山中浩之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分の辛い気持ちを100%に近く代弁してくれてる内容で、慰められ、励まされた。考え方を変えねば互いが苦しい。
親が衰えるのは当たり前なのに「もっと頑張ってほしい」と思うのはなぜなんだろう。
それは自分の人生と親の人生を重ねてしまうから。
誰だって死亡率100%の人生を生きている。
老いた親が見せる弱さ。それは子供を傷つけ、怒らせる。歳を取れば親は情け無い姿を晒すようになる。しかし子供は親にいつまでも立派でいてほしい。近くにいればいるほど、子供は傷つき、怒りを溜めてしまう。それこそ「親孝行の呪い」。距離を取るしか解決策はない。
子供は元気な時の親を知りすぎていることによって振り回される。介護本のいう「行動の背景を理解」することができたとしても「でも、なんでこんなことになっちゃうの?」という感情は抑えられない。頭で分かったとしても、気持ちが納得できない。そこに家族は苦しむ。だから距離を取るしかない。距離をとって、納得できない現実を見ないようにする。会う時間を減らす。離れた場所にいるようにする。そのために必要なら公的支援も使う。
人生の過ごし方が今の自分と親では違ってくることが中々分からない。
介護は「親」という役割を降りた個人の幸せをどう守っていくかであり「親孝行」とは無関係。
親のだらしなさや、運動をしたがらない様子にイライラする事も多い。「そんな些細なことで親に厳しい態度を取るなんて、あり得ない」と介護経験のない方に思われるかもしれないが、認知症の多くはじわじわと症状が進んでいくのが当然なので、親を思う気持ちが強い人ほど、衰えに向き合っていくのが辛くなる。「なんとか元に戻って欲しい」と考えるのは全く自然なこと。無理なリハビリを強いる気持ちが生まれることも当然。
【地域包括支援センター】
介護保険証
認定調査の時はできる限り立ち会う。
自分は親の介護の「経営責任者」だと思おう。→自分で抱え込むより、上手に人に任せた方が仕事の効率は上がる。
「介護は治療ではなく撤退戦」という意識を持つ。自分の親に対してそう思うのはとても難しい。「損害を抑えながら穏やかに過ごせる」ことを最優先させる。
「堂々と公的支援を受ける」と腹を括る。撤退戦はきつい戦いで1人でするのは難しい。介護保険も払ってる。堂々と愛する親を支えよう。
親を担当する包括を探し、相談をしておく。
「まだ早いかな?」は多分「もう危ない」。身内はどうしても甘い目で見てしまい、初動が遅れる。
子供はずっと親の「親としての演技」を見続けているので「親はこうあるべきだ」というイメージがガッチリある。それを親が破るから驚いたり腹が立ったりする。親を1人の人間として見た時、そのイメージと必ずしも一致しているとは限らない。
親が何を幸せだと感じるか。をかんがえることあ。
【施設を探すポイント】
⭐️時間的余裕を持つこと。慌てると碌なことがない
①すぐ入居はNG。本人と会い、日々の生活のことなど話した上で判断するのが当然。
②見学は昼食時間に行く。
③職員の離職率30%超えはNG(介護サービス情報公表システムにアクセスで確認)
④月額料金は総額を聞く。
⑤看取りケアの有無。
★親と距離を取ることに「罪悪感」を持つ必要なし。
★親に「困ってもらう」ことを恐れてはならない。
介護は公的サービスを導入して、社会と協力して行うもの。だが、親は「他人の世話になる」ことを潔よしとしないことが多い。乗り越えるための有効な方法は「本人が困る」こと、優しいあなたは弱ってきた。親の面倒つい見たくなるはずだが、「自分だけでは、全てに対応できない」こともはっきり示しておかないと、親はあなたに頼りきりになる。
★親と自分は別の「個人」だと認識しておく。
親を個人として大切に接することこそ本当の親孝行。親は1人の人間であり、私とは違う欲望を持って、それに準じた人生を送りたがっている。
★この先10年でどうしたい?繰り返し尋ねる自分の親が性格の中で何を大切にいこうとしているのか、何を大事にしているのかということがだんだん見えてくる。 -
Posted by ブクログ
会社が変わるとき、これまでの問題点を整理し何が原因だったかを明確にした上で、どうなりたいのかを志高く設定し、皆で認識を深く共有することが大切。言うは易く行うは難し。改めてトップマネジメントが重要だと分かる。
この仕事は価値があると信じ、部下にも信じさせる。志高い目標だから、やりきれた。部下も自ら動いた。これをやったら勝てる、変われると信じられたからやれた。いつもの低い目標なら、逆にできなかった。それはやってもやらなくても変わらないと思えるから。信じさせるため、緻密な調査と技術的な深い裏付け、何度も議論して皆で思いを同じくしてきた。すごい物語です。感銘を受けました。トップマネジメントには是非読んでほしい。 -
Posted by ブクログ
自分の経験と照らし合わせても、共感し、慰められる内容だった。親や親、子は子、という「個人」の意識が持ちづらい…「同居」というカタチがあるように、その意識がまず「介護」を難しくしているのだと思う。決して「側にいることが親孝行」とか「家族の問題」とか「施設なんて酷い」とか…よく言われるそういった意識が、結果的にどちらの人生も破壊してしまうことは、多々ある。介護離職をしたり、社会から隔絶した状態に追い込まれたり、果ては、お互いに「終わりにしよう」とまで思ってしまう…。
まずはそういった「幻想」を捨てること。
そして、個人対個人としての適切な「距離」を保つこと。その上で身勝手な「親孝行」という概念を見直し、親にとっての幸せとは何か、を客観視することが介護の助けになると思う。
もう一つは、親は「親」という役を演じている、ということ。認知度が低くなるにつれて、人は社会での役割から少しずつ離れ、自分本来の、ただの人になってゆく。「素」の状態に戻ってゆく。
子から見れば、或いは、その状態は受け入れて難いものだったりもする。だから、無理をさせたり、叱ったりして、なんとか元に戻そうとする。
しかし、親もただの人なのだ。
素の状態で、では、彼や彼女は何が幸せなのか、と考えると、それは、無理をしてキツいリハビリをすることだったり、必要以上な整理整頓だったり、そういうことではないはずだ。絵を描くことが好き、歌を歌うことが好き、映画を見ることが好き、スポーツ観戦が好き、プラモデルが好き…その人の本当に好きなことをさせてあげること、その時が幸せならばそれでいいのではないのかな。
「介護」とは「撤退戦」である、との言葉が印象的だった。人は死亡率100%という人生を生きている。終わりに向かって、ジワジワと後退していくのが介護であるとしても、それは何も悲しいことではない。
人の介護を通して、自分を見つめること。
何が楽しいのか、何をしている時が幸せなのか。
それを理解できたら、きっと介護の苦しみから解放されると思う。
距離感を理解し、専門家を頼り、自分の人生を崩壊させないこと、それらがうまく回りだせば、自然と互いに幸せな時間を送れると思う。
容易いことではないけれど、自分にとっても貴重な時間をすごし、見送った母のことを思うと、偶然ではあってもそこそこうまくできたのではないかな、と思う。墓じまいも終わり、子としての責任は全て果たせたように思うと同時に、「終わり」について教えてくれたのは、やはり親だったことを思うと、自覚が無くても、最後まで親は親であった、と思う。
介護のプレッシャーに悩んでいる方も、これからそうなるだろうという方も、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。 -
Posted by ブクログ
ある方の本棚にあったコロナ本の感想を読んで、今更、新型コロナを振り返ってみようってことで。
(今更といっても、新型コロナは今も身近にあって、まだ続いているんだけどね)
新型コロナ本というのは、読む人が新型コロナと新型コロナワクチンについてどういうスタンスでいるかで評価が分かれるようだ。
つまり、新型コロナを恐れる人や新型コロナワクチンに肯定的な人と、新型コロナなんて脅威でもなんでもない人や新型コロナワクチンに否定的な人は同じ本でも真逆の評価をする傾向がある。
ちなみに、自分は新型コロナを怖いと思うし、新型コロナワクチンを肯定的に捉えている方だ。
つまり、そんな自分がこの本に★4つ付けたということは、新型コロナを恐れる人や新型コロナワクチンに一応は肯定的な人が納得できる内容だということだろう。
新型コロナというのは、人から人へと感染する病気で。
しかも、感染した人の大半は無症状だから、自らが感染していることに気づかずに出歩くことで感染者を増やしてしまう厄介な病気だ。
もちろん、自分は感染症の専門家ではないから、自分でそのことを確認したわけではない。
与えられた知識を、なんとなく「それが事実」として納得しているにすぎない。
それは、新型コロナワクチンの効果や接種することのメリットについても同じだ。
よって、あの頃よく言われていた「新型コロナはウソ」とか「ワクチンは効かない」みたいなデマこそが真実だと考える人からしたら、そっちの方が納得できるんだろう。
ただ、2020年の1月下旬くらいから「新型コロナ」と言われる病気が巷で流行りだしたこと、それは間違いない現実だ。
なぜなら、自分の身近にも新型コロナ(と言われる病気)に罹った人がいたからだ。
そして、その人たちによれば、それは家族に次々へと感染していって。ある人は無症状だけど、ある人は重症で救急車を呼ぶこととなったり。ある人は、後遺症と思われる症状で数カ月辛い思いをしたと言っていた。
つまり、自分の知り合いの話を聞くかぎり、それは政府の発表や専門家の方々が言っていたこととほぼ同じだった。
だから、自分は新型コロナと呼ばれる感染症は間違いなく存在していて、そして時には後遺症を引き起こす怖い病気だという認識をしている。
そんな怖い病気に罹るのは嫌だから、ワクチンの効果も信じる。
……ていうか、信じたいんだろうね。
新型コロナが怖いから。
(とりあえず、厚生労働省の利権や日本医師会の身勝手云々は横に置く)
つまり、「新型コロナはウソ」、「新型コロナなんてただの風邪」、あるいは「ワクチンは効かない」ということを信じている人も同じような流れでそれを信じているんだと思うのだ。
「外出制限で友人知人と自由に会えないのは嫌だ」、「ワクチンって大丈夫なの?」という気持ちがあるから、ネットや本にあった「新型コロナはウソ」、「新型コロナなんてただの風邪」、「ワクチンは効かない」ということが正解だと信じたい。
だから、「新型コロナは怖い」、「ワクチンは効かない」と言っている政府や専門家、あるいはそう書いてある本を批判することで自らが納得していることを再確認し、安心を得る。
結局、人なんて、誰しもその程度のものだ(^^ゞ
だって、新型コロナは感染症の専門家からしても全く未知のウイルスなんだもん。
一般人はもちろん、専門家だって、絶対の正解を知っているわけがない。
そこを、まずその大前提を頭にしっかり叩き込んでおかないと、無意味な批判や行動をしてしまうってことなんだろう。
つまり、『新型コロナとワクチン/わたしたちは正しかったのか』というタイトルを見て、“正しかったのか?”を確認するために読むのは、もしかしたら、あまり意味のないことなんじゃないかな?って気がするんだよね。
だって、この本の中でいくら「正しかった」と書かれていたとしても、それはこの本を書いた著者二人の見解でしかないんだもん。
いや、著者二人の見解を読むことで「決して間違いではなかったんだな」と安心することに意味はあるんだと思う。
でも、それはこの本の見解をたんに「情報」として鵜呑みにするのではなく、あくまで2020年1月下旬〜の自らの状況と照らし合わせた上での納得でないと意味がないんだと思うのだ。
それは、情報パンデミックと言われる今だからこその情報との付き合い方であると同時に、今後も起こるかもしれない未知のウイルスという誰も知見を持ち合わせていない状況下での唯一の対処法であるように思う。
そんな『新型コロナとワクチン/わたしたちは正しかったのか』だが、この本は比較的ニュートラルなスタンスにたって新型コロナについて書かれているように感じた。
ちなみに、★5つでなく4つにしたのは、ニュートラルなスタンスで書いているからこそ、新型コロナ対策や人々の行動のよくないことはよくないことと、ちゃんと批判した方がよかったんじゃないかな?と思ったのと。
あと、全体的に肯定的なトーンで通したのは、たんに感染対策肯定派と否定派双方からの批判を避けたかっただけなんじゃないか?と感じないでもなかったからだ(^^ゞ
自分は、国民から散々批判や罵倒(暴力の圧力も)され、国民にいい顔だけしていたい政府からは嫌がられつつも、断固として自分の主張で通した尾身さんを「偉い!」と思う方なのでw
今っぽく、スマートに誰にもいい顔しているような論調は、これってなぁ〜んか胡散臭くない?って思っちゃう方なんだよね(^^ゞ
あたり触りのないコメントをし合うことで盛り上がれるSNS文化っぽいっていうかさ(爆)
…って、なんだか批判的なこと書いちゃたけどw、著者二人に文句があるわけではなくってね。
それどころか、これはよい新型コロナ本を書いてくれたなぁーって、大いに歓迎だ(^^)/
ただ、どんなにいいことを書こうとも、「新型コロナはウソ」、「ワクチンは効かない」を信じたい人はこの本を読もうとは思わないだろうし。
仮に読んだとしても、批判するだけなんだろう。
もしかしたら、人というのは、新型コロナよりも難儀なものなのかもしれない(爆) -
Posted by ブクログ
私も食品工場で働いますので、書かれている事が非常に腑に落ちました。
まず、毎日数字(ロス率、原価率)だけを言われると、いつのまにか数値目標に呪縛される。そうすると目の前にあるのはお豆腐ではなく、白い四角い塊になる。
本当に同じ事を感じました。食品である以上美味しさを求めてなくてはいけないが、数字を意識し過ぎると数字を上げる為の道具になってしまう。
本来追い求めなくてはいけない事から、ズレてしまう可能性がある。
書かれていたが、もちろん数字は大事だが、あくまでもその結果美味しくなったのか?が根本にないといけない。
それ以外では、まず出来た事を喜ぶ。
完璧な成功なんてない。なにかが出来ましたという時は、出来た事を褒めるより、出来ない事を指摘したくなる。そうじゃなくて、まず出来た事を褒めよう。今日は喜ぼうよ。
自分にも当てはまる。出来た事で、更に上を目指して気を張ってしまう。意識的に悪い事ではないが、まずは喜んだ方が気持ちも楽になる。
本のタイトルがインパクトがあり購入したが、どきっと思わせる事が多く、非常に参考になりました。 -
Posted by ブクログ
ザクとうふでその名を馳せた相模屋。2024年2月期には400億円に達する見込みであり、20世紀末からの四半世紀で年商を20倍近くにした急成長企業。豆腐という単価も安い日常品を売りながらの急成長を成し遂げた鳥越淳司社長へのインタビューの形式を取りながら、その思考に迫るこの一冊。
業界トップに君臨し、従業員数も900名という中企業ながら、自分たちは弱者といい、ランバ・ラルのゲリラ戦を引き合いに、迅速かつ柔軟な運営を進める。自らの使命を明確にし、目標さえ達成できれば方法にはこだわらず、小さく素早く試行錯誤を繰り返し、見切りは早くてもコアの強みを把握して手放すことなく、風通しの良い社風を作ってチームとしてのパワーの発揮に努める。つまりこれだけの規模の食品企業ながら、その方法は実にアジャイル精神に溢れるもので、IT関係者にも響くものがある。
オーナー企業であり、自分が責任を引き受けつつ大胆な指揮を執るその姿は、引き合いに出されてる銀英伝のヤン・ウェンリーよりも、むしろ帝国軍のラインハルト、有能な皇帝による独裁、を彷彿させた。強力な統率力で人々がやりがいを見出せることは決して悪いことではないが、あとがきでも述べられているように傑出した存在故に再現は難しい。
そんな独裁者を戴けない普通の、平凡な企業においては、その背中を見つつ、皆ができる範囲で少しずつ背伸びするしかないのだろう。でも、背伸びすることは少しでも元気が出ることなのだ、と背中を押してくれる本だった。