加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか

加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか

990円 (税込)

4pt

加耶/任那は3~6世紀に存在した朝鮮半島南部の小国群を指す。『日本書紀』は任那と記し、「任那日本府」の記述などから長く倭の拠点と認識されてきた。だが戦後、強く疑義が呈される。歴史教科書の記述は修正が続き、呼称も韓国における加耶へと変わる。他方で近年、半島南部で倭独自の前方後円墳の発掘が相次ぎ、倭人勢力説が台頭する。本書は、古代東アジア史の大きな争点である同地域の実態を実証研究から明らかにする。

<目次>
まえがき

序 章 加耶/任那研究の歩み
1日中韓史料のなかの古代東アジア
2通説までの道程――150年に及ぶ研究の軌跡
3広開土王碑と百済三書――史料批判による精緻化

第1章 檀君神話から金官・大加耶へ
1「古朝鮮」の虚実――檀君、箕子・衛氏朝鮮時代
2三韓時代へ――朝鮮四郡と馬韓・辰韓・弁韓
3いにしえの辰国―― 三韓以前の半島南部
4二大国の建国神話と任那の登場

第2章 弁韓からの発展――4世紀の動向
1盟主・金官の台頭と揺らぎ
2神功皇后「加羅七国平定」――『日本書紀』の真偽
3百済と倭の通交はいつからか
4広開土王碑のなかの倭、任那加羅、安羅

第3章 大加耶の成長と倭臣――5世紀~6世紀初頭
1高句麗対百済・倭――5世紀前半の動向
2倭の五王による「任那・加羅」都督諸軍事申請
3大加耶の中国への遣使――「輔国将軍本国王」の冊封
4加耶・馬韓の倭臣たち――ヤマト王権と異なる倭系集団

第4章 百済・新羅による蚕食と抵抗―― 6世紀
1「任那四県の割譲」――減衰する加耶諸国
2新羅の侵攻、㖨己呑・金官・卓淳の併合
3任那復興会議――百済の招集と加耶諸国の思惑
4加耶の消滅 ――「任那日本府」とは何だったか

第5章 滅亡後―― 倭の揺れる「任那」認識
1なぜ倭は百済・新羅に「調」を要求し続けたか
2伝承と面影―― 新羅と日本のなかで

終 章 加耶とは何か―― 国民国家を超えて

あとがき
主要参考文献
加耶/任那 関連年表

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加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    何となく中世の松前とアイヌのやり取りを朝鮮半島と日本でやってたような想像を勝手にしていたので、日本側がほんとにある程度の勢力だったと現代朝鮮半島史観でも認められてるのだとすれば、ちょっとうれしい。のは愛国心なんだろうか。

    0
    2025年09月22日

    Posted by ブクログ

    古代史の中でも謎とされていた任那について、最新の研究をまとめた本である。結論からいうと、任那とは加耶諸国に住んでいた倭系の人々の総称であり、ヤマト政権の出先機関ではなく、ましてヤマト政権の植民地ではないという。そもそも近代の概念である国民国家の考え方で古代史を理解しようとするのは無理がある。人は、国

    0
    2025年07月30日

    Posted by ブクログ

    大変意義のある本だと思います。勉強になりました。が、難しいテーマだからか、大変真面目な書き振りで、あまり面白さは期待しないほうが良いようです。

    0
    2025年02月21日

    Posted by ブクログ

    とても面白かった。もちろん、この著者の主張が学説として確定的な立場にあるかというと今後の研究の進展により変わるとは思うが、任那とはなんだったのか、ということに中立的にあたっているので、ミステリーのような面白さも感じた。

    0
    2025年02月15日

    Posted by ブクログ

    NHKの歴史番組である程度は知っていたものの、改めて活字で読むと、今までの歴史の教科書では知り得なかった話が多いと感じた。
    古代とはいえ、他国との関係を意識して、教科書としては記載しないという配慮だったのか。
    いずれにせよ興味深い。

    0
    2025年11月11日

    Posted by ブクログ

    ハン・ガンを読んだこと、番組で韓国の現在が日本の姿に近似してきていることなどがきっかけで手にした本。663年白村江の戦い以前の任那日本府とは何だったのかを朝鮮の史書「三国史記」を基に読み解いていく。百済から送られた372年の七支刀の存在がこの時以来の百済と倭の交流の存在を実質として意味づける。つい先

    0
    2025年05月22日

    Posted by ブクログ

    本書は3世紀以降の朝鮮半島と日本列島にあった古代国家との関係を史料(史料批判を含む)を基に考察する。高句麗・百済・新羅の三国は教科書にも出てきたが、加耶/任那は読メに出会ってから知ったと言って過言ではない。古代国家が編纂した歴史書は、神話であったり自国に都合の良いことを書くため、中韓日の資料を比較検

    0
    2025年05月05日

    Posted by ブクログ

    3~6世紀に朝鮮半島南部に存在した小国群の歴史を実証的に示そうとする内容。基本史料や研究史・論点の解説が冒頭に置かれることもあり、時期毎の国際情勢や中心勢力の変遷を丁寧に押さえながらの論述が分かりやすい。

    0
    2025年04月11日

    Posted by ブクログ

    最新の古代朝鮮史が展開されるとして、学術書には珍しくなかなか借りれない状況だったが、やっと紐解くことができた。残念ながら、私の期待した記述はなかった。

    「加耶とは、3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島南部にある洛東江(大邱、釜山を通り朝鮮海峡に流れる)の流域に存在した十数か国の小国群を示す名称である

    0
    2025年03月18日

    Posted by ブクログ

    著者ご想像の通り、任那日本府の位置付けが知りたくてこの本を手に取った。わずかな資料しか残されていない中で、ここまで精緻に歴史を再現しているのは驚くほかないが、漠然と当時の状況を理解することはできた。今風に言えば、任那日本府とは「日系移民の自治会」程度の組織に過ぎず、百済と敵対していたが故に百済が十把

    0
    2025年02月22日

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