仁藤敦史のレビュー一覧
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最新の古代朝鮮史が展開されるとして、学術書には珍しくなかなか借りれない状況だったが、やっと紐解くことができた。残念ながら、私の期待した記述はなかった。
「加耶とは、3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島南部にある洛東江(大邱、釜山を通り朝鮮海峡に流れる)の流域に存在した十数か国の小国群を示す名称である。」代表的な国として金官加耶(金海大成洞古墳群)、大加耶(高霊 池山洞古墳群)、阿羅加耶(カン安 道項里古墳群)、小加耶(固城 蓮塘里古墳群)がある。このうち私は道項里古墳群を除く古墳群に2回以上訪ねたことがある。弥生時代に関係すると、勘違いしただめだ。3世紀以降ならば古墳時代にとって重要な遺跡だった。
期待した記述と違ったのは、弥生時代と違ったと言うだけではない。それはある程度予想していた。加耶の通史を書くとなれば、少なくとも1-2世紀の加耶地域、つまり「弁韓」の歴史について、まとまった記述があるだろうと期待していた。
しかし、2世紀どころか、3世紀以前の信頼できる文献資料は、どうやらないらしい。ほとんど「神話」記述でしか残されていない。よって、反対に言えば、1-2世紀の南朝鮮と倭国との関係は、考古学的事実以外は、自由に描けるということだ。この当時、北朝鮮ののことは、楽浪郡の記事が中国の正史に載っているので、かなり信ぴょう性が高い。3世紀の事については、日本書紀の記述が神功皇后の時代に入り、いろいろ推理を働かせば信ぴょう性が高くなる。しかし、弁韓については、弥生時代の例えば出雲や吉備が、どのような関係を持ったかは、今は誰にもわからないのである。
この本には、考古学記述はほとんどなかった。 1-2世紀の倭国の歴史を調べる場合、文献は何処を当たるべきか、だいたの目論見がついたという意味で収穫だった。 -
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著者ご想像の通り、任那日本府の位置付けが知りたくてこの本を手に取った。わずかな資料しか残されていない中で、ここまで精緻に歴史を再現しているのは驚くほかないが、漠然と当時の状況を理解することはできた。今風に言えば、任那日本府とは「日系移民の自治会」程度の組織に過ぎず、百済と敵対していたが故に百済が十把一絡げで様々な倭系集団をそう総称したものだという。確かに現在の我々の感覚で植民地経営みたいな高度な体制を想定するのは無理があるわな。十分に説得力のある説だと感じる。
それにしてもこんな昔から朝鮮半島と人の往来があったなんてびっくり。どちらかと言えば日本の方が過ごしやすい気候ではないかと思うが、何故に古代日本人は日本海を渡ったのだろうか?次はこんな疑問が浮かんできた。古代日本とその周辺諸国にまつわる謎は尽きるところがない。 -
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藤原氏が摂政関白で政治を掌握していった時代。皇族との親族関係ではなく、寄進系荘園で財を成し資金を蓄えたのも面白い。
土地に課税する方式へ移行したが、納税を拒む農民は貴族に助けを求め、貴族の庇護に入り、有力貴族へ土地を明け渡してしまう。有力貴族の土地となれば、さすがの受領も手を出せず、税金を回収出来ない。
この仕組みで財を成したのが藤原氏と寺社で、彼らは全国の荘園(開墾した畑)を持つことで、収益源を確保していた。今も昔も、土地持ちが不労所得で安定的に収益を確保し、地元の名士となっているのは変わらないと思うと、興味深い。
藤原氏・寺社のように農民から土地を寄進されることで財をなす一方で、農民自身が武装化して土地を守り、国司や受領に反抗し始めた。これが武士の始まりでもある。 -
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わかりやすかった〜!絵もなんか自然な感じだし、カラーもあって読みやすい。
表紙がワクワクする。写真や資料も多かった!
推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子
↓
蘇我蝦夷、入鹿
↓
中臣鎌足・中大兄皇子(天智天皇)
↓
天武天皇
↓
持統天皇・文武天皇
って人を軸にしているから、
どういう経緯で天皇になったかとか、
それぞれどんなことをしたか、どんなことがあったかがわかりやすかった!
学生の時に感じた、
・急に新しい人出てきた!とか、
・唐とか隋とか百済とか、「なんでこんなに外国の名前が出てくるんだ…」と混乱するのとかが解決された。。
学生の時に読んでおきたかった〜><
特に聖徳太子が冠位十二階や憲法十七条を定めたり、法隆寺を建てた経緯が分かりやすかった。(隋に門前払いをされたけど、それで諦めるのではなく、対策したんだなー!)
面白いし、分かりやすいしでよかった^^ -
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紅顔のみぎり、学校で習った「任那」が最近は教えられてないと聞いた。当時の半島には、高句麗と、百済、新羅に任那だと思ってたんだが、どういうことね。
任那は、伽耶ともいう。又は加羅。
確固とした国でもなく、いろんな国の集合体だったようだ。
滅んだ国の伝統を引き継いだ国もないことから、極めて曖昧な存在らしい。日本を含む周辺国の文献に現れる著述を、慎重に分析しているということのようで、任那日本府も、日本の統治機構でなく、府というのは臣のことで、倭国関連の集団があったことだというのが最近の通説らしい。
この薄い本のかなりが過去の研究者の紹介だったり、この記述は信用できる、コレは潤色だよ、と、なんてか、聞きようによっては逆にいいとこ摘んでるようにも思えて、そんな詳細な研究歴史知りたいわけではなく、結局任那って何よ、なんで教科書から消えたのよという疑問は有耶無耶にされた感じで、なんか隣国との歴史すり合わせ集会の話もあって、ああそういうことなんか、と変な方向に得心仕掛けない感じで。
あんまり関係ないが、伽耶っていう名前いいよね。
一夢庵風流記でも、亡国に連なる幸薄い美女の名前にしてたが、いいわ。 -
Posted by ブクログ
聖徳太子から渋沢栄一といった歴史上の人物の軌跡を地図をあわせて簡単に解説した一冊。人物ごとにその妻や娘などの大きく影響を与えた女性についても紹介している。
そこまでボリュームの大きい本ではないので各人物についてより詳しく知るなら別の書籍を読んだほうがいいだろう。
こうして地図上で辿った道や史跡などを見るとかなりの長距離を移動していたことがわかる。
いまでこそ電車や車があるのに同じ地域にとどまる人が大半だと思うが、徒歩や馬でここまで移動できたことは信じられないほど苦労が伴ったように思う。
また、度々女性についても紹介しつつ津田梅子の章で締められていて、なかなか焦点を当てられてこなかった女性を意図的に前面に出して解説している。
実際、教科書では名前すら出てこない女性も多い一方で、その女性たちによる偉業も多い。
本書のように女性に焦点を当てた歴史書が増えていくことを望む。