グレゴリー・ケズナジャットのレビュー一覧
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ネタバレ『鴨川ランナー』よりもさらに複雑に、言語と自己の関わりについて常に考える、考えざるをえない状況を描く。
イラン出身でペルシャ語を母語とし、米国に暮らす父。
アメリカに生まれ英語を母語とし、父とも英語で会話をしてきた自分は日本へ留学している。一時帰国中。
父の人生にフォーカスしたくなる。
自宅の庭に次々に繁茂する葛、日々それと格闘する父。本当は何と格闘しているのか。
しかし葛がkudzuであったように、「異」であっても重なるところはある。母国を出て、母語でない言葉を使い、必死に人生を開墾してきた彼が、これから誰かとの重なりを感じられますように。
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『鴨川ランナー』から続け -
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ネタバレ『鴨川ランナー』
日本で暮らし仕事をしても、いつまでも周囲からは異質な存在、記号として扱われる「きみ」。日本語を話しても、外国人の話すニホンゴだと受け止められる。苛立ちながら、それでも縁を頼りに日本で生き続け、谷崎を研究し15年。もちろん十分に日本語を操れるようになっている。が、未だ外国人の枠を取り払うことはできず、記号でなく個として生きられているのかという虚しさ。
日本人の私も同じように、集団で生きる限り、集団に応じて記号を付けかえて生きている。記号だろうがなんだろうが、人生はただ目の前の道を一歩一歩、足を出して進み続ける以外にない。と、鴨川ランナーでもある「きみ」の姿に教えられるし勇気づ -
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アメリカ人作家が日本語で書いた、日本に住むアメリカ人を主人公とする小説。2編。
小説の中で主人公は高校のとき日本を訪れ、なんとなく魅了されて日本に職を求めて再来日する。知り合う日本人はアメリカ人を不特定多数のガイジンの一人として扱うので、日本語を頑張って勉強してきた主人公は戸惑う。そうして日本人と誰とも親密な関係性を築くこともないまま日本の大学院を卒業して大学に教員として職を得るという話である。何が起こったかはそれほど重要ではなく、言語というキモノを纏って人間が触れ合う時の特に異文化同士の場合について起こることをティッシュペーパーで柔らかく包むように表現する。
作品のテーマは異文化をバックグラ -
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ネタバレすごく不思議な読後感の小説だった。
海外から移住して来た故に感じる「自分の場所じゃない」感覚。同時に故郷のアメリカも既に「知っている場所」ではなくなってしまっていて、アイデンティティがどこにあるのか定まらない気持ち。
海外への移住経験どころか旅行経験すらもないのだが、高校進学を機に生まれ育った街を離れた私には少しだけ覚えのある感情だった。
ふとした瞬間に感じる疎外感と、帰郷するたびに知らない街になっていく故郷。その切なさを少しだけ思い出した。
他の言語を習得したとしてもその国の一部になれるわけではないし、もしかしたら馴染めば馴染むほど「余所者」の感覚が強くなっていくのかもしれない。
筆者も日本 -
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アメリカ人で、これだけの日本語で小説を書くってすごいことだ。実になめらかな文章だ。文章に昭和の香りがする。とりわけ、日比野コレコの難解な文章を読んだ後だったので、余計感じた。
アメリカから、日本に来たアメリカ人が感じたことは、なぜか、私が中国に行って感じたこととよく似ているなと思った。最初は、違いを見つけて、なんだ中国はと日本の優位を見つけることをしていたが、そのうち、中国人のここが優れているということを見つけるようになった。それで、仕事のありようがずいぶん変わり、自分なりの役割を見出したものだった。
主人公ブランドンは、大学を卒業する間際、就職のことを考えていたら、日本で英会話の先 -
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ネタバレAudibleで聴いた。
日本に住んでいる外国人(アメリカ人)が日々感じる違和感などが書かれていて面白かった。
なんとなく、そう感じるだろうなとわかるようなこともあった。例えば、異文化交流会?に参加すると、外国人というだけで特別扱いされるけれど、それは自分個人に興味を持ってくれているわけではなくて、英語を話す外国人として興味を持たれているだけ。というところなど。
外資系の会社で働いている時、飲み会の席で、少数の外国人の社員は、日本人達に囲まれて、そんな感じだったな〜と思った。
そういうようなことが、日本に住んでいる外国人の視点で書かれているのが面白い。 -
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情景が目に浮かんでくるような描写でとても読みやすかった。
葛の蔓が繁茂しているのをぼんやりと眺めながらその中から聞こえてくる虫の声を耳を澄ます。
やがて、多くは語らないけど優しさのある父の声が聞こえてくる。
ラッセルが2歳の時に母が今の父と結婚したが、7歳で母は出ていく。
父だけは、それまでと何も変わらず彼と暮らす。
アメリカ生まれのラッセルとは英語で喋るが、父の言語はペルシャ語だ。
父が、故郷の家族と話すときは英語を使わない。
そのことに寂しさを感じるのか、自分だけ家族ではないと思ってしまうのか…。
国が違えば、ことばも違うという当たり前のことだが、日本から離れたこともなく、身近に日本語 -
Posted by ブクログ
芥川賞候補作。
まず、日本語が母語ではないのに、文学的な文章を書けることがすごいと思う。日本語が母国語の私でもこんな文章書けないと思う。
「囂(かまびす)しい」とか初めて聞いた。
読み心地もすごく良かった。
母語(主人公にとっては英語)を聞いている時、行間が聞き取れてしまうがゆえに不愉快さを感じることがあるというのを、この本を読んで改めて気付いた。
外資系の会社で働いていた時に、私が英語の行間まで理解できないおかげで、傷ついたりイライラすることなく、コミュニケーションを取れていたことを思い出した。アメリカ人の同僚が、クライアントからの英語のメールにイライラしていて、私がそれを読んでみても