トマス・ハリスのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ<上下巻を通してのレビュー>
「羊たちの沈黙」で、すっかりレクター博士が大好きになってしまったのですよ。
あの知性と冷静さの虜になったといっても過言ではありません。
ハンニバル・レクター博士の「記憶の宮殿」へようこそ……
と同時に、クラリスに重くのしかかった策謀の渦の中へようこそ。
レクター博士へ復讐を誓う資産家が念入りな計画を立て、そこにどんどん、国家の機密を扱う人物たちがいとも簡単に買収されてゆき、一見、その計画は成功しそうに思える。
彼らの誤算は、レクター博士とクラリスを甘く見過ぎていたということに他ならない。
賛否両論はあるが、あのエンディングがすべてを物語っているのではないだろうか… -
Posted by ブクログ
ネタバレずっと読みたいと思いながらなかなか手を出さずにいたのをやっと読み始めました。
映画は有名ですが、実は私は観たことがないのでまっさらな気持ちで読めました。
今海外のドラマで『ハンニバル』がやってるようですね。
時系列的には『レッドドラゴン』の少し前にあたるようですが。
小説でシリーズ読み切ったら映画やドラマも観たいなと思える程面白かったです。
レクター博士…連続殺人犯なのになぜこんなに魅力的なんでしょうか。
バッファロウ・ビルを追い詰めていくのも楽しいですが、レクター博士とクラリスの会話がとても魅力的。
博士の言動やソシオパスだということを聞いてついついBBCの『SHERLOCK』を思い出してしまった。
なんか…似てるんだよなぁ…。
二人ともソシオパスだからか…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ上巻でレクター博士がいよいよ本作の敵役であるヴァージャーとの対決に向かうのがこの下巻になる。
これまでのシリーズの中でレクター博士が読者の共感や魅力を集める要因の一つに、彼が抱える「理由(トラウマ)」の存在があるだろう。第二次大戦の戦時中、最愛の妹ミーシャを失ったという壮絶な過去は、彼が現在の怪物へと至る道程における一種の「免罪符」として機能しているのだ。
一方で、彼と対峙するポール・クレンドラーやメイスン・ヴァージャーといった人物からは、本作においては同情の余地が一切排除されている。特にメイスン・ヴァージャーの邪悪さは、レクターと出会う以前から完成されており、そこには酌量すべき背景が見当たらない。この対比が、レクターの行動を「悪をもって悪を制する」一種の因果応報、あるいは勧善懲悪のようなカタルシスへと昇華させているのが本作の構造と言えるだろう。
因果応報という言葉が存在する日本だけでなく、世界中には「悪はいずれ裁かれるべきである」という感覚がある以上、レクターによって裁かれる悪は感情移入ができない方が望ましい。また子供や女性といった弱い者を対象としているメイスンの方がより生理的に受け入れがたいと感じるだろう人間も多いに違いない。彼が思いつく、この場合はレクター博士を豚に食わせて殺すなどといった発想は普通の人間であればちょっとできないだろう。
結局、劇中では彼はレクター博士ではなく他の人間によって殺害されることになるのだが、彼の悲惨な死に方を見てもそこに恐怖はなく、ただ冷めた感情が心の中に広がるだけだろう。自分は彼こそが豚に食われると思っていたのだが、作者のトマス・ハリスはもっと馬鹿馬鹿しい死に方を選択している。
こういった勧善懲悪に近い物語を提示しながらも本作が賛否両論となり、ジョディ・フォスターが出演を断ったのは、物語の終盤にレクターによって救出されたクラリス・スターリングが辿る運命に大きな理由がある。
メイスン・ヴァージャーとの戦いで意識を失うことになった彼女は、レクター博士によって「治療」を受けることになる。その治療は単に肉体的なものではなく、精神的な物も含んでおり、最終的に薬物投与と催眠術的な暗示によって、彼の傍に留まることを選択する。これまでの物語において、レクターは言葉巧みに人を操る能力に長けていたが、クラリスに対して「薬物」という人為的な手段を用いたことは、彼のキャラクター性からは以外な気もするが、勝手に美学を投影していたのだと言われたら、その通りという気もしてしまう。
そしてFBI捜査官としての矜持を持ち、亡き父への想いを抱きながら自己を律してきたクラリスも、この展開により自由意志を持った存在から、レクター博士によって構築された世界の一つになってしまう。彼女が薬物によって自己(アイデンティティ)を書き換えられ、自由意志を失った状態で「幸福」に浸るラストは、あまりに作為的である。一度壊れた心は元通りにはならないという本作の通底するテーマがあるにせよ、彼女が「自分らしさ」を捨て、異質な怪物側の世界を受け入れてしまう展開には、読者として受け入れがたい抵抗感が残る。
改めて客観的に見れば、レクターには善と呼べる要素は何一つない。しかし、悪には悪なりの理由があることを読者に考えさせる力がある。それだけに、最終盤でクラリスの自由意志が介在しない形で物語が閉じられたことは、非常に恣意的であり、彼女のこれまでの歩みを否定しかねない危うさを孕んでいる。
この結末を「一線を超えてしまった者の末路」と捉えるか、あるいは「強引な書き換えによる悲劇」と捉えるかは読み手によって変わってくるとは思う。自分の場合はただ一点、薬物を使ってしまったという要素において、物語が神話的なものからひどく通俗的なものに堕してしまった気がするのだった。