イザベラ・バードのレビュー一覧
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1870年代の明治維新が起こり、日本は西洋化を目指して劇的に変化してころ。
英国人女性の著者が横浜から北関東・東北地方を陸路で移動して北海道までを目指す旅を行うことを決意する。
当時、北日本を縦断する旅をする外国人は希少で、ましてや女性にとっては初めての試みであった。
周囲の友人から励ましと引き止めの両方を受けながらバードは1人の日本人青年を通訳として旅に出た。
本書は実の妹への手紙をまとめた形で発刊されている。
よって、中身は本音そのものでリップサービスはなく、良いものは称賛し、不快なものは厳しく批判している。
現代の日本人が読んでも、当時の地方の様子と現地住人が初めて外国人と邂逅した様 -
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イザベラ・バード(1831-1904)。イギリス出身。子どもの頃から病弱で、転地療養を繰り返した。23歳の時に医者から航海を奨められ、アメリカとカナダへ。そしてその24年後、1878(明治11)年に日本にやって来た。日本人の若者を従者に、日光を経由し、日本海側を北上して、北海道へ。
本書『日本奥地紀行』はその紀行文。イギリスで出版、たちまちに売り切れ、1カ月で3版。なんといっても、語りがうまい。挿画もバード自身が描いている。スケッチの腕はプロはだし。
個人的には、会津を抜けて、阿賀野川を津川から新潟まで船でくだるあたりがいい。峠を馬で運ばれるのは苦行以外のなにものでもなかった。それが津川からは -
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個人的な興味の有無も影響しているかと思いますが、蝦夷の話のあたりは上巻に比べて読みが進まなかった印象です。
京都や伊勢あたりからまた読みやすくなりました。
筆者はこの紀行文を通して、日本が西洋の文化を取り入れる時に、西洋文化の根っこにあるキリスト教を理解しないで取り入れようとする事や、逆に日本の文化を無視してまで西洋文化を取り入れる事に警鐘をならしていると思いました。
日本だけでなく当時の西洋に対して劣っているとされた文化が消えゆく定めであると言う事は、世界的な冒険家だった筆者には十分に理解できていたと思いますし、そう言った観点からもこの紀行文を残したのでしょうか?
日本人が明治維新を迎 -
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著者の視点を通して、古き日本を巡るタイムトリップができる。こんな貴重な資料が読めるなんて感激だ。また、小難しい単語も少なく読みやすい。イギリス人女性の日本一人旅(通訳の従者はいた)。
1878年、明治時代の日本の田舎と東京。人口は34,358,404人。東洋的壮麗さの枠から外れている。彩色や金箔は寺社でしか見られないし、宮殿も一般住宅も灰色の木材を使っている点で同じ。くすんだ青、茶色、灰色が通常用いられる衣服の色。何もかもが貧弱で迫力がなく、どの町も単調で地味。
飯が不味い。顔も不細工。男は褌だけ。外国人を見た事がないので見物に群がり遠慮がない。寝床には蚤、蚊も多くてやってられない。男尊女 -
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ずっと昔の日本の姿が、外国人旅行家の女性の目線で書き記されている。
当時の日本という国、そこに生きる人たちに会いにいけたように感じた。
イザベラ・バードが描写する美しい景色がどんなものであったのか、それを同じように見てみたくて、彼女が訪れた場所に行ってみたくなった。
もちろん当時と今では全然違った景色ではあろうけれど、当時から残る建造物や森や川、そういった場所に立ち彼女と同じものを見た時に、「歴史」というものを感じられるだろうと思う。
過去も今も未来も、不変ではないけれどずっと繋がっているんだと。
これを読んでいる間はなんだかタイムスリップしたような、不思議でワクワクした気分になれた。 -
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イギリス人女性、イザベラ・バードは病弱であったため、健康回復のために医者から旅行を勧められ、オーストラリア、マレー半島、チベット、朝鮮など世界各地の「奥地」を旅した人である。
そして、日本に来たのは、明治11年4月。「この国の中でもっとも外国人に知られていない地方を探ろう」と思い、北国を旅行しようと決心した。
しかも、綺麗に整備された街道ではなく、山間の道なき道や、橋のない川など、日本人でもわざわざ選ばないような酷い道ばかり。
イギリスから持ってきた簡易ベッドやビニールの折り畳み式浴槽や食料などの大荷物を馬に乗せ、そして伊藤という18歳の少年を通訳兼助手として雇って大冒険をした。
文の -
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江戸から明治の近代に移り行く日本の様子が非常に細かく描写されていることも面白いが、作者なりの日本人観が面白い。
良いか悪いかは別にして、今の日本人にも当てはまる部分は多い。
・信条としての物質主義、宗教に対して無関心、それにも関わらず迷信は信じている。
・親切で勤勉だが誠実でも純粋でもない。
・日本全体の均質性。気候や植生や方言は違えど、建物や植物の栽培方法は変わらずまた社会を取りまとめている礼儀作法は都会も田舎も同じ。
・重大な事を話しているようでどうでも良いことを話しており、むしろ政治や宗教の話しはタブーで、芸術や文化は興味の対象ですらない。 -
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下巻の前半は蝦夷地だが、アイヌとの交流が中心となる。イザベラはアイヌの人々をいたく気に入っていることがわかる。そして、一旦横浜に戻り、京都や伊勢神宮、大津へ行く。日本語のできるギューリック夫人と2人で行く伊勢神宮。イザベラの楽しい気分が伝わってくる。しかし蝦夷地が一番楽しかったのではなかろうか。後半では日本にも慣れてきてどちらかと言うと、政治的、宗教的、国の発展に関する感想意見が増えてくる。蝦夷地に随行した伊藤がいなかったのも大きいか。そして紀行文のラストでイザベラが日本を離れる時の気持が少しわかる気がした。彼女が当時後ろ髪を引かれながら日本を発ったように、淋しさを感じながら本を閉じる。
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海外からの本帰国に伴う、2週間のホテル隔離中の読書4冊目。
上巻は東京を出て北上、青森までの道程。作者が可哀想だったのは、梅雨の時期でとにかく雨が多かったこと。その雨の中、馬で峠をこえ、川をわたり、時にはぬかるんだ道や増水した川に手を焼きながら進む。
一部翻訳のせいもあると思うが、作者のストレートな感想、批判が面白い。結構きつめのdisり笑。最先進国イギリスからやってきて、世界各地を旅してきた作者ならではか。今の日本人が発展途上のアジアの国を訪れたときに、同じような表現をしてしまうだろう、と思うと、腹も立たないし、こういうこと全てが旅の楽しさ。
作者が旅したのは1878年。今から150年くら -
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来日した英国人女性が明治11年に日本の東北・北海道を旅した記録を記したもの。当時の景色や生活の様子を客観的に述べており、とても興味深い。身体が弱いとは思えないほど、厳しい環境に果敢に挑み、それも女性でありながら3ヶ月に渡る旅を成功させている。また、記述が素晴らしく、当時の状況がありありと浮かび上がる表現力は、極めて高いといえる。貴重な歴史史料である。
「私は奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている」p80
「政府は、イギリスから装甲軍艦を買った -
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イギリス人のバードが日本旅行をした明治11年って、大久保利通が暗殺された年。当時バードは47歳で、旅行の理由は「健康になりたい。ついでに見聞を広めたい」。この人、日本に来る以前にも、医者に外国旅行を勧められて、アメリカに行ったりしてるんだよね。そんな理由で、通訳とほぼ二人だけで、外国人がほとんど踏破していない未開の地に行くって、すさまじいな。
江戸の描写は、当時の有名外国人であるヘボン先生やハリー・パークス、アーネスト・サトーが出てきて、面白い。山田風太郎の明治ものを思い出すが、こっちはフィクションじゃない。
浅草寺のにぎわいが、実に生き生きと描かれているのが、いい感じ。全体的に、観察眼と -
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イザベラ・バード女史はスコットランド人であり、プロテスタントの信者であり、かつ19世紀の婦人である。
決して、現代の基準で判断してはいけない。
つまり、当時の白人女性の視点からすると、かなり公平に判断しようとしている事がうかがえる。
それでも、相当のフィルタが入っているわけですが……。
下巻は主に蝦夷地の冒険と、その後訪れた京都や奈良、伊勢大神宮について述べられている。
女史はかなりアイヌに関心を持っていたらしい。
日本人の開拓地より長い時間をアイヌの村で過ごしているように見える。
彼女がつぶさに、そして間近に見たアイヌの生活記録はとても貴重なものだと思う。
また、京都や奈良は、東北に比べ