マヒトゥ・ザ・ピーポーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「地図にないまちをつくったの、遊ぼうよ。」
この一節は、この本の作者であるマヒトゥ・ザ・ピーポーの書いた歌「さよならグレーゴル」からのそれである。僕はそれをはじめて読んだ(正確には、聞いた)日からこの詞がたまらなく好きだ。こんなにもやさしくて、こんなにも切実な言葉ってそうそう書けないと思う。こんな言葉を書ける人になりたいと強く思ったしいまも思っている。「言葉」を扱う(という表現はしっくりこない)者としてマヒトゥ・ザ・ピーポーのことを僕は心から尊敬している。彼のように僕はなりたい。
そんな彼は「目」を落としてしまったと小説内で語る。そんなことはないだろう。むしろ、彼は達観しすぎている。俗にいう「第六感」というやつを持っているはずだ。この話もそんなもうひとつの感覚で見た地球の話なのだろうと僕は思う。でもそれも生まれもった天性のそれではないだろう。
「『長くつかったから満喫するとかそういうことじゃないんだけもなあ〜。』」
彼は知りすぎている。それは彼の決死の努力のおかげである。努力なんて言葉はクソくらえと思うが、ここであえて使わせてほしい。特に理由はないけど。グロテスクな世界から、人間が犯した数々の罪から目を背けず、自分の目で見て自分の言葉で話す彼。そのおかげで彼は人一倍こころを悩ませている。彼はやさしいのだ。少なくとも僕から見れば。やさしい彼は誰よりも心を悩ませている。だからこそ、こうもあたたかく鋭い言葉が書けるのだ。
「わたしは考えているようでいつも何も考えていない。強すぎるものからも目を背けて生きている。」
これは自分のことかと思ってどきりとした。思い切り鳩尾を殴られた気がした。くらくらとした。僕は「強い言葉」がキラいで、いつも回りくどくしか話せない。たくさん頭を使ってそうでない言葉を選んでいるつもりで、結局は「言葉」の力に怯えて諦めているだけかもしれない。だから、どきりとした。
「いろはね、こういう時に言うべき英語を知ってるんだ。」 -
Posted by ブクログ
2020年8月に出されたものなんだけど、あの時、皆どんなことを思って生活していたのかが急に気になって、読んだ。(強いて言うなら、目当てはニコ•ニコルソンさんかな……)
円城塔さんの日記では、高確率で同じ本を読んでいて、なんとなく辿っていっている思考のようなものにまで触れられた気がした。
定期的に来る、母親からの父親一周忌お知らせメールは、笑っていいのかいけないやつなのか、ちょっと難しい。
アメリカやヨーロッパに住んでいる日本人筆者の日記では、自分たちが急に差別の対象となったことへの気持ち悪い違和感が書かれていた。
同時に、星野源のMVに対する怒りのコメントもかなりの割合で入っていることに、驚いた。
私には、どこからどこまでが呑気の範囲で括られるのか、よく分かっていない。
さらに自分に想像力がないなと思ったのは、ワンオペ育児と書いている人の日記だった。
この時期に、新生児を抱えて日々過ごすことの不安や神経質な思いの一端を知った。
振り返ると、マスク不足で不安に思っていたことは、随分前のことのようにも思う。
検温とアルコール消毒はもはや日常で、目の前に立てられたアクリル板のせいで、向かいの人が何を話しているかも、もう聞こえなくなった。
そんな世界でも、相変わらず私は、誰かから見ると呑気な生活を送っていて。
そしてその誰かは、世間を社会を恨んで絶望して、今にも生きることを諦めかけているかもしれない。
見えないことを推量することの意味は、結局、見えることには敵わないのだろうか。
無力にも、ただ問うことを繰り返している。