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言葉と世界は、再発見に満ちている。
旅に出かけ、見えてきた景色。
2つのレンズを使って英語と日本語の間を行き来する、芥川賞候補作家の初エッセイ集。
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英語を母語としながら、日本語で創作する著者だからこそ見えてくる24の景色
「俺を使わない僕」・・・相手との距離で変わる日本語の〈一人称〉の不思議とは?
「轍」・・・英語と日本語の相互作用が創作に与える影響とは?
「言葉の出島」・・・日本にいながら英語を期待されるプレッシャーとは?
「マイジャパン症候群」・・・日本在住の英語話者コミュニティー独特の症状とは?
「Because Plants Die」・・・この英語、ちょっとおかしい? 言葉が持つニュアンスとは?
and more…
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Posted by ブクログ
ここ最近読んだ中で一番面白かった。I'm hooked! 夢中になっちゃったよ。
アメリカ人が書いた日本語ですよ? なんとこなれていること! そこにまず驚くけれど、それ以上にその考察の深さが素晴らしくて、ううーーむ、と唸り読むのを中断して考え込む…ということが何度もあった。さすが2度も芥川賞候補になっただけのことはある(すごすぎる)。
たとえば以下のような箇所。
p10 意思が働かなくても、文章は成立する。AIによって生成された文章に直面して不穏を感じるのは、その事実をはっきりと突きつけられていることに起因するのだろうか。
p93 気に入りの作家がかつて暮らしていた家、あるいは使っていた小物、あるいは万年筆によって赤入れされた原稿を見るのには特別な面白みがある。(略)
しかし同時に、このような活動は、読者というより、一人のファンとして行っているのではないかと思う。(略)
むしろ描かれた町、モデルになった人物、書かれた時代の事情に詳しくなくても、それでも面白く読めるという性質は、優れた作品の所以なのではないかとさえ思うことがある。(略)
自分が事前に知っている事柄が書かれた小説しか正しく読むことができないとすれば、それは読書という行為をどんなに矮小化してしまうだろう。
p145 インターネットが充実して、海外のメディアが身近になったからこそ、洋楽は別世界から届いたもののような神秘性を失ったのかもしれない。海外へ行かなくても、海外の文化がなんとなく卑近に感じられ、自分の目で見ずとも分かっているつもりになってしまう今は、未知への好奇心を持つことが少し困難になってきている。いい意味でも悪い意味でも、世界は以前より小さくなってきた。
そして一番感動したのはp155のBecause Plants Dieである。
ショッピングセンターの入り口あたりに小さな看板があって、
植物が枯れてしまいますので座らないでください という日本語の下に、
Please don't sit down because plants die
と書かれている。
日本に住むアメリカ人として、この英語は変だと指摘するという流れかと思いきやそうではないところがこの人のすごいところだ。
p159 やろうと思えば、この英語にケチをつけることはいくらでもできるだろう。自分の第一言語が、第二言語として使われているところを見ると、人はややもすれば批判的な姿勢を取りがちだ。文法的におかしいとか、文法的にはおかしくないがネイティブならこんな言い方はしないとか、あまりに母語話者の絶対性を主張してしまう。だがそのように評価を下すことが与えてくれる単純な優越感を拒否して、目の前の言葉をそのまま受け止めてみると、自分が知悉していたはずの言葉の予想外の側面が往々にして見出される。「正しい」か「正しくない」かは、評価軸にしやすいけれど、その判断一つで完結してしまい、新たな洞察を生み出すことができない。
(略)
少しでも逸脱したものを「違う」と決めつけてしまう。そんな受け売りの「常識」をもって、日本で出会う英語の正しさを評価するよりも、僕はただ単にそんな言葉をじっくりと味わいたい。
ああ、なんという視点の面白さよ、考察力の深さよ。
p76 あの頃の僕は彼のことを蔑視していた。
p145 海外の文化がなんとなく卑近に感じられ
のような少しだけ違和感を感じた日本語を、ネイティブ目線から批判的に見て母語話者の絶対性を主張しようとしていた自分を恥ずかしく感じるのだった。
(「蔑視」より「軽蔑」のほうが自然かなと思って…しかしよく考えてみれば「蔑視していた」はまったくもって自然で正しい。「卑近」も「身近」のほうが?と思ったがやはりこれもまったくもって自然で正しい。反省しきり)
ちなみにこの文章をあえて日本語に訳そうとする次のようになるのだそうだ。
「植物というものは儚い存在なので、座るという行為をどうかやめてください。」
なんという抽象的な警告になってしまうこと!(面白い!)
英語話者としては、The plants will die. もしくはThese plants will die. としたくなる。冠詞も代名詞もない裸の名詞は、不思議なほど普遍的な響きを帯びてしまい、話題はもはや「ここの植物」ではなく、「世の中の全ての植物」や「植物というもの」についてになるから、だそうだ。
【memo】
ニューオーリンズの名高い書店「フォークナー・ハウス・ブックス」(p89)アメリカ南部で育つと高校の英語で作品を読むのだそうだ。
Posted by ブクログ
『トラジェクトリー』が面白かったので、こちらも読んでみた
グレッグさんの背景から見ると『アメリカ人なのに日本語でこんな文章が書けるなんてすごい』になるんだけど、序盤ですぐにそんな感想は無くなってしまう
第二言語を持つことで第一言語との距離感も変化していくことや、観光客と同じに見られてしまうちょっとした切なさからのそれが日本で暮らす外国人の自由さを奪っているかもしれない、という思索、文法的にはあっているけどニュアンスとして壮大になってしまっている英語直訳看板について、などどの章も興味深いことばかり
ちょうど朝ドラばけばけを楽しんでみているので、ヘブンさん(小泉八雲)とグレッグさんを重ねて見たりして、とても面白かった
Posted by ブクログ
グレッグさん(あえてそう書かせていただく)の小説トラジェクトリーを読んだ時に、「外国出身なのにこんなに日本語が堪能なんてすごい!」という(意図せず日本語を母国語とする者の上から目線な感じの)文脈で見ていた自分が恥ずかしくなるくらい、グレッグさんが日本の言葉や文化を何十年も熱心に研究してきたということがよく分かりました。少なくとも彼にとって日本語は「ビジネススキル」というようなレベルのものではなく、生きることそのものに直結しているように見えます。
以下の抜粋の部分を読むと、「外国出身の人にとって日本語がどのくらい難しいか?」などという個人の問題よりずっと高次の、「日本語を操る外国人」として見られる他者との関係や、社会的な振る舞いにまで意識が及んでいることがわかります。グレッグさんの作品はまだ2冊しか読んだことはありませんが、終始圧倒されっぱなしです。
『日本語を母語としない者として日本語を使って物語を書くと、最も難しいのは文法でもなく語彙でもなく、既存の物語との格闘になる。新たな視点から日本のことを見せてほしいという、常にある暗黙の要求にどう対応するか。』
Posted by ブクログ
静かで、美しく、柔らかな光に灯されたような文章。
著者の作品には実は触れたことがなく、装丁の良さと言葉では表せない自分の直感で手に取った1冊だったが、とても大切な書となった。
帯分で強調されているような「英語と日本語を行き来する英語母語話者の作家」だから描くことのできる英語と日本語の差異、が綿密に記されている訳ではない、と私は感じた。ここにあるのは、言葉と世界に対して心を開き、言葉のもどかしさと世界の圧倒的存在の狭間で往生する著者の、繊細で知的な観察日記、のように思える。勿論、彼が英語と日本語の二言語と触れているからこそ見えやすくなる情景もあるのだが、日本語しか話すことのできない日本語母語話者の自分の中にも、共鳴する部分が多々あったように思う。
著者の小説にも、ぜひ触れてみよう。
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