あべ弘士のレビュー一覧
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絵とき ゾウの時間とネズミの時間
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絵とき ゾウの時間とネズミの時間
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Posted by ブクログ
今まで、ここで終わってもいいけれど、
もうちょっと続いてほしいような、
余韻のある終わり方をしてきたあらしのよるにシリーズだが、
これは正真正銘の完結編である。
みどりのもりにたどりついたメイ。
ガブの姿は見えない。毎日ようにガブと再会する夢ばかり見る。
みどりのもりにいても、ガブがいないのでは、
メイのこころはひとつも晴れない。
もりのだれとも口をきかず、ガブのことばかり思い出しながら、
独り言でずっとガブと話している。
体は衰弱し、生きる気力もなくなっていった。
見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえる。
この世の外から聞いているような感じ。
これは、私が、かつて死に近づいた人から聞いたのと
同じような感覚のことだろうと思った。
次第に自分が自分でないような感覚。
メイは、心と体が離れかけていたんだと思う。
それを呼び覚ましたのは、森にオオカミが現れたという声。
ガブが生きているのかもという思いだけがメイの命を支えた。
一方のガブを生かしていたのは、
「どんなことをしてでも、いきてはたさなければならないやくそくがある」という思いだった。
だけど、彼は、その約束が何だったのか覚えていない。
なだれに巻き込まれたとき、彼は、すべての記憶を失っていた。
自分が何ものなのかすら、覚えていなかったのだ。
覚えていたのは、ヤギの肉が大好物だったという本能だけ。
草原で2匹は再会する。
メイは、歩き方の癖からガブを覚えていた。
が、ガブはメイをおいしいヤギとしか思っていなかった。
ガブは、満月の夜にメイを食べるつもりでいた。
メイは必死で考える。どんな話をすればガブがメイを思い出すのかを。
出会わなければよかった!
はじめてメイがガブとの出会いを悔やんだとき・・・・。
後半の見開き7ページは、この作品の表現の最も秀逸な部分であると思う。
これは、絵本でなければ、できないことだ。
病や障害が、その人らしさを奪っていったとしても、
それが完全になくなってしまうわけではない。
本質は変わらないのだ。
そして、その本質を引き出すのは、
お互いを結びつける言葉であり、愛、なのだ。 -
Posted by ブクログ
「ひみつ」が森中にばれて、追い詰められた2匹は、
コミュニティーを離れて、ふたりで生きていくことを選んだ。
お互いを苛酷な環境に追い込んだことを後悔し、
こんなことなら出会わなければ良かったのではないかと苦悶する。
それでも、やっぱり出会ってよかったと信じる。
お互いの中でこの二つの気持ちがせめぎ合う。
追っ手が迫っている中、2匹は雪山を越えることを決意する。
その向こうの緑の森を目指して。
いつも一緒にいることが楽しいのだが、ずっと一緒にいると、
だんだん相手の、自分との違いが、「普通」が、
耐えられなくもなってくる。
いつも一緒にいるメイだが、
ガブにとってはおなかがすくとそのにおいがおいしそうでつらいのだ。
そして、ガブは肉食なので、離れて食事をしても、血なまぐさく、
それがメイには耐えられない。
ガブは夢の中で、ヤギを食べる夢を見てしまい、
これ以上一緒にいたら何をするかわからないから、
早くどこかに行ってくれとメイに頼む。
メイは答える。
「かくごを きめて、 いっしょに きてるんです!
なんでもはなせるのが ほんとうの ともだちじゃ
なかったんですか」。
心をひとつにしながら、旅は続く。
ガブも思う。
食べたらおいしいけれど、お話できたほうがうれしいと。
ふもとにはオオカミの群れが迫りつつも、一緒に見られた満月。
そして、苛酷な環境が訪れた。吹雪である。
ここで出るのは、その者が持つ本質。
ふたりのそれは、まぎれもなく、愛、だったのだ。 -
Posted by ブクログ
ガブとメイが、ソヨソヨとうげで会う約束をした日、
折りしもその日にオオカミたちはその場所にヤギ狩りに行くことを決める。
ガブはなんとかメイを逃がしたのだが、
ガブとメイが一緒に歩いているところを一匹のヤギが目撃し、
それが森中のうわさになり、
ヤギたちにもオオカミたちにも知られてしまったのだ。
必死にお互いを守ろうとするガブとメイだったが・・・。
お互いの種族たちの壁はあまりにも大きかった。
お互いをもう一度あわせ、自分たちの種族に有利な情報を
お互いから引き出すように迫る仲間達。
ふたりのことは、自然が味方してくれているように思う。
それは、『あらしのよるに』を読んだときから、
ずっと感じてきたことである。
どしゃぶり、そして、いなずま。
どんなにお互いの種族が敵同士でも、
ふたりがお互いをかけがえのない存在だと思っているかどうかは、
コミュニティーはまったく関係なく、
自然の中に、ふたりっきりでいるときに見えるのだと思う。
まったくコミュニティーを無視して生きることはできないが、
究極にはふたりの関係は、ふたりがお互いをどう思っているかで決まる。
どしゃぶりの中、いわのうえでお互いを支えあい、たおれこみ、
ぬれてつめたくなった体に触れたのは、相手のぬくもりだった。
そのあたたかさが、お互いに本当のことを話させたのだと思う。
いや、言葉を必要とせずに互いを理解した。
ふたりには、もうこの答えしか、なかったのだと、思った。 -
Posted by ブクログ
『くものきれまに』では、他のヤギに自分がどう見られているかを知って
落ち込んだガブだったが、
今度は、オオカミのテリトリーに近い場所にメイを呼んだことにより、
メイが、オオカミからどう見られているのかを
意識するような出来事が起こる。
きりのなか、向こうから来る相手が気になってしょうがないメイ。
ガブだったらいいけれど、他のオオカミだったら?
きりで見えないから声を出してはみたけれど、それもまた危険。
お互いは、もうすっかり信頼しあっている。
危ない場所に来たメイに、なにかあったら助けに行くと誓ったガブ。
しかも、お互いが、そのセリフを言うところを回想で思い出す。
ますます恋人達のように思い合っている。
こんな危ない場所にメイを呼んだのは、わけがあった。
ガブには見せたいものがあったのだ。
この谷から見る月をガブは愛していて、
それをメイと分かち合いたかったのだ。
二匹のオオカミに襲われそうになったメイをなんとか助け出し、
飛び込んだのは、ちいさなどうくつ。
「あらしのよる」と同じような闇が訪れる。
闇の中では取り繕わずに本当のことが言える。
ガブは不器用だが、正直な気持ちを口にするタイプで、
ここでもまた言われてみたいような言葉を口にする。
さて、本能を超えて、お互いの種族の違いを超えて、
どこまで大切に思えるのか、守れるのか。
究極の、まっすぐな問いが、ここにあった。 -
Posted by ブクログ
どんなに仲の良い者同士でも、
ふたりだけの世界で生きていくことはできない。
ましてや、ふたりがまったく違うコミュニティーで
生きているのだとしたら、
環境の違いが与える影響はとてつもなく大きい。
実は、ヤギとオオカミの名前は、
この『くものきれまに』ではじめて出てくる。
それはなぜか。
ふたりがお互いの名前を「あらしのよる」も再会したときも、
聞いていないからというのもある。
これは、ふたりでいるときは名は必要がなくて、
コミュニティーの中にいるからこそ名が必要だということの
象徴だからではないのか。
ヤギの最初に名前で呼ぶのは、友達の心配性のふとったヤギである。
「メイ、どこに いくんだい?」
この心配性の友人タプは、
このシリーズに始めて登場する「第三者」である。
約束の場所でオオカミと会った「メイ」は、このタプのセリフ、
「メイは のんきものだから しんぱいだ」を用いて、
はじめて、自分の名前は、「メイ」だとオオカミに語る。
そして、オオカミもここではじめて「ガブ」と名乗るのである。
名前を認識する。
これは、また新しい展開になる。
すでにかけがえのない「オオカミ」と「ヤギ」だったふたりだが、
ここでお互いがかけがえのない「ガブ」と「メイ」になる。
お互いの仲間に、お互いが友だちだといえないふたり。
メイは、自分たちの関係を「わたしたちだけの ひみつ」だという。
なにやら、どきどきする。
まるで、秘密の恋愛のようである。
秘密であるがゆえに、メイ、タプ、ガブの間で繰り広げられるドタバタ。
そして、ガブの本能を試すかのような出来事が起こる。
お互いがお互いをではなく、他のヤギが自分をどう見ているのかを
意識せざるを得ない出来事が起こって落ち込むガブ。
これは次の事件への予兆であったのだ。
「ひみつのともだち」という言葉がふたりの支えだった。
言葉はお互いの絆を強くするものなのである。 -
Posted by ブクログ
あれほど緊張感のあった「あらしのよるに」とはうってかわって、
和やかに談笑するヤギとオオカミ。
おいおい、こんなにあっさり再会して、
打ち溶け合っていいのかよと拍子抜けする。
のどかに仲良くお出かけするふたりだったが、
行く途中でお弁当を落としてしまうオオカミ。
一匹ずつしか通れない道をヤギを先に通すと、
ヤギのおしりが、おいしそうに見えてくる。
ふたりの友情には、葛藤が付いてまわる。
本当は、ヤギのにくが大好物だったオオカミなのに、
「ヤギのにくだけはだいっきりなんす。」とやさしいウソをつく。
大好物が、おともだち、なのである。
たべてもうまいけど、いっしょにいると、
なんだかほっとしてしまう、のである。
ヤギも、オオカミの光っている目を見ると、
本当は自分のことを食べたいのではないかという疑念がわいてきて、
それをあわてて打ち消す。
またカミナリがなって抱き合うふたり。
前と事情が違うのは、お互いをオオカミだと、ヤギだと自覚していること。
もしかして、とうとう・・・・とどきどきさせる展開もある。
「あらしのよるに」とは、もうひとつ違う展開が見えてくる。
ふたりの関係が、恋愛関係のようにも見えてくることだ。
実は、この部分は読者が想像してよい部分になっているのだと思う。
話し方からオオカミは明らかにオスだが、ヤギはオスにもメスにも取れる。
同姓とも異性とも、友情とも愛情とも、とっていいのではないかと思った。
それにしても、最後のあの言葉は、言われてみたい、です。
なんかね、どきどきするじゃないですか・・・。 -
Posted by ブクログ
あらしのよるに、一匹のヤギが、やっとのおもいでたどりついた
壊れかけた小さな小屋で雨風をしのいでいた。
その小屋に同じく雨風をしのぐためにやってきた者がいた。
ひづめの音がしたので、相手もヤギだと思った、
ヤギは、やってきた者に話しかけた。
「すごい あらしですね。」
暗闇を表現する手法が懐かしい。
クレヨンで画用紙をカラフルに満遍なく塗ったあとに、
上から黒で塗りつぶす。
そして、先のとがったもので、線を描いていく。
すると、黒の中に、カラフルな線が浮かび上がる。
幼稚園の頃、そうやって絵を描いたことがあるのを思い出した。
暗闇の中に浮かび上がる線。
視界がまったく利かないことがこれで表現されつくしている。
ひづめの音とヤギが理解したのは、実は、棒切れ。
怪我をしたオオカミが杖の代わりについていたのだった。
オオカミもヤギも、お互いに誰だか気づいていない。
暗闇である上、二匹とも鼻かぜを引いている。
匂いもわからないというわけだ。
お互いはお互いの声を聞いたときに、
「オオカミみたい」「ヤギみたい」と思うのだが、
失礼だと思って言わないでいた。
読者は、「オオカミ」と「ヤギ」の両方が見える。
正直に語り合っているふたりだが、肝心のところが伝わっていないままだ。
お互いに、ある事実に目をつぶっていると、
ヒントが出ていても気づかないものだというのが、
両方が見えているから、よくわかる。
「うまいえさ」と同じ言葉を使いながら、当然違うものをさしている。
どうにもごまかしようのない「答え」を
お互いに言ってしまいそうになると、
自然現象がタイミングよく邪魔をする。
かみなりがなってお互いの声が聞こえなくなるのだ。
子どもの頃に親から言われたことも同じ。
食が細く、足も遅かった2匹は、「もっとくえ、もっとくえ」、
「はやく はしれないと いきのこれないわよ」と言われて育つ。
そんな「共通点」から、次第に親近感を持っていく二人。
今度は、自然現象・いなずまが、「答え」を提示しようとする。
さっきのかみなりとは、逆の役割を果たそうとする。
だが、ふたりは、片や下を向き、片やしっかりと目をつぶっていた。
ふたりの究極の共通点は、かみなりが苦手なことだ。
かみなりが鳴ったとき、
ふたりはしっかりとからだをよせあってしまったのだ。
ふたりを究極に近づけさせてしまったのは、
おそらく、この「弱み」なのだろう。
強くて元気なときではなく、弱っているときに出会い、
最初から「弱み」をさらけ出してしまった。
ふたりは再会を約束するのだが・・・。
この作品は、最初は、続編を出すつもりがなかったのではないかと思う。
この続きの話の、『あるはれたひに』以降は、
結末まで描き切る決意で書き進められていると思うのだが、
このときは、これで終わらせるつもりだったのではないか。
この作品は、読者に続きを永遠に想像させ、
続けなくてもよかったのだと思う。
だが、続けても成功したという、貴重な作品なのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
何年か前に、中村獅童の声で教育テレビのてれび絵本でやってました。
アニメの映画にもなりましたね。映画版は絵の感じが好きではないので見てませんが。
絵本はシリーズ化されて、最初6巻目の『ふぶきのあした』までで終わっていたのですが
「ガブ(オオカミ)は一体どうなったの?」という問い合わせや続編を切望する声が多く
特別編や、最後の完結編『まんげつのよるに』ができたそうです。
まず最初の『あらしのよるに』は…
ある嵐の夜、1匹のヤギ(メイ)が、山小屋に避難します。
同時に1匹のオオカミ(ガブ)も同じ山小屋に避難します。
真っ暗な闇の中、かぜ気味で鼻の利かない2匹は、お互い相手を自分と同種の動物と勘違いしたまま
夜通し語り合い、途中雷であたりが明るくなっても偶然の連続でお互いの姿を見ることも無く、
とうとう意気投合してしまいます。
そして「あらしのよるに」を合い言葉に、翌日再び会う約束をします。
この本一冊だけだと、単純にハラハラドキドキ。うわ〜バレる、バレちゃうよぉ〜と、
まるで小さい頃『八時だよ全員集合』で「志村ぁ〜!後ろ、後ろぉ〜!」とテレビに向かって叫んだような
スリル満点の楽しい絵本です。
しかし、2冊目3冊目と読み進めていくと、話がどんどんディープになっていきます。
オオカミとヤギの種を超えた禁断の友情。秘密の逢瀬を重ね、ばれそうになり、追い詰められると
仲間を捨てて、二人だけの世界を求めて逃避行。
韓流ドラマも大映ドラマも真っ青のどろどろドラマです。
逃げている間、ガブは雪山のなだれに巻き込まれて、消えてしまいます。
『ふぶきのあした』でここまで終了。当然読者不完全燃焼。
待望の最後の完結編『まんげつのよるに』では、ガブは記憶喪失になっていて、
すっかり腹をすかせたただのオオカミ。
もはやうれしい親友メイとの再会も、ご馳走が自ら懐へ飛び込んできた、位にしか
考えません。
そこで嘆き悲しんだメイがある言葉を叫ぶと、ガブの記憶も戻り…再会を再び喜ぶと、
やっぱりドロドロドラマにありがちな展開。
絵本では、さすがにイイ感じな終わり方で、お子様は安心して読み終えられる内容だけど
文庫版は、実はさらにその先衝撃の結末が待っています。でも一応ハッピーエンド。
種を超えた友情は、二人だけがお互い幸せでも、そのまま共に生きていくのは無理がある。
二人のハッピーエンドは、こういう結末しかないのかな…。と考えさせられます。
シリーズ読破して、しかも文庫版まで読んでしまった私が言うのもなんですが、
これは一番最初の『あらしのよるに』だけ読むのが一番楽しいかもしれません。
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絵とき ゾウの時間とネズミの時間
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