【感想・ネタバレ】日本奥地紀行のレビュー

あらすじ

日本の真の姿を求めて奥地を旅した英国女性の克明な記録。明治初期の日本を紹介した旅行記の名作、いよいよライブラリー版で登場!

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Posted by ブクログ

イザベラ・バード(1831-1904)。イギリス出身。子どもの頃から病弱で、転地療養を繰り返した。23歳の時に医者から航海を奨められ、アメリカとカナダへ。そしてその24年後、1878(明治11)年に日本にやって来た。日本人の若者を従者に、日光を経由し、日本海側を北上して、北海道へ。
本書『日本奥地紀行』はその紀行文。イギリスで出版、たちまちに売り切れ、1カ月で3版。なんといっても、語りがうまい。挿画もバード自身が描いている。スケッチの腕はプロはだし。
個人的には、会津を抜けて、阿賀野川を津川から新潟まで船でくだるあたりがいい。峠を馬で運ばれるのは苦行以外のなにものでもなかった。それが津川からは船でスイスイ。阿賀野川から見える峡谷を「廃墟のないライン川」と称え、しかもライン川以上と絶賛している。着岸した新潟は、堀が縦横にめぐる水の都だった。早足の旅のはずなのに、新潟には1週間逗留。うらぶれた街という最初の印象が、1週間いるうちにかなり良くなっている。新潟では、堀と街並みをスケッチしている。新潟の空の感じがよく出ている。
その後、バードは4回来日した。ほかに旅してまわったのは、朝鮮、中国、モンゴル、カシミール、インド、マレー半島、ペルシャ、トルコ、ハワイ、アメリカ、カナダ、アラスカ、オーストラリア、ニュージーランド、モロッコ、それぞれ旅行記を書いている。このどこが「病弱」なのか。ひょっとして、旅が「病みつき」というオチ?

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2025年08月31日

Posted by ブクログ

 イギリス人女性、イザベラ・バードは病弱であったため、健康回復のために医者から旅行を勧められ、オーストラリア、マレー半島、チベット、朝鮮など世界各地の「奥地」を旅した人である。
 そして、日本に来たのは、明治11年4月。「この国の中でもっとも外国人に知られていない地方を探ろう」と思い、北国を旅行しようと決心した。
しかも、綺麗に整備された街道ではなく、山間の道なき道や、橋のない川など、日本人でもわざわざ選ばないような酷い道ばかり。
 イギリスから持ってきた簡易ベッドやビニールの折り畳み式浴槽や食料などの大荷物を馬に乗せ、そして伊藤という18歳の少年を通訳兼助手として雇って大冒険をした。
 文の形式はイギリスの妹や友人に宛てた手紙という形式。なので、良いことも悪いこともあまりにも率直に書かれている。
 山村の農民は男性は殆ど何も着ておらず、女性も着物を腰まで下ろし、いつも子供をおぶっていて、子供までがもっと小さい子供をおぶっていて、ものすごく貧しく、不潔のために殆どの人が皮膚病で、宿として泊まった家で出された食事も黒い米やきゅうりばかりなどひもじいものだったらしい。
 日本の畳がどれだけ素晴らしいかを褒め称えているのだが、「残念なことに蚤だらけ」だったそうだ。
 そこらじゅう蚤だらけで、その上、その頃の農村の人々には「換気」の概念がなく、家を締め切っているので、煙と湿気でカビだらけで下水の匂いが臭かったらしい。
 しかし、どんなに貧しくても「乞食はいなかった」と書かれているとおり、人に施しを受けて生活する人はおらず、皆、勤勉に働く国民性であることも率直に書いている。
 そして、イザベラが休んだ茶屋で食事もお茶も食しなかった時には「宿の女主人は決して代金を受け取らなかった。何故なら私が水しか飲まなかったからだという。」と書かれていることから、貧しくても誇り高い国民性だったのだと分かる。
 そしてまた、世界各地を回ってきたイザベラから見ても「こんなに子供を可愛がる人たちを見たことがない」というほど、子供を大事にする国民性でもあったのだ。
 また、外国人を見たことがない人ばかりで、イザベラの噂を聞きつけて人だかりが出来たことや宿で隣の部屋とを仕切る障子の穴から「無数の細い目が覗いていた」というプライバシーなどない宿泊生活であったらしい。
 イザベラは横浜から東京、栃木、福島を通り、山間部を通って新潟に抜け、それから山形、秋田、青森と進んで、北海道に渡り、北海道ではアイヌ人たちを訪ねた。
 日本人の生活や国民性だけでなく、景色の描写も素晴らしい。日光や会津や新潟の旧市街など「土足で歩くのが申し訳ないほど」掃き清められた道というのもすごいが、馬がつまづき、馬から何回も落とされてしまうような酷い山間部の旅でも、ふとした時に見た山の色などが見たこともないくらい素晴らしかった様子も書かれている。
 アイヌ人との交流では、イザベラは何日間かアイヌ人と過ごしたにも関わらず、「彼らは未開人であり下等である」と書いているのだが、「誠実で親切という点では我々キリスト教の洗礼を受けたイギリスよりもずっと高度だ」と感心している。アイヌ人はお客様のことは手厚くもてなすのを慣習としており、お客様が帰る時には必ず、黍団子を作って振る舞うらしく、イザベラが帰る時にも出されたのだが「汚い手で丸め、洗っていない鍋で煮られた」団子に手を付けられず、アイヌ人を困らせたということだ。
 イザベラから見てアイヌ人は非常に美しく、笑顔は魅惑的で、アジア人というよりヨーロッパ人に近かったらしい。欠点は殆ど手を洗う習慣が無く、不潔であること。皆大酒飲み(お酒を飲むことは神が喜ぶことだと思っている)なので働いても貯えが出来ないこと。そもそも時の流れの概念がなく、刹那的に生きているので、今の働きや稼ぎを未来に繋げようという意識がないことなど。
 アイヌ人のことを下等な人種のようにもイザベラは書いているのだが、「下等」ではなく、「お人好し」だったのだと私は思う。イザベラがアイヌ人達に「闘わないのか?」と尋ねたところ、「ずっと昔、我々の先祖は皆槍を持って戦っていたが、ヨシツネが現れ、武器を捨てるように言ってから、闘わない。」と答えたそうだ。実際、平取のアイヌ部落の中には源義経を祀った日本式の神社があり、何故かアイヌ人たちは自分たちの大切な神として拝んでいたらしい。先祖が松前藩から受け取った骨董品を代々、大切に受け継ぐなど、日本人に対して敵対心を表すよりも「なんとかうまく折り合いを付けていこう」というアイヌ人らしさが現れている。こういう民族性は小説「熱源」にも書かれていた。
 アイヌ人の習慣である入れ墨は「無くてはならないもの」だったが、「最近日本政府が入れ墨を禁止したから心配している」とイザベラに打ち明けたり、少量の毒を矢に塗って狩猟する彼らの方法も日本の法律の中では禁じられていることなど、少しずつアイヌ人が生きづらくなっていく様子がタイムリーに報告されている。「我々の生活のことをどうか日本政府には報告しないでほしい」と懇願する様子も書かれている。
 イザベラは「アイヌ人は頑強なのでそう簡単に滅びないだろう」と書いているが、およそ150年後の現在は果たしてどれだけ子孫がいるのだろう。
 イザベラの通訳兼助手の伊藤のように「アイヌ人は犬の子孫だ」と信じて差別し、その生活に興味を示さなかった日本人が多かった中、言葉を記録し、生活習慣を文字と絵で記録し、家の構造も記録し、人間性についても率直に書いてきたイザベラの仕事はノーベル賞級だと思う。
 北海道の景色の描写なども素晴らしいが、道中に利用した北海道の馬が、みな鞭で打たれまくり、酷い扱いを受けているので使い物のならないほど痛んでいたというのも意外なことだった。

 日本人の生活については私達が歴史の教育の中で教えられず、ショックなほど酷い生活状態が記録されていた。アイヌ人については「日本人が見向きもしなかった」細かな記録が残されていた。
どちらも「敢えて後世に伝えられなかった」面と「そもそも同時代の政府から興味を持たれていなかったため、公式な記録に残らなかった」面があるのだろうと思う。
 今まで、「文明開花」「富国強兵」というような言葉や歴史上の有名人物や建築物や戦争などでしか埋まらなかった、頭の中の「明治」というジグゾーパズルのピースが少しずつ少しずつ埋まってきた気がする。
 シーボルトやヘボン博士とも交流のあったイザベラ・バード。そんな時代、前人未踏の日本発見の旅を記録したこの本。全日本国民の必読書だと思う。

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2023年12月10日

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現代から見れば、日本人やアイヌ人にたいする差別とも取れるような表現が多くあるが、そのつもりで書いてないことは明白。
当時の東北地方、北海道の民衆について、見たまま感じたままを率直に書いている貴重な文献だと思う。

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2021年06月13日

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旅行記の嚆矢。情景がありありと想い浮かぶような、瑞々しい記述に驚く。明治初期の日本の地方の情景が、あまりにもよくわかる。また、アイヌに関する記述も、非常に素晴らしい。日本国内には、ここまで適切な記述があるのだろうか。外国人故によくわかったということなのだろうか。また、いくつもの山越えをし、苛酷であったろう道のりにも驚愕する。

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2021年01月11日

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来日した英国人女性が明治11年に日本の東北・北海道を旅した記録を記したもの。当時の景色や生活の様子を客観的に述べており、とても興味深い。身体が弱いとは思えないほど、厳しい環境に果敢に挑み、それも女性でありながら3ヶ月に渡る旅を成功させている。また、記述が素晴らしく、当時の状況がありありと浮かび上がる表現力は、極めて高いといえる。貴重な歴史史料である。
「私は奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている」p80
「政府は、イギリスから装甲軍艦を買ったり、西洋の高価なぜいたく品に夢中になって国を疲弊させるよりも、国内の品物輸送のために役立つ道路を作るというような実利のある支出をすることによって国を富ました方が、ずっと良いことだろう」p172
「山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米澤平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に算出する。これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない」p219
「アイヌ人は邪気のない民族である。進歩の天性はなく、あの多くの被征服民族が消えていったと同じ運命の墓場に沈もうとしている」p370
「アイヌ人は日本人ほどそう簡単には酔っぱらわない。なるほど彼らは酒を冷たいままで飲んだが、日本人なら酔ってたわいもなくなるほどの量の三倍も飲んでも、彼らは少しも酔わなかった」p384
「どの家でもお客に対しては、同じような敬意が払われる。これは未開人の美徳で、文明の大きな波が来たら、それを乗り切るだけの力はないように思われる」p389
「開拓使庁が彼ら(アイヌ人)に好意を持っており、アイヌ人を被征服民族としての圧迫的な束縛から解放し、さらに彼らを人道的に正当に取り扱っていることは、例えばアメリカ政府が北米インデアンを取り扱っているよりもはるかに勝ると私は心から思っている」p398

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2018年11月13日

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イギリス人のバードが日本旅行をした明治11年って、大久保利通が暗殺された年。当時バードは47歳で、旅行の理由は「健康になりたい。ついでに見聞を広めたい」。この人、日本に来る以前にも、医者に外国旅行を勧められて、アメリカに行ったりしてるんだよね。そんな理由で、通訳とほぼ二人だけで、外国人がほとんど踏破していない未開の地に行くって、すさまじいな。

江戸の描写は、当時の有名外国人であるヘボン先生やハリー・パークス、アーネスト・サトーが出てきて、面白い。山田風太郎の明治ものを思い出すが、こっちはフィクションじゃない。

浅草寺のにぎわいが、実に生き生きと描かれているのが、いい感じ。全体的に、観察眼と文才、肝の据わり方がすごい。建築物に関する描写を読むと、教養も深そうなんだよな。どういう育ち方をしたんだろうか。

人力車の車夫の仕事は心臓に負担が大きく、仕事についてからの平均寿命が約5年って話はどこまで本当なんだろう。たしかに、当時の東京は、もっと坂が多かったし、重労働だっただろうからなあ……。

しかし、自分の明治感が、学生時代に読んだ山田風太郎の明治物にとても影響を受けている事をしみじみ感じた。物語からうっかり受けとってしまった歴史感って、染み付いてなかなか自分で相対化するのが難しいな。

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2018年08月10日

Posted by ブクログ

久方ぶりの再読。明治の農村の貧しさと悲惨さ(眼病・蚤・皮膚病・等々)と同時に、明治の人々と風景の美しさを、旅人の視点から明確に映し出した貴重な旅行記。
最後に通訳の伊藤が旅が終わるのを残念がるところが又何とも言えぬ味わい。
朝鮮紀行も読まんとなー。

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2018年03月15日

Posted by ブクログ

2016/10/5に読み始め、イザベラと共に旅ができた。横浜を起点として東北から蝦夷(北海道)への旅行は、当時の交通手段、装備品を思うと47歳の著者には過酷に過ぎるものと推察される。しかし冒険家の血とでも言うのか、彼女は江戸時代の習俗が残る東北・北海道の旅を全うする。妹に当てた手紙は、日本語訳では当時の地理、習俗等を淡々と書き綴る文体で、学術的な報告書よりも伝播力がすごい。辺境作家・高野秀行や宮田珠己と重ね合わせている自分がいた。

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2017年08月19日

Posted by ブクログ

明治時代に、イザベラバードが、横浜から北海道までを旅行した際の旅行記。貧しいだけの日本と、貧しくも神秘的なアイヌ、そういった感覚で著されている。便利になる前の日本の旅行とはどんなものだったのか理解できる。

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2013年07月01日

Posted by ブクログ

イギリス人による明治時代の日本旅行記である。
なぜイギリス人女性が開国直後の日本を、それも外国人がほとんど立ち入った事がない奥地を選んだのだろうか。梅雨時の悪路や決して衛生的ではない宿に悩まされ、さらに人々の好奇心の目に晒されながら、旅を続けるモチベーションは何だったのだろうか。

本書はもともと彼女の妹に宛てた手紙を集めたものらしいが、非常に細かく当時の様子が描写されており、資料的な価値もとても高いと思われる。作品の中に自分の住んでいる地域が出てくるのは嬉しいものだが、それが100年以上も前の話となると特別に感慨深い。

いかにも日本の原風景という感じの小さな子供たちの礼儀正しさ、そしてアイヌの人々の彼女に対する優しさがとても印象に残った。しかし彼女がもっとも心を奪われた美しく豊かな自然が、今では開発によってほとんど見る事が出来ないと思うと非常に残念である。

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2013年01月20日

Posted by ブクログ

山形を旅行したとき、米沢を「アジアの桃源郷である」と評した人がいることを知りました。
それが、イザベラ バードさんです。

明治の始め、田舎ではまだちょんまげの日本。
そこを旅したイギリス人の女性の視点に、案外、今の日本人は似ているのかも知れません。
少なくとも自分は沢山の共感を覚えました。

日本の田舎を旅するというよりかは、未開の地を走破するって感じですけど。
時代劇では分からない、当時の日本の臨場感たっぷりな模写が興味をそそります。

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2011年07月26日

Posted by ブクログ

とても良い本でした。

ちょうど西郷隆盛の西南戦争が終わった翌年(1878年)に、著者であるバード女史が東北地方と蝦夷(北海道)を旅行し、その旅行の困難さや、それまで西洋に知られていなかったそれらの地方の風俗を描いた貴重なレポートです。

当時の東北地方農村部や蝦夷のアイヌなど、今の僕ら現代日本人でも想像がつかない彼らの実態を見せてもらえます。(これは僕の無知を曝け出すようで恐縮なのですが、アイヌが日本人と容姿や言語そして宗教まで全く異なる人たちであるということを、この本で初めて知りました。)

バード女史ですが、この旅行をしたのがなんと47歳の時!理由が健康回復のため(女史は若いころから体が弱かった)とのことなのですが、こんな旅行をすると、健康なひとでも身体を壊してしまうというくらいハードな旅行です。

資料として非常に貴重な紀行文なのですが、この本で僕が一番おもしろかったのは、バードさんの歯に衣着せぬ物言いでした。汚い住居や粗末な食事、愚かな原住民等々に対してのコメントが全く容赦ないです。(笑)

勿論、見るもの聞くこと全てに対してネガティブな反応をしている訳ではなく、例えば米沢平野の拓かれ方や北海道有珠(うす)地方の景色など、良いものは良いと激賞しています。

大体において紀行文というのは僕にとっては非常に退屈なものが多いのですが、バードさんのこの超辛口のコメントのお陰で最後まで面白く読み通せました。

ここで面白かったエピソードを2、3紹介します。

1.当時の日本の宿(住居)には蚤などの虫で一杯だった。
2.アイヌ(一部の部族だけかもしれない)は源義経を崇拝していた。
3.アイヌの大人の女性はみんな入れ墨をしていた。

興味を持たれた方は、是非読んで頂きたいと思います。

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2011年06月05日

Posted by ブクログ

明治時代の東北北海道の風俗を知る貴重な旅行記
文明開化期の日本。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」は是非読んでみたかった一冊です。東洋文庫は高価な2冊組みですが、平凡社ライブラリーでは安価で入手することができます。
イギリス人の女性が日本の東北北海道を一人旅するというのは、交通網が発達した今とは違って、当時はとても勇気の要ることだったと思います。それでも日本の奥地へ向かったのは、彼女の好奇心の強さによるもので、従者を一人だけ連れて何度も落馬したり危険な目にあって苦労しながらも北海道に向かいます。
途中の町で様々な日本人と交流し、その土地の風俗を手紙に書きとめて発信したものが、この記録の基になっています。
日本人にとって、当たり前の習慣は記録に残りにくいものですが、外国人の彼女の目からは、見るもの聞くものが風変わりで珍しいものに見えたのでしょう。
この本を読んでいくと、明治初期の日本の地方の姿がどのようなものであったか、よくわかります。
江戸や京都などの大都市を描いた外国人の著作は多いのですが、彼女のように地方を旅した人は少ないと思います。同じ日本でありながら全く違う習慣や風俗を見て、別の国を旅している気分になったかもしれません。
日本という国の多様性を知る意味でも大変貴重な記録だと思います。

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2010年09月07日

Posted by ブクログ

明治10年の著書だから、およそ130年ほど前か。
当時のイギリス人から見た日本人の姿、そしてアイヌ人の姿が生々しく見えて興味深かった。

特段目を引くのは、形容詞である。
最初は、その対象のビジュアルを表現する形容詞と、形容された対象に対して著者が抱く感情を表現する形容詞のギャップから、訳者の直訳によるものなのかと勘ぐるほどだったが、読み進めるうちにこの感覚こそがイギリス的なのかもしれない、と思った。

また、アイヌ人を表現する「音楽的な声」という表現がとても印象に残った。
アイヌ語がわからないが故にそう感じたのかもしれないが、著者の細やかな観察眼から推測するに決してそれだけではなく、本当に声の質やリズムも音楽的であったのだろうと思う。
果たしてどんな声で話していたのだろうか?

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2020年11月28日

Posted by ブクログ

明治初期に日本の奥地ー東北地方から北海道にかけてを旅した英国夫人の紀行文。
自然に対する詩的な表現はいかにも英国人らしく、興味津々に土着文化のなかにわけいっていくバードの筆致はとても楽しいのだけれど、ここでも映画『サーミの血』を思い出す。
イザベラ・バードと現代人の自分では当然ながら受けてきた教育、歴史への反省に差があって、自分に元気がないとその差を時代の違いだと飲み込めないので読み進みめるのになかなか時間がかかった。
しかし彼女は当時の英国上流階級の女性の常識の範囲内で精一杯異俗への理解と愛情を示している。つまり、当時のヨーロッパ知識階級の人びとの思考として捉えてもよいのだろうな。
色々とし手厳しい意見も多いがアイヌのイヨマンテ(熊送り)の儀式についても言及があり、わたしはイヨマンテの記録映像はとても見ていられなかったのだけど、それをバードは熊信仰の儀式としてたんたんと記録している点でも信仰自体については(その信仰を未熟とか言っていても)敬意を払う人であったことがわかる。
とりあえず宮本常一の解説本が次に控えているので未消化のままにしておく。

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2020年08月09日

Posted by ブクログ

やっと、読み終わった。
へえ、などと思ったところは多い。
それを一つ一つあげるのはきりがないので…。

どこでも蚤に悩まされたこと、日本人も、あいぬの人たちも、子どもをいかに愛していたか。
バードがこうしたことを書いていたという話は、本書を読む前から聞いたことがあった。

蚤の話は、本州の山奥も、北海道も同様。
絶滅したわけではないと思うが、現在は普通に暮らしていれば、蚤なんて無縁だ。
進駐軍の撒いたDDTは、そんなに強力だったのか?

この本の旅をしたときにバードは、すでに四十代後半。
伊藤というガイドを雇ったとはいえ、たった一人で旅をしたと負うことに驚かされる。

それにしても、いったいどういう人なのだろう。
北海道では、アイヌの村に逗留し、彼らの身長を測り、言葉を採取し、道具を買い上げる。
人類学者?
現代人の感覚だと、普通の旅行者がすることではない。

自然の描写が美しい。
米沢、礼文華のところが特にすばらしい。
それから、やはりアイヌの文化についての記述は面白かった。
義経がアイヌに文字や法を伝えたという言い伝えがあることや、熊への信仰、蛇を忌み恐れることなど。
礼儀正しく、優雅とも書かれ、その一方で未開とも書かれる。
どんな人たちだったのだろうと惹きつけられる。

本当は、伊勢まで行ったところまで記事があったとか。
そのせいか、彼女が東京に戻り、桐ケ谷斎場を訪れたところで、ぷっつり切れた感じで終わっている。
桐ケ谷といえば、学生時代毎日のように通りかかっていただけに、ちょっとした感慨がある。
今や街中になってしまっているあそこが、明治半ばは火葬場があるほど郊外だったんだと、改めて気づく。

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2020年04月16日

Posted by ブクログ

今から150年ほど前に書かれた本。日本を酷評している表現も褒めている表現もあって、本当にナチュラルに自分たちの方が優れているという価値観を持った人の素直な手記。アイヌは欧米人に顔立ちが似ていて、美しい‥とよく書かれているのには苦笑。

当時の日本の田舎の暮らしがしれて面白い。食事は米ときゅうり、卵、たまに黒豆という質素なものばかり‥馬を借りながら道無き道を進む。蚤がすごく大変そう、油紙の防水なんて全然役立たなさそう‥大雨で橋が抜けた描写あるが、道の整備や治水は向かうこんなもんだったのね。

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2020年04月06日

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 1878年、明治維新後のまだ西欧の影響をほとんど受けていない日本の奥地を旅した英国の中年婦人がつぶさに書きとめた旅行記。
 全体にいかにも西洋人が東洋人を見下すような、いわゆる「上から目線」が感じられるが、彼女の観察眼はなかなか鋭い。とても詳細なことまで記録している。そういう意味では当時の日本を知ることができるとても良い文献と言えるそうだ。

 例えば、「西洋人が珍しくすぐに人だかりができるが、彼らから迷惑をかけられることはなかった」「無礼や侮辱にあったりお金を強請られることは一度もなかった」「法外な料金を請求されることもなかった」と言い、日本人の礼儀正しさに驚嘆している。

 また、「日本人はとても子どもを大事にする。これほど子どもを大切に扱う民族を見たことがない」と言いながら、一方で「日本人は子どもに対して全く強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。彼らは風儀を乱し、嘘をつくことを教えるからだ」とはどういうことだ。これはあまりに偏見である。

 良いと思ったことは率直に褒めている。さらには英国人も見習うべきだと提案さえしている。読者は英国を中心にヨーロッパを想定しているだろうが、そのことも充分に意識してか興味をそそるような書きぶりだ。

 ただ、馬に関してはミソクソである。さすがに馬の先進国からおいでになっただけあって、日本の馬の質の悪さといったらない。なにしろ始めから「駄馬」呼ばわりだ。どうして日本の馬は言うことをきかないのか、考察を加えているところはさすがである。(仏教国である日本では動物を虐待しないので馬が言うことをきかないらしい)

 旅の後半では彼女はヨーロッパ人には会いたくないと言っており、だいぶ日本を気に入った様子が見える。ただ三味線や琴の音が雑音にしか聞こえなかったのは非常に残念である。

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2014年04月05日

Posted by ブクログ

明治11年(1978)6月~9月の3か月間、健康回復手段として医師から海外旅行を進められた著者が日本、それも東北、北海道を廻ったときの紀行文。

今まで、幕末、明治以降日本に訪れた外国人の手記は色々読んだが、これほど正直なものは珍しい。日本の不衛生さ、プライバシーのなさ、日本人の狡猾さなど、著者は辟易している。

日本人よりもアイヌの人の純粋さ、高潔さを高く評価しているのも読み取れる。

ああ、日本はダニが多くて、皮膚病が蔓延していて、役人は当時から使えなかったのねって分かる。

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2013年10月07日

Posted by ブクログ

JALの機内誌で紹介されていたことがあり、興味はあったのだが、
それからだいぶ経ってしまった。

明治11年の夏、47歳の筆者は
横浜から、東京、粕壁(春日部)、栃木、宇都宮、今市、日光・・・
新潟、米沢、秋田、弘前、青森そして、蝦夷へ。
函館、室蘭、紋別・・・別とはアイヌ語で川。
伊藤という18歳の通訳の少年を連れて。

所持した荷物が簡易ベッド、ゴム製バスタブ、蚊帳・・・と驚くが、
当時は蚤と蚊だらけの不潔な宿ばかり。
襖と障子の部屋にプライバシーはナシ。障子のたくさんの穴の向こうに目が。
外人をひと目みたいと、見物人が数百人集まってしまう。

当時の暮らしぶりがよく記述されている。
地方の農家では夏は男女とも上半身裸で、
女性は明治になっても、子どもが生まれるとお歯黒し眉をそる。
そのため20歳は年寄りに見える。
かなりの酷評をされる一方、治安の良さと親切さには感銘を受ける。

後に金谷ホテルを創業する金谷さんの金谷カッテージ・イン。
きれい過ぎて落ち着かないほど。
東照宮とその周囲の杉並木の立派さに感銘を受けた日光。
桃源郷だと最高の評価をされている米沢。
天候以外は文明化された町が気にいった様子の新潟。
ヨーロッパの要素がないにもかかわらず、貧乏臭さのない久保田(秋田市)。

もっとも詳しいのが、原住民アイヌの描写。
野蛮人だが、正直で、人をだますことなしない。
日本人と全く異なるきれいな顔立ち。住居。
日本人以上に、子どもを大切にする。驚くことにほとんど病人がいない。
しかし、彼らは酒のみが楽しみで、収入のほとんどをそれに使ってしまう。
風呂に入ったり、髪を洗うこともしない。
トリカブトの毒矢で熊を殺して食べる。

日本人の食事は米と味噌汁、豆の煮物、卵、塩魚くらい。
牛乳は子牛のためのものであって、それを飲むなど卑しいこと。
緑茶はスコットランド人にも非常に香りがよいとされた。

三味線や琴は雑音にしか聞こえなかったようだ。

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2022年03月21日

Posted by ブクログ

読み終わって、僕が知っていた明治時代の印象が大きく変わりました。外圧や災害で時代が激しく揺れ動いている今、外からの視点がとても大事だということを改めて思い知ったように思います。当時の中央が外国人に見せたくなかった現実が生々しく描写されていて、貧乏と清貧を混同して語ってはいけないなと改めて痛感しました
それにしてもイザベラバードの旅好きから高じたタフさ加減には脱帽。あの時代にあのルートを外国人女性が愉しみながら旅してたなんて、やっぱりイギリスは先進国だったんだなーとしみじみと思いました。

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2012年03月24日

Posted by ブクログ

民俗学では欠かせないアイテムのこの本。江戸時代に英国夫人であるイザ・ベラ・バードが一人で東北地方へ旅をし、(海外からの)客観的に見た当時の日本を知るなら持ってこいの一冊。
人文学科、コミュニケーション文化学科の人は見ておくべき!?

生協学生委員会お勧めの書籍です。

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2012年03月18日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
文明開化期の日本…。
イザベラは北へ旅立つ。
本当の日本を求めて。
東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。

[ 目次 ]
初めて見る日本
富士山の姿
日本の小船
人力車
見苦しい乗車
紙幣
日本旅行の欠点
サー・ハリー・パークス
「大使の乗り物」
車引き〔ほか〕

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年07月15日

Posted by ブクログ

明治時代の女性海外僻地ひとり旅!外国の人から見た日本の人や風景が、少し難解でショック。
しかしスゴイパワーだなぁ。

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2019年04月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

明治11年(1878)に初来日し日本の奥地(外国人がまだ踏み入れていない地域)を歩きたいというイギリス人女性イザベラ・バード(当時43歳)が北日本・北海道を日本人の通訳兼世話人伊藤を伴っての旅行記。彼女は脊髄彎曲症で健康回復のために旅行に出たとのことだが、そういう病気を持ちながら、長い間歩いたり、馬の背に乗って揺られたりしたのはさぞや大変だっただろうと思う。(普通そういう人は未開発地の踏破なんて考えないでしょう)でもまあ、食事だとか蚊についての愚痴が多いこと。

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2019年03月19日

Posted by ブクログ

明治維新後の日本を外国人の女性が一人で旅する、
そのシチュエーションだけでもすごいな、と思う。
当時の女性としてはすごい度胸だっただろう。
詳細な記述により当時の様子が克明に分かって面白い。

自分が何よりも面白かったのは、当時の英国人がそれはもう
ナチュラルに日本を見下している事だ。
何から何まで上から目線。
日本の馬を毎回のように「駄馬」と書く。
いらっとする事もたびたびあったが、本人に悪気は全くない。
これが当時の差別の現状なのだと思った。
そういう意味でも勉強になった。

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2012年12月31日

Posted by ブクログ

けっこう辛辣だけども精密な描写で、100年ちょっと前の日本はこんなだったんだなーと新鮮な驚き。東北地方についてはちょっと似た感じが長々と続いて飽きたけど、アイヌのところは興味深く面白く読めた。たぶんもう、ほとんど消え去ってしまったし・・・。

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2012年06月24日

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明治初期、鉄道もなく整備された道さえない山間の農村集落を巡りながら、東北地方、蝦夷へ単身で旅をする。
今でさえ難しく感じるこの道のりを、言葉も不自由な外国の、しかも女性が成し遂げたという事実を、どれだけの人が知っているでしょうか。

「だだだ大丈夫!?」―最初の私の印象。
読み進めるほどに、イザベラさんのタフさに圧倒されます。
宿では大量の蚊や蚤と戦い、道では馬に落とされたり踏まれたり暴れられたり、川を泳いで渡ったり、首つりになりそうだったり。
そんな過酷な状況を面白がってるところがあっぱれ。
加えて、彼女のものを視る目の公平さに心を打たれます。
美しいものは美しい。
醜いものは醜い。
自然も人間も彼女の感性のまま、ありのまま描かれます。

「ああ、しかしなんとすばらしかったことか!」
そう彼女に言わしめた数々の景色は、現代ではきっとほとんど失われてる。
でも、この本の中で、色褪せることなく輝き続けています。

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2012年06月05日

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スコットランド出身のイザベラ・バードの1878年(明治十一年)の6月から9月にかけての東北,北海道紀行の記録.交通機関は人力車と駄馬で,この馬にはそうとう困っていたようだ.
宿屋では外人女性を一目見ようと人々が群がり,プライバシーがなく,おまけに蚤,蚊,悪臭に始終つきまとわれている.さらに夜中の隣室の宴会によって,眠れないこともしばしばだったようだ.食事のひどさも相当だったらしく,肉への執着をしばしば口にしている.

多くの町はそのひどい様子をこき下ろされるのだが,山形県と秋田市(久保田)は非常にほめられているのが印象に残った.
(バードが通ったところで私がいちばん行ってみたいと思ったのは,青森県黒石.ねぷたが見てみたい.)

残念ながら,私は民族学的な興味はあまりないので,この本の価値はそういう記述にあるのだろうなと思いながらも,しばしば退屈に感じることがあった.500ページ以上あるので実際長いのだが,その長さを感じさせるページも少なくなかったということ.

それよりも私は実際にどのルートを通っていったかにとても興味があって,はじめは地図帳や google map で調べていただのが,これが意外に難しい.地名が使われなくなっていたり,バードが思い違いをしていたり,旧道がすたれてなくなっているからである.それで途中から,参考書を開きながらという読書になった.

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2012年05月30日

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1880年当時の日本を、スコットランド人女性の著者が、東京から北海道まで旅行した時の紀行文。これは、人に読まれることを前提としているよりも、まず自分自身の日記という意味あいのほうが強いので、言葉を飾ることなく、かなり素の感想が書かれていて、それが面白い。

著者のイザベラ・バードという人は、とても客観的な人で、日本のようにまだヨーロッパにとっては珍しい異国の紀行文を書くにはぴったりの性格だったと思う。あまりに率直すぎるのと、日本に対して後進国として蔑視しているような空気がいたるところに流れているので、毒舌すぎるところもある。
しかし、その目はどこまでも公平で、日本の良いところは素直に褒めていて、たとえば花の扱いについては、英国の花束は野蛮で、それよりも日本の生け花の洗練を高く評価していたり、婦人が一人で旅行をするのにこれほど安心な国はないというようなことも言っている。

略歴を見ると、日本を訪れた前後にも、世界のあらゆる場所に出かけてその記録を出版していて、この時代にこれほど多くの国を旅行した人はきっと稀だったにちがいない。日本では、蚤や蚊や、不潔さにだいぶ悩まされたという記述がやたらとあって、たしかに、この時代、外国人が快適に旅を出来るような状態ではなかったんだろう思う。
当時の日本の雰囲気というのは、まだ江戸独特の庶民の文化が残っているのが伝わってきて、宿屋や城下町などは、かなり猥雑な賑わいがあるのがよくわかるのだけれど、そういうところはイギリスの文化とあまりに違っているために、その当惑振りが日記から感じられる。

この本が紀行文として価値があると思うのは、当時、イギリスと日本の文明の発達度を較べれば、やはり一歩も二歩もイギリスのほうが先を進んでいたところがあり、日本という国の姿を、まったく別の、一つ高い視野をもって眺めているというところだ。
これは、同時代の日本人にとっては、いくら幅広い知識があったとしても日本の客観的な姿を描くには限界があっただろうところで、その点、この著者ほどに適役で好奇心旺盛な人物が日本にいたということは、すごく幸運なことだったのだと思う。

私は、障子と呼ばれる半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。しかし、プライバシーの欠如は恐ろしいほどで、私は、今もって、錠や壁やドアがなくても気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。隣人たちの眼は、絶えず私の部屋の側面につけてあった。(p.47)

私は奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行ができる国はないと私は信じている。(p.48)

群集は言いようもないほど不潔でむさくるしかった。ここに群がる子どもたちは、きびしい労働の運命をうけついで世に生まれ、親たちと同じように、虫に喰われ、税金のために貧窮の生活を送るであろう。(p.106)

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2020年07月15日

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