フレデリック・クレインスのレビュー一覧
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新書としては厚めの300ページ。西洋側の一次史料も用いている点が特徴的。
ウィリアム・アダムス(1564-1620)。日本漂着が1600年、35歳の時。それまでのことが前半100ページを占める。彼は12歳から12年間、イギリスで船大工の修業をした。たんなる航海士ではなく、造船もできる人間だった。
その当時、世界がどう動きつつあったか。家康は、アダムスを通して、そうした海外の勢力をどう見ていたのか。そしてその動きにどう対処しようとしたのか。臨場感あふれる筆致が読ませる。
和名は三浦按針。家康からあてがわれた領地が三浦半島の逸見。領地の地名を姓にし、職業であった水先案内人(按針)を名にした。クレイ -
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ネタバレ新書であまり5は付けないんですが、いやー
これは良かった。日本人ならぜひ一読すべき。
長崎にいたオランダ商館長が、毎年将軍への謁見として江戸参府を義務付けられていて、
その過程の中で火災や地震に巻き込まれており、その詳細を商館長それぞれの個性で日記に描いている、という新しい視点で
日本の江戸災害史をまとめた1冊。
明暦の大火を生き抜いた冷静なワーヘナール、
神経質で元禄地震に敏感なタント、
地震が怖すぎて描写が全て悲劇的なハルヒト、
京都大火に偶然にも遭遇したファンレーデ、
全て個性が違ってて非常に面白い。またわかりやすい文体で読みやすい。
随所に入る磯田さんの解説もいい。
面白いなと思う -
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ネタバレ本の前半分は、アダムスの出生から日本までの航海について書かれている。アダムスが生きた時代は、カトリック(スペイン・ポルトガル)対プロテスタント(イギリス・オランダ)の宗教戦争が起こっており、そのような世界情勢の中で、アダムスの乗る船も、戦争の影響を受け、最終的に日本へ辿り着く。日本までの航海の中で、アダムスと同じ船に乗っていたアダムスの弟の死についても書かれており、戦争が招いた弟の死は、非常に印象的なもので心に残った。本の後半分は、日本でのアダムスについて書かれているが、アダムスについてだけではなく、江戸時代に日本がキリスト教排除へと向かう背景や、日本との貿易国としてオランダ・イギリス・スペイ
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江戸時代というのは、戦乱のようなことが無かったことから、様々な社会制度や経済活動が色々と進歩して種々の文化が花開いた平和な時代であったが、その他方で地震や洪水や火山噴火、更に年が壊滅的被害を受ける大規模火災というような災害が相次いだ時代という一面も在った。
地震や火山噴火や大規模火災というような出来事の衝撃、被害状況の伝聞、現場や近くに居合わせた場合の経験というようなことに関しては種々の記録も伝えられていて、それが現在も研究されている。そういう種々の記録の中に、少し異色かもしれないが、非常に興味深いモノが在る。「欧州の人達が綴ったモノ」である。
江戸時代を通じて、「欧州の人達」と言えば、公に滞 -
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著者はエミー賞「SHOGUN 将軍」時代考証家。著者は戦国時代を応仁の乱が始まった応仁元年(1467年)から大坂夏の陣で豊臣家が滅んだ元和元年(1615年)までと定義する。江戸時代には武士の役割は再定義され、職業軍人であった武士たちに対して平和な時代の中で担うべき役割と立場を示すために儒教が理論的基盤となり道徳的規範となった。現代から戦国時代を振り返るとき、その間に横たわっている江戸時代の残像を重ねてしまうため、儒教を基盤とする江戸時代バイアスを消去する必要があると説く。
そのうえで、主従関係については、儒教的な君臣関係とは異なり、より感情的、能力主義的な主従関係であったという。
サブタイトル -
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<目次>
序章 なぜ本能寺の変は“謎”に満ちているのか
第1章 アナーキーな社会を生きた人々と戦国の思想
第2章 武将たちの激しい信仰と宗教戦争
第3章 不安定な主従関係と戦国の忠義
第4章 足軽と鉄砲が変えた戦国の合戦
第5章 戦国時代の切腹と武士の名誉
<内容>
ベルギー人の戦国時代研究者(国際文化研究センター教授)の本。日本人ではない分、日本人の常識を超えて語ってくれている。宗教面とかは「なるほどな」と思う一方、「そうかな?」とも思う。読みやすくするため、選んだ文献が2次史料的なものだが、それをわかった上で扱っているのも良心的。やはり冷静に書いていますね。 -
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江戸時代、鎖国下の日本。オランダ商館長が残した日本の災害の記録。国内資料とは異なる冷静な事実の記載は貴重な一次資料。
鎖国下の日本で交易を続けられたオランダ。商館長が残した日記。それは奇しくも災害大国日本の記録でもある。
たまたま江戸参府に際し、明暦の大火に遭遇し江戸の街を逃げ惑った記録。元禄地震で大きな被害を受けた小田原ほか東海道沿いの被害地域。長崎からも近い島原での「島原大変肥後迷惑」など。
母国オランダに比べ地震も多く火災も多かった日本。被害の状況と共に災害慣れしてすぐに復興に向けて動き出す人々。
後世の創作や解釈の余地のない貴重な記録である。
現在の日本人には分かりづらい、江 -
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このような本をつい手に取ってしまうのも、パンデミックと災害に、非日常という点で一脈通じるところがあるからだろう。
ワーヘナールによる明暦の大火の記録はまさにパニック映画さながら。江戸で大火事に巻き込まれるオランダ人一行だなんて本当に絵になるのではないか。そこまで直接的に災害に巻き込まれた商館長は他にはいないものの、頻発する余震の描写など東日本大震災後の日々を思い出させる。
江戸の町が焼けても焼けても懲りずに瞬く間に再建される様子も。日本人の災害に対する一種の無常観は、同時代のオランダ人から見てもなにか特異なものに見えたようだ。
オランダ人(この本の著者はベルギーの方ですが)と江戸の災害と -
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ネタバレ白村江の戦いと民衆:ではなぜ、倭国軍は敗れたのか。答えは明らかです唐の軍勢は国家軍であり、訓練されて統制のとれた軍隊ですが、倭国軍は豪族軍の寄せ集めであり、国家軍ではありません
戦いにおいて最も重要なのは、実は戦意を支える忠誠心とモチベーションです。国家軍にはそれがありますが、豪族軍にはありません
応仁の乱と足軽:民衆が必ずしも反権力の動きをしていたわけではないと言う事実です。民衆は、その時の状況に応じて本権力的な動きを見せることもあれば、権力の手先として動くこともあった
私が不思議でならないのは、例えば新選組の視点に立って京都の幕末を見る人は極めて多いのに、先ほどご紹介したような、夏の暑い盛