鈴木宏昭のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
学びとは、ただ与えられたものをこなせば良いということではない。
与えられたものが、有識者にとって練り上げられたものであっても、それは単なる立方体の一側面を見たにしかすぎない。
一側面しか見ていないのだから、そこから多面を推測することが容易ではないことがわかる。
そして、この立方体を伝達する術はない(いまのところ)。
つまり、本書でいっていることは、そういうことだと思う。
結局、私たちに必要なのは探求心や知識欲だし、そういった欲望に向かわせる動機である。
そして、学校とはそういった動機付けを促す場であってほしいし、教師自身も常に探求の人であってほしい。
人は、欲望に向かって勝手に学ぶも -
Posted by ブクログ
人はどう事物を見て(認識)、どういうふうに覚え(記憶)、どう考えるのか(思考)といったところ軸に、人間の認知の仕方をつぶさにながめ、解き明かしていくのが認知科学です。認知科学は学際的な学問で、多領域を横断して作られていく学問と言うことです。認知心理学、発達心理学、社会心理学、哲学、言語学、社会学、教育学、神経科学、動物心理学、生態学、コンピューターサイエンスなどが、認知科学で使われたり参照されたりしています。本書では、認識、記憶、思考についてのとらえ方、現在わかっている知見を読んでいくのもかなりエキサイティングなのですが、ここでは僕が特に気になったトピックをまとめる記事とします。
サバン -
Posted by ブクログ
「教養としての」という枕詞がついた本は、大体、難しい内容をわかりやすく噛み砕いてくれた本が多いと思っているが、本書はなかなか、そうはいきません。
私なりの解釈を言えば、本書は、人間がハマってしまう「思い込み」についての本だという風にざっくり理解しています。しかし、それなりに難解。
「アハ体験」という、静止画を注意深く観察していても気が付かない、画の変化に気がついた時に愕然とするあの感覚の理屈を科学的に説明してくれる本とでも言うのか。
(実際、上記の事象を「チェンジブラインドネス」として本書でも紹介され、You Tubeで検索すれば沢山ヒットする)
知的好奇心を刺激される、様々な人の認知に関す -
Posted by ブクログ
ネタバレ私が衝撃を受けた本だと言っていいと思う。人間が学ぶこと言うことは、どんなことが起こっているのかを明らかにしようとしている本だ。
冒頭の1章にある「能力という虚構」で私は衝撃を受ける。
ここから抜粋
〜最初にこの章の主張を述べることにする。〜中略〜
能力というのはアブダクションから生まれた仮説である。そこに不適切なメタファーが加わることで、誤った能力観が広がっている。それは能力の安定性、内在性という見方である。なぜこれらが誤っているかと言えば、人の認知にほぼ普遍的に見られる文脈依存性を説明できないからである。よって認知的変化を考えるときに、能力という仮説は不要である。〜
ここまで
能力というのは -
Posted by ブクログ
学習と知識の転移について、たまたま同じタイミングで読んだマンガ「アオアシ」29巻がまさにこの回とリンクした。
知識は簡単に転移しない。意識的に考えることはもちろんだが、無意識が勝手に蓄え続けた他の知識や意識が棄却したさまざまなパターンとの結びつきも存在する。だから認知パターンを増やすことはとても重要。揺らぎが創発を誘発する。
何度も例題を解けば転移の可能性は高まるが、限定的。望ましい状態と現状を一致させるため、原因系を探り、自ら問題自体を創発していく。こうすることで知識が得られる。
アオアシ29巻。ただ先輩の意見を聞くだけでも、質問をするだけでも真の成長にはつながらない。ひよっ子でも自分の意見