イザベラ・バードの作品一覧
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ユーザーレビュー
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イギリス人女性、イザベラ・バードは病弱であったため、健康回復のために医者から旅行を勧められ、オーストラリア、マレー半島、チベット、朝鮮など世界各地の「奥地」を旅した人である。
そして、日本に来たのは、明治11年4月。「この国の中でもっとも外国人に知られていない地方を探ろう」と思い、北国を旅行しよ
...続きを読むうと決心した。
しかも、綺麗に整備された街道ではなく、山間の道なき道や、橋のない川など、日本人でもわざわざ選ばないような酷い道ばかり。
イギリスから持ってきた簡易ベッドやビニールの折り畳み式浴槽や食料などの大荷物を馬に乗せ、そして伊藤という18歳の少年を通訳兼助手として雇って大冒険をした。
文の形式はイギリスの妹や友人に宛てた手紙という形式。なので、良いことも悪いこともあまりにも率直に書かれている。
山村の農民は男性は殆ど何も着ておらず、女性も着物を腰まで下ろし、いつも子供をおぶっていて、子供までがもっと小さい子供をおぶっていて、ものすごく貧しく、不潔のために殆どの人が皮膚病で、宿として泊まった家で出された食事も黒い米やきゅうりばかりなどひもじいものだったらしい。
日本の畳がどれだけ素晴らしいかを褒め称えているのだが、「残念なことに蚤だらけ」だったそうだ。
そこらじゅう蚤だらけで、その上、その頃の農村の人々には「換気」の概念がなく、家を締め切っているので、煙と湿気でカビだらけで下水の匂いが臭かったらしい。
しかし、どんなに貧しくても「乞食はいなかった」と書かれているとおり、人に施しを受けて生活する人はおらず、皆、勤勉に働く国民性であることも率直に書いている。
そして、イザベラが休んだ茶屋で食事もお茶も食しなかった時には「宿の女主人は決して代金を受け取らなかった。何故なら私が水しか飲まなかったからだという。」と書かれていることから、貧しくても誇り高い国民性だったのだと分かる。
そしてまた、世界各地を回ってきたイザベラから見ても「こんなに子供を可愛がる人たちを見たことがない」というほど、子供を大事にする国民性でもあったのだ。
また、外国人を見たことがない人ばかりで、イザベラの噂を聞きつけて人だかりが出来たことや宿で隣の部屋とを仕切る障子の穴から「無数の細い目が覗いていた」というプライバシーなどない宿泊生活であったらしい。
イザベラは横浜から東京、栃木、福島を通り、山間部を通って新潟に抜け、それから山形、秋田、青森と進んで、北海道に渡り、北海道ではアイヌ人たちを訪ねた。
日本人の生活や国民性だけでなく、景色の描写も素晴らしい。日光や会津や新潟の旧市街など「土足で歩くのが申し訳ないほど」掃き清められた道というのもすごいが、馬がつまづき、馬から何回も落とされてしまうような酷い山間部の旅でも、ふとした時に見た山の色などが見たこともないくらい素晴らしかった様子も書かれている。
アイヌ人との交流では、イザベラは何日間かアイヌ人と過ごしたにも関わらず、「彼らは未開人であり下等である」と書いているのだが、「誠実で親切という点では我々キリスト教の洗礼を受けたイギリスよりもずっと高度だ」と感心している。アイヌ人はお客様のことは手厚くもてなすのを慣習としており、お客様が帰る時には必ず、黍団子を作って振る舞うらしく、イザベラが帰る時にも出されたのだが「汚い手で丸め、洗っていない鍋で煮られた」団子に手を付けられず、アイヌ人を困らせたということだ。
イザベラから見てアイヌ人は非常に美しく、笑顔は魅惑的で、アジア人というよりヨーロッパ人に近かったらしい。欠点は殆ど手を洗う習慣が無く、不潔であること。皆大酒飲み(お酒を飲むことは神が喜ぶことだと思っている)なので働いても貯えが出来ないこと。そもそも時の流れの概念がなく、刹那的に生きているので、今の働きや稼ぎを未来に繋げようという意識がないことなど。
アイヌ人のことを下等な人種のようにもイザベラは書いているのだが、「下等」ではなく、「お人好し」だったのだと私は思う。イザベラがアイヌ人達に「闘わないのか?」と尋ねたところ、「ずっと昔、我々の先祖は皆槍を持って戦っていたが、ヨシツネが現れ、武器を捨てるように言ってから、闘わない。」と答えたそうだ。実際、平取のアイヌ部落の中には源義経を祀った日本式の神社があり、何故かアイヌ人たちは自分たちの大切な神として拝んでいたらしい。先祖が松前藩から受け取った骨董品を代々、大切に受け継ぐなど、日本人に対して敵対心を表すよりも「なんとかうまく折り合いを付けていこう」というアイヌ人らしさが現れている。こういう民族性は小説「熱源」にも書かれていた。
アイヌ人の習慣である入れ墨は「無くてはならないもの」だったが、「最近日本政府が入れ墨を禁止したから心配している」とイザベラに打ち明けたり、少量の毒を矢に塗って狩猟する彼らの方法も日本の法律の中では禁じられていることなど、少しずつアイヌ人が生きづらくなっていく様子がタイムリーに報告されている。「我々の生活のことをどうか日本政府には報告しないでほしい」と懇願する様子も書かれている。
イザベラは「アイヌ人は頑強なのでそう簡単に滅びないだろう」と書いているが、およそ150年後の現在は果たしてどれだけ子孫がいるのだろう。
イザベラの通訳兼助手の伊藤のように「アイヌ人は犬の子孫だ」と信じて差別し、その生活に興味を示さなかった日本人が多かった中、言葉を記録し、生活習慣を文字と絵で記録し、家の構造も記録し、人間性についても率直に書いてきたイザベラの仕事はノーベル賞級だと思う。
北海道の景色の描写なども素晴らしいが、道中に利用した北海道の馬が、みな鞭で打たれまくり、酷い扱いを受けているので使い物のならないほど痛んでいたというのも意外なことだった。
日本人の生活については私達が歴史の教育の中で教えられず、ショックなほど酷い生活状態が記録されていた。アイヌ人については「日本人が見向きもしなかった」細かな記録が残されていた。
どちらも「敢えて後世に伝えられなかった」面と「そもそも同時代の政府から興味を持たれていなかったため、公式な記録に残らなかった」面があるのだろうと思う。
今まで、「文明開花」「富国強兵」というような言葉や歴史上の有名人物や建築物や戦争などでしか埋まらなかった、頭の中の「明治」というジグゾーパズルのピースが少しずつ少しずつ埋まってきた気がする。
シーボルトやヘボン博士とも交流のあったイザベラ・バード。そんな時代、前人未踏の日本発見の旅を記録したこの本。全日本国民の必読書だと思う。
Posted by ブクログ
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江戸から明治の近代に移り行く日本の様子が非常に細かく描写されていることも面白いが、作者なりの日本人観が面白い。
良いか悪いかは別にして、今の日本人にも当てはまる部分は多い。
・信条としての物質主義、宗教に対して無関心、それにも関わらず迷信は信じている。
・親切で勤勉だが誠実でも純粋でもない。
・
...続きを読む日本全体の均質性。気候や植生や方言は違えど、建物や植物の栽培方法は変わらずまた社会を取りまとめている礼儀作法は都会も田舎も同じ。
・重大な事を話しているようでどうでも良いことを話しており、むしろ政治や宗教の話しはタブーで、芸術や文化は興味の対象ですらない。
Posted by ブクログ
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下巻の前半は蝦夷地だが、アイヌとの交流が中心となる。イザベラはアイヌの人々をいたく気に入っていることがわかる。そして、一旦横浜に戻り、京都や伊勢神宮、大津へ行く。日本語のできるギューリック夫人と2人で行く伊勢神宮。イザベラの楽しい気分が伝わってくる。しかし蝦夷地が一番楽しかったのではなかろうか。後半
...続きを読むでは日本にも慣れてきてどちらかと言うと、政治的、宗教的、国の発展に関する感想意見が増えてくる。蝦夷地に随行した伊藤がいなかったのも大きいか。そして紀行文のラストでイザベラが日本を離れる時の気持が少しわかる気がした。彼女が当時後ろ髪を引かれながら日本を発ったように、淋しさを感じながら本を閉じる。
Posted by ブクログ
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明治の初めに東京から北海道を旅したイギリス人女性イザベラバードの旅行記。上巻は日光、新潟、山形、秋田、青森まで。通訳に伊藤という若者を雇い人力車を使って北へ向かう。三谷幸喜ナビゲートのFMを聴いてから無性に読みたかった。我々は150年前の日本を知らない。我々の思考は寧ろイザベラに近い。これを読むと日
...続きを読む本人ではなくイザベラの視点から当時の日本を知ることができる。西洋人の彼女から見た日本人の短所と長所、今の我々も知らない日本文化の特徴。いちいち面白いので意外と一気に上巻終了。
Posted by ブクログ
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約150年ほど前、開国してまもない日本の、しかも内地を旅したイザベラ・バードの手記。
とっても面白かった。内容は妹ヘンリエッタへの手紙の形式を取っているので、堅苦しすぎずエッセイ感覚で読める。それでいて、終始鋭い観察と考察、詳細な描写で書き出されているので、約150年前の日本の風景がありありと目の
...続きを読む前に浮かぶ。英国人であるイザベラ・バードの視点は現代人の私たちに近いところがあって、旅の中で抱いた感情にも共感でき追体験できる。
旅の中で見た日本のあれこれについて褒めることもあればかなり辛辣に書いているところもあり、その正直な感じにも好感が持てた。現代の感覚からするとちょっと上から目線に感じる所もあるかもしれないが、150年前の人間が書いた内容と考えるとむしろ視点がフェアであることに自分は驚いた。
しかし驚いたのは、(バードが作中でしばしば褒めるところだが)150年前の、しかも田舎の村落であっても、日本人は礼儀正しく大人しかったということだ。別にだからといって「ニホンスバラシイ!」的な愛国主義を掲げたい訳では無いが、今より貧しく義務教育も始まったばかりくらいの世にあって、見たこともなかったであろう外国人に対しても無礼な態度をとる人が田舎でもそれほど居なかったというのは驚きだった。作中に出てくる日本人の振る舞いは、自分の知る現代日本人のそれとあまり変わらないように思えて、容易に想像できた。時代が変わっても国民性ってそう簡単に変わらないんだなと思うと同時に、日本人のこういうところって教育云々というよりも根っからの気質なんだなと思った。
ちなみに、寺社参拝などの宗教行為が大衆にとっては行楽に過ぎず、また迷信的な信仰である(教義を学ぶ等ではなくご利益のある像に触って健康を祈るなどの行為が主になっている)という指摘も、今と変わらないなと思った。
自分自身、寺社参拝は信心というよりも行楽感覚で行っているし、寺社にたまにある「触ると利益のある某」を触りまくって健康や多幸を祈りまくる日本人なので、自分のことを言われているようでおかしかった。
研究者である訳者のこだわりも詰まっていた。本文だけでも分かりやすく十分楽しめるが、膨大についている訳注では作中に出てくる施設や地名の比定はもちろんのこと、ちょっとした比喩なんかで用いられた聖書の引用表現の元ネタまで突き止めていちいち書いてある。解題には先行の訳書の欠陥の指摘、それらを踏まえた本書のこだわりや必要性、意義について詳細に語られ、この訳者の方の並々ならぬ情熱を感じた。さらには本書を手に足跡を辿る楽しみにまで言及していて、訳者がこれを「研究の学術的成果」としてだけでなく、一般に楽しんで欲しいという願いも感じられた。
期待を上回る面白さだったので、残りの巻も読みたい。
Posted by ブクログ
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