あらすじ
日本という異国に住まいながら、日本人と外国人の間をさまよう人々を巧みな心理描写と独特の文体で描いた短篇2本。
「鴨川ランナー」第二回京都文学賞受賞作。選考委員の満場一致で選出された。日本から京都に仕事に来た西洋人の日常や周囲の扱い方に対する違和感を、「君」という二人称を用いた独特の文章で内省的に描く。
「異音」・・・福井の英会話教室を突如やめる羽目になった外国人の主人公は同僚の紹介で結婚式の神父役のバイトを始める。
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「開墾地」のグレゴリー・ケズナジャットが、小説家としてデビューした京都文学賞受賞作。
英語指導助手として来日した彼が、日本の文化や日本語とどう関わってきたのか、内面の深い部分を感じさせてくれる作品だった。
「言葉」を大切にする繊細さは日本人も学ばなければと思う。
阪神が優勝をプレゼントしてくれた誕生日に
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新感覚の小説だった。
外部の人間が既存のコミュニティに馴染もうとする際の、「歓迎はしているけど、あくまで貴方は外の人間だよ」という圧をここまで正確に表現できるものかと驚いた。
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知らない土地や言葉への憧憬というものは往々にして、手に取れる現実になればその神秘性を失う。失望もする。でも最初から神秘などなかったとしたら?四条大橋から見える鴨川の流れは昨日も明日も変わらずそこにあるとしたら?
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日本に住む、比較的身近だけれど、今まで気づくことのなかった、自分(「きみ」「ボク」「I」)を示された気分。文章はとても読みやすい。表題作もいいが、もう一つの「異言」の方が、主題の凝縮ぶりや話の構成の巧みさにおいて、よくできているように思う。
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高校から日本語学習を始めたアメリカ人が巧みに日本語を操り素晴らしい小説を書いたという素朴な驚き。所々の単語の選択に独特のセンスを感じる。そして来日して働く外国人の心の葛藤を知り、これまで自分が外国人に対してとっていた言動を振り返ると心が痛い。はっとする角度から描かれていて得るものがとても大きかった。
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開墾地で一目惚れしたグレゴリー・ケズナジャットさんの処女作。「鴨川ランナー」は僕のクソ田舎の地元にもいたALTの先生が感じたであろういろんな気持ちを代弁してて、身悶えしながら読みました 笑
そして「異言」では結婚式で毎回感じる「いや、この方このためにいらっしゃるの?」というなんちゃって?神父さんのあの違和感を思い出す。慣れなのか、諦めなのか、前進なのか、、、きっと僕も将来こんなふうに感じるのだろうか。外国人の著者が日本語で書く「言葉」に対する物語、本当に大好きです。そして、、、これでいいのか日本?
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めっちゃ好きな作品。
とても乾いているのに、どこか突き放されている。浮遊して、接地していない感じがたまらない。
文化や言語、この日本について考えてしまった。
2編目の「異言」はさらにきつい話だった。
日本人の英語に対する浅ましさが全開で。
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面白かった。
「鴨川ランナー」と「異音」の2短編構成。
私は京都に大学の時と社会人になってからも少し住んでいたので、街並みの情景が良くイメージできてストーリーに入りやすかった。著者の文章も歯切れが良く、テンポよく読み進めることが出来る点も◎
外国語を習得していく中で、言葉や表現の意味は分かってもどこか上辺をなぞっただけの会話になってしまう所、違和感は自分も英語でコミュニケーションを取る時に感じる。
でも、会話の深みって言語スキルも関係するがその当事者たちの信頼感?というか関係の深さが大きいのでは無いかと思いつつも、続く「異音」で、小百合とのやり取りからガイジンとして見られているという壁もある事に改めて気付かされた。
物語を行き来してしまうが、鴨川ランナーでポールが言った「物事は、本当はそうはっきりとしていないから」という一節は、言葉で表現したいけど、しきれないもどかしい気持ちを明らかにすればするほどドツボにハマってしまうのを救う言葉に思えた。
自動翻訳が発達し言語の壁は以前よりも簡単に乗り越えらても、自分の頭で考えて、言葉で表現するからこそ感じるモノは尊いのだと思う。
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『異国で外国語を習う人、教える人のためのバイブル』
日本語を練習したいのに、英語で話しかけられる。
自分では決して使うことのない英語の言い回しを教えさせられる。
そんな外国語学習者、教育者の葛藤を、アメリカ出身の作者が、日本語で鮮やかに描ききった作品。
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鴨川ランナー読んだ! 福井の地名がこんなに出てくる小説は画期的やなぁ。福井出身としてうれしい。国語教科書に載せるには向かなそうだけども複数の言語を生きるむずかしさみたいな感情を想像できた。ALTの視点は考えたことなかった。とりあえず面白かった。
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『鴨川ランナー』
日本で暮らし仕事をしても、いつまでも周囲からは異質な存在、記号として扱われる「きみ」。日本語を話しても、外国人の話すニホンゴだと受け止められる。苛立ちながら、それでも縁を頼りに日本で生き続け、谷崎を研究し15年。もちろん十分に日本語を操れるようになっている。が、未だ外国人の枠を取り払うことはできず、記号でなく個として生きられているのかという虚しさ。
日本人の私も同じように、集団で生きる限り、集団に応じて記号を付けかえて生きている。記号だろうがなんだろうが、人生はただ目の前の道を一歩一歩、足を出して進み続ける以外にない。と、鴨川ランナーでもある「きみ」の姿に教えられるし勇気づけられもする。
『異言(タングズ)』
英会話学校が倒産し、職と住まいを無くしたアメリカ南部生まれの男性が、生徒であった女性の家で同棲を始める。結婚式の雇われ牧師となった彼は、周囲に求められるまま、カタコトの日本語を話す外国人として仕事をする…
英会話教師をやめ、つなぎで行っていた在宅翻訳業の仕事の最中、自身の言葉を生み出せないもどかしさが身体の不調となってあらわれる。この箇所に、心がざわざわして仕方なかった。自分のものでない言葉を話さざるをえないって辛いなと。
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アメリカ人作家が日本語で書いた、日本に住むアメリカ人を主人公とする小説。2編。
小説の中で主人公は高校のとき日本を訪れ、なんとなく魅了されて日本に職を求めて再来日する。知り合う日本人はアメリカ人を不特定多数のガイジンの一人として扱うので、日本語を頑張って勉強してきた主人公は戸惑う。そうして日本人と誰とも親密な関係性を築くこともないまま日本の大学院を卒業して大学に教員として職を得るという話である。何が起こったかはそれほど重要ではなく、言語というキモノを纏って人間が触れ合う時の特に異文化同士の場合について起こることをティッシュペーパーで柔らかく包むように表現する。
作品のテーマは異文化をバックグラウンドに持つ人間関係に立ちはだかる非言語障壁である。主人公がどんなに日本語の習得をしても、日本人は流暢な日本語を操るガイコクジンを望んでいないという壁にぶち当たる。大江健三郎のノーベル文学賞受賞に貢献したネイサンもあまりに流暢な日本語ゆえに東大で胡散臭いガイジンと言われたことを思い出す。
抱き合わせの作品「異言」も流暢な日本語が求められていない牧師役の仕事をすることのなる主人公の寄る辺なさが、描かれており、どちらも好感が持てた。
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高校時代から学習し始めた外国語(日本語)でここまでの物語が書けるとは…、なんとも稀有な存在の著者と作品に巡り会えた。
これまで著者が経験したと思われる日本在住外国人特有のエピソードの数々。日本人として日々生きていると意識しないことでも、こうして言葉にされると共感して頷いてしまうことや、恥ずかしながら認めざるを得ないことが多い。エッセイではなく小説という形だからこそ響くものがあった。
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二人称で現在形の短めの文章が続いていって、本当にランニングしているようなリズムの文体でした。日本語を母国語としない人が日本語で書いた小説でしたが、美しい日本語で読んでいて気持ちよかったです。
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「優しい地獄」に続き、これも済東鉄腸氏の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、・・・」で外国人作家の書籍を紹介していたもの。
表題と「異音」の2編。
どちらも、外国人として日本の中の微妙な違和感を、二人称と一人称、それぞれに表現している。
確かに、流暢に話す外国人って、I=「ぼく」ではおかしいといわれる不自然さ、日本人独特の考え方を植え付けられた生きにくさ、それを日本語で表現できる凄さに感服する。
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Audibleで聴いた。
日本に住んでいる外国人(アメリカ人)が日々感じる違和感などが書かれていて面白かった。
なんとなく、そう感じるだろうなとわかるようなこともあった。例えば、異文化交流会?に参加すると、外国人というだけで特別扱いされるけれど、それは自分個人に興味を持ってくれているわけではなくて、英語を話す外国人として興味を持たれているだけ。というところなど。
外資系の会社で働いている時、飲み会の席で、少数の外国人の社員は、日本人達に囲まれて、そんな感じだったな〜と思った。
そういうようなことが、日本に住んでいる外国人の視点で書かれているのが面白い。
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日本にいるいわゆる外国人(白人)に、知らず知らずの内に求めてしまうステレオタイプなイメージや行動。それに縛られてしまう外国人。
英語が母国語の人の、第一外国語の選び方が羨ましかった。日本では、否応無しに英語を学ばなければいけない。必要なことだが、全員が学びたいと思って授業を受けている訳では無い中、モチベーションを保って勉強を進めるのは大変だなと思った。
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多分に実体験をベースに構築された物語であろうことは、容易に推察できる。
外国人が母語ではない日本語でしたためた小説、ということで、それを念頭に置いて意地悪な読み方をすればツッコミどころは皆無ではないが、そういった環境がまったく気にならずに内容に没入できるほど、文章力のレヴェルは高く、まず素直に敬服する。
そして中身それ自体が、日本で暮らす日本人である我々読者に投げ掛けてくるボールもまた、ずっしりと重く、キレ味鋭い。
日本に滞在するアメリカ人は、例えば欧米における一部のアジア人や黒人のように、可視化しやすい典型的な差別の対象となることはあまりないだろうが、当人にとっては、違和感や疎外感を抱くことに繋がる経験をすることは多々あるのだ…という事実を、具体的なエピソードの数々によって上手く表現している。
特に日本人は世界の中でも、歴史的に見て同調傾向が強い国民であろうと思われるので、その中の一人として、著者が伝えんとするもやっとした感情の塊のようなものを、神妙な気持ちで受け止めることになった。
アイデンティティとは何ぞや。
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日本にいてガイジンの役割を期待されるもどかしさを感じられて興味深く読めました。外国人から見た日本文化というのはコミックエッセイでノリのいいテンポで読むことが多かったので、こういう文学として読むのは初めて。「きみ」という主語が、その触れそうで触れられないもどかしさをさらに増大させて良かったです。
京大生の主人公が意中の女子を追いかけて街中を徘徊するような物語、ってアレですね、夜は短いやつですね。読まれたんですねーと嬉しくなりました。
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文章が綺麗!
翻訳の本とは思えないくらい。
日本にやって来た外国の人々も、どこかもどかしいジレンマを感じながらも過ごしているんだな。と思える一冊。
言葉の魅力とは?母国語の大切さとは?
を、教えてくれるわけではないが、
異国に行って初めてわかるような感覚がスッと胸に入ってくるような一冊でした。
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京都で生まれ、アメリカで語学留学&仕事を経験し、今東京で生活をしながらこの本を手に取り、自分がずっと感じていたことが全て書かれていて涙が出そうになった。違ったことはアメリカでは進んで日本語を話してくる人間はほぼいなかったということ。
著者が経験し感じたように、どこまで上達してもネイティブにはなれない。外国人であるという役割を受け入れ、今日も踊るしかない。御伽話とは遠く離れた場所にあって、近づきすぎると知らぬ間に霧となって消えていくものなんだなと。
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「きみ」という二人称で書かれた文体は、日本語の一人称に当てはめられない主人公を表しているとも思ったし、主人公が受けているような、他者からの「この人はこう(留学生)(観光客)(日本語がわからない人)だろう」という決めつけの視線を読者が主人公に向けているようにも思った。
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外国の人から見た日本、特に閉鎖的な京都(南丹市、京都市内)の人間関係がつぶさに書かれててとても興味深い。外国から来て日本に馴染もうとする方と、周りと外見が違う人への畏怖と、乏しい語学力のため意思疎通を放棄してしまう日本人のどちらの気持ちもわかる。そして筆者の公正な書き方でその日本人に対してもそこまで嫌悪感を感じない。
とにかく筆者の日本語、古典文学への造詣が深く凄みを感じる。最初は「きみは〜」から始まる文体がラスト近くになると極端に少なくなるので、あえてこの文章表現を選び日本語の上達していく様子を暗に伝えているのがわかる。
短編ニ編のうち、後編異口でも日本語と外国語の表現に極限まで悩まされた主人公が「焼いたご飯」などという表現を使うなど、読み手側の違和感をわざと誘っているように思う。
なんだか途中から村上春樹を読んでる気分になった。Iが主語になる表現で育った人間が、日本語で書かれる文学を創るとこういう感じになるのかもしれない。
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二人称で描かれた硬質な文体に、筆者と思しき主人公が異郷の地に溶け合うことなくいつまでもストレンジャーであることの苛立ちがうかがい知れる。特に京都はわれわれ日本人でさえ他府県人であれば「よそ者」視されている感は否めない。この作品の視座にこれといった目新しさはなく、辛口なようだが外国人が日本語で書いた作品ということが新鮮なだけのように思える。
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言語は本来コミュニケーションのためにあるけれど、この物語のなかで言語は上滑りして、お互いの仲立ちとはなってくれない。主人公のやるせなさが伝染して、ちょっとしょんぼりしてしまった。ていねいで静かな文章。
非母語で書くとき、思考に変化はもたらされるのだろうか。
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あとから習得した言葉を使って、ここまで書けるんだ!という感心もさることながら、小説として完成されたストーリーがすんなり入ってくる。京都は学生時代に通った場所でもあり、少しだけ懐かしみを覚えながら読んだ。
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京都が舞台の作品と云うことで読んでみた。なかなか面白い観点。ただ、私は二人称の文章は疑問だな。一人称の方がすっきりする。それはともかく、日本における白人の受ける対応はなるほどねえと思わせるものがある。ただ、異国に暮らすとそのような話はどこでもあるもんだわ。私も海外に住んでる間、ステレオタイプの対応をたびたび受けたことがある
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表題作よりもう一つの「異言」の方が良かった。
表題作はまだ練習中といった印象を受けた。
しかし、日本語で話しかけている外国人に、そんなに英語で返事するのか、日本人は。というか、外国人(欧米人ね、はっきり言って)に積極的に近づく人はそうなんだろうね。なんだか気の毒になってしまった。
表題作もそうだが、「異言」は特に日本に来て日本語や日本人や日本文化に触れたいと思っているのに、阻まれてしまう孤独ややるせなさが伝わったし、(牧師を演じる主人公も、それを求める日本人も)滑稽である。ラストシーンは複雑な心境が、おかしみになっていて、これは客観的に描けているからだと思う。
鴻巣友季子さんが誉めていたので読んだ。
作者はもちろん「外国人なのに日本語で小説書いて凄い」って言われるのが一番嫌だと思う。越境する文学は古今東西たくさんあるので、さらに良いものを書いてほしい。