仁藤敦史のレビュー一覧
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ネタバレ4巻は平安時代その1です。
平安時代の前半は貴族が主役、後半は武士が力をつけてくる時代とすればこの巻は貴族の時代です。
1章は平安京遷都に至るまでのごたごたと、遷都後も桓武天皇を悩ませた蝦夷討伐の話。アテルイと坂上田村麻呂の友情話は涙なしでは語れませんが、学習マンガゆえここは淡々と。
2章は平安時代に登場した新しい仏教の話。要するに最澄と空海のお話です。
3章はいよいよ藤原氏がまたもや政治を牛耳る時代になったという話。平安時代の法関係のややこしい用語が出てくるのはこの章。また、受験生の神・菅原道真公のお話もここで登場します。
しかし。。。平安時代とは名ばかりでこの時代は陰謀に次ぐ陰謀でど -
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2巻は飛鳥時代を描いています。
1章は律令国家の成立にとって、とっても大事な仏教の伝来について。仏教という、いわば大陸の新しい?思想を受け入れるにあたっての物部氏と蘇我氏の争いも描かれています。
2章は日本が大陸の大国・隋との外交のために、国として成長していくさまを描いています。要は推古天皇の御世に蘇我馬子と厩戸皇子が摂政として政治を行い、遣隋使を派遣するあたりの話です。厩戸皇子を前面に出すわけでなく、あくまで国際国家として日本が整えてきた政治体制についてを主に描いているところがいいなと思いました。
3章は蘇我氏が権勢をふるっている頃から大化の改新までの話。まだまだ歴史の出来事の流れがシ -
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【感想要約】
加耶/任那をめぐる通説を史料批判によって再検証し、「任那日本府」をヤマト王権の支配機関とみなす見方に疑問を投げかける。倭系集団の多層性と流動性に注目し、国民国家的枠組みでは捉えられない古代東アジア史像を提示する一冊。
【内容】
朝鮮半島南部の加耶/任那と呼ばれる地域の成立から三国期に新羅、百済に吸収されて消滅されるまでの歴史、及び長年問題とされているヤマト王権の影響、「任那日本府」の実態について、史料分析とそれに基づいて従来の説を批判的に検証しながらアプローチしている。
最初に加耶、任那地域の研究史とその問題についてまとめた上で、神話期の朝鮮半島の歴史から加耶、任那地域の成立、 -
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3~6世紀に存在した朝鮮半島南部の小国群である加耶あるいは任那について、古代日本との関係をはじめとするその歴史を、近年の文献史学・考古学の研究の進展も踏まえ、実証的に明らかにしている。
任那日本府について、ヤマト王権の出先機関説を否定し、百済による加耶諸国への侵略に抵抗する勢力の総称として表現されたものと論じた。「日本府」の内実は、倭からの使者、倭系の在地豪族集団を合わせたもので、強固な組織は存在しなかったとし、ヤマト王権からは独立した存在としている。一方で、百済に土着し、のちには百済の官僚となり倭との外交折衝に活躍した倭系百済官僚の存在を強調している。
本書は、国家・国境や国籍など現在の国民 -
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ネタバレ仁藤敦史「加耶/任那」あとがきに本書の主張がわかり易くまとまっている、3~6世紀朝鮮半島南部の十数か国の小国群「加耶(加羅)」(主に大加耶・金官・安羅)、日本書記では任那と表記されるが、百済サイドからは安羅を指し、新羅サイドからは金官四村を指し、時代によっても範囲が異なる、また任那日本府(百済系史料、ここでは安羅)という愛国心をそそる問題にしても、実体は統一国になる前の顔役とでもいうか統一国家でもなく①倭から派遣の使者②土着した二世の旧倭臣③在地系の加耶人の3つから構成された集団が、倭・新羅・百済との駆け引き(時には中国へ独立国として認められるべく朝貢もしている)で自国の存続とイニシアチブを握
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最新の古代朝鮮史が展開されるとして、学術書には珍しくなかなか借りれない状況だったが、やっと紐解くことができた。残念ながら、私の期待した記述はなかった。
「加耶とは、3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島南部にある洛東江(大邱、釜山を通り朝鮮海峡に流れる)の流域に存在した十数か国の小国群を示す名称である。」代表的な国として金官加耶(金海大成洞古墳群)、大加耶(高霊 池山洞古墳群)、阿羅加耶(カン安 道項里古墳群)、小加耶(固城 蓮塘里古墳群)がある。このうち私は道項里古墳群を除く古墳群に2回以上訪ねたことがある。弥生時代に関係すると、勘違いしただめだ。3世紀以降ならば古墳時代にとって重要な遺跡だっ