グレゴリー・ケズナジャットのレビュー一覧
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外国の人から見た日本、特に閉鎖的な京都(南丹市、京都市内)の人間関係がつぶさに書かれててとても興味深い。外国から来て日本に馴染もうとする方と、周りと外見が違う人への畏怖と、乏しい語学力のため意思疎通を放棄してしまう日本人のどちらの気持ちもわかる。そして筆者の公正な書き方でその日本人に対してもそこまで嫌悪感を感じない。
とにかく筆者の日本語、古典文学への造詣が深く凄みを感じる。最初は「きみは〜」から始まる文体がラスト近くになると極端に少なくなるので、あえてこの文章表現を選び日本語の上達していく様子を暗に伝えているのがわかる。
短編ニ編のうち、後編異口でも日本語と外国語の表現に極限まで悩まされた -
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これは何とも、想像以上に繊細な話だと感じさせられて、共に日本生まれの日本人である、両親に育てられた私には、その気持ちを推し量ることが、きっと出来ないであろうと痛感させられ、今回、フィクションとはいえ、こうしたケースも世界にはあるのだろうと窺い知ることが出来て、良かったと思う。
本書の主人公「ラッセル・シーラージ」は、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、彼が二歳の時、母親が、ペルシャ語を話す現在の父親と結婚したものの、七歳の時に母親が出て行ってしまい、それ以来、育ての父親と二人で暮らしてきたが、その後、日本の大学へ留学し、それから十年経過した現在、就職活動すべき時期にも関わらず、彼は生まれ故郷に帰 -
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イラン人の父親を持つラッセル。米国で生まれ日本で勉強している。ラッセルは父親が生活する米国サウスカロライナに渡り、そこで自分のアイデンティティと向き合うことになる。サウスカロライナの実家の周りには葛が自生し、庭や家を包み込もうとする。日本の家屋にも葛の蔓が壁を伝うが、ラッセルの実家では毎年焼き払わないと家が葛に侵食されてしまう。キリギリスは英語でkatydidなのに、葛は英語でもkudzuで通じる。日米の両方で生きるラッセルは、物の違いと同一性を感じたのだろう。そして自分のルーツに思いをはせる。私はこの作品を正しく読み解けたか分からない。表面をなぞっただけかもしれない。何かしら感じるものはあっ
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表題作よりもう一つの「異言」の方が良かった。
表題作はまだ練習中といった印象を受けた。
しかし、日本語で話しかけている外国人に、そんなに英語で返事するのか、日本人は。というか、外国人(欧米人ね、はっきり言って)に積極的に近づく人はそうなんだろうね。なんだか気の毒になってしまった。
表題作もそうだが、「異言」は特に日本に来て日本語や日本人や日本文化に触れたいと思っているのに、阻まれてしまう孤独ややるせなさが伝わったし、(牧師を演じる主人公も、それを求める日本人も)滑稽である。ラストシーンは複雑な心境が、おかしみになっていて、これは客観的に描けているからだと思う。
鴻巣友季子さんが誉めていたの