高橋哲哉(哲学者)のレビュー一覧
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ネタバレ「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、尊厳、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する」。
どうして危険な原子力発電所は存続し、なぜ米軍は沖縄に駐留し続けるのか。福島県での惨禍も沖縄への負担の集中も、ともに日本の未来にかかわる重大事だが、十分な対処策もなく、責任者も不在のままである。
著者によれば、この国を覆う「犠牲のシステム」に原因があるようだ。著者は、故郷を放射能汚染された犠牲者の一人である。福島と沖縄を犠牲にする者は誰なのだろうか。見て見ぬふりをする私自身の「体質」に深く存在するのかも知れない。
読後、どうしても思い出すのは本書の刊行から半世紀以上前に発表された丸山眞男の論文『現代政治の思想と行動』である。「無責任の体系」はスルーされたままである。 -
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まず、本書を読むまで勘違いをしていたことが一つある。いや、正確には勘違いというより、忘れてしまっていたという感じなのだけど。それは、靖国神社は決して「悲劇のヒロイン」なんかではないということだ。つまり、日本くんと中国くんが靖国神社ちゃんをめぐって小競り合いをしている、というだけではなく、靖国神社ちゃん自身もかなりの食わせ者だということだ。靖国神社ちゃんだって、自分の思想を持っている。さしずめ、靖国神社ちゃんは『機動戦士Vガンダム』のヒロイン「カテジナ」のようなポジションである。靖国神社ちゃんが日本くんと中国くんを無駄に小競り合いさせているという面もある。このことが本書を読むまで、すっぽり頭から抜けていた。
さて、そのことを教えてくれた本書には感謝をしているし、それ以外にも「なるほど」ポイントが本書に多くあることは認める。だが、本書はときどき何を言っているかわからなくなる。全体を通して、現行の「靖国」に批判的であるというスタンスにブレはないにしても、さらに小さな視点での立場がわかりづらいことがあった。また、論に若干の強引さもあり、手放しに本書の内容を信じるというわけにはいかないように感じる。
とはいえ、本書のように明らかな感じで「靖国」に対する立場を表明し、意見を述べる本は貴重なものだ。本書「あとがき」にもあるように、この本をきっかけとして、多くの人が「靖国」について自分の意見を持てるようになればいいと、素直にそう思う。
【目次】
はじめに
第一章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ
第二章 歴史認識の問題―戦争責任論の向うへ
第三章 宗教の問題―神社非宗教の陥穽
第四章 文化の問題―死者と生者のポリティクス
第五章 国立追悼施設の問題―問われるべきは何か
おわりに
あとがき -
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内容(「BOOK」データベースより)
二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、なんの解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。
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靖国という大きな問題を、「感情」「歴史認識」「宗教」「文化」「国立追悼施設」のそれぞれの面から論じたもの。膨大な資料から多数の引用があり、靖国問題を考える上での資料的価値もある。
筆者は靖国問題にたいしておおむね中立的であるが、やや偏った(?)記述をしている部分もある。 -
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ネタバレ第1章。靖国神社は死者の〈追悼〉を〈顕彰〉に、〈愛する人を失った悲しみ〉を〈愛する人を天皇に捧げた喜び〉にすり替える装置である。
第2章。「A級戦犯」分祀論は、近代日本の戦争の歴史をアジア・太平洋戦争の戦争責任問題のみに矮小化する。
第3章。政教分離に立つ限り靖国神社の国家護持はありえず、靖国神社の「非宗教化」は国家神道(=神道非宗教説)の再来にほかならない。
第4章。自国の戦没者のみを選別的に祀るのは日本の文化伝統でも何でもなく(中世・近世においては「敵」も追悼していた)、国家の政治的意思にすぎない。
以上は論として筋が通っており、概ね首肯しうるが、第5章が決定的におかしい。非戦・平和の意思と戦争責任を明示した公的追悼施設といえども、施設の性格を決定するのはその時の「政治」であり、「第二の靖国」となる潜在的危険があるとするならば、いかに日本が「非軍事化」して戦争被害者への戦争責任を果たそうとも、「国家」単位での戦没者追悼は必ず有害であり、追悼行為は完全な個人行為に限定すべしという結論とならねばならない。しかし、著者は「政治的現実」の改変後の国家の追悼を否定していない。別の個所で、国家による戦没者顕彰が日本特殊の現象でも近代国家特有の現象でもないと明示している以上、いかに完全な平和主義国家であっても、それが国家である限り「揺り戻し」はありうると想定されなければならない。著者のそれまでの議論に忠実に従えば、原理的レベルで国家(やそれに類した集団・共同体)の追悼を否定するしかない。
なお、「すでに法制度上は国家の機関ではなく一宗教法人にすぎない靖国神社を政治的に廃止することはできない。自由社会においては信教の自由は最重要の権利のひとつとして保障されなければならない」と述べているが、憲法の改変により天皇制が廃止されるならば、靖国神社は自壊するほかないので、「政治的に廃止する」ことは可能であることも付け加えておこう。 -
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ネタバレ日ごろ話題になる「靖国問題」はどのようなものかを知るために読んでみた。
政治色が強いとされる靖国問題も、「誰のためのものか」「どうして靖国神社ができたのか」を知る必要がある中で、戦争を知らない自分は何に基づいて判断すればよいかわからなかった。
また、首相が参拝することによる他国の批判がなぜ生ずるのかもわからなかった。
「国への批判を避けるため」に作られた靖国神社に参拝するのは、日本国民として戦死者に対する道徳的な行動の面があるのだろう。一方で、他国の人にとって自国民を大勢殺した首謀者が奉られている神社への参拝は冒涜に感じるのは理解できる。また、戦争の正当化がされることもまま理解できる。
結局、魂はどこかに宿るって考えが僕にはないからしっくり理解できないのだろうな。墓参りとか、行ったことないし。 -
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ネタバレ靖国神社がどのような面で問題になっているのかを論じた本。
この問題について、詳しい背景は省略するが、靖国神社が戦死者を顕彰することで国民を戦争に向かわせる”超”宗教的な存在であったこと、A級戦犯の「分祀」について不可という見解は古来の神道ではそうはなっていないこと、といった点は勉強になった。
ただ、結論が
「一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名のもとに侵害することは許されない。
一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
一、「第二の靖国」の出現を防ぐためには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた普段の努力が必要である」
というものなのは、平々凡々の領域を出ていないように思った。頷ける点はいくつかあるけど… -
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※友達からこの本は遺族に関する部分について誤謬がある、との貴重な指摘を受けましたが、そういったことに関しては本質的には触れてないので、是非はともかくも、読んでいただけるとありがたいです。てか偉そうな書きっぷりですいません
靖国問題を様々な観点から捉えた入門書。
著者は第5章において、靖国の論理は軍隊を保有し、ありうべき戦争につねに準備を整えているすべての国家に共通の論理に他ならないと述べている。実際日本には自衛隊が存在し、その基本方針が専守防衛であったとしてもありうべき戦争に備えていることに疑いはなく、つまり作者は靖国神社のようなものは必然的に存在してしまうということを認めている。よって著者が批判しているのは靖国神社そのものというよりも、靖国神社と政府の繋がりを問題にしていると言ってはいいのではないだろうか。
著者がそうした批判をするのも今現在政治の主導権を握っているのが靖国参拝肯定派が多数を占めていると思われる自民党が戦後ほぼ一貫して日本政治を先導してきたことを認識しているからであろう。
また新たな追悼施設の問題に関しては、追悼懇の報告書の問題点を指摘し、その追悼施設の「第二の靖国化」の可能性を危惧している。
著者はこれら一連の問題の中心は政治にあるとし、提言として、軍事力廃棄や過去の戦争における国家責任の明確化といった政治努力が欠かせないと訴えている。
個人的に言いたいことはわかるが、現実問題、過去の実績とその貢献度、また安全保障の観点などから考えるに、たとえそれが軍事力の点に限ったとしても、自衛隊をなくそうというのは土台無理な話だし、私含めて多くの国民の賛成するところではないだろう。
それ故に、これまた多くの人たちは自衛隊の存在は認めるけど、〈戦力〉としての海外派遣は認められないという流れに行きつく。今世論はこの当たりで拮抗していると言えるだろう。至極順当な流れである。
またこうした流れであるから、「脱軍事化」を掲げる高橋氏は多くの人に〈左〉的な印象を与える。もちろん本人もそのことは十分に自覚しているはずで、あえて「脱軍事化」を掲げることで、言い方は良くないがもしかしたら左翼インテリ的な使命感のもと、自ら世論バランスの均衡に一役買ってでているのであろう。
問題は高橋氏及びこの本にあるのではなく、そういった相対的な「流れ」を理解している人がこの日本にどれだけいるかである。もちろん私だってそんなこと言えるほど全体像を把握しているわけではないが、少なくとも把握しようと努力しているうちは、たとえそれが「理想」だろうが「夢想」だろうが、無意味な批判をしようとは思えてはこない。自分なりに考えた上での健全な批判なら、議論の活性化の上でも歓迎すべきことだがどうもネット上の誹謗中傷に悪乗りしているだけの人が多い気がしてならない。
今後日本がどのような道を辿るかは、もちろん海外の情勢に依るところが大きいけど、当面の「流れ」として、また戦後教育に対する反発として、いわゆる〈右〉的な勢力が拡大していく傾向にあるのは間違いないであろう。
明治初期、つまりまだ宗教界において仏神基が各々その勢力を維持していこうとしていた近代化の黎明期から、「教育勅語」及び井上哲次郎の「教育と宗教との衝突」後の激しい議論の後、三教合同の話し合いのもと結局は三教とも国体護持の道を歩むことになったように、この日本において少数派は究極的には生き延びる道はない(それはほとんどの国において同じであろうが)。大筋においては、多くの人はできれば「同じ」でありたいのである。それは今現在においても基本的には変わらないだろうし、私自身そういう気持ちは少なからずある。これは良い悪いの次元の話ではない。
とすれば正直なところ、〈右〉か〈左〉かといった議論は、丸谷才一の言うように、昭和が生んだ不毛なイデオロギー論争であり、つまるところ無駄な体力を消耗しているだけのように思えてならない。その労力を「どうしたら〈左右〉にとらわれずに健全な議論ができるかを議論すること」に注いだ方が余程有益である。
この問題について考えるのはいっこうに構わないし、また文化・知的レベルを向上させるうえでも欠かせないことかもしれないが、私は深くは突っ込みたくない。またそう思っている人も他にたくさんいるに違いない。人生はもっと楽しく生きられるんじゃないかなって。(もちろん、世界中に甚大な被害をもたらしたあの戦争の惨禍を忘れろというわけではないが・・)
だから私はこの問題に関しては、今のところは、あまり議論をしたいとは思わない。何を言ったって関わってくる人は必ず存在するのだから、ただの一個人である私が無理に関わる必要はないと思っている(危機的状況に陥ったら否が応にでも関わらざるを得ないだろうが)。特に、学生は他にもっとやるべきことがあるんじゃないかな。
今現在、日本に限らず世界中でこうした様々な思惑の糸が複雑に絡み合いながら、ひとつの〈歴史〉が紡ぎだされている。過去何千年も前から連綿と紡ぎだされてきた〈歴史〉である。
その壮大さ、ひいては人々の営みに想いをめぐらせるとき、私は世界中の人々に敬慕の情を禁じえない。また、その情を抱くことと問題に深く関わることは同義ではないことを最後に確認して終わりたい。
(2006年01月25日) -
Posted by ブクログ
小泉元首相が靖国神社に参拝するようになってからもう7年近くになります。福田首相になってから靖国参拝をめぐる「問題」として見る視点も少なくなってきてはいますが、本質的議論がなくなっただけで問題は残っているように思えます。
21世紀に入ってからの数年の間に、未来志向とも叫ばれていた日本と中国・韓国との関係が冷え込んだ歴史をたどりながら振り返る上で、お薦めできる本です。
また実際に靖国神社と国家および皇室のつながりが心理的、社会的にどのような影響を及ぼしたか、その構造がもたらす恐ろしい影響力も書かれています。小泉元首相が参拝の度に繰り返す論調がいかに靖国の宗教的歴史的位置づけに対して理解がないのかが分かります。
思い返せば小泉氏は首相になったときに「首相は常に公人で私人であることはありえない」とか言ってたのに、靖国参拝の時は「私的参拝」っていったりしていたのを思い出します。論理的に破綻している彼の傲慢というか横暴の一面を象徴しているのがこの靖国参拝問題の一側面かもしれません。
哲学的な視点から見た靖国問題の検討という売り文句内容が必ずしも一致していない部分や少々強引な論調も見られるので、★は3つ。