サンゴロウは、カイにサンゴロウなりの方法で、それを伝えるという役割を果たすのだ。
「なぜ、おれを、ここによんだ?」
「それは、たぶん……きみが、ぼくににてるからじゃないかな。
ずっと、まってたんだ。話をしたかった。きみと話せて、よかった。ほんとだよ。」
ケン、ミリ、ナギヒコ、イカマルなど、いままでシリーズを通して、サンゴロウと対話して、
サンゴロウを映し出す役割を果たした登場人物たちは何人もいたが、カイはこの中でも別格である。
なぜなら、「のれよ! いっしょにいくんだ!」とサンゴロウが言った唯一の相手であるから。
私にとって本書は大人になってからはじめて読んだ本であるが、
おそらく、読み手が成長するごとに、違う味わいでメッセージを返してくるタイプの本だと想像できる。
本書の表現するものは、小学校中学年では理解できないところもあるかもしれない。
だが、それでも、なぜ生きるのかを問うものについてはわからなくても出会っておくことをお勧めする。
本書は、航路で出会う霧が象徴するような重さを持つが、
それゆえに、私の中でのこのシリーズの価値を引き上げもした。
私が見つけたものは、私が相手を必要とするだけでなく、相手もまた私を必要とする。
それは、本でも同じこと。
だから、本語りを続けるのだ。
そんなメッセージをもらった気がした。 -
Posted by ブクログ
今回の話の中心は、サンゴロウとサンゴロウにあこがれているイカマル。
前編5巻の中では、もっとも冒険物の要素が強い。
三日月島ではサンゴ屋からあずかった細工物がいい値で売れる。
サンゴロウは、ちょっとべつの島に寄り道したあと、三日月島に行く
いつものコースを向かっていた。
最近、三日月島の近くで海賊がでるといううわさがたっていた。
黒い船で、マストがないその船は、うみねこ船ではなく、
海賊はうみねこ族ではないということだけはわかっていた。
帆に風をうけて、すべるようにはしっているマリン号。
ところが、床下から物音が聞こえて・・・。
いつもひとりで航海するサンゴロウにあこがれいたイカマルが
こっそりマリン号に忍び込んだのだった。
サンゴロウシリーズは、ずっとサンゴロウが語り手というわけではなく、
その物語の相手役が語ることもある。
本書では、サンゴロウが「おれ」で語る章と
イカマルが「ぼく」で語る章が
縄を編むように交互に紡がれていく。
サンゴロウとイカマルの関係も、
『キララの海へ』や『やまねこの島』の
サンゴロウとナギヒコに負けず劣らずおもしろい。
サンゴロウのイカマルへの接し方を見ていると、
サンゴロウは自分では気づいていないのだろうが、
結構な育て上手である。
サンゴロウ自身は、自分は教えるのは下手だと思っているところがまたおもしろい。
かえって教えるのが下手だからとか、
自分のまねをしたらいけないと思っているくらいの方が
よい指導者になれるのかもしれない。
サンゴロウは、マリン号の操舵をイカマルに任せて、
やらせたら口うるさいことは言わない。
でも、大切なことはしっかりと伝えているのだ。
サンゴロウとイカマルのやり取りの中で、
サンゴロウがどういうねこなのか、
どうやって今のサンゴロウになったのか、
さりげなく浮かび上がってくる。
これはサンゴロウが一匹で航海していたのでは、見えてこない。
陸にいるよりも船や海に話す時の方が饒舌なサンゴロウに語らせるには、
船乗りとしてはまだまだ見習いのイカマルは最高の相手役なのである。
自分が何者なのかは、結局、相手に自分を映すことでしかわからないのかもしれない。
イカマルを見て、サンゴロウは、だれかを思い出すような気がする。
だが、サンゴロウには思い出せない。(読者には、だれだか分かるのだが。)
サンゴロウの過去やルーツについてもこのように行間に見え隠れする。
イカマルがなぜマリン号を好きなのかもイカマルの内省で明らかになる。
夕やけで、波がすっかり金色になっててさ、もうじき暗くなるっていうころに、
一そうの小さい船が、防波堤をまわって、港にはいってきた。
むかい風に、ななめにむけた白い帆が、鳥のつばさみたいで、
あとはほとんど黒いかげになって、
その船は、ゆっくり、ぼくのいるさんばしにちかづいてきた。
ぜんぜん音もたてなかった。
のっている船乗りが、夕やけをバックにして、
きれいにきりぬいたかげ絵みたいにみえた。
かっこよかった!
もう、なんていうか、ぞくっとするぐらいに。
これだ、っておもった。
磁石にすいよせられちゃうみたいに、その船から目がはなせなくなった。
イカマルと一緒にひとめぼれを体感し、
マリン号にもサンゴロウにも惚れ直し、さらに好きになるような気持ちになる。
ついでに、自分が何かに吸い寄せられた瞬間を、
自分の言葉で残してきたいと思っている自分の気持ちを再認識させられた。
どんなに他の感覚で記憶していても、
自分にとって大切なことは自分の言葉でそれを描写する必要があって、
そうするのはとても幸せなことなのだと、イカマルが教えてくれた。
三日月島に上陸した以降から、物語は新しい展開を見せていく。
月ねこ族が多い三日月島は、異国情緒に溢れている。
そして、黒い海賊船の出現。
この危機がやってきたときのサンゴロウとイカマルの会話がまたおもしろい。
サンゴロウは、海賊船から逃げながら、どうやってイカマルを逃がすかしか考えていなかった。
そして、対話の中で、相手の気持ちが読める・・・。
最高のコンビである。
笑いたくなるような泣きたくなるような素敵な関係だった。
イカマルの言葉を借りるとこうなる。
ぼくは、この船がすきだ。
それから、親分のことも。
すごく自由で、すごくたのしく、すごくこわい。
イカマルは饒舌で、親分大好き節は、さらにさらに続くのだが、この辺で。
サンゴロウにますます惚れてしまう1冊である。 -
Posted by ブクログ
『キララの海へ』に引き続き、サンゴロウとナギヒコが話の中心である。
今回サンゴロウは、ナギヒコに頼みごとをする。
医者であるナギヒコに往診を頼むのは普通といえば普通なのだが、
まずもって、サンゴロウの方からナギヒコにものを頼むのが珍しかった。
そして、往診のために用意するようにと頼んだのがカレハ熱の薬をたくさんと予防ワクチンだった。
その行き先は、船で一日。
カレハ熱は、うみねこ島ではこわい病気ではない。
うみねこ族の子どもは、うまれてまもないうちに予防ワクチンをうけるからだ。
一体行き先はどこなのか?
黒ねこサンゴロウシリーズは、語り手がさりげなく毎回変わる。
『旅のはじまり』では、
ケンが語り手で、ケンが自分のことを「ぼく」と言っていた。
『キララの海へ』は、サンゴロウが語り手で、「おれ」で話が進んだ。
今回は、ナギヒコが語り手で、「わたし」が話を進めていく。
そして、毎回の語り手が心の中で、あるいは対話の中で、印象的な言葉を紡いでいく。
『キララの海へ』は、サンゴロウが語り手なので、海や船の描写が多かったが、
本書はナギヒコが見るサンゴロウがおもしろい。
正論を言うサンゴロウに、「おまえねえ、ただしいことばっかりいうなよ。
世の中って、そんなにただしくできていないんだよ。」と言ってみたり、
サンゴロウの船であるマリン号を見ながら、「たぶん、船は、船長ににるんだ」と思ってみたり。
ふたりのやりとりも微笑ましい。
サンゴロウとナギヒコは、キャラクターは異なるが、
心地よい友情関係を築いていることがわかるのだ。
主人公が自分語りをしているときよりも、
他者が主人公を語っているときのほうが、主人公の姿がよく見える場合もある。
自分のことは案外わからないし、当たり前に思うところは語らずに飛ばしたりもする。
他者にはそれは当たり前ではないから、しっかり描写する。
主人公の内面描写が出なくても、かえって様子が詳しかったりもするのだ。
語り手が多様という手法はシリーズを続ける上で
飽きさせないひとつの方法と見ることもできる。
行った先で、サンゴロウとナギヒコが体験したこと、それは、ここでは多くは語らないでおく。
ナギヒコは、正論ばかり言うサンゴロウに対して、世の中はそんなにただしくできてないと言うような
社会にもまれて生きてきたタイプだったが、ここでは、「患者は患者だ。どこの島だって、関係ない」という思いで、
「病気をなおすのが、わたしの医者としてのつとめだ」という思いで、対処していく。
ナギヒコは医者として、サンゴロウは船乗りとして、ただすべきことをしたのだ。
ナギヒコが語るサンゴロウもカッコ良いのだが、
ナギヒコ自身も、サンゴロウの影響で、
そして、この経験の中で、その個性が引き出されていく。
本書では、うみねこ島に記憶喪失で流れ着いた頃のサンゴロウのこともナギヒコの回想で出てくる。
そして、物語の後半で、ナギヒコは、サンゴロウのルーツに向き合わざるを得なくなる状況に追い込まれる。
こうして少しずつサンゴロウの謎を解くための情報が読者の前に示されていくのだ。
本シリーズは1冊1冊の冒険のエピソードがおもしろいだけでなく、
社会的なことを考えさせるテーマ性も持っている。
また、サンゴロウのルーツという大いなる謎がシリーズを貫く大きな物語として存在し、
それが全体としてのおもしろさと深みを与えているのだ。 -
Posted by ブクログ
本書の登場人物は、
うみねこ島の船乗り・サンゴロウ、ウミガメ号の見習い水夫・イカマル、
うみねこ島の医者・ナギヒコ、サンゴロウを助ける少女・ミリ。
『旅のはじまり』で、
うみねこ族の宝をさがしていたサンゴロウは、その頃の記憶を失って、
うみねこ島の船乗りとして、マリン号の船長として生きている。
サンゴを運んで、サンゴ屋に売って、身銭を稼いでいる。
サンゴロウは、3年前に、この島にながれついだのだという。
『旅のはじまり』から読んでいる読者は、
サンゴロウが覚えていない過去を少しだけ知っており、
また、『旅のはじまり』から
この『キララ海へ』の間に何があったのか想像はできる。
そして、この『キララの海へ』で起こる出来事の意味も、
続けて読んだ読者はサンゴロウ以上に理解できることになる。
だが、サンゴロウの過去は、それだけではなさそうだ。
これがシリーズ全体をを貫く謎になる。
サンゴロウのマリン号は、せいぜい3人しか乗れない小さな船で、
サンゴロウは助手をやとうことはめったになく、たいていひとりで出かける。
「足にぴったりあう長ぐつみたいに、おれにぴったりあっている」のだ。
うみねこ島で暮らすうみねこ族たちは、サンゴロウの過去を知らない。
どこか謎の多いねこだと思っている。
サンゴロウは、友人で、医者のナギヒコから、
キララの海に行かないかと持ちかけられる。
キララの海は、ごつごつした岩だらけの小島が多く、
島のあいだには、つよくうずをまく流れがあり、
うっかりすると、うずにまきこまれ、
船ごと岩にたたきつけられる場所ということで、
船乗りたちは誰も近寄らない。
そんな場所に、なぜナギヒコは、行ってくれと頼むのか。
南の浜にネムリ病が出たが、薬は今50人分しかない。
その薬はガラス貝から作るのだが、それが取れるのがキララの海なのだ。
薬が50人分しかないことは、公表したくないというナギヒコ。
信用問題にかかわり院長をクビになってしまうから。
なんとも「人間的」である。
ナギヒコは、うみねこ島の社会で生きるねこなのだ。
一方のサンゴロウは、無頼に生きている。
ひとり旅をしていると、
どうしても、ひとりごとをいうことが多くなると思いながら、
船や海に関することをひとりつぶやいている。
もちろん、船にも話しかける。
これが名言だらけである。
船に心がある、なんていうと、おかしいとおもうかな。
でも、うみねこ船には、たしかに、心みたいなものがある。
船乗りといっしょになって、よろこんだり、はしゃいだり、
すねたり、ふきげんになったりするんだ。
サンゴロウは、ナギヒコの願いを聞くことになる。
キララの海へいくのは、ナギヒコにたのまれたからじゃない。
ネムリ病にかかった子どものためでもない。
船にのる仕事なら、まあ、なんだっていいんだ。
サンゴロウには、海や空の声が聞こえる。
海の声っていうのは、そう、なんて説明したらいいかな。
波の音、風の音、それだけじゃない、もっとふかいもの。
海のふかいふかい底から、おれたちにむかって、よびかけてくるものだ。
それは、物語だったり、歌だったり、なにかのことばのくりかえしだったりする。
長く、はっきりしていることもあるし、とぎれたり、ごちゃごちゃになったり、
とちゅうでふいと消えてしまったりすることもある。
きくたびに、海の声はちがう。
やさしいときもあるし、おこっているときもある。
もちろん、おれにも、意味はぜんぶはわからない。
というより、まあ、ほとんどわからないな。
でも、おれは、それをきくのがすきなんだ。
サンゴロウに聞こえているのは、海を通して聞こえる命の音なのかもしれない。
サンゴロウは、ひとりの孤独と幸せを味わい尽くす存在なのである。
ひとりでキララの海に挑んだサンゴロウがそこで見たものとは?
そして、緊急通信の<声の波>を受け取った<貝の耳>をもつ存在。
<声の波>は、なにも道具をつかわない。
心の中で、つよくおもうことで、ことばを波にかえ、
遠くまでとどかせる。
その<声の波>を受け取ることができるのが<貝の耳>である。
送り手と受け手の気が合わなくてはダメなのだ。
これはテレパシーのようなものとサンゴロウは例えているが、
もしかすると、日頃のコミュニケーションでも、
何かを伝えるための誰かというのは存在するのかもしれないと思わされた。
人はその人だからこそ、その情報の送り手となれた、受け手となれたということがある。
常にその情報を送り続ける、受け続ける場合もあるだろうし、
ピンポイントでそのときのためのメッセンジャーになることだってある。
その瞬間にしかつながれないことだってある。
<声の波>と<貝の耳>は、そんなコミュニケーションの不思議を象徴しているようにも思えた。
その能力ゆえに、その瞬間という偶然がもたらした力によって、つながったサンゴロウとミリ。
金色の潮がみちてくる。波の音しかきこえない。
砂の上についた足あとが、ふしぎなもようをえがいて、ひかっている。
信じていれば、ねがいはかなう、か? ほんとうに?
『旅のはじまり』で、ケンとはあっさりと別れたサンゴロウだったが、
ミリとの関係は、サンゴロウらしい中にも少し余韻があり、
それがまたサンゴロウの格好良さを引き立てるのである。 -
Posted by ブクログ
黒ねこサンゴロウシリーズは、計10冊。
全体的な流れを見ると前編5冊、後編5冊といった位置づけで、
前編5冊は「黒ねこサンゴロウ」、
後編5冊は「黒ねこサンゴロウ旅のつづき」というシリーズ名である。
後編の第1巻は、前編の第1巻でサンゴロウとケンが会ってから5年後という設定になっており、
前編の第1巻ではじまった旅を真の意味で完結させるのは後編の第5巻という関係である。
第1巻、第2巻が、1994年7月、第3巻、第4巻が、1994年10月、
第5巻が1994年12月といったように、ほぼ間隔を置かずに出されている。
旅のつづきは、第1巻、第2巻が1996年3月、
第3巻、第4巻、第5巻が、1996年4月と、
これも間髪置かずに出されている。
構想は前からあったのかもしれないが、
書かれるとき、出されるときは勢いよく飛び出してきたのだなと感じた。
本シリーズは、平均して140ページ前後で、字も大きめで、
小学校の中学年以降のレベルの漢字にはふりがながふられている。
集中力のある子なら、夢中になってしまえばすぐに10冊読み通せそうである。
難易度で言えば、モモやはてしない物語やダヤンシリーズよりも読みやすいだろう。
登場人物たちが住む世界の地図も複雑ではない。
言葉自体は読みやすく、すっと入ってくるのだが、
ただ冒険が楽しかっただけでは終わらない深みを持ったシリーズで、
大人の読書にも耐えうるだろう。
児童書や絵本を大人になってから読むことにまったく抵抗がない人なら、
ぜひ大人になってからでも良いので出会ってみてほしいシリーズである。
子どものころに読んだ人にはぜひ再読してほしいというタイプの作品群である。
本書の登場人物欄に書かれているのは、たったふたりである。
ひとり旅の好きな男の子・ケンとなぞの宝をさがす黒ねこ・サンゴロウ。
春休み、ケンは、あたらしい大きなホテルをつくる仕事で、海べの町に<長期出張中>のおとうさんに
会いに行く旅に出る。
おかあさんは、ケンのひとり旅をかなり心配しているが、
ケンは、ひとり旅は、はじめてじゃなく、「ひとり旅の名人」といわれるぐらいだと自負している。
「はじめて、ひとり旅をしたのは、よちよちあるきの一さいのとき」だとエピソードがゴロゴロ出てくるのだ。
ただ、特急がはじめてで、三時間ものる、長い旅もはじめてだから、すこしは緊張している。
「ケンくん、切符はあるわよね。何号車の、何番なの。ぜったいに、切符をなくさないでよ。」
ここはおそらく子どものときに読んでいたらさっと読み飛ばすところだろう。
が、母親と息子ってこんな感じだよねぇと妙に微笑ましく感じる。
大人の読書って、いちいち一つの情景にいくつもの現実の記憶や想像の記憶が重なってしまったりする。
そんな自分にちょっと苦笑。
ケンが乗る特急は、マリン3号。
5号車、禁煙席の12A。
ケンが乗ってすぐには、隣の12Bには誰も来なかった。
駅を、いくつかとおりすぎて、そのつぎの駅で、特急はとまった。
そして・・・。
「しつれい、ここ、あいてるかい。」
頭の上で、すこししゃがれた声がした。
「はい、あいています。」
返事をしながら、ぼくは、ふりむいた。そして、おどろいた。
だって、座席の横にたっていたのは、ねこだったんだから。
いっぴき、っていうのかな。ひとり、っていうのかな。
とにかく、ねこだった。すらっとやせた黒いねこだ。
口のまわりに、長いひげがぴんぴんとはえていて、
ぼうしから耳の先がでていた。
ケンとサンゴロウはこうして出会った。
ケンは、サンゴロウがねこで驚くが、サンゴロウをあっさりと受け入れ、
このあと普通に会話が成立していくのである。
「あいてはねこだけど、ちゃんとしたおとなのねこだから、ぼくも、いちおうていねいにこたえたんだ」
という具合に、サンゴロウを大人としてみなし、話をしていくのだ。
サンゴロウと会話をしながら、サンゴロウの年齢を類推しようと試みたりもしている。
「だいぶむかし」なんていうんだから、
このねこは、だいぶ年をとっているのかもしれない。
でも、元気そうだから、若いのかもしれない。
ぼくは、ねことつきあったことがないから、よくわからない。
不思議なことが起こっても、普通に受け入れていくセンスの持ち主。
そういうところに、不思議なことは起こるのだと思う。
カタオカ・ケンとフルヤ・サンゴロウは、
名付けた人が時代劇が好きだったという意外な共通点で
意気投合(?)し、それぞれの旅の理由を語り出す。
彼らは、語り合い、べんとうの中身を交換したりして、「旅の道連れ」となっていくのだ。
ケンは「ひとり旅」のことを告げると、サンゴロウは、自分の旅を「宝さがし」と語る。
そして、宝地図が自分の手元にある理由を語り出すのだ。
「いっしょに、くるかい。つれてってやってもいいぜ。」
ケンは、うみねこ族の宝をさがす旅の道連れとなったのだった。
ケンにとっては、親の計画とは違った、自分とサンゴロウの立てた「作戦」で、
自分の判断で、サンゴロウについていくことを決めた、自立の旅への一歩と見ることもできるだろう。
途中、ケンにとっては険しい道のりがあり、そこはサンゴロウひとりなら簡単に進めるようなところだったかもしれない。
それを一緒に歩いていったことにも意味があったのだ。
これは、親子の関係とは違う、兄貴分と少年の大切な旅だったのだ。
少年にはそういった同性の大人のモデルが親以外に必要で、その役割をサンゴロウは果たしたのだ。
そして、サンゴロウにとってもケンがついてきたことは大きな意味を持つ。
サンゴロウがケンを導いて引っ張るだけではなく、ケンがサンゴロウに与えたものを大いにあったのだ。
この宝さがしを通して、ケンが成長した証でもある。
ケンの果たした役割は、この宝さがしに留まらず、あとあと影響を与えることもあった。
彼らの別れ際は、お互いの果たした役割の重要さに比して、あっさりしている。
このあっさりさが、全シリーズを通して黒ねこサンゴロウのキャラクターを貫いている。
「サンゴロウの個性」と「様々な人生・猫生を抱えている相手の登場人物たちの個性」が互いに良い具合に引き立たせあうのだ。