イザベラ・バードのレビュー一覧
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明治初期に日本の奥地ー東北地方から北海道にかけてを旅した英国夫人の紀行文。
自然に対する詩的な表現はいかにも英国人らしく、興味津々に土着文化のなかにわけいっていくバードの筆致はとても楽しいのだけれど、ここでも映画『サーミの血』を思い出す。
イザベラ・バードと現代人の自分では当然ながら受けてきた教育、歴史への反省に差があって、自分に元気がないとその差を時代の違いだと飲み込めないので読み進みめるのになかなか時間がかかった。
しかし彼女は当時の英国上流階級の女性の常識の範囲内で精一杯異俗への理解と愛情を示している。つまり、当時のヨーロッパ知識階級の人びとの思考として捉えてもよいのだろうな。
色々とし手厳しい意見も多いがアイヌのイヨマンテ(熊送り)の儀式についても言及があり、わたしはイヨマンテの記録映像はとても見ていられなかったのだけど、それをバードは熊信仰の儀式としてたんたんと記録している点でも信仰自体については(その信仰を未熟とか言っていても)敬意を払う人であったことがわかる。
とりあえず宮本常一の解説本が次に控えているので未消化のままにしておく。 -
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やっと、読み終わった。
へえ、などと思ったところは多い。
それを一つ一つあげるのはきりがないので…。
どこでも蚤に悩まされたこと、日本人も、あいぬの人たちも、子どもをいかに愛していたか。
バードがこうしたことを書いていたという話は、本書を読む前から聞いたことがあった。
蚤の話は、本州の山奥も、北海道も同様。
絶滅したわけではないと思うが、現在は普通に暮らしていれば、蚤なんて無縁だ。
進駐軍の撒いたDDTは、そんなに強力だったのか?
この本の旅をしたときにバードは、すでに四十代後半。
伊藤というガイドを雇ったとはいえ、たった一人で旅をしたと負うことに驚かされる。
それにしても、いったいどういう人なのだろう。
北海道では、アイヌの村に逗留し、彼らの身長を測り、言葉を採取し、道具を買い上げる。
人類学者?
現代人の感覚だと、普通の旅行者がすることではない。
自然の描写が美しい。
米沢、礼文華のところが特にすばらしい。
それから、やはりアイヌの文化についての記述は面白かった。
義経がアイヌに文字や法を伝えたという言い伝えがあることや、熊への信仰、蛇を忌み恐れることなど。
礼儀正しく、優雅とも書かれ、その一方で未開とも書かれる。
どんな人たちだったのだろうと惹きつけられる。
本当は、伊勢まで行ったところまで記事があったとか。
そのせいか、彼女が東京に戻り、桐ケ谷斎場を訪れたところで、ぷっつり切れた感じで終わっている。
桐ケ谷といえば、学生時代毎日のように通りかかっていただけに、ちょっとした感慨がある。
今や街中になってしまっているあそこが、明治半ばは火葬場があるほど郊外だったんだと、改めて気づく。 -
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先日、秋田全地域を1週間かけて廻り、得た感想は「日本昔ばなしの世界」ということ。言い過ぎかとも思うが、どうしてもその思いは離れず、であれば、本当の昔はどうだったんだろうと思い、以前挫折したイザベラバードの日本奥地紀行の東北エリア版を読んでみた。1800年代の東北地方について、細かく、風景、風俗、風習を若干の差別意識とそれ以上の感動を元に北海道に渡るまでを書き留めている。リアリティのある描写は目の前にバードが見ている景色を想像させ、当時の苦難の道のりを一緒に旅している気分にさせるいい本。肝心の秋田は意外に都会であった部分もあり驚く。このままの勢いで北海道編も読破したい。それにしてもあまりに過酷な旅のようで、このバードという人のタフさに感心する。現代のバックパッカーとか話にならない、鉄腕ディーヴァ。
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1878年、明治維新後のまだ西欧の影響をほとんど受けていない日本の奥地を旅した英国の中年婦人がつぶさに書きとめた旅行記。
全体にいかにも西洋人が東洋人を見下すような、いわゆる「上から目線」が感じられるが、彼女の観察眼はなかなか鋭い。とても詳細なことまで記録している。そういう意味では当時の日本を知ることができるとても良い文献と言えるそうだ。
例えば、「西洋人が珍しくすぐに人だかりができるが、彼らから迷惑をかけられることはなかった」「無礼や侮辱にあったりお金を強請られることは一度もなかった」「法外な料金を請求されることもなかった」と言い、日本人の礼儀正しさに驚嘆している。
また、「日本人はとても子どもを大事にする。これほど子どもを大切に扱う民族を見たことがない」と言いながら、一方で「日本人は子どもに対して全く強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。彼らは風儀を乱し、嘘をつくことを教えるからだ」とはどういうことだ。これはあまりに偏見である。
良いと思ったことは率直に褒めている。さらには英国人も見習うべきだと提案さえしている。読者は英国を中心にヨーロッパを想定しているだろうが、そのことも充分に意識してか興味をそそるような書きぶりだ。
ただ、馬に関してはミソクソである。さすがに馬の先進国からおいでになっただけあって、日本の馬の質の悪さといったらない。なにしろ始めから「駄馬」呼ばわりだ。どうして日本の馬は言うことをきかないのか、考察を加えているところはさすがである。(仏教国である日本では動物を虐待しないので馬が言うことをきかないらしい)
旅の後半では彼女はヨーロッパ人には会いたくないと言っており、だいぶ日本を気に入った様子が見える。ただ三味線や琴の音が雑音にしか聞こえなかったのは非常に残念である。 -
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JALの機内誌で紹介されていたことがあり、興味はあったのだが、
それからだいぶ経ってしまった。
明治11年の夏、47歳の筆者は
横浜から、東京、粕壁(春日部)、栃木、宇都宮、今市、日光・・・
新潟、米沢、秋田、弘前、青森そして、蝦夷へ。
函館、室蘭、紋別・・・別とはアイヌ語で川。
伊藤という18歳の通訳の少年を連れて。
所持した荷物が簡易ベッド、ゴム製バスタブ、蚊帳・・・と驚くが、
当時は蚤と蚊だらけの不潔な宿ばかり。
襖と障子の部屋にプライバシーはナシ。障子のたくさんの穴の向こうに目が。
外人をひと目みたいと、見物人が数百人集まってしまう。
当時の暮らしぶりがよく記述されている。
地方の農家では夏は男女とも上半身裸で、
女性は明治になっても、子どもが生まれるとお歯黒し眉をそる。
そのため20歳は年寄りに見える。
かなりの酷評をされる一方、治安の良さと親切さには感銘を受ける。
後に金谷ホテルを創業する金谷さんの金谷カッテージ・イン。
きれい過ぎて落ち着かないほど。
東照宮とその周囲の杉並木の立派さに感銘を受けた日光。
桃源郷だと最高の評価をされている米沢。
天候以外は文明化された町が気にいった様子の新潟。
ヨーロッパの要素がないにもかかわらず、貧乏臭さのない久保田(秋田市)。
もっとも詳しいのが、原住民アイヌの描写。
野蛮人だが、正直で、人をだますことなしない。
日本人と全く異なるきれいな顔立ち。住居。
日本人以上に、子どもを大切にする。驚くことにほとんど病人がいない。
しかし、彼らは酒のみが楽しみで、収入のほとんどをそれに使ってしまう。
風呂に入ったり、髪を洗うこともしない。
トリカブトの毒矢で熊を殺して食べる。
日本人の食事は米と味噌汁、豆の煮物、卵、塩魚くらい。
牛乳は子牛のためのものであって、それを飲むなど卑しいこと。
緑茶はスコットランド人にも非常に香りがよいとされた。
三味線や琴は雑音にしか聞こえなかったようだ。 -
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山形県金山町は、イザベラバードに絶賛された町ですというのを前面に押し出していて碑まであるので、どんな紀行だろうと読んでみました。ほぼ愚痴、そして後進国で不衛生というのが前面に出されていてイギリスでブームを起こしたのもなんだかなぁと。肝心な金山町は半ページほど。三角の木(金山杉)が生えて、ロマンチックな町と記載があるのみ。あとは虫刺されで酷い思いをした事がつらつらと。そっちの方がメイン。皮膚病、脚気、蚊やネズミ、ご飯が酷い そんなことばかりで読んでいてつまらない。ああ、あの道を通ったんだなと頭の中で地図を思い描く。ただそれだけ。
新潟が太平洋側と比べると不愉快な気候。というのは納得だし昔からそうなんだなぁと思った。
途中で「空気がうまかった」と書かれている箇所があり、訳が男性故にここだけ読む時に引っかかり変に目を引いた。