グレゴリー・ケズナジャットのレビュー一覧

  • 言葉のトランジット

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    ラジオ番組のゲストでお話されているのをたまたま聞いて興味が湧き、読みました。日本語スキルが非常に高く紹介していた本の内容も気になったので手に取ったわけですが、読み進めるうちKhezrnejatさんの深い洞察や考察がじんわりと心に沁みて、著者にとっては第二言語の日本語で書いていて…という視点はすぐに無くなりました。他の著書も読んでみたくなりました。

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    2026年09月21日
  • 鴨川ランナー

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    ものすごくよかった…。これ日本語で書いたってことだよね?すごい。
    日本に長く暮らす英国人の友達を思い出しながら読んだ。溶け込むこと、異質であること。

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    2026年07月22日
  • トラジェクトリー

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    トラジェクトリーとは粋なタイトル。

    アメリカ南部に住んでいたので、著者が描くテネシー、アパラチアン山脈など懐かしく、またそこに住む人々を思い出しました。

    日本に住んでいる外国人ってただなんとなく〜いる人も多いんだろうなと感じました。自分がそうだったように。

    英会話学校の変貌は肌感覚では感じていました。一昔前には外国語への渇望があったような。

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    2026年07月09日
  • 鴨川ランナー

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    前半の鴨川ランナーと後半の異言、
    きみとぼくで対照的だった。
    鴨川ランナーが好きだった。文章が綺麗で、読んでいると涙が出てきた。大学時代を京都で過ごしたということもあり、情景が全て想像することができ、想像の中でも京都は本当に美しい街でキラキラしていた。

    「きみ」の知らない言語の中でその国の人は毎日を過ごし無関係に動いているのを想像している京都への憧れと、最後は京都に飽きてしまっていた対比が印象的だった。どこまでいっても日本人にはなれない歯痒さや、自分がいるせいで純粋な日本語が聞けないという葛藤を描いていた。

    心にぶわっとくるようなそんなお話しだった。

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    2026年07月01日
  • 鴨川ランナー

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    これがまた面白くて! 「きみ」と二人称で書く小説は珍しい。日本に住むアメリカ人の暮らし、感じること…あぁこんなふうなんだ、と。わたしにとって国際交流イベントで出会う「アメリカ人」、あるいは英会話学校で出会う「ネイティブの先生」はこんな感じなんだ、と。
    p39 ーーおはようございます。
    ときみは挨拶してみる。
    目を大きく見開いたおばあさんは、何かを警戒しているかのように、ただじっとこちらを見る。
    地元で日本語を勉強していたときに予想できなかったのはこの視線だ。

    p50 こうして彼らを見ていると、なんだか滑稽な気持ちになる。その多くは教員だろう。同類のきみには分かる。今しがた海外からの直行便を降りてきたようなコスモポリタンな雰囲気をここで繕おうとしている者の大半は月曜日の朝となるとどこかの田舎の学校の教室で低学年の小学生に向かって天気だの曜日だの、初級の英単語をいやに陽気な声で歌っているだろう。それはきみを含めての話だが。きみたちが抱いている欲望はあまりにも赤裸々だ。全員が少しでも人間との接点を求めていて、その欲望はまた何らかの欠如を示唆している。自分もその一人だと思うときみはなんだか恥ずかしくなる。

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    2026年03月16日
  • 言葉のトランジット

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    ここ最近読んだ中で一番面白かった。I'm hooked! 夢中になっちゃったよ。
    アメリカ人が書いた日本語ですよ? なんとこなれていること! そこにまず驚くけれど、それ以上にその考察の深さが素晴らしくて、ううーーむ、と唸り読むのを中断して考え込む…ということが何度もあった。さすが2度も芥川賞候補になっただけのことはある(すごすぎる)。
    たとえば以下のような箇所。

    p10 意思が働かなくても、文章は成立する。AIによって生成された文章に直面して不穏を感じるのは、その事実をはっきりと突きつけられていることに起因するのだろうか。

    p93 気に入りの作家がかつて暮らしていた家、あるいは使っていた小物、あるいは万年筆によって赤入れされた原稿を見るのには特別な面白みがある。(略)
    しかし同時に、このような活動は、読者というより、一人のファンとして行っているのではないかと思う。(略)
    むしろ描かれた町、モデルになった人物、書かれた時代の事情に詳しくなくても、それでも面白く読めるという性質は、優れた作品の所以なのではないかとさえ思うことがある。(略)
    自分が事前に知っている事柄が書かれた小説しか正しく読むことができないとすれば、それは読書という行為をどんなに矮小化してしまうだろう。

    p145 インターネットが充実して、海外のメディアが身近になったからこそ、洋楽は別世界から届いたもののような神秘性を失ったのかもしれない。海外へ行かなくても、海外の文化がなんとなく卑近に感じられ、自分の目で見ずとも分かっているつもりになってしまう今は、未知への好奇心を持つことが少し困難になってきている。いい意味でも悪い意味でも、世界は以前より小さくなってきた。

    そして一番感動したのはp155のBecause Plants Dieである。
    ショッピングセンターの入り口あたりに小さな看板があって、
    植物が枯れてしまいますので座らないでください という日本語の下に、
    Please don't sit down because plants die
    と書かれている。
    日本に住むアメリカ人として、この英語は変だと指摘するという流れかと思いきやそうではないところがこの人のすごいところだ。

    p159 やろうと思えば、この英語にケチをつけることはいくらでもできるだろう。自分の第一言語が、第二言語として使われているところを見ると、人はややもすれば批判的な姿勢を取りがちだ。文法的におかしいとか、文法的にはおかしくないがネイティブならこんな言い方はしないとか、あまりに母語話者の絶対性を主張してしまう。だがそのように評価を下すことが与えてくれる単純な優越感を拒否して、目の前の言葉をそのまま受け止めてみると、自分が知悉していたはずの言葉の予想外の側面が往々にして見出される。「正しい」か「正しくない」かは、評価軸にしやすいけれど、その判断一つで完結してしまい、新たな洞察を生み出すことができない。
    (略)
    少しでも逸脱したものを「違う」と決めつけてしまう。そんな受け売りの「常識」をもって、日本で出会う英語の正しさを評価するよりも、僕はただ単にそんな言葉をじっくりと味わいたい。

    ああ、なんという視点の面白さよ、考察力の深さよ。

    p76 あの頃の僕は彼のことを蔑視していた。
    p145 海外の文化がなんとなく卑近に感じられ

    のような少しだけ違和感を感じた日本語を、ネイティブ目線から批判的に見て母語話者の絶対性を主張しようとしていた自分を恥ずかしく感じるのだった。
    (「蔑視」より「軽蔑」のほうが自然かなと思って…しかしよく考えてみれば「蔑視していた」はまったくもって自然で正しい。「卑近」も「身近」のほうが?と思ったがやはりこれもまったくもって自然で正しい。反省しきり)

    ちなみにこの文章をあえて日本語に訳そうとする次のようになるのだそうだ。
    「植物というものは儚い存在なので、座るという行為をどうかやめてください。」

    なんという抽象的な警告になってしまうこと!(面白い!)

    英語話者としては、The plants will die. もしくはThese plants will die. としたくなる。冠詞も代名詞もない裸の名詞は、不思議なほど普遍的な響きを帯びてしまい、話題はもはや「ここの植物」ではなく、「世の中の全ての植物」や「植物というもの」についてになるから、だそうだ。

    【memo】
    ニューオーリンズの名高い書店「フォークナー・ハウス・ブックス」(p89)アメリカ南部で育つと高校の英語で作品を読むのだそうだ。

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    2026年03月11日
  • 言葉のトランジット

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    『トラジェクトリー』が面白かったので、こちらも読んでみた
    グレッグさんの背景から見ると『アメリカ人なのに日本語でこんな文章が書けるなんてすごい』になるんだけど、序盤ですぐにそんな感想は無くなってしまう
    第二言語を持つことで第一言語との距離感も変化していくことや、観光客と同じに見られてしまうちょっとした切なさからのそれが日本で暮らす外国人の自由さを奪っているかもしれない、という思索、文法的にはあっているけどニュアンスとして壮大になってしまっている英語直訳看板について、などどの章も興味深いことばかり

    ちょうど朝ドラばけばけを楽しんでみているので、ヘブンさん(小泉八雲)とグレッグさんを重ねて見たりして、とても面白かった

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    2026年02月06日
  • 言葉のトランジット

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    作者のインタビューを動画で見て興味を持ち、読んだ。動画で見た作者の静かな語り口調に違わない静かで落ち着いた文章だったので、作者が直接語りかけてくれているような至福の時間を過ごせた。「ここに座らないで下さい」の看板の話がすごく好き。

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    2026年01月03日
  • 言葉のトランジット

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    機知と示唆に富んだ、面白いエッセイだった。『マイジャパン症候群』『音読』『ネタ集め』『BecausePlantsDie』が特に好き。

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    2025年12月17日
  • 言葉のトランジット

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    グレッグさん(あえてそう書かせていただく)の小説トラジェクトリーを読んだ時に、「外国出身なのにこんなに日本語が堪能なんてすごい!」という(意図せず日本語を母国語とする者の上から目線な感じの)文脈で見ていた自分が恥ずかしくなるくらい、グレッグさんが日本の言葉や文化を何十年も熱心に研究してきたということがよく分かりました。少なくとも彼にとって日本語は「ビジネススキル」というようなレベルのものではなく、生きることそのものに直結しているように見えます。

    以下の抜粋の部分を読むと、「外国出身の人にとって日本語がどのくらい難しいか?」などという個人の問題よりずっと高次の、「日本語を操る外国人」として見られる他者との関係や、社会的な振る舞いにまで意識が及んでいることがわかります。グレッグさんの作品はまだ2冊しか読んだことはありませんが、終始圧倒されっぱなしです。

    『日本語を母語としない者として日本語を使って物語を書くと、最も難しいのは文法でもなく語彙でもなく、既存の物語との格闘になる。新たな視点から日本のことを見せてほしいという、常にある暗黙の要求にどう対応するか。』

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    2025年12月16日
  • 言葉のトランジット

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    静かで、美しく、柔らかな光に灯されたような文章。

    著者の作品には実は触れたことがなく、装丁の良さと言葉では表せない自分の直感で手に取った1冊だったが、とても大切な書となった。

    帯分で強調されているような「英語と日本語を行き来する英語母語話者の作家」だから描くことのできる英語と日本語の差異、が綿密に記されている訳ではない、と私は感じた。ここにあるのは、言葉と世界に対して心を開き、言葉のもどかしさと世界の圧倒的存在の狭間で往生する著者の、繊細で知的な観察日記、のように思える。勿論、彼が英語と日本語の二言語と触れているからこそ見えやすくなる情景もあるのだが、日本語しか話すことのできない日本語母語話者の自分の中にも、共鳴する部分が多々あったように思う。

    著者の小説にも、ぜひ触れてみよう。

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    2025年12月13日
  • 言葉のトランジット

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    いろいろな言語を操ることができる方には尊敬しかない。
    畏敬といっても良い。
    況して話すだけでなく、
    考えたことをまとめ、
    文章として出版するとなると、
    もう異次元で意味が分からない。

    言葉は(少しの物騒さを気にしなければ)
    ココロを切り分けるナイフのようなものだと思う。
    情報のやりとりだけなら他言語でもたぶん問題ない。
    だけれど、自分は、自分のココロを日本語以外の言語で
    分けられる気がしない。
    なんなら関東弁でも難しい。

    そんな他言語による心象風景の再構築のようなところも
    言語化されて覗くことができるエッセイ集です。

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    2025年11月07日
  • トラジェクトリー

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    表題作。面白いと思ったのは、悪役だったり鼻つまみ者的な扱いをされがちな中高年男性カワムラさんが、その内面に何かを秘めた人間としてミステリアスな性格付けをされ、主人公の英会話講師と対になる存在として描かれているところ。二人がレッスンでなぞるアポロ11号の挿話も、月という目標へ向け放たれた軌道上で営まれる宇宙飛行士たちの何気ない日常会話に、登場人物の諦めと希望がないまぜになった感情が重ねられる。
    故郷に根を張るでもグローバルに飛翔するでもなく、たまたま今ある場所に宙づりにされているような主人公の寂寥感が伝わってくる。


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    2025年10月15日
  • トラジェクトリー

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    日本で働いている白人男性の物語。表題作は英語学校のネイティブ講師、もう一編の『汽水』は日本の大学の職員が主人公です。両方とも大きな展開もなく、淡々とした内容です。

    どちらも外国人が日本で就職して働く違和感といったものを取り上げています。日本人から見ればマイノリティを取り扱っていると思うのですが、なんか違った感じかしました。うーん、上位者からみた孤独感といった感じでしょうか。

    ただの中年男性の悩みが書かれていようでもあり、なんか視点が違う、なんとも複雑な読書体験でした。

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    2025年10月14日
  • 鴨川ランナー

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    新感覚の小説だった。
    外部の人間が既存のコミュニティに馴染もうとする際の、「歓迎はしているけど、あくまで貴方は外の人間だよ」という圧をここまで正確に表現できるものかと驚いた。

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    2025年10月13日
  • 言葉のトランジット

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    言葉は普段使うことを深く意識し過ぎないけど、環境が変わったり、言語が変わる時初めて改めて意識する。ツールでもあるけど、それ以上に思考そのものでもある。
    言葉のことを考える時に使うのは結局言葉。言葉の場所も含めて言葉。

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    2025年10月02日
  • トラジェクトリー

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    トラジェクトリー(trajectory)は、一般的に「軌道」「進路」「方向性」を意味する言葉。

    作者自身を感じるられる、静かなモノローグが好きだ。まだ40才を越えたばかりの彼はどこを目指すのだろう。

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    2025年10月02日
  • トラジェクトリー

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    初めは『アメリカ出身作家が端正な日本語で描く、新たな「越境文学」』という話題性に惹かれて、半ば興味本位で手に取りました。

    読んでみて圧倒されたのは、やはり第二言語として身に付けたというのが信じられないほどの日本語表現の見事さでした。日本語ネイティブでもこれほどの文章を書ける人はそうそういません。

    日本人が英語を学ぶより、欧米の出身者がひらがな・カタカナ・漢字が入り混じる日本語を身につける方がよほど難しそうですが、世界規模の話者数で見れば「辺境の言語」ともいえそうな日本語を身につけるためにどれほどの時間と努力を注ぎ込んだのかと考えると、それだけでも尊敬に値します。

    物語ももちろん面白かったです。日本という国、とりわけ地方都市の寂れた感じの描き方がとてもリアルだと感じました。これは外からやってきて実際に長年住んだ人にしか書けないと思います。

    過去に自分が読んだ作品で言うと、多和田葉子さんの「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」に近いものものを感じました。異国に住む人の感覚には通じるものがあるのでしょう。

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    2025年10月01日
  • 鴨川ランナー

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    知らない土地や言葉への憧憬というものは往々にして、手に取れる現実になればその神秘性を失う。失望もする。でも最初から神秘などなかったとしたら?四条大橋から見える鴨川の流れは昨日も明日も変わらずそこにあるとしたら?

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    2025年09月28日
  • トラジェクトリー

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    ネタバレ

    名古屋という土地、英会話教室、講師、という設定が私自身に馴染み深いもので、これまでのことを思い出しながら読んだ。

    ブランドンとアポロ計画の宇宙飛行士たちとの対比が興味深かった。
    確固たる目的地へと向かうために、住み慣れた場所(地球)から離れた人たち。
    それに対して、中間地点にいるような気がするが、最終地点がなく宙ぶらりんなブランドン。

    どこに行っても同じで、「自分」からは逃げきることはできない。
    そんな終わりのない閉塞感をひしひしと感じた。

    作中では、英会話教室の生徒・カワムラさんの提出物と思われる日記が挟まれる。
    その日記は教室でのカワムラさんの態度とはかなりギャップがあり、彼の中の柔らかい部分、子どものように純粋な部分が表れているようだった。

    私は言語に興味があるので、英語ネイティブの元同僚が言っていた以下の言葉が衝撃的だった。
    (元同僚は出版関係の仕事をしている)

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    ——まあ、つまり、すべてが英語になっても、英語の中に日本語の一部を残すことができればいいなと思う。みんな日本語のことを忘れていっても、こんな言葉が英語の中で生き続けていたら、それはそれで素敵だなと思って。その意味では、やり甲斐のある仕事なんだ。
    (P91,92)

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    このセリフを読んだとき、なんて傲慢で上から目線なんだと憤りを感じた。
    また、英会話教室のスタッフ・ダイスケも、こう言う。

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    やはりコストパフォーマンスも考慮に入れないといけないね。仮に日本語を勉強することにしたら、学習時間を控えめに設定しても、週二時間は要るでしょ。つまり年間で言うとおよそ百時間。授業の時間や移動の時間を入れれば、二百、三百時間じゃない。それは最低限でしょ? 本格的に勉強しようと思えばもっとかかるでしょう。時間の使い方は自由だけど、私ならやはりそんな時間があれば、アジアのこんなヘンテコな文字に使うよりももっと面白い使い方がいろいろあると思うなぁ。
    (P65)

    ——あ、でも、教科書はここには持ち込まないほうがいいかも。このスペースはグローバルゾーンだからね。
    (P80/「教科書」は日本語の教科書のことを指す)

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    ダイスケが求めているような「グローバルで活躍できる日本人」が増えて、グローバル化が進んでいっても、日本語がなくなることはないだろう(と私は願っている)。
    母語というのは、自分自身である根っこを育てる力のようなものだと感じている。
    言葉は人間を形作るものだ。
    根を張った確固たる自分自身さえあれば、どこにいても、例え遠くに行ったとしても、宙ぶらりんにはならないのかもしれない。
    そんなことを考えた。

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    表題作『トラジェクトリー』も『汽水』も、私自身の人生にとても近い作品だった。
    他人事とは思えなかった。

    そして「グローバル」という言葉について、何度も考えさせられた。
    今の世界では、「“中心的な英語圏”に同化していくこと」が「グローバル」であると考えられていないだろうか。
    少なくとも日本では、そういう傾向があるように思う。

    私は幼少期から「西洋的なもの」に憧れ、語学の道を歩み、地元を出て、方言を隠しながら暮らしているが、未だ宙ぶらりんのままだ。
    この本を読んで改めて、自分のルーツや居場所について考えたくなった。

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    子供の頃には方言が自ずと口をついて出た。方言であることすら意識はなかった。自分の言葉が正しくないこと、多くの人にとっては田舎の無知の証に聞こえることに気がついたのはその後だった。方言をやめる決心がついたわけではない。ただ対等に相手にされるためにはどのような言葉を話せばいいか、分かってきただけだ。地元の者同士なら方言で構わないけれど、どこでも通じるプロフェッショナルとして見做されるためには標準的な言葉を使うほかない。
    少しずつイントネーションが変容した。言い回しがスタンダードなものに変わっていった。教育が身につくにつれて地方特有の言葉遣いが抜かれ、清澄とされる言葉だけが残った。
    その英語はカウンターの上のロゴマークのように実用的で味気なく、なんだか物寂しい言葉だった。
    (『汽水』P139,140)

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    2025年09月17日