グレゴリー・ケズナジャットのレビュー一覧
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アメリカニズムの強い男に憧れながらも
それを真似ようとしたとき
戦後民主主義が足を引っ張ってくる
強い男は戦争を思い出させて
怖いんだそうだ
そんなわけで恥を知ってるほうの男たちは
黙って女の尻にしかれるか
さもなくば孤独に生きるしかなかったのである
昭和の良い子たちは
そういった抑圧のなかで
ドメスティックな人間関係の頂点に立つことを
夢見続けてきた
だがしかし長い年月を経て屈折したその夢を
老人から一方的にぶつけられたならば
現代の若者たちは困惑しつつもやりすごすしかないだろう
そういう立場に置かれた英会話講師が
「トラジェクトリー」の主人公だ
テネシーから日本の名古屋にやってきたことで
アメリカの閉塞した田舎を逃げ出し
広い世界に触れたいという、半ば強迫的な思いを
彼はとにかく果たすことができたのだけど
そこで目にしたのは
自分同様、グローバリズムに煽られてカラ回りする人々
世界じゅうどこにでもいる庶民なるものの実相
そして、外から見たアメリカの姿であった
なんだかんだで母国を愛するがゆえに
彼は日本を離れることができないのだと思う -
Posted by ブクログ
第173回芥川賞は該当作なし、と決まったが、候補作は4篇あり、本作はそのうちの1篇である。
主人公はアメリカの大学を卒業後、確たる目的意識もなく、日本の英会話学校で働く道を選択し、名古屋という東京と京都の中間点に移ってくる。英語を習うはっきりした動機が希薄に思える生徒を相手に教え始めるが、用意した教え方には素直に従わず、自分の好みの主張が強い退職後の大人を相手に変わったレッスンが続けられていく。彼はある日を境に突然来なくなる。理由もわからず、片や同僚も辞めていく意思を飲み会で聞いたり、ふわっとした浮遊感漂う流れの中で・・著者が何を言いたいか、もやっとした内容であった。 -
Posted by ブクログ
表題の芥川賞候補作と、「汽水」という短編の、二編。
どちらも根底としてあるのは、自らの「居場所」への問いかけのような気がするが、「トラジェクトリー」は淡々と進み、淡々と終わる。
アポロ11号を鍵に、定年した日本人とアメリカ人英会話講師が交錯……というよりすれ違った感じで。
古き良きアメリカのイメージと、混沌としたここ10年ほどのアメリカが交錯するとも読めそうだが、どうも私の読解力の無さのせいか、あっさりと終わりすぎて。
「汽水」の方が、個人的には好みだ。
たくさんの現代の小ハーンの1人として、何をどう感じるのかが明確に感じられた。
イランにルーツを持つアメリカ人作家が、日本語で書いたという、グローバルな世界において時代錯誤のローカルな視点を含めなければ、また「汽水」がなければ、生意気に⭐︎2を付けたとは思う。
他にも過去作品があるので、そちらを読んではみたい。 -
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて著者プロフィールを覗いてみたら、この方小説家だったのね。それも母語(英語)ではなく日本語で書かれていて、デビュー作は京都文学賞を受賞されているという…!
帰化こそされてはいないけど、長年日本に在住され、(講義ができるほどの)日本語を駆使されている外国人と接触する機会がないから、新鮮かつ貴重な読書体験となった。
ジャンルはエッセイ集。
各エピソードの題材は様々だが、基本的には初来日前後の出来事が克明に綴られていた。
タイトルにも見られる通り、言語(主に日本語や英語)に関わるエピソードも多い。ただこの方の書き方は、私にはちょっぴり理屈っぽくて、そんな気楽には読めなかったな…
だからレビューとしては穴ボコだらけで、何の参考にもならないシロモノになっているであろうことを、お許しいただきたい。
でも旅のエッセイは比較的面白く読めた。
アメリカ人留学生同士で、2008年米大統領戦の熱気に沸く小浜市を訪れた話とか。若気のいたりというか野次馬根性のノリで、話題のスポットに繰り出していくところが、普段は気難し屋の著者なだけにとても滑稽に映った。
14歳で日本語と出会い、10代後半から20代の頃には、既に日本に住まわれていた著者。京都から東京への引越し、その他旅行や出張と、彼の人生には旅や移動が付き物だ。
そのためか、旅に関する彼なりの哲学が節々で伺えた。
著者の父親との九州旅を綴った「父のカメラ」(P 44)は、彼らの家庭環境と父親が辿ってきた旅路が強く印象づいた。
イラン出身の留学生だったお父さんは渡米後、イラン革命によって国交断絶の事態に巻き込まれてしまった。10年以上も家族と連絡が取れずにいた父親に対して、同じく留学生だった著者はどのような思いを抱いたのか。
多くは語られなかったけど、これ以上お父さんに孤独を感じさせぬよう、できる限りの孝行(今回でいえば九州旅)を果たそうとしている様子がじかに伝わってきた。
本書のキーワードの一つである「言語」について、ふと思い起こしたことがある。
著者が区役所にて英語で案内を受けた「言葉の出島」(P 73)というエピソード。かつて同僚だった60代のベテラン外国人講師について話が移っていくのだが、それが、私がお世話になった外国人講師と重なったのだ。(境遇が違うので、同一人物ではないと断言できる)
60代のベテランさんは日本語の読み書きができず、恐らくは「本人が日本語を学びたくとも、周囲の日本人から常に英語を期待されていたからでは?」と著者は述べている。
私がお世話になった方も、日本人の奥様が自身の英語力KEEPのため、お子さんの前でも英会話を強いられていたという。おかげで何十年経っても、全く日本語が身につかないでいるそう…。
外国人である前に個人…分かってはいるけど、いざ「ガイジン」を前にすると、そんな考えは吹き飛んでしまう。
彼らのルーツも日本語への学習意欲もバラバラ。でもそこらへんを汲み取っていけば、少しはぎこちなさも緩和されていくのではないか?
このレビュー自体、著者の主張を汲み取れているかは怪しいけど、そうした思いが私の中に残っている。 -
Posted by ブクログ
母語が日本語でない作者が書いて芥川賞候補というのに興味を覚えて読んだ。
英会話学校のネイティブ講師ってたしかにこんな感じ。日本の若者がもはや英語を勉強することにさしてモチベーションないのもこんな感じかもしれない。都市郊外のショッピングセンターがじわじわ寂れていくかんじとか、ひとり暮らしの中高年男性のたたずまいが身近で。
他所から来てまた帰っていく者、滞在して別の土地に通過していく者、突然プツリと行方不明になってしまう者、全く別のルートをたどる同級生、みんなそれぞれ理由があったりなんとなくだったり軌跡を描いている途中。
2篇ともグローバルという言葉が背景に出てくるけど、いまやすっかりイメージが変わってしまった。 -
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ネタバレ日本で働いている米国人、米国で働いている日本人、世界中を転々としながら働いている人・・・。主人公のブランドンは特に日本に魅力を持って来日したわけではない。知らない心の底では日本の何かに魅せられたのかもしれにが、本人でさえそんなことは分からない。ブランドンが移動した軌跡は地理的には長い。でも、心の軌跡はどうだろうか。あまり移動していないような感じである。というのが表題作の感想。もう1つの「汽水」も似たような感じの作品だ。インターナショナルといったって米国とその他の関係でしかない。日本を忘れること、米国に染まることがグローバル化ではないと思っているので、そこに違和を感じた。
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Posted by ブクログ
外国の人から見た日本、特に閉鎖的な京都(南丹市、京都市内)の人間関係がつぶさに書かれててとても興味深い。外国から来て日本に馴染もうとする方と、周りと外見が違う人への畏怖と、乏しい語学力のため意思疎通を放棄してしまう日本人のどちらの気持ちもわかる。そして筆者の公正な書き方でその日本人に対してもそこまで嫌悪感を感じない。
とにかく筆者の日本語、古典文学への造詣が深く凄みを感じる。最初は「きみは〜」から始まる文体がラスト近くになると極端に少なくなるので、あえてこの文章表現を選び日本語の上達していく様子を暗に伝えているのがわかる。
短編ニ編のうち、後編異口でも日本語と外国語の表現に極限まで悩まされた主人公が「焼いたご飯」などという表現を使うなど、読み手側の違和感をわざと誘っているように思う。
なんだか途中から村上春樹を読んでる気分になった。Iが主語になる表現で育った人間が、日本語で書かれる文学を創るとこういう感じになるのかもしれない。