小川榮太郎のレビュー一覧
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本書は、1931年の満州事変から1945年の終戦に至る「戦争の昭和史」を時系列に沿って概観し、日本と世界が辿った軌跡を簡潔かつ包括的に描いた一冊である。膨大な出来事や戦闘を詰め込みすぎず、流れの把握に徹した構成は、背景知識の乏しい初学者にとって極めて優れた入門書と言えるだろう。
著者が冒頭で企図した通り、個別の事象がそれ自体で一冊の本になり得る重厚な歴史を、極力シンプルに、かつイデオロギー的なバイアスを排除して叙述することは、至難の業であったと推測される。しかし、全体を通読すれば、その野心的な試みは十分に成功を収めていると評価できる。
もっとも、戦争史という極めて複雑かつ膨大な資料を伴う領域を扱う以上、事実の選択や解釈において完全な客観性を担保することは不可能に近い。著者自身、偏った見解を排そうと努めながらも、不可避的に生じる限界については自覚的であろう。
だからこそ、読者は本書を唯一の「正解」とするのではなく、歴史を俯瞰するための「スタートライン」として活用すべきである。本書を起点に多角的な文献へ歩みを進めることで、現代を生きる日本人としての教養を深め、自分なりの「歴史観」を確立していくことが求められている。そう確信させる一冊であった。 -
Posted by ブクログ
本書は保守思想の解説でもなければ思想史的な研究でもない。保守思想のエッセンスについて著者の立場が簡潔に述べられてはいるが、あくまで「危機に瀕する日本の現実をどう救うかに関する、実行可能なヴィジョンとプラン」を打ち出した実践の書である。福田恆存が典型だが、これまで日本の保守は「主義」を忌避することで、ある種の節度を保ってきた。著者は敢えてその矩を越えて「保守主義者」を宣言する。ここには現代保守の危機的状況への深い憂慮と失地回復に向けたただならぬ覚悟が滲んでいる。もはや保守的な心構えを悠長に説いていても何ら現実を変えられない。それほど事態は深刻なのだ。このことは現代日本の保守の敗北の歴史を素描した第一部を読めば納得する。硬直的なイデオロギーにまみれた言論の閉塞状況を打破するには保守も政治的な行動を躊躇するわけにはいかない。著者のこの闘いに万感の思いを込めてエールを送る。だが、著者も自覚しているだろうが、これはそんな簡単なことではない。
著者が守ろうとするのは一義的には「良き日本」であろう。「良き日本」とは何かにもよるが、おそらく著者が考える「良き日本」を守るには「強い国家」(国家権力の物理的な強弱ではなく国家意思の強弱を指す)が必須だというのが著者の見立てだ。だからこそ国家戦略を論じた第二部が書かれたのだろう。だが「良き日本」とそれを守る「強い国家」は時に相互に補完し合うが、時に相矛盾する。「強い国家」たるために、ことによっては「良き日本」と決別せねばならない。反近代を貫くには近代主義者でなければならぬという、かの『近代の超克』で下村寅太郎が投げかけた問いにここで直面する。これは本書のもう一つのテーマである第三部の「文化保守主義」にも関わってくる。政治的保守主義を実効あらしむるには「文化保守主義」という「ミッシングリンク」を回復しなければならぬというのはその通りだが、「文化保守主義」と「政治的保守主義」も、ある点では相互に補完し、別の点では矛盾する。このジレンマにどう立ち向かうのか。
ここで改めて保守とは何かが問われるだろう。著者は言う。「変化を取るか、現状維持を取るか、また、仮に変化を取るにせよ、どの範囲までそれを認め、どこから先では変化を認めず、しかも何ゆゑ変化を認めないのか、いわば保守的な思考の原点はここにある。」これは近代保守の鼻祖バークの保守思想の核心だと言ってもいいが、日本の保守に決定的に欠けているのはこの自覚である。(ちなみに小林秀雄はこのことを本能的に理解していたはずだし、もっとも知的に理解していたのは意外にも丸山眞男だ。)しかも事態はさらに複雑である。バークは自らを「保守主義者」ではなく「漸進主義者」と見做したが、著者も言うように、保守の基盤そのものが解体してしまった現代日本では「漸進主義」はもはや有効でなく、ある種のラディカリズム、謂わば保守革命が求められる。保守は生き延びるために自らを否定しなければならぬ。であればそもそも保守が守ろうとしていたのは何であったか?保守革命という殆ど語義矛盾とでも言うべきこの隘路を突破しなければ、保守の再生はない。いばらの道であることはもとより覚悟の上だろう。著者の今後に期待したい。 -
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新型コロナは正しく怖れよう。
この本を読めばいかにメディアや専門家会議(分科会)がダメかわかるし、何で上久保教授を入れなかったのか、残念で仕方ありません。陰謀論などは考えたくなかったけど安部首相退陣の時の指定感染症を変える話が消えて、また行動制限に向かいました。これはワクチンを使わない前にコロナが収束しては困るという人達がいるとしか思えないのです。莫大な利益が動くのでしょう。
免疫獲得する人が増えれば自然と収束に向かいます。この本を読めば納得できます。上久保先生の予測の誤算は指定感染症が下がらなかったこと。2類のままではどうしたって院内や弱い人たちのクラスターがで増すし、行動制限のため、やっと身に付いた免疫が消えてしまいます。
イギリスの変異種もそんなには恐れなくても良いと思われます。只、自粛するとヤバイ。ネットなどで安部さんや菅さんにもこの論を伝えてあるというのは皆さんも目や耳にしていることでしょう。菅総理はあくまでgotoは続けたかった。それが正解ですが、指定感染症のために医療が圧迫され、世論やメディアに負けた。みなさんこの本を読んで正しく新コロをおそれましょう。 -
購入済み
重要な点がわかりやすい
専門家には新型コロナウイルスに対して「危険なウイルスで日本ヤバイ」説を言う人もいるし、「そこまでコロナは怖くない」説を言う人もいて意見が分かれていますが、この本は後者に含まれる本です。
コロナの報道は悲観的なものばかりですが、実際に被害はどの程度なのかといった比較や海外との比較をしっかりしていてわかりやすかった。
海外がなぜ被害が深刻なのかという理由についても、新型コロナウイルスの種類などの説明でわかりやすい。
メディアの情報ばかり聞いて「なんとなくコロナ怖いな~」と思う人はぜひ読んでほしい。 -
Posted by ブクログ
この歴史書は日本人であるなら一度は目を通しておくべき民族課題図書だと断言します。
最後の9年間の戦争の歴史が簡潔にまとめられている点でも優れています。
あの敗戦から学ぶことはなかったのか?
もう一度、日本人として冷静に総括しておく必要はないのか?
本当の歴史を知らずに、「戦争」を語っていないか?
戦後の日本の教育は戦勝国から「日本はアジア諸国を侵略した悪い国だったから、原爆を落とされても文句を言えない」という一方的な価値観を押し付けられてきましたが、そろそろ自虐の呪縛から解放し、自ら考え、是々非々で議論すべき時だと思われます。
その前提となる資料が本書です。
海外の人たちの是非読んでほしい1冊ですので、英語版を含め多言語での翻訳を期待します。
では、本書のエッセンスを少し。
日本の外交政策を厳しく批判しています。
「戦前には、強引・傲慢な対中姿勢、戦後になっては謝罪とODAによる卑屈なお詫び外交、一見正反対にみえますが、どちらも節度と戦略のない外交姿勢です」(P39)
中国内で既に人気のない汪兆銘という傀儡政権を担ぎ出した点に触れ、「日本は、こういう時に原則に立ち返れません。状況に便乗します。手に入れたコマだから、とにかく使ってみようという、戦略性ゼロの発想です」(P107)
「日独伊三国同盟には、大義名分も友情も共感も世界戦略の共有もない、互いに相手を頼む漠然たる打算でしかなかった」(P124)
「戦前の日本の政治・軍事指導の重大な欠陥は、天皇崇拝が形骸化し、国歌の行く末や方針についての率直な議論が不可能になっていたことでしょう。政治・軍事指導者が、徹底的に戦略的でなければ、政治責任のない天皇の至尊性は守れません。ところが、戦前の指導者らは、言動の上で天皇を尊崇するのみで、政治責任を果たすことで天皇を守ろうとはしていません。(中略)シナ事変の拡大も、南部仏印進駐も、松岡外交も、すべて昭和天皇の意に反したものでした」(P183)
「第一の戦略目標は南洋の資源確保です。第2は米国の戦意喪失ですが、それが不可能なら、終戦工作に全力を挙げる以外に手はありません。また東京空襲を避けるというのも重大な戦略目標です。そのためには、島の取り合いではなく、制空権の取り合いこそが太平洋戦線のあるべき本質でした」(P267)
「敗因は、正確な情報の共有がないまま作戦を立案したこと、戦闘に敗北した根本的な原因をふさがないまま、対症療法に終始したという長期的な展望の欠如でした。(中略)米国は、勝てる場所(科学技術を駆使し戦闘以前に勝つ)を先に取ってしまうことに力を注ぎ、日本は戦いの現場で勝つことに集中しました。日米の発想法のこのギャップは今なお、外交、政治、技術競争などの全領域でほとんど埋まっていません」(P274)
戦争は目先の手柄を誇るものではなく、手の内を見せないという大人の態度も重要です。
「米国の暗号解読によって、山本五十六大将自ら前線に行く途中で撃墜されたことを、米国は暗号解読を隠すために公表しませんでした。草鹿参謀長は暗号解読を疑い、厳重調査を命じますが、乱数表の交換時期から考えて解読は不可能だったという結論をだし、これ以降、日本は暗号解読されていることに気づかず戦争を継続します」(P277)
教科書にも出てこなかった日本の誇るべき功績。
「肝心なことは、大東亜会議開催で宣言された理念に基づく解放を、わが国が自らの大敗と引き換えに実現し、アジア人たちが自分たちだけの手で自ら解放したという物語が誕生したことなのです」(P305)
終戦工作をまじめに考えなかった軍指導部や政治家たち。
「国家指導、作戦立案という側から見れば、本土空襲必至の情勢下、決戦場所を一歩一歩国土に近づけ、最後には本土そのもので決戦するなどいうロジックを作戦として策定する無責任さは言語に絶します。(中略)自存自衛から始まった戦争で、なぜ国を焦土にするまで戦う必然があったのでしょうか、米側に日本をそこまで叩きのめす理由があったのではなく、日本側指導部がいつになっても終戦に全力を投入しなかったからこうなったのです」(P334)
「特攻の存在は、米国が本土に接近する上での大きな恐怖と足かせであり続けました。もし、特攻が無ければ、日本は丸腰の海軍と島に点在する陸軍しかありません。米国将兵たちの間に厭戦気分を蔓延させ、本土上陸を強くけん制しました」(P358)と特攻存在意義を解説しますが、だとしてもやってはいけない禁じ手でした。
東京大空襲というホロコーストを指揮したルメイ少将は戦後、佐藤栄作政権下で議論沸騰の中「勲一等旭日大綬章」を叙勲されますが、慣行である天皇による勲章の手渡しを天皇は拒否し、会うこともありませんでしたが、昭和天皇の気骨を感じさせるエピソードです。
「原爆の開発者とその投下を決断した政治・軍事指導者たち、また今なお、原爆投下があくまでも日本降伏に不可欠だったと発言する人たちは、良心の名のもとに裁かれるべきでしょう」(P399)
あくまでも終戦の条件として天皇大権の保証を求める阿南陸相に対し「阿南、心配するな。朕には確証がある」と、自身の処刑は覚悟のうえで、ポツダム宣言受諾を軍部に説得したと推測せざるをえませんというエピソード(P410)も日本の戦後は昭和天皇が体を張った結果なのでしょう。
米国からの容赦ないホロコースト(無差別大空襲、原爆投下)が戦後も何のお咎めもない一方で、日本の戦争責任(多くの過誤はあったものの最低限の人道上踏み外してはならない境界線を越えたことはありません)を今もなお内外から指弾されている現状に対して、正しく反応するためにも本書は有効です。 -
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ネタバレ文芸評論家小川榮太郎の「永遠の0と日本人」。
映画「永遠の0」、映画「風立ちぬ」、映画「終戦のエンペラー」、小説「永遠の0」、特攻とは何だったのか、の5つの章で構成されています。
映画「永遠の0」の章では、最初に観た時の違和感について書かれているが、自分自身も本で読んだイメージと主人公のキャラが少し違うのと物語全体の空気に違和感を覚えてたので、その解説は大いに参考になりました。
「風立ちぬ」の章では、宮崎駿作品が戦後日本や国家というところに直視していないところを厳しく突っ込んでいます。
「終戦のエンペラー」の章では、この映画が俳優・スタッフたちの驚くべき無知から作られていることを詳しく指摘しています。
小説「永遠の0」の章では、現代の読者が感情移入しやすいようにあえて宮部を傀儡とした設定しているとの事で、なるほどなと感心。
そしていよいよ白眉の最終章。
まず前提として特攻は非戦闘員への無差別攻撃ではなく、敵を絞り込む最大の戦果を求めて、叩くべき極点を限定した戦術であり、その意味においてテロとは全く異なる。という事。
大西中将があえて特攻という作戦を固辞した理由として、1つはは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。2つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、5百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう」ということである。
大西中将は8/16未明に割腹自決を行った。介錯を拒み15時間近くもがき苦しんだ末、同日夕刻に生涯を閉じた。特攻隊員への懺悔という意味もあったとの事。
著者は特攻の成果についても従来の定説を公開されたアメリカの資料により覆しており、加えて、もし特攻がなかったなら、アメリカは大船団を引き連れて日本近海まで自由に到達し日本本土に上陸したであろう、そして戦争末期は、リンチのようなワンサイドゲームになったであろう。
有色人種である日本人が、一方的なリンチで敗北したら、敗戦処理はどうなっていただろうか。インデアンやハワイのように国家主権そのものが半永久的に剥奪され、世界は植民地から解放されたのに、肝心の日本は奴隷の国に落ちぶれなかったと言えるか。と。
しかしながら、この本の最初の見開きに親日家のアンドレマルローが昭和天皇に騎士道にも合い通じる武士道について語り、しばし黙られたあとのお言葉。「しかし、あなたは、来日以来、一度でも武士道を思わせるものを見ましたか」と。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」現代の日本人もその精神はなくなってはいないものの7年に及ぶGHQの弾圧の占領政策により戦後、大切なものを失ってしまったようである。先人たちの尊い犠牲のうえに今私たちが享受する平和があることをかみしめつつ、この後の世に彼らの命が無駄にならなかったと思える日本になってほしいと願うばかりであります。 -
Posted by ブクログ
永遠の0の原作があまりに好きで、その延長のような評論に手を出してみた。興味深く、面白く読めた。
『風立ちぬ』の章が特によかった。あの映画を見た後、もやもやした、なんとも座りの悪い気持ちになったのをよく覚えていて、その時の気持ちを代弁してもらったような気分になった。堀辰雄は読みつつも、堀越二郎の自伝には触れていなかったので、この機会に読んでみたい。
学生の頃から、かっこつけのように日本批判をする人によく遭遇して、違和感を覚えていたから、精神構造のくだりはとても得心がいった。こういう風潮も、作られてきたんだなぁと。また、憲法への言及も、とてもわかりやすい。日本の平和状態を維持しているのは日本の外交力と同じかそ!以上に、日米安保条約であり、米国の軍事力であり、今の状態を維持しようと思うことは、米国の軍人に、日本の代わりに戦えと言っていることではないのか?と個人的に感じていたのだけど、あながちおかしな考え方でもないようだ。
安保条約締結時は、反共を狙う米国に利はあった。でも今、米国に日本を守るだけの理由があるのか?と思うと、なんだか、今のあり方も変な感じがする。
この作者のバックグラウンドを何も知らずに読んだけど、あとがきの『一番やめてほしい反応は「右翼による戦争肯定」「特攻賛美」という類のレッテル貼りだ』というコメントが正鵠を得ている。そうしたレッテル貼りで相手の発言を封じたり、論に耳を閉ざすことは(右派とか左派とかおいといて)往往にしてあると思うのだけれど、それでは問題の本質は見えないと思う。また、自分も無意識のうちにやってしまう可能性もあるから、教訓として覚えておこうと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ映画「永遠の0」「風立ちぬ」「終戦のエンペラー」の解説あるいは批評かと思って読みだしたが、直ぐにそれが誤りだったことに気づかされる。著者はこの3作品を俎上に載せて、戦前(風たちぬ)・戦中(永遠の0)・戦争直後(終戦のエンペラー)の時代を語ろうとしている。
穿った見方(読み方)をすれば、先の(太平洋戦争でなく)大東亜戦争や特攻の賛歌ではと、誤解を受けやすいが、問題の切り込み方や、論理展開が半端でなく、我々がこれまで目を背けていた「あの戦争」は何だったを考えされられる。
個別の映画の批評としては以下のような内容になっている。
「風たちぬ」
著者は宮崎駿の中に内在する「戦後の平和日本」の矛盾を指摘する。つまり「風の谷のナウシカ」はその自己矛盾に身悶えし、それがリアリティを保証しているが、「風たちぬ」は零戦という戦争の申し子を主題に選択したにも関わらず、戦争とは一切関係なく「世界一美しい飛行機」作りに邁進する主人公・堀越二郎を描いていると。『彼(宮崎)は零戦を生むに至る歴史を正視しない』
この著者は「風の谷のナウシカ」が好きなのが行間から伝わってくる。そういう作品を作った宮崎駿が最後の仕事での、中途半端さへの苛立ちが聞こえてくるようである。
「終戦のエンペラー」
この映画は、「偽りと不信の日米関係」と切り捨てている。具体的には戦後のアメリカによって行われた検閲問題に迫っている。
「永遠の0」
ここで、著者の言いたい事が爆発している。
小説にあるが、映画では切り捨てられているものに焦点をあて、両者の違いを丹念に探っていくことにより、主人公宮部の苦悩、大東亜戦争、特攻・・・家族・祖国を守るということは何だったのかを正面から我々に問いかけてくる。
私は必ずしも著者の考え方に同調するわけではないが、これまでの我々が目を背けてきた「現代史」あるいは「戦争」および「戦後の平和」とは何かと言う問題を、改めて考えさせてくれる本であった。