高橋哲哉(哲学者)のレビュー一覧
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靖国神社に関して、基本的なことも分かっていなかったことを痛感する。
靖国神社は明治時代に出来た神社。戦争が出来る帝国主義を継続させるために出来た。死を嘆かず、むしろ死に赴きたくなる装置だ。
中国や韓国などのアジアからの批判以前に、首相の参拝は国内問題として取り上げられていた歴史を有する。
中曽根はA級戦犯の合祀取りやめに積極的だった。合祀のために厚労省から名簿が靖国神社に流れていた事実も知らなかった。
同じ様な施設が歴史や洋の東西を問わず存在していること。
国立追悼施設を作るだけでは、かえって第2の靖国が出現しかねないこと。すでに千鳥ヶ淵や沖縄の平和の礎でも、その傾向が見られているこ -
購入済み
デリダ本であると同時に高橋哲哉のデリダ解釈の本という意味で高橋本でもあるのかなぁと。全ての解説本に言えることではありますが、それは念頭に入れて読んだほうが良いかなと思います。
脱構築、差延、散種、原エクリチュール…デリダ哲学の基本的な考え方や発想が分かりやすく解説されており、後半分は脱構築の行き着いた先からいかに正義を実現するかという肯定の思想としての側面が強調されています。 -
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【「引き取り運動」のバイブル】
2016年からFIRBOの活動に参加した評者にとって、本書は導きの書であり、バイブルである。「日本人よ!今こそ沖縄の基地を引き取れ」との沖縄の声に、「日本人は「本土」に米軍基地を引き取る」ことによって応答するべきことを宣言した書である。
日米安保条約を約8割という圧倒的多数の「本土」の国民が支持している現状を踏まえれば、「県外移設は基地を日米安保体制下で本来あるべき場所に引き取ることによって、沖縄差別の政策に終止符を打つ行為である」とし、「「平和」や「安保廃棄」を求めるなら、基地を引き取りつつ自分たちの責任でそれを求めるべきである」と、その論旨は明快である。
ま -
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デリダ入門書として非常によみやすい。
エクリチュール、反復可能性、差延、散種などのデリダ語の使い方が見えてくるだけでなく、デリダ思想を一つの正義の思想として読み解くことで、脱構築が単に哲学の破壊ではなく肯定的な思想であることが分かってくる。
本書を読む以前はポストモダン思想には破壊的・ニヒリズム的なイメージを持っており、脱構築もテクスト斜め読みのようなイメージを持っていたが、本書を読むことでそれとは全く異なる肯定的な他者の思想が見えてくる。
現象学において他者とはなんなのか?という問いをぼんやり持っていたが、デリダはそこに一つの新しい他者像を提示しているのだろう。
デリダの著作の入口として非常 -
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"靖国神社への参拝は、なぜ問題となるのかを整理する目的で本書を手にする。この本は、歴史家ではなく哲学者が論理的に伝えることに重きをおいたもの。
1.感情の問題
当時、戦死による悲哀を幸福に転化していく装置が靖国神社だった。
戦死者の追悼ではなく、顕彰こそが本質的な役割。
(追悼とは、死者を偲び悼み悲しむこと。
顕彰とは、功績などを世間に知らせ表彰すること)
2.歴史認識の問題
A級戦犯の分祀が実現したとしても、政治決着にしかならない。靖国神社への歴史認識は戦争責任を超えて植民地主義の問題として捉えるべき
3.宗教の問題
4.文化の問題
5.国立追悼施設の問題
歴史を再び -
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日本国にあり,国民全体がその恩恵をながら,それを維持していくときにある人々の犠牲の下でしか維持できていないもの…それが,沖縄の米軍基地であり,地方に任された原子力発電所です。
ここで恩恵と言いましたが,本当に恩恵を受けているのか,あるいは恩恵と呼んでもいいのかどうか,はなはだ疑問ですがね。
「福島と沖縄」とタイトルにありますが,本書の4分の3は福島のことについて書かれています。
二つのことは,政権交代後の内閣でどうにか解決しようとしましたが,結局「玉砕」してしまいました。米軍基地も原子力発電所も,それほどわたしたちの社会の内部の奥深くにまでしみこんでいるのでしょう。 -
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今度の戦争で死んだ人々を悼むことは当然の感情だが、それを英霊化したり、なぜ死ぬことになったのかという原因を考えない追悼は危険だ。公の悼み方には違いがあってもいいのではないか。それに靖国は明治以来政府に反抗して死んだ人たちはまつっていないし、まつってほしくないと思っている人たちも勝手にまつっている。また戦争を起こした人たちも、赤紙で行かされ死んだ人たちもいっしょにまつられている。これでは今度の戦争の責任はいっそう曖昧になるばかりだ。日本人の伝統は死んだらみんないっしょというのも怪しくなる。靖国問題を感情、歴史認識、文化等の観点から総合的に論じた好著。
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【1】
30 修論
36 五月革命
43 脱構築は哲学を文学に
→ハーバーマスは批判、ローティは歓迎
→デリダ・サール論争
48 デリダの抵抗、ブルデュー
52 ド・マン論争
【2】
55 解体の仏訳語としてデコンストラクション
64 エクリチュールはパルマコン(知恵の、記憶の秘訣)である
81 プラトン主義哲学、形而上学=二元論的分割
82 形而上学の要素
①ロゴセントリズム
②フォノセントリズム
③現前(←ハイデガー)
④存在・神・目的論の構造
⑤ファロセントリズム(ファルス)
84 現前(古代・イデア→中世・絶対神→近代・自己現前(コギト・意識・主観性))
92 外部は内部の内部
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高橋哲哉(1956年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、南山大学文学部専任講師、東大教養学部助教授、東大大学院総合文化研究科教授等を経て、東大名誉教授。専門は現象学、言語哲学、倫理学、政治哲学。
本書は、毎年太平洋戦争終戦の時季になると話題に上がる(特に、首相が参拝をした年は)、いわゆる「靖国問題」について、様々な視点から考察したものである。
内容は概ね以下である。
◆感情の問題・・・靖国神社とは、国家的儀式を伴う「感情の錬金術」によって戦死の「悲しみ・不幸」を「喜び・幸福」に転化するシステムにほかならない。その本質的役割は戦死者の「追悼」ではなく「顕彰 -
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ネタバレ靖国問題について、①遺族感情 ②戦争責任 ③宗教性 ④文化 ⑤追悼施設 という観点からわかりやすく説明されている。
今までは、靖国神社を、国のために戦ってくれた人への感謝を表する場だと考えていたのだけれども、それ自体に政治的な問題があるのだとわかりはっとさせられた。追悼施設ではなく、顕彰施設。人々の悲しみを喜びへと変えてしまったこと。個々人が靖国に賛成するか否かという問題ではなく、この神社はいまだに天皇主義が色濃く残った場なのだ。それをよすがとする者もいれば拒否反応を示す者がいるのも納得できる。
戦後処理がもともと曖昧に終わってきた日本では、この問題が収束することはないのだろう。しかし、多くの