飯山陽のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2026/1/29追記
イランのイスラム政権が自由を求めるイラン人を数万人虐殺した。この時代に大量虐殺を目にするとは。今週はイラン国民の士気をくじくために、若者を意図的に標的にして殺害している。虐殺は止まっていない。そしてイスラム政権はハマスの飼い主だ。パレスチナに自由を!イスラエルはジェノサイドやめろ!と叫んでた連中がこのイラン大虐殺に沈黙してるのは最高度の偽善と言っていい。連中の化けの皮が剥がれた。神の名前を最高権威として持ち出し反論できなくさせた上で道徳的に破綻した命令を実行させようとするのはカルトである。この著者の正しさが証明されたな。日本人はイランと言われても中東にあるイスラム教の国ぐらいの認識しかないだろうが、ここももう北朝鮮のような50年もやってる人権弾圧独裁国である。このイランでは7万5千あったモスクのうち5万が閉鎖されているという。イラン人はこの政権が強制する宗教を堕落した宗教とみなし誰もモスクに行かなくなった。イスラム教が国教の国のなんて皮肉な結末か。神の名を悪用して人を殴ったり酸をかけたり投獄したり殺したりしてるならこうなるのもむべなるかな。このイランとイスラエルは戦っているのだ。もうどちらが悪でどちらが正義か分かるだろう
真のレジスタンスはイスラエルの方
今のガザは選挙を停止しパレスチナ人の民意を問うことを拒否したテロ組織ハマスに支配された不寛容軍事独裁国家
西側の支援はトンネルと武器弾薬に費やされガザ住民の生活は一向に改善されないが、不平不満を述べることは許されない
イスラエルにはある自由がガザにはないからだ
この点を見落として独裁者を無邪気に応援する輩が多すぎる
2023年10月7日に、地下に潜伏してた反ユダヤのナチスたちが一斉に湧き出た感じ
イスラエルがアパルトヘイト?イスラエルはアラブ人だろうと合法的に大統領になれる国なんだが
パレスチナではLGBTの人々は隔離どころか存在自体許されてないんだが、パレスチナがアパルトヘイトとは全く非難されませんよね
でこの残虐テロリストハマスを支援してるのがロシア・中国・イラン・北朝鮮という自由を憎みこの世から消し去ろうとする独裁四天王
虐殺やレイプを応援してる中国共産党に過去の日本軍の残虐行為(捏造だが)とか言われたくないんだよな
ハマスは2023年10月7日にイスラエルの民間人1200人を殺害しその中に38人の子どもがいた
中国人テロリストに日本人と朝鮮人が虐殺レイプされ(通州事件)テロリスト掃討と治安維持のために戦いだした過去の日本と重なるところがある
敵の方がプロパガンダが上手いので悪者にされてる所もそっくり
飯山さんが危惧した通りメディアはどこもイスラエルは残虐でジェノサイドを行っていると繰り返す
今イスラエルはハマスのほかにレバノン南部を占拠するテロ組織ヒズボラとも戦っているが、ポケベルでテロリストを罠に嵌めるのがアウトで、ヒズボラがミサイルで民間人を爆撃するのはセーフらしい
ヒズボラもハマスにそっくりだ、民間人を人間の盾にしながらトップは地下に隠れている
レバノンもパレスチナもテロリストを野放しにして、治安維持が出来てない、本来ならレバノンやパレスチナの政府がする仕事をイスラエルが代わりにやってるのが今の状況だ
攻撃を受けているのが自由を尊重してる国なのか、逆に言うと攻め込んできた国が自由を弾圧してる独裁国なのかどうかが判断材料になると思う
ロシア→ウクライナ
ハマス→イスラエル
中国→台湾・日本
全部一方的に難癖をつけて領土変更を試みようとしている、独裁者は国内で批判されないから証拠なんかなくても好き勝手捏造できるし(ウチの国民が迫害を受けている、虐殺されてる等)、これが独裁国がある以上世の中が安全にならない理由だと思う
何にせよ普段日本の戦争の被害者ヅラしてるロシア(ソ連)・中共・北朝鮮がハマスやロシアの虐殺やレイプを支持してるのは傑作だ。連中の正体が見えたし被害者方程式が崩れた
それと反ユダヤ以外にも、上記のロシア・中国・北朝鮮・イランにもイスラエルを悪者にする理由があるので(彼らが敵視する西側社会を戦争屋の悪者にできるので)、それで執拗に偽情報キャンペーンでイスラエルを悪者にしようとしてるのかもしれないですね
それと「ハマス最大の支援者イランが日本の「伝統的友好国」?」ですが「現在のイラン政権」が日本の伝統的友好国でないのは確かです。現在のイラン政権は女性が黒い布をまとって外出しないと(肌を露出させたまま外出すると)その場で警官に殴り殺され死刑が執行されるとんでもない国であることから分かる。
さらにイランの人権問題を批判する女性たちはイラン政府が支援してるテロ組織ヒズボラに目を潰された。この件についてもパレスチナがLGBTの人々を隔離どころか処刑してることについて誰も批判しなのと同様に、イランのこの女性弾圧も女性の権利のために戦ってる団体は批判しない -
ネタバレ 購入済み
イスラム教の功罪とは…?
2024年8月読了。
著者は、と云うより《著者の御意見》は色んな所で拝聴しているので、読むのが遅くなってしまった。
それにしても、つくづく日本のパヨク系と云うのは……、溜め息しか出て来ない。
自分の国の政治や憲法もそうだが《いい子の考え=恒久的な平和》と、この長〜い戦後80年程で様々な《洗脳》によって擦り込まれてきたモノがそうさせるのだろうか?!
日本の左翼、若しくは左翼メディアと呼ばれる人達は、ある程度の『覚悟』と云うか信念を持って「左翼的言動」をやっているが(それはそれでどうかとは思うけど)、そういう人達の怪しい言説を丸呑みして信じ込んでしまう、『パヨク化』している人間の多いこと……。
こういう人種が増えるから、先日の長崎市の8/9に、「イスラエルは出席断るけど、パレスチナは呼ぶ」なんて馬鹿な事をやらかす《お花畑》な対応で、世界中から嘲笑されている事にも気付けないんだよ!
イスラエルは立派な「国家」だけど、パレスチナはそもそも「国家」じゃないんだよ!その人達を呼んで良いなら、世界○○教会とか元△△△真理教の人達だって呼んでも構わないって理屈なんだよ!そんな馬鹿な対応しておいて、長崎市は『特に政治的な意図は無い』なんて寝惚けた事を言っていて、それを平然と報道するメディア…。
この絶望的な気分は、首相が誰に成っても、野党が変な野合を繰り返しておかしな事をやらかしても、消えないんだろうなぁ……。
飯山さん、政治の世界に乗り込むのは大変だろうけど、変な勢力に呑み込まれず頑張ってくださいね!
追伸:この本の中に登場する『イスラムに詳しい専門家を称する極めて危険な思想を持つ(左翼)活動者』の方々の名前を検索して《お顔を拝見しよう》とすると、大概あの○日新聞が絡んだ画像ばかり出てきます。やっぱり飯山さんの言う通り、『左翼』って恐ろしい程分かり易く《集団化して異端者を葬る》事に長けているんですね…。これからは『中東問題』『イスラム教』に詳しい《専門家》は、疑って話を聞くようにしようと強く思いました。皆、虫も殺さぬ様な顔をして、図々しい…! -
Posted by ブクログ
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パキスタンで現地の人とレストランでニュース見てた時に、男→女のオカマが議員になることが許されたみたいだねって言われたから、同性愛はどうなの?みたいに聞いたら深刻な顔になって「そんなのとんでもない」みたいに言ってたの思い出した。
全てのイスラム教国がイスラム法を国法としてるわけじゃないから国によって違うけど、世界の1/3が同性愛を死刑とするイスラム法をベースにして国法を作ってる状況で、同性婚を認める事だけが正しい方向性だとは思わないから同性婚を認めない日本は遅れてるとは思わない。アメリカ見て分かるようにそういうのを進め過ぎてもトラブルが多発してるのを考えると、むしろ同性愛差別なんて無かったどっちもの中庸的な感じを維持してる日本こそが最先端だと私は思ってる。同性婚を認めてるとかドヤってる国も過去に同性愛者というだけで殺してた歴史もあるんだから。日本はそんな歴史一つも無い。
飯山あかり
1976(昭和五十一)年東京生まれ。イスラム思想研究者。アラビア語通訳。上智大学アジア文化研究所客員所員。上智大学文学部史学科卒。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野単位取得退学。博士(東京大学)。現在はメディア向けに中東情勢やイスラムに関係する世界情勢のモニタリング、リサーチなどを請け負いつつ、調査・研究を続けている。本書が初の著作。
イスラム教の論理(新潮新書)
by 飯山陽
しかし一方で私たちは「反テロ宣言」には納得し同意できるものの、バグダーディーの説教には納得も同意もできません。なぜなら前者は私たちの常識に近いため理解可能であり、後者はそれとは隔絶しているため理解不可能であるからです。私たちはイスラム教の教義や論理について全く知らないにもかかわらず、私たちの価値観に反しない理解可能なイスラム教だけが「正しい」イスラム教だと決めつける傾向にあります。
イスラム教は唯一の神だけを信仰する宗教です。コーラン第4章 48 節に「神は他のいかなるものとでも一緒に並べられたら絶対にお赦しにならない。そこまでいかない罪なら、気がむけばお赦しくださる。しかし神に並ぶものを認めることだけは、赦すべからざる大罪」とあるように、イスラム教において多神教は絶対に赦されない大罪中の大罪です。ですからイスラム教に入信する際には、「アッラーの他に神なし、ムハンマドは神の使徒」と宣誓することが要請されます。この文言はイスラム教信仰の基本を示しており、信者が日常的に唱えるものでもあります。イスラム過激派の代表格である「イスラム国」が新たな領土を獲得した際まず着手するのは、遺跡や偶像、教会などの破壊です。なぜならそれらは多神教の象徴であり、預言者ムハンマドがそれらの破壊を命じたからだ、と彼らは主張します。
同胞団統治下のエジプトは、同胞団批判は許されない一方イスラム過激派は言論の自由を謳歌するという興味深い時代でした。同胞団政権はムバラク政権下で投獄された過激派を一斉釈放したのですが、その中にムルガーン・サーリムというジハード主義者がいました。彼はある人気テレビ番組に出演し、「ピラミッドとスフィンクスをはじめとするエジプトに存在するあらゆる偶像を破壊しなければならない」と述べて、出演者や視聴者を驚愕させました。司会の男性に、「つまりあなたたちはピラミッドとスフィンクスを破壊するつもりですか?」と質問されると、「そうだ、我々は破壊するつもりだ、なぜならそれが義務だからだ」と躊躇なく答えたことで、翌日からピラミッド・エリアの警備が強化されるという事態に発展したほどです。
もし歴史的にムルガーンのような過激派がイスラム社会の多数をしめていたならば、ピラミッドもスフィンクスもとうの昔に破壊されていたでしょうし、ルクソール神殿もカルナック神殿もラムセス二世像も何も残っていなかったはずです。
より信頼度の高い調査もあります。アメリカのシンクタンク、ピューリサーチセンターが2015年にイスラム教徒が多数をしめる 11 カ国で調査を行ったところ、ナイジェリア人の 14%、マレーシア人の 11%、セネガル人の 11%、トルコ人の8%、パレスチナ人の6%、インドネシア人の4%が「イスラム国」に好意的と回答しました。この数字は、一見するとそれほど多くはないように思われるかもしれません。しかしたとえばインドネシアの人口は約2億5000万人ですから、そのうちの4%が「イスラム国」を支持しているとすると、約1000万人が「イスラム国」を支持していることになります。このやり方で計算すると、調査対象となった 11 カ国だけで6000万人以上の人が「イスラム国」を支持していることになります。
ヨーロッパでは、「イスラム国」の共鳴者として当局にマークされている人の数も増加傾向にあります。スウェーデンの諜報機関長官によると、同国内の「イスラム国」共鳴者は2010年には200人程度だったのが、2017年には2000人にまで増加しました。同長官はイギリスには2万3000人、ベルギーには1万8000人、フランスには1万7000人の「イスラム国」共鳴者がいる、とも述べています。
「イスラム国」を血に飢えた狂信者からなるテロ組織とか、貧困や差別に苦しむ人を金で釣って寄せ集めた「ならず者集団」などととらえたのでは、世界中にこれほど多く彼らの支持者、共鳴者が存在している実態の説明がつきません。他の多くのテロ組織と比較にならないほど効率的に仲間を集め、攻撃実行につなげていることも理解できません。これらの人々にとっての「イスラム国」は私たちの考えるような過激派組織ではなく、イスラム教の理念の体現者であり、その支配する土地は私たちの考えるような地獄ではないどころか、むしろ理想郷なのです。
上記5つ以外にもイスラム教徒の義務は数多くあります。その代表的なものが、ジハード(聖戦)とヒジュラ(イスラム法によって統治されている土地への移住)です。イスラム教の最終目標は、全世界をイスラム法の統治下におくことです。これは全イスラム教徒共通の目標であり、過激派であろうと穏健派であろうとめざすところは同じです。ただ穏健派の場合は概ね、異教徒の改宗によってゆるやかにその目標を達成させようと考える点が過激派とは異なります。イスラム教徒と知り合うと非常に高い確率で改宗を促されますが、これは知り合った異教徒をイスラム教という正しい道に導いてあげたいという親切心の表れでもあり、世界をイスラム化するという至上目的達成のための尽力でもあります。
「イスラム国」が奨励しているジハードもヒジュラも「イスラム国」独自のイデオロギーではなく、伝統的に「正しい」と信じられてきたイスラム教の教義です。ジハードとヒジュラのみならず、「イスラム国」の主張していることのほとんどすべてに、そもそもオリジナリティーはありません。没個性的であること自体が、彼らの力の源泉なのです。
よそ者がよそ者の論理で「イスラム過激派はイスラムではない」といい、穏健派がそれに迎合し同調するような発言をすることで、よそ者たる西洋や穏健派が奉仕する世俗権力に反感を抱くイスラム教徒は、その反感をより一層強め、ますます過激な解釈に傾きます。過激派撲滅を目標とするならば、よかれと思って私たちがやっていることは、もしかしたら逆効果かもしれません。
イスラム教徒が多数を占める国で日本に最も近いのはインドネシアです。インドネシアは、世界最大のイスラム教徒人口を擁する国でもあります。同国の人口に占めるイスラム教徒の割合は9割ほどですが、イスラム教は国教とはされておらず、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教、儒教を含む6つの宗教が公認宗教とされています。
イスラム教の価値観を前面におしだすこうした現象が増加している背景のひとつに、インターネットを通じたイスラム教の「正しい」教義の普及があります。本来イスラム教の教義は民主主義も世俗主義も国民国家体制も認めませんし、イスラム教と他宗教の間の平等も認めませんから、インドネシアの現状はイスラム教に反しています。しかしこれまでは、インドネシア国民として生まれたイスラム教徒の多くが、自分たちの置かれている状況がイスラム教の教義に反しているなどとは考えもしませんでした。
ところがインターネットの普及により、体制派の穏健派法学者がもっぱらイスラム教解釈を独占する時代は終焉を迎えました。というのもインターネット上ではコーランやハディースのテキストがいくらでも閲覧可能であり、それらを自国語に訳すのも簡単であるため、誰でも手軽に教義を知ることができるようになったからです。これにより、穏健派法学者たちが説き自分たちが「正しい」と信じてきたイスラム教のあり方が実は正しくないのではないか、と疑念を抱く人々が現れました。彼らはSNSやウェブ上のフォーラムなどを通して、イスラム教の教義について学び議論するようになりました。そしてインターネット上でイスラム教に関する情報や議論が増加するのに伴い、それまで穏健派法学者が説いてきたのとは異なる「正しい」教義が広まり始めたのです。
グーグル(Google)が提供するGoogle検索やGoogle翻訳が多言語対応であることも、「正しい」イスラム教の広まりに大きな役割を果たしています。Google翻訳の対応言語は2016年に100カ国語を突破し、オンライン人口の 99%をカバーできるようになりました。 例えば「ジハード」と「コーラン」というふたつのキーワードを、何語でもいいのでGoogle検索にかけます。するとコーランのどこにジハードについての章句があるか、それらは過去や現在の学者たちによってどのように解釈されてきたか、といった情報が即座に表示されます。「ジハード」「ハディース」と検索すれば、預言者ムハンマドがジハードについてどのような発言をしてきたか、彼がどのようにジハードを戦ったか、といったことが誰でも一発でわかります。ある言語で検索した場合の情報量に満足できない場合には、別の言語で検索することもできます。アラビア語がわかるならば、コーランやハディースのオリジナルのテキストにたどり着くのも容易です。
私たちの目には、元知事がコーランを多少皮肉ったくらいで「死刑にしろ!」と民衆が大合唱するような状況は異常でエキセントリックだとうつりますが、彼らの反応はむしろ「正しい」ものだといえます。というのも、イスラム法ではコーランを冒瀆した者は死刑だとはっきり定められているからです。インドネシアのイスラム教徒は、個々人がコーランやハディースの文言に直接向き合うというイスラム的に「正しい」やり方で「正しい」教義を学んだ結果、敬虔になってきているだけです。
インドネシアで「正しい」イスラム教を追求する動きは、経済にも影響を及ぼしています。たとえばインドネシアで2番目に大きなイスラム教団体であるムハマディヤは2017年7月、政府に対してスターバックスの営業許可を取り消すよう要請、同時に全国民に対しスタバを利用しないよう呼びかける運動を開始しました。理由は、スタバがLGBTを支援しており、これが同性愛を禁じるイスラム教の教義に反しているからだとされています。イスラム教徒がスタバでコーヒーを飲むと、そのお金が同性愛者支援に使われることになるのでボイコットしなければならない、というのが彼らの主張です。7月6日にこの報道が流れると、インドネシアでスタバを運営するMAPボガ・アディプルカサの株価が急落しました。
ムハマディヤは支持者数約3000万人という巨大組織で、コーランとハディースに立ち戻ることによってインドネシアのイスラム教を「正しい」かたちに修正することを目指しています。そしてピューリサーチセンターが2013年に実施した調査によると、インドネシア人の 93%が社会は同性愛を受け入れるべきではないと回答しています。スタバ・ボイコット…
インドネシア社会の反同性愛傾向は、当局にも影響を及ぼし始めています。インドネシア警察は2017年5月、ジャカルタ市内にあるサウナ施設でワイルド・ワンというパーティーに参加していたゲイの男性ら141人を逮捕、 10 月にも別の施設でオランダ人やタイ人など外国人を含むゲイの男性ら 58 人を逮捕しました。インドネシアではアチェ州以外では同性愛行為は違法ではありませんが、イスラム法では厳禁です。表向きの逮捕容疑はポルノ規制法と麻薬取締法違反とされていますが、LGBT支援団体等は国内で強まるイスラム教的価値観重視の傾向を反映したものだと批判…
9・11 事件によってアルカイダが一躍有名となったのは2001年ですが、Facebook設立は2004年、YouTube設立は2005年、Twitterがサービスを開始したのは2006年のことです。一方「イスラム国」がカリフ制再興宣言をしたのは2014年であり、彼らはそれ以前からインターネットを通じた広報活動と情報伝達の重要性を認識し、そこに莫大な資金を投下して活動を強化してきました。
「イスラム国」は2017年、二大拠点であるイラクのモスルとシリアのラッカをともに失い、現在も支配領土の減少傾向が続いています。しかし「イスラム国」は、これは既定路線であり、こうなることは織込み済みであって、そんなことよりも世界各地で仲間が戦線を拡大させていること、共鳴者が呼びかけに呼応するかたちで攻撃を実行していることの方がずっと重要であると主張しています。
「イスラム国」入りした外国人戦闘員の中には、Telegramがそのきっかけとなったと明言する人が少なくありません。また2016年 12 月にベルリンのクリスマスマーケットで発生したテロ事件( 12 人死亡)の実行者が勧誘をうけたのも、2017年1月にイスタンブールのナイトクラブで発生したテロ事件( 39 人死亡)の犯人が「イスラム国」中枢部から指示をうけたのも、Telegram経由であったと明らかにされています。Telegramを使用すると、2つの端末間で行われるシークレットチャットは暗号化され第三者が開封することはできず、設定によってはテキストやファイルを一定時間後に自動消去することもできます。
「イスラム国」にせよ他のイスラム過激派組織にせよ、彼らのプロパガンダに共通しているのは、「自分たちこそが最も正統なイスラム教の護持者、実践者である」という主張です。特に「イスラム国」の場合は、自分たちの支配地域でイスラム法が施行されていることを示すことによって初めて、支持者たちに移住を促すことができるという点を自覚しているように見えます。だからこそ彼らは、イスラム法の施行によって人々には幸福がもたらされるという点も積極的に宣伝しています。
「イスラム国」は領域内における社会福祉や生活の充実についてもアピールしています。貧しい人には喜捨として徴収した現金や現物が分配され、職のない人には仕事が斡旋されます。子どもには予防接種が実施され、初等教育は男女ともに無料で受けることができます。農業や畜産業を営む人々の生活は大切に守られ、市場には新鮮な農畜産物が並びます。戦闘員には肉がふんだんに入った食事が提供され、戦闘で殉教した場合には家族に年金が支払われます。もちろんこれらは「イスラム国」の全支配領域で常に見られる光景ではないのでしょうが、こうした状況を映像で伝える効果は絶大です。
世界征服はイスラム教徒全員の義務である
2017年7月、第二次世界大戦後最も激しい市街戦とも評されるモスル奪還作戦が完了し、「イスラム国」は世界最大の拠点としてきたイラク第二の都市モスルを完全に失いました。続く 10 月には、シリアの最大拠点ラッカも有志連合やクルド軍などの合同作戦によって奪還されました。
そのひとつがフィリピンです。2017年5月に「イスラム国東アジア」の一派がミンダナオ島のマラウィを占拠し、フィリピン当局は直後から奪還作戦を開始しました。フィリピン軍は予想外に苦戦し、5ヶ月後の同年 10 月にドゥテルテ大統領がようやく解放宣言を出すに至りました。2016年に新たに「イスラム国」入りを誓ったグループは主なものだけでもフィリピンの他にバングラデシュ、イエメン、リビア、アフガニスタン、パキスタンに見られますが、既出のメリーランド大学の報告書によると、それらの組織はいずれも「イスラム国」入り以前と比較してより多くの攻撃を実行し、より多くの人を殺害しています。
エジプトも「イスラム国」勢力が拡大している地域のひとつです。同国内シナイ半島にはすでに「イスラム国シナイ州」という州が設立され法定刑の実施なども行われていますが、本土にある「イスラム国エジプト」の活動も活発化しています。2016年末からはカイロ、タンター、アレクサンドリアのコプト教会3カ所で連続して自爆テロを実行、100人近い死者を出して世界に衝撃を与えました。2017年「イスラム国エジプト」の総督は「イスラム国」機関紙に掲載されたインタビューにおいて、戦闘員の数が増加し力もつけてきている、神のおかげで作戦は成功し目標を達成できているなどと成果を強調しつつも、「エジプトでは神の唯一性のリアリティが全く感じられない」と嘆いています。そして目標はエジプト本土を制圧して「シナイ州」と手を結び、エルサレムにまで侵攻することだとしています。
中東に関してはシリアのダマスカス、イラクのバグダードはいうまでもなく、トルコのイスタンブール、エジプトのカイロ、チュニジアのチュニスといった観光で有名な諸都市でも大規模テロを実行しています。特に2017年6月にイランのテヘランでテロを実行したことは、「イスラム国」のテロ拡散を象徴する出来事だといえます。1979年のイラン・イスラム革命による建国以来、イランではイスラム過激派によるテロはほとんど発生してきませんでした。それだけに首都テヘランの、しかも建国の祖たるホメイニー師の廟と国会議事堂が同時に襲撃されるという事件は大きな意味を持ちます。東南アジアでもインドネシアのジャカルタ、マレーシアのクアラルンプールなどで「イスラム国」によるテロが発生しています。
私はイスラム教の研究者で、イスラム教について大学で教えたり、メディアで解説したり、ものを書いたりするのが仕事ですが、それらを続ける中ではっきりとわかったことがひとつあります。それは、日本人のイスラム教に対するアレルギーは非常に強い、ということです。日本人の中にはイスラム教について単に知らないとか関心がないというよりは、それについては知りたくない、積極的に遠ざけたいという反応を示す人が少なくありません。 その理由のひとつは、イスラム教が日本人の考える宗教の枠組みの外にあるように感じるからかもしれません。日本人は概ね、宗教というのは個人の心の内面に関与し世界の平和に貢献するものだと考える傾向にあります。しかしもし、宗教というのは個人の心の内面「だけ」に関与し世界の平和「だけ」に貢献するものだと規定してしまうと、個人の行動に関与し世界を戦いへと駆り立てるような宗教は「宗教ではない」ことになります。
イスラム教はまさしく信者の行動を規定し、イスラム教による世界征服を目的とする宗教ですから、日本人的感覚で見ると「そんなものは宗教とはいえない」「そんな宗教は不要である」、といったリアクションが直ちにひきおこされます。日本の中東イスラム研究者や日本人イスラム教徒らが「イスラム教は平和の宗教」と連呼する理由のひとつは、そう宣伝しないと日本人にはイスラム教が理解できないし、受け入れられないと考えているからです。しかしいくら日本人感覚にあわせてイスラム教をわかりやすいかたちに「改竄」しようとしても、イスラム教の真理は変わりません。
イスラム教は日本人にとってわかりにくい世界観と論理体系を有する宗教です。「心の安定と世界平和に寄与するのが宗教だから、イスラム教もそうであるはず」とこちらの願望をイスラム教に投影して理解したような気になるのはこちらの勝手ですが、イスラム教はそれとは全く異なるものとして厳然と存在します。イスラム教も当然、「心の安定と世界平和」に寄与する宗教であると主張しますが、それは神を信じ神に完全に服従することによって得られる心の安定であり、…
たとえばイスラム教は信者に豚肉を食べることを禁じますが、それは神がコーランで豚肉を食べることを禁じているからです。神に禁じられているから食べてはならないのであり、豚が不潔だからでも病原菌がついているからでもありません。ところが日本人は、「豚は不潔でかつては豚肉に多く病原菌が見られ感染症の原因となったから豚肉食が禁じられた」というと納得する一方で、「理由なんか関係ない。神が禁じたから禁止なだけだ」といっても多くの場合納得しません。しかし後者がイスラム教の論理なのです。自分が納得…
私はイスラム諸国のなかではモロッコとエジプトに住んだことがあり、滞在したことのある国も数々ありますが、そこで自分が異教徒だからという理由のみで命の危険を感じたことは一度もありません。一方で私はイスラム教研究者なので、なぜ現代のイスラム教徒はコーランで明示された神の命令の一部だけを実行し、別の一部は実行しないのだろうか、と考えることはよくあります。バングラデシュの事態は、異教徒が多く暮らすイスラム社会に、これまでは実行されてこなかったコーランの命令を実行する一派が出現したために発生したのです。私たち日本人の多くはコーランで殺せと命じられている不信仰者なので、コーランの一言一句を字義通りに解釈し実行する人々にとっては私たちを殺すことが正義なのです。
バングラデシュもモロッコもエジプトも、国民の多数を占めるのはイスラム教徒であるものの、民主主義を掲げる近代国家です。そこでは世俗法が施行され、殺人は当然罪として罰せられます。しかし本来のイスラム教の教義では、イスラム教徒は神の法たるイスラム法だけに従わなければならないと規定されています。コーラン第 12 章 40 節には、「裁定は神にのみ属し、あなたがたはかれ以外の何ものにも仕えてはならないと(神は)命じている」と記されています。イスラム教徒はいつどこにいても、どのような状態にあろうとも、イスラム法の定めにのみ従い、イスラム法にのみ裁定を求めるよう神に命じられているのです。しかしこのコーラン第 12 章 40 節には続けて次のように記されています。「これこそ正しい教えである。だが人々の多くは知らない」。この「だが人々の多くは知らない」は「イスラム国」の常套句でもあり、声明や機関紙で頻繁に用いられています。イスラム教徒はイスラム法にのみ従わねばならないということを知らない多くの人々に、それを知らしめるのも彼らのプロパガンダの一環です。
フィリピンのミンダナオ島にあるマラウィを「イスラム国」一派が襲撃したのは、2017年5月のことです。ミンダナオ島は、日本人にも人気のあるリゾート地セブ島のすぐ南に位置します。黒旗を掲げた武装勢力が市街地に突入、チェックポイントを作って従わない住民を拘束・虐殺したり、キリスト教会を破壊したりしました。フィリピンは人口の 90%ほどがキリスト教徒で、イスラム教徒は5%程度です。しかし歴史をふりかえると、フィリピンにはキリスト教の伝来以前にイスラム教の伝来があり、 16 世紀にフィリピンを占領したスペインがキリスト教を布教した際、南部に暮らしていたイスラム教徒が改宗に応じず武装闘争を展開したという経緯があります。
前者が目指すのはあくまでフィリピンという国家からの独立ですが、後者が目指すのは世界のイスラム化です。「イスラム国」は、かつてフィリピンからの独立を目指して戦っていたものの政府と和平協定を結んだモロ民族解放戦線を敵と見なし、しばしば攻撃を加えています。彼らは世界をイスラム化せよという神の命令を実行すべく、まず手始めにマラウィを占領し黒旗を立てたのであって、マラウィに独立国家を建設することが目的ではありません。
見方を変えると、彼らは「イスラム国」入りすることにより、分離独立を目指すローカルな存在から普遍的な目標をかかげるグローバルな存在になったということもできます。実際マラウィで「イスラム国」戦闘員として戦うなかには、フィリピン人だけではなく、インドネシア人やマレーシア人、パキスタン人、サウジアラビア人、チェチェン人、イエメン人、インド人、モロッコ人、トルコ人など様々な国籍をもつ人々がいたことが確認されています。
2014年にはパキスタンやインドの複数のイスラム武装組織からなるインド亜大陸のアルカイダ結成が宣言されました。ビンラディンの死後アルカイダの指導者となったザワーヒリーは、インド亜大陸全体にジハードの旗を掲げ、イスラム教による支配を回復させイスラム法を施行することが同組織の目的であると述べています。インド亜大陸のアルカイダはバングラデシュでイスラム教を冒瀆したとされるブロガーの殺害や、LGBT活動家の殺害について犯行声明を出しています。近年アルカイダは「イスラム国」に触発されたかのようにアジア進出を強化しており、バングラデシュでは両者が争うようにヒンドゥー教徒やキリスト教徒といった宗教的マイノリティー、世俗主義者、外国人などを殺害しています。
「イスラム国」やアルカイダといった世界征服を目標に掲げるイスラム過激派は、自分たちの勝利を信じて決して疑わないというのもひとつの顕著な特徴です。私がメディアなどで「イスラム国」の究極的目的は世界征服です、と説明すると失笑されることが少なくないのですが、これは冗談でも誇張でもなく真実なのです。コーラン第8章 39 節に、「騒乱がなくなるまで戦え。そして宗教のすべてが神のものとなるまで(戦え)」と記されているように、世界征服は神に命じられた目標である上に、イスラム教徒の勝利は神によって約束されています(コーラン第3章139節)。イスラム教徒にとってコーランは神の言葉ですから、神がそういっているならばそれは絶対の真実なのです。
2017年に発表されたピューリサーチセンターのリポートによると、2015年時点で世界の総人口に占めるイスラム教徒の割合は 24%、キリスト教徒の割合は 31%ですが、2010年から2015年までに世界中で生まれた子どもの 31%がイスラム教徒、 33%がキリスト教徒となっています。その後のイスラム教徒の増加率は他の宗教の信者の2倍以上と予測されており、2060年には世界人口の 31%がイスラム教徒、 32%がキリスト教徒になって両者はほぼ拮抗、2100年には 35%がイスラム教徒、 34%がキリスト教徒となって順位が逆転するとされています。つまり 22 世紀になると、世界最大の宗教勢力はイスラム教となり、世界人口の3人に1人はコーランを神の言葉だと信じ、世界はいずれ必ずイスラム教によって席巻されると信じる人になるということです。 地理的に見ると、宗教に関心が低い人口は出生率が低く高齢化が進む諸国(中国、日本、ヨーロッパ、北米など)に集中しているため、今後世界人口に占める割合は減少の一途を辿ります。一方、イスラム教徒やキリスト教徒人口は出生率が高く乳幼児死亡率が急速に低下している諸国に集中しているため、今後も世界人口に占める割合は増加すると見られています。「神を信じる人々」が圧倒的多数を占める時代が、もうすぐそこまできているのです。
イスラム教徒の人口増加はイスラム教徒女性の多産に起因するところが大きく、2015年から2020年にかけて1人のイスラム教徒女性が産む子どもの数は2・9人と予測されており、これは非イスラム教徒女性の2・2人を大きく上回っています。また2015年時点でのイスラム教徒の年齢中央値は 23 歳で、非イスラム教徒と比較して7歳以上若いのも特徴です。これらが相まって、今後もイスラム教徒人口の増加を促すと見られています。
他方イスラム教の場合、結婚・出産・育児の奨励は単なる「旧態依然」とした価値観ではなく、時代や地域を越えた普遍性をもつ神の命令です。しかもイスラム教においては、人生というのは自分の好きなことをするためにあるのではなく、ただひたすら神の命令に従い、神を崇拝するためにあるととらえます。イスラム教のこうした価値観とイスラム教徒人口の増加は、密接に関係していると考えるのが妥当です。
現代のイスラム教指導者の中には、子どもをたくさん産むことによって世界を征服しようと呼びかける人も少なくありません。一例を挙げると、エルサレムのイスラム教指導者ムハンマド・アイヤードは2015年3月、ヨーロッパに流入するイスラム教徒難民の問題を受けて、「どんどん子どもを産んで人口パワーでヨーロッパを征服しよう」と呼びかけました。さらに彼は、そうした息子たちは来るべきカリフの下にジハードを戦うべく召集されるだろう、とも述べています。
自殺はダメだが自爆テロは推奨する不思議な死生観
ナイクは、2016年7月バングラデシュのダッカで日本人7人が犠牲となったテロの実行者の一人が彼のジハード思想に影響を受けたと自白している人物でもあり、2017年7月にはインド政府が彼のパスポートを無効化し、インターポールに国際手配を要請しました。しかし、この人物は日本ムスリム平和連盟の招待に応じて2015年 11 月に来日し、代々木上原にあるモスクを運営する東京ジャーミイや日本最古のイスラム教徒団体である日本ムスリム協会を始めとする日本の名だたるイスラム教団体の歓待を受けただけでなく、東京大学や同志社大学、九州大学等で「イスラム教は平和の宗教」云々と講演、数名の日本人をその場でイスラム教に改宗させています。加えて2016年には彼に師事したという日本人が彼の許可を得て千葉県内にNGOを設立し、現在も宣教活動を行っています。彼が過去世界中でどれほど過激なジハード論を展開し、また日本でどのような「イスラム教は平和の宗教」論を展開したかは、全て映像で記録されインターネット上に出回っているので、確認するのは容易です。
車を武器として用いたテロ事件の歴史は1980年代にまで遡り、2000年以降はイスラエルでしばしば発生してきたものの、欧米各地で発生するようになったのは2014年以降のことです。日本でもニースのテロ直後に開催された隅田川花火大会では、会場付近の道路を大型車両で封鎖して車突入テロに備えるといった対策がとられた他、花火大会としては初めて緊急時対応部隊(ERT)が配備されました。
コーランは私たちのように、現実世界だけを信じ欲望を追求して生きる人々をたびたび批判します。コーラン第 96 章6~8節に「いや、人間とは実に不遜なものである。自分で何もたりないところはないと考えている。本当にあなたの主に(すべては)帰されるのに」と記されているのは、信仰を持たない人間の傲慢さを戒めたものだと解釈されています。コーラン第3章 14 節には、「様々な欲望の追求は、人間の目には美しく見える。女たち、子どもたち、莫大な金銀財宝、(血統の正しい)焼印を押した馬、家畜や田畑。これらは現世の生活の楽しみにすぎない。だが最高の安息所は神の御側にこそある」と記されています。信仰を持たない人間が家庭や財産、社会的地位といったもののみを追求することは、神は当然お見通しです。しかし「現世の生活はいつわりの快楽にすぎない(同章185節)」のであり、最後の審判は「すべての人が、それぞれ(現世で)自分のした一切の善事と悪事とをあらいざらい目の前にならべて見せつけられる日(同章 30 節)」であって、「来世を犠牲にして現世の生活を購った者、結局かれらの刑罰は一切軽減されず、また(最後の審判の日に)誰の助けも得られない(第2章 86 節)」とされます。
同じアラビア語でも、例えば「イスラム国」のような過激派に批判的な立場をとるメディアでは、自爆攻撃は自爆攻撃か自殺攻撃、自爆者は自爆者か自殺者と文字通りに表現されます。しかし「イスラム国」メディアや支持者らは必ず、自爆攻撃を殉教攻撃、自爆者を殉教者と表現します。イスラム教は自殺を禁じているのだから自爆はイスラム教に反しているという批判は、少なくとも自爆を殉教行為と認識している人々に対しては妥当しません。既述のように、コーランは随所でジハードに命を捧げよと命じており、殉教者は天国で永遠の命を得るとも明示している以上、それらはイスラム教においては普遍的規範なのです。
イスラム教は「神がいる」という前提から出発する宗教であり、その神が人間に法を下したこと、人間はそれに従わなければならないこともあらかじめ決められています。ですからその枠内においては、神の存在如何について問い直したり、神の法を否定したりすることは一切許されません。あくまでもそうした愚かな蛮行に及ぶ者は、背教者として死刑に処されるのみです。すべての人間に自由と人権が認められたこの 21 世紀の世界に奴隷制復活など到底許されないという主張は、このイスラム教の枠内においては認められません。逆に神が規定した奴隷制がこの世界から失われたことのほうがおかしい、という主張が出てくるのが自然です。
現代のイスラム諸国で施行されている姦通罪は、思わぬ形で外国人に適用されることもあります。2017年にはドバイのビーチにて車中で性交していた日本人カップルが逮捕され、姦通と飲酒の罪で執行猶予付きの禁固1ヶ月、罰金2000ディルハムの有罪判決を受け、強制送還されるという事件が起こりました。UAEの法が姦通者に鞭打ち刑や石打ち刑を科していなかったのは不幸中の幸いです。ドバイは日本人に人気の海外旅行先のひとつですが、婚姻関係にない男女が性交することはもちろんのこと、ホテルの同室に宿泊することも法律で禁じられていることは、あまり知られていないかもしれません。公の場でのキスやハグも、「みだらな行為」と見なされれば逮捕される可能性があります。
預言者ムハンマドは、「若者たちよ。あなた方の内で(経済的にも肉体的にも)結婚できる者はしなさい。結婚は最も視線を低くし、貞操を守ってくれるものである」といったと伝えられており、これはイスラム教が早婚を奨励する根拠のひとつとなっています。「視線を低くする」というのは、コーランにも現れるフレーズであり、性欲を刺激するようなものをうっかり見て、それを凝視したり姦通に走ったりしてしまわないために、必要な作法であるとされています。結婚しさえすれば性欲は満たされ、姦通から遠ざかることができると考えられているのです。
よく知られているように、イスラム教徒男性は4人まで妻を娶ることが認められています。これはコーラン第4章3節に「あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ」とあるためです。しかし同節には続けて「だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(女奴隷)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である」と記されているように、複数の妻には平等に接することが命じられています。この場合の平等とは物質的、肉体的、感情的平等のすべてを含むため、複数の妻を持つ夫はすべての妻のために同程度の家を用意して同額の生活費を与え、一人一人を同頻度で訪れて性交し、同じくらいずつの愛情を与えなければなりません。これを規定通り実行するのはなかなか困難だと思われますが、現代も複数の妻をもつイスラム教徒男性は存在しています。
また預言者ムハンマドは、天国の民への最小の報いは「8000人の召使と 72 人の妻、真珠や宝石で飾られた広大な宮殿」であるとか、天国に入れられた男性には「100人の男に匹敵する精力が与えられる」「一晩に100人の処女に近づくだろう」「オーガズムが次々と訪れ、眠ればまたかの女は処女にもどっている」などと述べたと伝えられており、このような天国での性的快楽についてのハディースは他にも数多く残されています。
イスラム法では、性交が許された関係性にある異性同士1対1の性交のみが合法とされるため、複数名で行う性交や同性間の性交は禁じられています。 同性愛に対する嫌悪は現代のイスラム社会においても根強く、多くのイスラム諸国で同性愛行為は違法として規制されています。
しかしイスラム法においても、また国の制定法においても禁止されているにもかかわらず、イスラム教徒同士の同性愛行為の摘発は後を絶ちません。現地の新聞やテレビでは、同性カップルが秘密裏に結婚式をあげていたら近所の人々にバレて暴動が発生したとか、公衆浴場に男ばかりが集まるので怪しいと思われていたら夜な夜な男だけの乱行パーティーが開催されていたことが…
同性愛はイスラム法においては死刑と規定されていますが、現代のイスラム諸国における刑法では多くの場合禁固刑が…
アチェ州を除き同性愛が違法とはされていないインドネシアでも、同性愛者がポルノ規制法などの容疑で逮捕されるケースが増加しています。インドネシアではイスラム教徒である閣僚が「LGBT運動は核戦争より危険」とか、「同性愛者は病気だから治療しなければならない」と公の場で発言するなど、同性愛に対する偏見は強烈…
2017年9月にエジプトのテレビ番組で開催された同性愛についての討論会は、参加者らが「同性愛はエジプト社会を滅ぼすためのアメリカの陰謀だ」とか、「イスラム教の啓典は同性愛を禁じているのでイスラム社会はそんなものは未来永劫絶対に受け入れない」「同性愛者はふつうの人間ではない」「同性愛者は高い建物から突き落として殺すべき」「砂漠でもどこでもいいので牢屋をつくって同性愛者をぶち込…
イスラム教は、女性を「男を誘惑する悪魔」だと捉えているのも特徴的です。よく知られたハディースに、次のようなものがあります。「預言者ムハンマドはある日、ある女性を見てすぐに妻であるザイナブのもとに行き、皮なめしをしていた彼女と性交をした。それから教友たちのもとに行き、『その女は悪魔の姿をして近寄り、悪魔の姿で去っていった。だからもしあなた方が女を見たなら、妻…
このハディースは一般にイスラム法学者たちによって、本来的に女というのは「男を誘惑する悪魔」のような存在であるから遠ざけなければならない、という趣旨で解釈されています。男性がうっかり女性に誘惑されてしまい姦通の罪を犯してしまうと、大変なことになります。そこでイスラム法の規定はそれを防ぐために、女性は隔離されなければならないとか、女性の美しさは隠されなければならないといった方向に展開…
2015年の年末から2016年の年始にかけてドイツ・ケルン中央駅周辺で発生した集団性的暴行事件では、500件以上の被害届が出され、1000人以上いるとされる犯人の大半はアラブ人イスラム教徒だといわれています。この事件について、ケルンのイスラム教指導者サーミー・アブーユースフはテレビ・インタビューで、「事件の責任は半裸のような格好で香水…
コーラン第 33 章 33 節には女性について、「あなたがたの家に静かにして留まり、(イスラム教)以前の無明時代のように、派手ないでたちをしてはならない」、と記されています。これは概ね「女は基本的に家にいなければならず、やむをえず外出する際にも香水をつけたり、化粧をしたり、着飾ったりしてはならない」という意味に解釈されます。預言者ムハンマドは、「半裸のような格好で誘惑的に歩く神に従順ではない女性」は地獄に行くといったとも伝えられています。女性は常に、夫以外の男性の性欲を刺激しないように気をつけなければならないのです。女性たちが香水をつけたり、化粧をしたり、着飾ったりするのは、夫だけのためでなければなりません。こうした啓示的根拠もさることながら、同指導者の発言の根底にあるのは、女は「男を誘惑する悪魔」であるから安易に外出などしてはならず、外出する際…
しかしイスラム教徒はその立場をとらないどころか、風刺画を描いた人や掲載紙のみにとどまらず、民主主義自体に対する強い怒りと憤りをあらわにしました。なぜならイスラム教徒にとって預言者ムハンマドは最も尊敬すべき人物にして完璧な手本であり、彼を茶化したり風刺したりすることなどまったく思いもよらなかったからです。イスラム法においてはそうした行為は預言者ムハンマドへの冒瀆と見なされ、死刑が妥当と定められています。彼らにとってこの風刺画は単に「笑えない」というような次元の問題ではなく、彼ら自身とイスラム教そのものが冒瀆されたように感じる極めて深遠な問題として受け止められたのです。
このようにイスラム教は、宗教というよりは民主主義と対立する価値基準として認識したほうが理解しやすい場合というのが多々あります。少なくともイスラム教徒側がそう認識していることは、この問題についてデンマークで最初に抗議の声をあげたイスラム教指導者ラエド・ハラヘルが、「イスラム教は民主主義よりずっと優れた世界一の価値基準だ」と述べていることからも理解されます。
民主主義は信教や言論の自由を担保しますが、イスラム教はそうではありません。民主主義とはそもそも民衆が主権を持つという思想・政体ですが、コーラン第 67 章1節で明示されているように、イスラム教では神が主権を持つとされています。民衆たるイスラム教徒には新たな法を作ったり法を変更したりする権利は認められず、絶対者たる神の定めた法(イスラム法)にただ従うことが義務付けられています。そのかわり法を遵守して現世を生きた者は、報奨として来世で救済されることになっています。イスラム法においては預言者を風刺する自由など認められていません。
2005年の風刺画騒動を受け、穏健派法学者として知られてきたユースフ・カラダーウィーはインタビューで、西洋人は絶対的自由があると信じているが、それは勘違いであって実はそんなものはない、西洋人と自分たちで異なるのはどのようなルールを採用しどこで線引きをするかという点においてだけだ、と述べました。何れにしてもルールがあるのなら、神が作ったルール、すなわちイスラム法に従うのが一番いいに決まっている、というのがイスラム教側の主張です。なぜなら現世で人間が作ったルールに従っても来世で何の報酬も得られませんが、神が作ったルールに従えば来世で救済されるからです。コーラン第2章212節には次のように記されています。「現世の生活は不信仰者たちにとっては魅惑的である。そしてかれらは信仰者たちを嘲笑する。だが(主に対して自分の)義務を果たす者は、復活の日にかれらの上位に立つであろう」。
ドイツのメルケル首相は2016年 12 月、「国の法はイスラム法よりも優先される」と演説で述べました。少なくとも今の時点で、日本の首相が公の場でこうした趣旨の発言をする状況を想像するのは難しいですが、ヨーロッパでは国のトップがそう発言しなければならないほどこの問題は深刻なのです。
他にも天体が太陽の周りを公転しており地球の軌道が楕円であること(コーラン第 36 章 37 ~ 40 節)、高度が上がると気圧が下がるため人間が呼吸困難になること(第6章125節)、ビッグバン理論(第 21 章 30 節、第 51 章 47 節)、地球に裂け目があること(第 86 章 12 節)、月に裂け目があること(第 54 章1節)といった宇宙に関する事柄から、ハエは食べ物を吸い取るとすぐさま消化吸収してしまうこと(第 22 章 73 節)、働きバチが基本的にメスであること(第 16 章 68 ~ 69 節)、葉緑素の存在(第6章 99 節)など自然科学に関することまで、あらゆることが1400年前のコーランの啓示によって既に明らかになっていると主張されます。
ですからイスラム教徒の知識人たちは、「イスラム教は民主主義を否定している」と批判されると、「いや、否定などしてない。イスラム教には西洋由来の民主主義などよりずっと正統な、神によって規定された民主主義がある」と反論します。そして「イスラム教は神などという万能理論を持ち出して科学の発展を阻害している」と批判されると、「いや、科学の発展を阻害するどころか、イスラム教においてはその成果が1400年前に啓示によって既に示されている」と反論します。さらには、科学の発展によってむしろコーランが真に神の啓示であり、イスラム教こそが唯一の正しい宗教であることが証明されたのだと主張します。
イスラム法は人間生活の全てを規定していますから、やらなければならないこと、やってはいけないことも、全て定められています。それだけでなく、やったほうがいいこと、やらないほうがいいこと、やってもやらなくてもどちらでもいいことまで、定められています。何が善で何が悪なのかの判断に迷ったり悩んだりする必要もありません。イスラム教は、ものごとはそれ自体としては善でも悪でもなく、神が善としたものが善であり、悪としたものが悪なのだとする立場をとります。人間が理性によって下す判断は、判断をする人や状況によっていくらでも異なりますし、矛盾します。だから、善悪の判断基準は理性ではなく啓示に求められるのです。イスラム教においては、理性は啓示のような判断の源ではなく、啓示から判断を導出するための道具であると見なされています。
1日5回の礼拝はやらなければならないことだと規定されているため、実施すれば善を行ったことになるので天国に一歩近づき、実施を怠れば天国から一歩遠ざかると信じられています。礼拝は神と人間のあいだの取り決めなので、怠ったからといってこの世で何らかの罰を受けるわけではありません。また病人や老人、旅人に対しては、礼拝の短縮やまとめての実施、省略なども認められています。礼拝は義務ですが、それをどの程度果たすかは信者ひとりひとりの決定に委ねられています。これも神から人間に与えられた「自由」の一環です。ですからイスラム教徒の中には、全く礼拝をしない人というのもいます。しかしどんな人も、自分が生前におこなった全行為の総決算として終末の日に下される審判の結果を受け入れなければなりません。
イスラム教徒が少数派である地域に暮らす場合や、そこに旅行などで行く場合には、個々人で原材料に気をつけたり、外食する場合にはトルコ料理屋やパキスタン料理屋などイスラム教徒が経営し調理している蓋然性の高い店を選んだりするのが通例です。もちろん、イスラム教徒であっても豚も食べるし酒も飲むという人もいれば、肉にしても本当に正しいやり方で処理されたものだけを食べたいとこだわる人もいます。しかし後者のような人は、誰がどんな基準で定めたのかわからないハラール・マークなど信用しないでしょうし、日本のように多神教の支配する国に遊びに来たりはしないでしょう。イスラム法ではそもそも、特別な必要性もないのに不信仰の地に行くことは禁じられています。
イスラム法というのは、「それに従って生きれば必ず天国に入れていただける完璧なマニュアル」ですから、イスラム教徒はそれがあることによって安心して生きられると感じます。高校生にとっての校則のように、「自分たちを縛り付ける面倒で不愉快で不必要なルールの集成」などとは全くとらえられていません。自分たちは人間の理性によってでは決して知り得ない「正しい道」を知っているのだという自信は、イスラム教徒にとっての優越感の源ともなっています。
たとえば、私たちは食事を始める際「いただきます」といいますが、イスラム教徒は「ビスミッラー(神の名にかけて)」といいます。私たちは人の家に入る際には「お邪魔します」といいますが、イスラム教徒は「ビスミッラー」といいます。私たちはスピーチの冒頭で、挨拶や自己紹介をしますが、イスラム教徒は「ビスミッラー」といいます。車や電車に乗り込む際、私たちは特に何もいいませんが、イスラム教徒は「ビスミッラー」といいます。私たちは手紙の冒頭には時候の挨拶を記しますが、イスラム教徒は「ビスミッラー」と記します。何かを始める際に「ビスミッラー」といったり記したりするのは、イスラム教徒の務めであり、習慣です。
ですから啓示の文言に忠実なイスラム教徒には、神のことなどすっかり忘れて「人生を楽しむ」という発想はありません。「現世の生活は偽りの快楽に過ぎない(コーラン第3章185節)」ので、現世では「信仰して善行に励む(第 13 章 29 節)」ことが肝要なのです。神は、「信仰して善行に励む者には、われ(神)は川が下を流れる天国に入らせ永遠にその中に住まわせよう(第4章 57 節)」と約束してくださっているのですから、そこに疑いの余地はありません。イスラム教において善とは神が命じたことですから、善行に励むとは神の命令にひたすら従うことを意味します。「現世の生活は束の間の快楽に過ぎず、来世こそが永遠の住まい(第 40 章 39 節)」であり、現世は来世で天国に入るために人間に与えられた唯一のチャンスですから、そこでのんびりと偽りの快楽に浸ってなどいられないのです。
コーランは「人生を楽しむ」ことに明け暮れる人に対して、「一体あなたがたは来世よりも現世の生活に満足するのか? 現世の生活の楽しみなど来世に比べればわずかなものにすぎない(第9章 38 節)」と注意をうながします。正しいイスラム教徒はまるで楽しくない人生を送っていたとしても決して失望しませんし、自分の人生はなぜこんなにも報われないのかと嘆くこともありません。なぜなら人生とは、現世ではなく来世で報われるためのものだからです。現世では努力が報われないことも多く、成功が実力ではなく運に左右されることも多々ありますが、来世では善行は必ず、やった分だけ報われます。あんな悪人がなぜ財をなし名声を手に入れているのか、と他人を羨む必要もありません。本当の悪人は、来世でかならず地獄に行くことになるからです。
1日5回の礼拝はイスラム教の義務の中でも面倒そうなものの代表格ですが、私は個人的に「礼拝は面倒ではないですか?」と尋ねられて、「はい、実に面倒です」と答えるイスラム教徒を知りません。むしろ礼拝は神と向き合う貴重な時間であり、心の安寧を得ることができる上に、体を動かすことでリラックス効果も得られると説明する人が多く、少なくとも基本的には面倒という感覚で礼拝をとらえることはありません。仮に心の中では面倒だと思っていても、それを口にすることは憚られると考えるのが一般的です。礼拝時の様々な体の動きもイスラム法で規定されていますが、各々の動作にどんな意味があるかは「神の領域」に属することであり、人間があれこれ考えてはならないとされています。
他方みんなが礼拝を尊重するあまり、本来の趣旨とは異なる妙な慣行が定着してしまった例もあります。たとえばエジプトでは、仕事中に礼拝を始めたら最後、驚くほど長時間仕事に戻らない人が少なくありません。エジプト政府職員600万人は1日あたり平均 27 分しか実質的に労働していない、という公式の調査結果があるほど、エジプト人労働者の非生産性は顕著であることが知られています。これについて2008年、エジプト出身の著名法学者カラダーウィーは、「礼拝は重要だが 10 分間行えば十分」という法学的見解を出しました。確かに礼拝は通常 10 分間もあればすみますが、礼拝前の浄めを行うために遠くの水場まで行ったり、礼拝に不可欠なコーランの朗唱で長大な節を選択したりすると、所要時間はどんどん長引きます。「あの時やり忘れた礼拝をやり直そう」などと始めると、それこそきりがありません。カラダーウィーの見解は、礼拝をいいわけにしさえすれば仕事を堂々とサボれる、という考えはイスラム教的に間違っていますよ、という戒めです。
預言者ムハンマドの「人気」は、世界中に非常に多くのムハンマドさんがいることからもよくわかります。コロンビア百科事典の最新版(第6版)には、ムハンマドはおそらく世界で最も人気のある男性の名前であると記されており、世界中に1500万人はムハンマドさんがいるとされています。ムハンマドという名前は、イスラム諸国以外でも、フランス、ベルギー、イギリス、スペインといったヨーロッパ諸国やインドなどにおいて人気ランキング上位の常連です。イギリスでは2012年以降5年連続で、男の子につけられた名前で最も多かったのがムハンマドとなっています。もとはアラビア語であるムハンマドという名前を英語圏においてアルファベットで表記する場合、Muhammad / Mohammed / Mohammadといったヴァリエーションが生じるのが通例です。イギリス国家統計局は一番人気の名前をオリヴァーだと発表していますが、上記3つのムハンマドを合計するとオリヴァーの数を上回ります。
ヨーロッパ諸国は、互いが顔を見せ合うことを民主主義社会の成立に必要不可欠な要素として重視します。そしてニカーブを、女性の男性に対する服従の象徴ととらえます。イスラム教を敵視しているからでも、治安上の理由からでもなく、ヨーロッパの普遍的価値に反するがゆえにニカーブは禁じられてしかるべきなのだ、というのがヨーロッパの論理です。これは当然、イスラム教の論理とは相容れません。
世界的に見るとニカーブ着用者はそう多いわけでは -
Posted by ブクログ
イスラム教とイスラム主義の違いがよくわかる。
最近タリバンと中共の接近になぜ?と疑問を持っていたが、本書を読んで理由がわかった。
共産主義中国は宗教を弾圧するから、イスラム教と対立しそうだが、イスラム原理主義は宗教ではなく中共と同じ全体主義、統治思想だから矛盾はないのだ。もちろん本書刊行の時点で、アフガニスタンをタリバンが掌握してはいなかったから、この件については言及はない。
だが同じ全体主義が手を結ぶ恐怖はじわりと迫ってくる。
また日本の研究の現状、マスコミ、出版界による洗脳の恐怖も感じるだろう。まさに無防備な日本は危機的状況だ。
イスラムを取り巻く現実を知るには必読の書だと思う。