伊集院光のレビュー一覧
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松尾芭蕉の『おくのほそ道』、デフォーの『ペストの記憶』、コッローディ『ピノッキオの冒険』の三作品について語る。「おくのほそ道」って、実は話をもっているところあるんだぁ、とか、ピノッキオ、人間になったあと、木の時の自分の体は動かなくなって転がっていたんだとか、しらなかった話に妙に感心した。
ただ、一番印象に残ったのは、伊集院光氏が師匠である三遊亭円楽の死後について語った話。おりあいをつけたつもりで、執筆活動ができず、なんかもやもやしたまま思いつきで石川県を訪れる。そこでみた松尾芭蕉の石碑の俳句に号泣し、その勢いで本書の原稿を書いたとか。喪のプロセスというのは、人それぞれたどらないと次へ進めないということなのかもしれないな。 -
Posted by ブクログ
先日、読んだ一冊、
NHK Eテレ「100分de名著」で出会った約100冊から、
伊集院光が熟読して心に刺さった3冊を厳選。
名著をよく知る専門家に再会し、新たに徹底トークを繰り広げる。
きっかけは
テレビやラジオで活躍中の著者が、
(特にラジオ人格が面白く)
この人がどう語るかが気になったこと。
番組自体はテレビをザッピングして
流し見する程度で
難しい本を紹介している印象があり、
本書にある3冊は
自分から手に取って読むには
難しいイメージを持っていました。
カフカ『変身』では虫になった人は
引きこもりで外に出られなくなった人に
例えてみたり、
経験や想像に引き寄せて自由な見立てと解釈で
専門家とのトークも弾み
思わずにやけてしまう面白さがありました。
名著はその時々の本と出会いを
大事することが読むための秘訣のようで
長く読み継がれる本の
良さが垣間見えて良かったです。
早速、
一冊読んでみたいと思えました。
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伊集院光氏が憧れていた立川談志師匠に会ったとき、「あるとき、談志師匠の落語を聞いてこの差は埋められないとショックを受け、ノイローゼになって落語家をやめました」と話したとき、談志師匠は「嘘じゃねえのかもしんねぇけどさ。よくできた話だな」と答えたというエピソードがあった。
神谷美恵子著『生きがいについて』についての話だ。本について話しながら、自分の体験と照らしていろいろなことを考える。いや、この談志師匠のくだりは、『生きがいについて』とは、まったく関係ないんだけどさ。でも、言葉にしてしまうときれいすぎること、スっと入ってしまうことの怖さみたいな話から、こういう話になっていたのではなかったかな。生きがいとは、あるいは生きることとは、そんな筋の通ったものではないのだ、と。談志師匠には、そこを喝破されたのではないか、なんてねえ。でも一方で、それもまた真実なら、いやいや、ほんとなんですよ、というために、その後の伊集院氏のキャリアがあったともいえるんじゃないですか、なんて答えもある。このあたり、本を間に挟んでの対談の面白さだね。
本を読むとは、ただその内容だけでなく、そこからさらに人の思考を広げてくれるんだな。
面白かった。 -
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ネタバレ世間の内側にいたい伊集院光と世間の外側にいることに抵抗がない養老孟司が、「世間」をキーワードにして対談した内容をまとめた本。世間の内と外の話から都市と自然の話に発展したり、AIの話になっていたり、あまり縛りなく様々な話をしている。
伊集院さんのことを全然知らず、深夜ラジオで下ネタを言っているイメージしかなかった(友達からそう聞いたので・・・)。だから伊集院さんと養老先生が対談するって、何がどうなったらその二人がくっつくんだと気になって購入した。実際読んでみると、伊集院さんがとても論理的に物事を分析していることに驚いた。
会社の研修を受けていると、世間の内に内にと閉じ込められる感があってとても息苦しい。今まで私は自分が世間から外れていると思ったことはないけれど、世間というものが狭くなったら外に出たくなるのかもしれない。耐えられなくなったら養老先生の助言の通りいったん外に出てみようと思う。そして伊集院さんのいうように、ぎりぎり世間の内側に、あるいは塀の上にでも戻れれば良し。 -
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TBSラジオ「伊集院光とらじおと」毎週月曜 - 木曜 8:30 - 11:00、この本は木曜日のコーナー「伊集院光とらじおと放哉と山頭火と」で、リスナーから投稿された自由律俳句の厳選集。(伊集院氏は次の角を曲がり、番組は終了するとの発表がありました。)
載っている自由律俳句には、放送当時の伊集院氏とパートナーやアシスタントとのトークも掲載されています。俳句と違って自由律俳句は、文字数の制限が非常にゆるく、何を詠んでもOKですが、少ない語数で如何に内容を詰め込むかが詠み人の腕の見せどころなのは俳句と同じ。タイトルの『次の角を曲がったら話そう』は、話しづらいことを思い切って話すきっかけをつかもうとしている様子ですが、これを少し掘り下げると、何回角を曲がっても次の角を曲がったら なのだ、という解釈も可能なわけです。そういう広がりがあるのが自由律俳句のおもしろさでしょうか。
まえがきに「二年前から、次の角を曲がったらと思っていることがある」と書いてあります。番組終了のアナウンスはありましたが、それとこれとは別のことなんでしょうか。あるいは、降板することはかなり前から決めていたということなのか。読者にはわからないままで終わりそうです。