【感想・ネタバレ】靖国問題のレビュー

あらすじ

21世紀に入ってもなお「問題」であり続ける〈靖国〉。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については今も多くの意見が対立し、その議論は数々の激しい「思い」を引き起こす。だがそうした「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図ろうとするだけでは、問題の本質的解決にはつながらない。本書では靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、怜悧な論理と哲学的思考によって解決の地平を示す。決定的論考。

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靖国神社に関して、基本的なことも分かっていなかったことを痛感する。

靖国神社は明治時代に出来た神社。戦争が出来る帝国主義を継続させるために出来た。死を嘆かず、むしろ死に赴きたくなる装置だ。

中国や韓国などのアジアからの批判以前に、首相の参拝は国内問題として取り上げられていた歴史を有する。

中曽根はA級戦犯の合祀取りやめに積極的だった。合祀のために厚労省から名簿が靖国神社に流れていた事実も知らなかった。

同じ様な施設が歴史や洋の東西を問わず存在していること。

国立追悼施設を作るだけでは、かえって第2の靖国が出現しかねないこと。すでに千鳥ヶ淵や沖縄の平和の礎でも、その傾向が見られていること。

今読んでも力作である。ただ最後の憲法9条を活かそうと言う主張のみが現在では少し白々しく感じる。中国・ロシアの侵略的傾向、アメリカの世界戦略の縮小によって、バランスオブパワーを越える平和戦略が見いだせないからだ。

蛇足:本書では当たり前に「合祀」という言葉が使われている。合祀はてっきり遺骨などが納められているのかと思っていたら、よくよく調べると、名簿に名前が書かれているだけという。ぽかーんである。それをめぐって裁判しているのか。。。

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2025年09月03日

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"靖国神社への参拝は、なぜ問題となるのかを整理する目的で本書を手にする。この本は、歴史家ではなく哲学者が論理的に伝えることに重きをおいたもの。
1.感情の問題
 当時、戦死による悲哀を幸福に転化していく装置が靖国神社だった。
 戦死者の追悼ではなく、顕彰こそが本質的な役割。
 (追悼とは、死者を偲び悼み悲しむこと。
  顕彰とは、功績などを世間に知らせ表彰すること)
2.歴史認識の問題
 A級戦犯の分祀が実現したとしても、政治決着にしかならない。靖国神社への歴史認識は戦争責任を超えて植民地主義の問題として捉えるべき
3.宗教の問題
4.文化の問題
5.国立追悼施設の問題

歴史を再び学びたくなった。山田風太郎の戦中日記など後に読むきっかけになった。"

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2018年10月14日

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靖国問題について、靖国神社に批判的な立場から論じた本。「感情」「歴史認識」「宗教」「文化」といった切り口でその問題点を指摘する。
息子が戦死して靖国神社に祀られ喜ぶ母たちの対談を掲載した当時の雑誌『主婦の友』など、著者の主張を裏付ける多くの史料が提示されている。

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2015年03月22日

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靖国問題を理解するための本です。歴史的事実を踏まえ、各論の論理的是非を明快にし、現在の問題の本質を鋭くえぐっています。国事として英霊祭祀を行う限り問題解決はできないというクリアな見解にはただ頷くばかり。

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2013年10月27日

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現首相が参拝を積極的に肯定したせいもあり、最近も近隣諸国からの批判で盛り上がっている靖国問題。では、靖国問題の本質とはいったい何なのであるかを鋭く抉った良書です。靖国問題の解明や問題解決のための糸口を探っており、祀ることと軍国化との関連性や分祀が根本的に何も解決しないこと、そして新たな追悼施設が第二の靖国となる恐れがあるという主張は明快です。著者の主張に意見が分かれるかもしれませんが、そもそも靖国神社とは何であるかなど基礎知識を確認するための入門書としてもよく纏まっていると思います。

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2011年11月17日

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靖国神社にはA級戦犯まで祀られているぐらいしか知らなかった自分にとって靖国問題の複雑さを初めて知った。

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2010年07月10日

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今度の戦争で死んだ人々を悼むことは当然の感情だが、それを英霊化したり、なぜ死ぬことになったのかという原因を考えない追悼は危険だ。公の悼み方には違いがあってもいいのではないか。それに靖国は明治以来政府に反抗して死んだ人たちはまつっていないし、まつってほしくないと思っている人たちも勝手にまつっている。また戦争を起こした人たちも、赤紙で行かされ死んだ人たちもいっしょにまつられている。これでは今度の戦争の責任はいっそう曖昧になるばかりだ。日本人の伝統は死んだらみんないっしょというのも怪しくなる。靖国問題を感情、歴史認識、文化等の観点から総合的に論じた好著。

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2009年10月07日

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高橋哲哉(1956年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、南山大学文学部専任講師、東大教養学部助教授、東大大学院総合文化研究科教授等を経て、東大名誉教授。専門は現象学、言語哲学、倫理学、政治哲学。
本書は、毎年太平洋戦争終戦の時季になると話題に上がる(特に、首相が参拝をした年は)、いわゆる「靖国問題」について、様々な視点から考察したものである。
内容は概ね以下である。
◆感情の問題・・・靖国神社とは、国家的儀式を伴う「感情の錬金術」によって戦死の「悲しみ・不幸」を「喜び・幸福」に転化するシステムにほかならない。その本質的役割は戦死者の「追悼」ではなく「顕彰」である。このシステムから逃れるためには、戦死を「喜ぶ」のではなく「悲しむ」だけで充分である。
◆歴史認識の問題・・・靖国問題の歴史認識は、「A級戦犯合祀」の問題としてのみならず、太平洋戦争の戦争責任を超えた、日本近代を貫く植民地主義全体の問題として問われるべきものである。よって、仮に「A級戦犯分祀」が実現したとしても、それは中韓との政治決着にしかならない。
◆宗教の問題・・・これまで首相や天皇による(宗教法人である)靖国神社の公式参拝を合憲とした確定判決はなく、それは日本国憲法の政教分離規定に抵触していることを示している。政教分離規定は、神道が「国家神道」となって事実上の国教になることを、歴史的反省を踏まえて防ぐためのものであり、その改定はあり得ない。他方、靖国神社の宗教性を否定して特殊法人化することは、靖国神社が戦死者の「顕彰」の活動(=宗教活動)を止めるわけにはいかない以上不可能であるし、それは、かつて国家神道を「超宗教」と位置付けた「神社非宗教」の復活にもつながる、危険な道である。
◆文化の問題・・・日本の文化の根源には「死者との共生感」があり、それを首相や天皇の靖国参拝の根拠とする考え方があるが、靖国神社には「天皇の軍隊」の敵側の死者が祀られた例はなく(戊辰戦争等を含め)、それは国家の政治的意志を反映していることにほかならず、文化論的アプローチには限界がある。
◆国立追悼施設の問題・・・「無宗教の国立戦没者追悼施設」の新設は、追悼や哀悼が個人を超えて集団的になっていくことにより、「政治性」を帯びてくるというリスクを孕む。そうした移設が意味を持つ大前提は、日本国家としての、過去の戦争責任の認識と、非戦・平和主義の確立の二つ。即ち、「政治」が施設をどう使うのかが全てなのである。
靖国問題は、極めて複雑な問題である一方、感情的になりやすい性格の問題である。そうした中で、自分の考えを持ち、様々な議論に参加していくために、複雑な論点を整理・理解することは欠かせない第一歩である。
そういう意味で、著者が最終的に導き出す結論めいた見解への賛否はともかくとして、論点が列挙されている本書は一読するに値する一冊と思う。
(2023年1月了)

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2023年01月23日

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ネタバレ

靖国問題について、①遺族感情 ②戦争責任 ③宗教性 ④文化 ⑤追悼施設 という観点からわかりやすく説明されている。
今までは、靖国神社を、国のために戦ってくれた人への感謝を表する場だと考えていたのだけれども、それ自体に政治的な問題があるのだとわかりはっとさせられた。追悼施設ではなく、顕彰施設。人々の悲しみを喜びへと変えてしまったこと。個々人が靖国に賛成するか否かという問題ではなく、この神社はいまだに天皇主義が色濃く残った場なのだ。それをよすがとする者もいれば拒否反応を示す者がいるのも納得できる。
戦後処理がもともと曖昧に終わってきた日本では、この問題が収束することはないのだろう。しかし、多くの政治的問題を孕むことは明らかに理解することができた。
公式参拝を正当化するのは無理だ。

靖国神社は政治性がありすぎて、純粋に平和を願って参拝するのにはなんだが気後れしてしまう。
第二の靖国とならない、追悼施設をつくってほしい。でも無理なんだろうな。

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2017年12月02日

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「靖国問題」について、自分なりの意見を持てるようになった一冊。 前に読んだ「戦争を知らない人のための靖国問題」のように「帝国に洗脳された作者による主観的な意見」をゴリ押しするでもなく、客観的にいかに国がこの神社を利用してきたかをわかりやすく述べている。

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2016年03月30日

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<目次>
はじめに
第1章  感情の問題-追悼と顕彰のあいだ
第2章  歴史認識の問題-戦争責任論の向うへ
第3章  宗教の問題-神社非宗教の陥穽
第4章  文化の問題-死者と生者のポリティクス
第5章  国立追悼施設の問題-問われるべきは何か
おわりに

<内容>
靖国問題(その存在と政治的問題など)をとてもわかりやすく解説したもの。多くの文献や発言を元に、章ごとに掲げた問題点を快刀乱麻で解いていく。そして問題点をクローズアップさせる。抜粋する文献の引用が長いのでやや読みにくい部分もあるが、著者の論点は明快だ。
では、解決策はあるのかというと、その点ではやや不満の残るのだが、われわれに出来ることはこの施設を「戦争賛美」(遊就館に行くとよくわかる)にしないよう、子どもたちに伝えていくことであろう。

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2014年10月05日

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ネタバレ

靖国「問題」を宗教、外交、政治、文化などの観点からそれがなぜ問題なのか?を論じているのですが、15年戦争以前の台湾征伐、朝鮮の暴徒制圧の際に犠牲になった人が合祀されていることが問題だとする指摘は初めて認識し、なるほどと思います。そういう背景もありながら、中国韓国がA級戦犯のみを合祀から外すことを要求しているのは、著者が指摘しているように、両国がこれだけで収めようとする政治的メッセージだとも思います。靖国の存在そのものが、両国、台湾などにとって「日本帝国主義の象徴」だということを改めて痛感しました。そして新たな追悼施設の建設により解決するという案についてもそれが「平和のために死んだ」という顕彰施設である限り第2の靖国になるだけであるという著者の指摘にも成る程と思いました。全くこの問題は出口が全く見えないのですね。

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2013年08月22日

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古本屋で安かったので衝動買い。

政治も歴史も戦争も、ほとんど知識が無いまま読み始めたけど、問題の概要ぐらいは掴めたと思う。

ただ、政治家などの発言の言葉尻を捉えているだけの論旨が度々あったように感じた。
無論、政治家たるや発言には責任を持つべきだが、少々行き過ぎなように思えた。

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2011年09月20日

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靖国神社。様々な感情論を引き起こし、常にイデオロギーの争いの対象になる。

僕はどちらかというと、この神社に対しては肯定的な意見を持っていた。

しかし、この本を読んで政治の操作がこの神社に及んでいることを知った。
だからといって否定的に捉えるのは違うと思った。

どういう操作が及んでいようと、先祖を敬うのは非常に重要なこと。過去から目をそむけてはいけないし、そこに右翼も左翼もない。大事なのは、事実を捉えた上でいかに建設的にこの先を考えるかだ!

今まで知れなかったことを知れてよかったという点と、途中気になる点があった点を含めて★4つです。

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2011年09月19日

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学生の私にはまだまだ難しい本でした。
でも、とても読みがいがあり食い違いなども書かれていて、少し時間を置いて再読したいです。

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2010年03月29日

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ま、もともとこの問題に関して知識がなかったけど
なかなか深い考察をしてるな〜と思いました。
とりあえず、いい本だと思います。

靖国神社は
「戦死者を祭神として昇華し、戦争に赴く気を保つ装置である」
というような定義をしてると思います。

第一章が非常に印象的で、
息子の死を悲しみながらも、
国に祀られ天皇の顔を見れた事を光栄に思う人の談話がのってました。

そして、靖国問題=A級戦犯分祀問題と捉えることで
戦争責任をA級戦犯のみに押し付け、
それを指揮したとされる昭和天皇やBC級戦犯の責任、
ひいては満州事変以前の
日本の歴史認識の曖昧さを覆い隠す、と。
それでいて無宗教の国立追悼施設についても
神道は形式的には宗教ではなかったことに関連して言及してます。

うん、いろいろ書いてあったんだけど、
全体としていまいち咀嚼しきれてない感覚。
本の中で、靖国問題から非戦の話にまで話が拡大したからかな。
それが当然の流れなんだろうけど。

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2009年10月04日

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友人からもらった著書。

小泉元主相の靖国参拝に端を発した靖国問題について書かれている。おぼろげながら靖国の問題はわかっていたが、理解を深める上で取っ掛かり易い著書だと思う。靖国問題について議論の必要があるときは、もう一度熟読しようと思った。日本は敗戦国であるが、アジアの国々を植民地支配したという事実をきちんと伝えている点は、大切だと感じる。主観的な偏りも無く事実を冷静に見つめている哲学書だと言ってよい。

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2009年10月07日

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靖国問題と言うと、右だ左だとそういう観点で見ることが多くなるが、この本は比較的バランスが取れていて良い本だと思った。
歴史的には戦死者およびその家族の精神安定装置として意義あることだった。これからも戦争が起こった場合に靖国神社はその機能を発揮できるか大きな疑問がわいた。
そもそも日本人は戦争に巻き込まれた場合、戦えるのか??
間違っても日本から戦争を吹っかけていくことはして欲しくないが巻き込まれる事はありうる話だ。その時日本人は何を糧に命を投げ打つ覚悟をするのか?
戦前、戦中にその覚悟を与える一つの装置が靖国神社であったと解説されている。
日本人は日本を守れるのか?そんな疑問が頭をよぎりました。

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2009年10月04日

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戦争を経験していない今の若者からすると、靖国神社の問題はあまり関心がない。その状態で読んだせいもあって、本書を読みきるのに相当な時間がかかった。個人としては読みにくかったように思う。

ただ、靖国神社というものの成り立ちを知り、批判する立場の意見をきちんと理解するために非常に良いと思った。しかし、この程度の理解ならネットで漁れば十分であろう。

うまく内容をつかめなかった自分に反省している。

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2024年12月09日

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加藤典洋の『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)に対して厳しい批判をおこなったことで知られる著者が、靖国神社をめぐる諸問題について考察している本です。

著者は、靖国神社に合祀されたひとたちの遺族が示す激しい感情を参照することから議論を説き起こし、「祖国のために命をささげた英霊を顕彰する」という回路のうちに遺族の感情を回収する装置として、靖国神社が機能していることを指摘します。さらに、「歴史認識の問題』「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」というテーマにわたって、著者自身の考えが展開されていきます。

靖国神社をめぐってどのような問題が提起されているのかということを知るのみならず、哲学者である著者がその論理的な帰結を追求していくことで、英霊に対して公的行事として報恩の儀礼をささげるということに内在している問題が明確にされているという意味で、興味深く読みました。ここまで問題の次元を掘り下げてしまうと、当然のことながら「自然」な遺族感情に依拠するような議論とは完全に乖離してしまうことは避けられにように思います。

著者のこうしたスタンスに対しては、賛否それぞれの立場から意見があるでしょうが、「靖国問題」とされているものの論理的な帰趨を明確に示したという点では、双方の立場から読まれるべき本なのではないかという気がします。

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2019年11月06日

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靖国神社について、素朴な疑問を抱いていた。

(1)靖国神社とは何か?
(2)「A級戦犯」とはいえ、既に死刑が執行されている。なぜ中国等は問題視するのか?
(3)公式参拝に違憲判決が出ているのに、なぜ小泉氏に何らのペナルティーもないのか?
(4)内外の圧力に対して、小泉氏はなぜああも頑ななのか?
(5)つまるところ、靖国神社は是なのか非なのか?

そこで、この本を手に取ってみた。

「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」と章を区切り、それぞれの切り口から問題の所在を明らかにしていく。

著者は哲学者なんだそうだが、それだけに筆致は論理的であり、公平に思える。そして「素朴な疑問」への答えもおおむね書いてあるように思った。
ごくごくかいつまむと、以下のような感じ。
(必ずしも本にこう書いてあるというわけではなく、私がこう理解したということ)

(1)への答え…国民を喜んで死地に赴かせるために作られた顕彰装置である。
(2)への答え…刑を全うしていない者も合祀されている。それより以前に「A級戦犯」を問題視するのは、むしろ問題を矮小化して解決を図ろうとする中国指導層の戦略である;「A級戦犯」だけではなく、「靖国の存在」自体が真の問題である。
(3)への答え…直接合憲か違憲かを問う裁判は起こせない…らしい(起こされた裁判はいずれも「公的参拝」によって原告の利益や権利を侵害されたかどうかについての争い)。その中で「違憲」判断を示したのは2004年4月の福岡地裁判決があり、係争中が6件あるが、少なくとも「合憲」とした判決は現在までにひとつもない。ちなみに7月26日にも大阪高裁で同様裁判の判決があったが、憲法判断には踏み込まなかった。
(4)への答え…は、明確ではない。てゆーか、小泉氏の胸の中を推し量るしかない。没論理の説明しかしていないのは確か。
(5)への答え…戦争を非とするならば、靖国も非だ。興味深かったのは、歴史認識を明確にしないまま「国立追悼施設」を作っても第二の靖国となるだけだという指摘。

非常に「面白い」本だった。

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2019年06月13日

Posted by ブクログ

 まず、本書を読むまで勘違いをしていたことが一つある。いや、正確には勘違いというより、忘れてしまっていたという感じなのだけど。それは、靖国神社は決して「悲劇のヒロイン」なんかではないということだ。つまり、日本くんと中国くんが靖国神社ちゃんをめぐって小競り合いをしている、というだけではなく、靖国神社ちゃん自身もかなりの食わせ者だということだ。靖国神社ちゃんだって、自分の思想を持っている。さしずめ、靖国神社ちゃんは『機動戦士Vガンダム』のヒロイン「カテジナ」のようなポジションである。靖国神社ちゃんが日本くんと中国くんを無駄に小競り合いさせているという面もある。このことが本書を読むまで、すっぽり頭から抜けていた。

 さて、そのことを教えてくれた本書には感謝をしているし、それ以外にも「なるほど」ポイントが本書に多くあることは認める。だが、本書はときどき何を言っているかわからなくなる。全体を通して、現行の「靖国」に批判的であるというスタンスにブレはないにしても、さらに小さな視点での立場がわかりづらいことがあった。また、論に若干の強引さもあり、手放しに本書の内容を信じるというわけにはいかないように感じる。
 とはいえ、本書のように明らかな感じで「靖国」に対する立場を表明し、意見を述べる本は貴重なものだ。本書「あとがき」にもあるように、この本をきっかけとして、多くの人が「靖国」について自分の意見を持てるようになればいいと、素直にそう思う。


【目次】
はじめに
第一章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ
第二章 歴史認識の問題―戦争責任論の向うへ
第三章 宗教の問題―神社非宗教の陥穽
第四章 文化の問題―死者と生者のポリティクス
第五章 国立追悼施設の問題―問われるべきは何か
おわりに
あとがき

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2012年05月19日

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内容(「BOOK」データベースより)
二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、なんの解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。

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靖国という大きな問題を、「感情」「歴史認識」「宗教」「文化」「国立追悼施設」のそれぞれの面から論じたもの。膨大な資料から多数の引用があり、靖国問題を考える上での資料的価値もある。
筆者は靖国問題にたいしておおむね中立的であるが、やや偏った(?)記述をしている部分もある。

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2012年10月14日

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ネタバレ

 第1章。靖国神社は死者の〈追悼〉を〈顕彰〉に、〈愛する人を失った悲しみ〉を〈愛する人を天皇に捧げた喜び〉にすり替える装置である。
 第2章。「A級戦犯」分祀論は、近代日本の戦争の歴史をアジア・太平洋戦争の戦争責任問題のみに矮小化する。
 第3章。政教分離に立つ限り靖国神社の国家護持はありえず、靖国神社の「非宗教化」は国家神道(=神道非宗教説)の再来にほかならない。
 第4章。自国の戦没者のみを選別的に祀るのは日本の文化伝統でも何でもなく(中世・近世においては「敵」も追悼していた)、国家の政治的意思にすぎない。

 以上は論として筋が通っており、概ね首肯しうるが、第5章が決定的におかしい。非戦・平和の意思と戦争責任を明示した公的追悼施設といえども、施設の性格を決定するのはその時の「政治」であり、「第二の靖国」となる潜在的危険があるとするならば、いかに日本が「非軍事化」して戦争被害者への戦争責任を果たそうとも、「国家」単位での戦没者追悼は必ず有害であり、追悼行為は完全な個人行為に限定すべしという結論とならねばならない。しかし、著者は「政治的現実」の改変後の国家の追悼を否定していない。別の個所で、国家による戦没者顕彰が日本特殊の現象でも近代国家特有の現象でもないと明示している以上、いかに完全な平和主義国家であっても、それが国家である限り「揺り戻し」はありうると想定されなければならない。著者のそれまでの議論に忠実に従えば、原理的レベルで国家(やそれに類した集団・共同体)の追悼を否定するしかない。

 なお、「すでに法制度上は国家の機関ではなく一宗教法人にすぎない靖国神社を政治的に廃止することはできない。自由社会においては信教の自由は最重要の権利のひとつとして保障されなければならない」と述べているが、憲法の改変により天皇制が廃止されるならば、靖国神社は自壊するほかないので、「政治的に廃止する」ことは可能であることも付け加えておこう。

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2018年08月16日

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ネタバレ

日ごろ話題になる「靖国問題」はどのようなものかを知るために読んでみた。
政治色が強いとされる靖国問題も、「誰のためのものか」「どうして靖国神社ができたのか」を知る必要がある中で、戦争を知らない自分は何に基づいて判断すればよいかわからなかった。
また、首相が参拝することによる他国の批判がなぜ生ずるのかもわからなかった。
「国への批判を避けるため」に作られた靖国神社に参拝するのは、日本国民として戦死者に対する道徳的な行動の面があるのだろう。一方で、他国の人にとって自国民を大勢殺した首謀者が奉られている神社への参拝は冒涜に感じるのは理解できる。また、戦争の正当化がされることもまま理解できる。

結局、魂はどこかに宿るって考えが僕にはないからしっくり理解できないのだろうな。墓参りとか、行ったことないし。

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2011年10月12日

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ネタバレ

 靖国神社がどのような面で問題になっているのかを論じた本。

 この問題について、詳しい背景は省略するが、靖国神社が戦死者を顕彰することで国民を戦争に向かわせる”超”宗教的な存在であったこと、A級戦犯の「分祀」について不可という見解は古来の神道ではそうはなっていないこと、といった点は勉強になった。

 ただ、結論が
「一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。

一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名のもとに侵害することは許されない。

一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。

一、「第二の靖国」の出現を防ぐためには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた普段の努力が必要である」
というものなのは、平々凡々の領域を出ていないように思った。頷ける点はいくつかあるけど…

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2011年06月18日

Posted by ブクログ

※友達からこの本は遺族に関する部分について誤謬がある、との貴重な指摘を受けましたが、そういったことに関しては本質的には触れてないので、是非はともかくも、読んでいただけるとありがたいです。てか偉そうな書きっぷりですいません

靖国問題を様々な観点から捉えた入門書。

 著者は第5章において、靖国の論理は軍隊を保有し、ありうべき戦争につねに準備を整えているすべての国家に共通の論理に他ならないと述べている。実際日本には自衛隊が存在し、その基本方針が専守防衛であったとしてもありうべき戦争に備えていることに疑いはなく、つまり作者は靖国神社のようなものは必然的に存在してしまうということを認めている。よって著者が批判しているのは靖国神社そのものというよりも、靖国神社と政府の繋がりを問題にしていると言ってはいいのではないだろうか。

著者がそうした批判をするのも今現在政治の主導権を握っているのが靖国参拝肯定派が多数を占めていると思われる自民党が戦後ほぼ一貫して日本政治を先導してきたことを認識しているからであろう。

また新たな追悼施設の問題に関しては、追悼懇の報告書の問題点を指摘し、その追悼施設の「第二の靖国化」の可能性を危惧している。

著者はこれら一連の問題の中心は政治にあるとし、提言として、軍事力廃棄や過去の戦争における国家責任の明確化といった政治努力が欠かせないと訴えている。

 個人的に言いたいことはわかるが、現実問題、過去の実績とその貢献度、また安全保障の観点などから考えるに、たとえそれが軍事力の点に限ったとしても、自衛隊をなくそうというのは土台無理な話だし、私含めて多くの国民の賛成するところではないだろう。

それ故に、これまた多くの人たちは自衛隊の存在は認めるけど、〈戦力〉としての海外派遣は認められないという流れに行きつく。今世論はこの当たりで拮抗していると言えるだろう。至極順当な流れである。

またこうした流れであるから、「脱軍事化」を掲げる高橋氏は多くの人に〈左〉的な印象を与える。もちろん本人もそのことは十分に自覚しているはずで、あえて「脱軍事化」を掲げることで、言い方は良くないがもしかしたら左翼インテリ的な使命感のもと、自ら世論バランスの均衡に一役買ってでているのであろう。

問題は高橋氏及びこの本にあるのではなく、そういった相対的な「流れ」を理解している人がこの日本にどれだけいるかである。もちろん私だってそんなこと言えるほど全体像を把握しているわけではないが、少なくとも把握しようと努力しているうちは、たとえそれが「理想」だろうが「夢想」だろうが、無意味な批判をしようとは思えてはこない。自分なりに考えた上での健全な批判なら、議論の活性化の上でも歓迎すべきことだがどうもネット上の誹謗中傷に悪乗りしているだけの人が多い気がしてならない。

 今後日本がどのような道を辿るかは、もちろん海外の情勢に依るところが大きいけど、当面の「流れ」として、また戦後教育に対する反発として、いわゆる〈右〉的な勢力が拡大していく傾向にあるのは間違いないであろう。

 明治初期、つまりまだ宗教界において仏神基が各々その勢力を維持していこうとしていた近代化の黎明期から、「教育勅語」及び井上哲次郎の「教育と宗教との衝突」後の激しい議論の後、三教合同の話し合いのもと結局は三教とも国体護持の道を歩むことになったように、この日本において少数派は究極的には生き延びる道はない(それはほとんどの国において同じであろうが)。大筋においては、多くの人はできれば「同じ」でありたいのである。それは今現在においても基本的には変わらないだろうし、私自身そういう気持ちは少なからずある。これは良い悪いの次元の話ではない。

とすれば正直なところ、〈右〉か〈左〉かといった議論は、丸谷才一の言うように、昭和が生んだ不毛なイデオロギー論争であり、つまるところ無駄な体力を消耗しているだけのように思えてならない。その労力を「どうしたら〈左右〉にとらわれずに健全な議論ができるかを議論すること」に注いだ方が余程有益である。

この問題について考えるのはいっこうに構わないし、また文化・知的レベルを向上させるうえでも欠かせないことかもしれないが、私は深くは突っ込みたくない。またそう思っている人も他にたくさんいるに違いない。人生はもっと楽しく生きられるんじゃないかなって。(もちろん、世界中に甚大な被害をもたらしたあの戦争の惨禍を忘れろというわけではないが・・)

だから私はこの問題に関しては、今のところは、あまり議論をしたいとは思わない。何を言ったって関わってくる人は必ず存在するのだから、ただの一個人である私が無理に関わる必要はないと思っている(危機的状況に陥ったら否が応にでも関わらざるを得ないだろうが)。特に、学生は他にもっとやるべきことがあるんじゃないかな。

 今現在、日本に限らず世界中でこうした様々な思惑の糸が複雑に絡み合いながら、ひとつの〈歴史〉が紡ぎだされている。過去何千年も前から連綿と紡ぎだされてきた〈歴史〉である。

その壮大さ、ひいては人々の営みに想いをめぐらせるとき、私は世界中の人々に敬慕の情を禁じえない。また、その情を抱くことと問題に深く関わることは同義ではないことを最後に確認して終わりたい。
(2006年01月25日)

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2010年08月02日

Posted by ブクログ

小泉元首相が靖国神社に参拝するようになってからもう7年近くになります。福田首相になってから靖国参拝をめぐる「問題」として見る視点も少なくなってきてはいますが、本質的議論がなくなっただけで問題は残っているように思えます。

21世紀に入ってからの数年の間に、未来志向とも叫ばれていた日本と中国・韓国との関係が冷え込んだ歴史をたどりながら振り返る上で、お薦めできる本です。

また実際に靖国神社と国家および皇室のつながりが心理的、社会的にどのような影響を及ぼしたか、その構造がもたらす恐ろしい影響力も書かれています。小泉元首相が参拝の度に繰り返す論調がいかに靖国の宗教的歴史的位置づけに対して理解がないのかが分かります。

思い返せば小泉氏は首相になったときに「首相は常に公人で私人であることはありえない」とか言ってたのに、靖国参拝の時は「私的参拝」っていったりしていたのを思い出します。論理的に破綻している彼の傲慢というか横暴の一面を象徴しているのがこの靖国参拝問題の一側面かもしれません。

哲学的な視点から見た靖国問題の検討という売り文句内容が必ずしも一致していない部分や少々強引な論調も見られるので、★は3つ。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

見識を広げようと購入した。読み終わった直後はそれとなく分かった気になったが、今となっては大部分の内容が抜けている気がする。ともあれ問題の大筋をつかむことが出来たように感じた。
この種の問題のように、対立する2つの主張が存在する事柄について学ぶ場合には、双方の立場の意見をそれぞれ聞いて、どこに真実があるのか自分で判断することが必要だと感じたのも、この本がきっかけだったように思う。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

懐かしい、プレゼンの思い出。
海野先生、鐘先生曰く、この本は中立的で、入門書としては一番良いそうです。

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2009年10月04日

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