【感想・ネタバレ】犠牲のシステム 福島・沖縄のレビュー

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Posted by ブクログ 2012年02月27日

 日本国にあり,国民全体がその恩恵をながら,それを維持していくときにある人々の犠牲の下でしか維持できていないもの…それが,沖縄の米軍基地であり,地方に任された原子力発電所です。
 ここで恩恵と言いましたが,本当に恩恵を受けているのか,あるいは恩恵と呼んでもいいのかどうか,はなはだ疑問ですがね。
 「...続きを読む福島と沖縄」とタイトルにありますが,本書の4分の3は福島のことについて書かれています。
 二つのことは,政権交代後の内閣でどうにか解決しようとしましたが,結局「玉砕」してしまいました。米軍基地も原子力発電所も,それほどわたしたちの社会の内部の奥深くにまでしみこんでいるのでしょう。

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Posted by ブクログ 2017年08月27日

久しぶりに言葉より思いが前面に出ている文書を読んだ。国のためにスケープゴートを作らなくてはいけないシステムというのはシステムごと限界が来てるだろうな...

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Posted by ブクログ 2013年06月22日

『国家と犠牲』では靖国神社にみられる犠牲のシステムを分析しておられましたが、まったく同じシステムが福島・沖縄についても作動しているという指摘には、この国にいきるものとして、うすら寒いものをかんじざるを得ません。

「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常...続きを読む、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年05月13日

第3章以降が著者の言いたいことの中心だった。その前は事実関係の整理で、原発事故以来、一定の時間経過があったいまとなっては、わかっていることが多い。
震災後の「天罰」思考、また原爆投下後の「天恵論」が本質的に犠牲のシステムであることにおいて同じであるという。そして、基地問題における沖縄の犠牲と、原発事...続きを読む故における福島の犠牲がある部分では同質のものだとも。
そもそもこの本を手に取ったのは、片山杜秀著「国の死に方」で、国家の存亡に関わる圧倒的な脅威の前で人間(国民)が犠牲にされるその有り様が、時代とともに変化していることが明らかにされていたからである。国家権力による犠牲のシステムの構築(最終的に戦没者が英霊としてたてまつられることとか)が謀られた時代から、犠牲のシステムに組み込まれるかどうかにもはや国家権力は効力がなく、もはや個人の「ボランティア」となってしまっているに等しいのが現代なのでは、とのことだった。ここに現れた「犠牲」というキーワードから、そういえば、というので高哲先生のこの新書を読み始めたのだった。
読んでみると、片山氏は、どこか「犠牲(のシステム)」が存在すること自体は受け入れている。その上でその歴史的変遷を淡々とあぶり出すのに対し、高橋氏は「犠牲(のシステム)」そのものに疑義を唱える態度だった。どうしてこの人間世界に犠牲という概念ができちゃったのかを追究しているんだなと。
片山氏が政治思想史が専門で、高橋氏が哲学が専門、というところからくるスタンスの違いなのだと思うが。

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Posted by ブクログ 2012年05月18日

基地の沖縄、原発の福島、そこに見える犠牲のシステム、植民地主義、そして民主主義の落とし穴を喝破した好著。
この構図は核燃まで抱える青森県も同じなのは、書中に三村知事の名が出てくるのでも明らかですが、それに絡め取られてしまっている現実を何とかしないといけません。

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Posted by ブクログ 2013年05月26日

たしかに「騙される」には「騙される側の責任」もないとは言えない。しかし、補助金も何も地元にとっては「安全」が前提であって、その前提なしに原発を受け容れる住民は存在しない。大事故と補助金との「等価交換」など成り立っていないのであ
る。(P.33)

かつて「戦争絶滅受入法案」なるものがあった。前世紀の...続きを読む初めデンマークの陸軍大将フリッツ・ホルムが、各国に次のような法律があえれば、地上から戦争をなくせると考えたのだった。戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大
臣。第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。-戦争は、国家の権力者たちが己の利益のた
めに、国民を犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。だから、まっさきに権力者たちから犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こすことができなくなるだろう、というわけだ。(P.38)

こうしたスローガンに対してナショナリズムが台頭するのではないかという懸念も表明された。私の印象を言えば、これらのスローガンをナショナリズムというのはむしろおこがましく、これらの日本ナルシシズム、あるいは日本フェティシズムといったほうが適切ではないか、と感じる。(P.151)

ちなみに宜野湾市の普天間基地が、この旧ハンビー飛行場の11倍の広さがあるのに、雇用数はたったの173人。もし普天間基地が返還されて跡地が有効利用されれば現在の十数倍の雇用が生まれるのではないか、と大田氏は言うのである。(P.202)

彼の言う「10人の犠牲」すなわち一割の犠牲とは誰のことなのか。そしてだれが決定するのか。さらにこのような犠牲の論理を主張し、展開する人々は、自分自身がその犠牲になることを想定しているのか、いないのか。憲法の平等原則からすれば、これらの犠牲を一部に負わせることができるものではなく、犠牲が避けられないとしたら、全国民に平等に負担すべきだという議論に道理があることは否定できないだろう。(P.214)

誰にも犠牲を引き受ける覚悟はなく、誰かに押しつける権利もないとしたら、在日米軍基地についても原発についても、それを受け入れ、推進してきた国策そのものを見直すしかないのではないか。(P.216)

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年06月11日

「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、尊厳、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)...続きを読むにとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する」。
 どうして危険な原子力発電所は存続し、なぜ米軍は沖縄に駐留し続けるのか。福島県での惨禍も沖縄への負担の集中も、ともに日本の未来にかかわる重大事だが、十分な対処策もなく、責任者も不在のままである。

 著者によれば、この国を覆う「犠牲のシステム」に原因があるようだ。著者は、故郷を放射能汚染された犠牲者の一人である。福島と沖縄を犠牲にする者は誰なのだろうか。見て見ぬふりをする私自身の「体質」に深く存在するのかも知れない。

 読後、どうしても思い出すのは本書の刊行から半世紀以上前に発表された丸山眞男の論文『現代政治の思想と行動』である。「無責任の体系」はスルーされたままである。

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