濱野智史のレビュー一覧
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ネタバレ宇野常寛って文章力で人を引き付ける力がある。
これがすでに希望である。
宇野や濱野が未来を託すソーシャルメディアを具現化する理念を持つ
グリーンアクティブも、発足会見を行った。
自然、文化、経済、政治を小さなネットワークでつないでいく「リトルピープル時代」の活動は、うまく行くかどうかはわからない。いまだ、ビッグブラザー的な力でつぶされるのかもしれない。個人の内面にある大きなものへの幻想の前に理念が折れるかもしれない。
でも、そういう変化を含めて吟味し続けていく姿勢こそ、われわれに問われているものなのであろう。希望論とは、覚悟でもあろうと思う。 -
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前田敦子の卒業後はじめてとなる総選挙と、その後に指原莉乃のスキャンダルおよびそれにともなう彼女のHKT48への移籍の発表があった2012年に刊行されている本で、いずれもAKB48を愛する論客四人の座談会が収録されています。
「まえがき」で小林よしのりは、「我々は「あえて」嵌っているのではなく、「マジ」で嵌っている」と語っています。ただし、その「マジ」の中身にも論者によってちがいがあります。小林は、『ゴーマニズム宣言』でもくり返し語っていた彼自身の信じるプロフェッショナリズムにもとづいて、スター性をもたない少女たちが「ガチ」で芸能界という舞台で夢をめがけるすがたに声援を送っているように思えます。
これに対して宇野は、「あえて」というスタンスをとりたがる人びとが自己の内側にとどめている屈託を外部化し、「マジ」というスタンスで応援することができるようなシステムとして、AKB48を評価しているようです。戦後という共通の物語が喪失した80年代以降に「オウム真理教にハマる若者たち」が生まれたという社会状況のなかで、彼らを救う宗教としてAKB48が機能しているという彼のシステム論的な視座は、「ももいろクローバーZ」に「強度」を見る安西信一と対照的で、それなりにおもしろく読みました。
ただ、やはり一番説得力があるように感じたのは、戦後のアイドルの歴史を正確に踏まえた中森明夫の発言だったのですが。 -
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このヲタぶり凄いとしかいいようがない。
アンチの存在が、スターを創るという考えは鋭い。そしてアンチに耐えられるのがヲタとメンの近接性にあるというのも納得できる。
それにしてもこの人をヲタを夢中にするシステムを考えた秋元氏の才能は恐るべし。
このシステムから外れた途端にこれまで神の存在だったものがまったく普通の人になることから考えてもシステムの巧妙さがわかる。
ヲタもメンバーもそのシステムの中で踊っているだけなのだが、両者とも幸せならばそれでよいというのがこのシステムの巧みなところ。
願わくば、システム内で踊らされる側よりもシステムを作る側になりたいものだ。 -
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宇野常寛と濱野知史の対談本です。
ハーバーマス的な「公共性」がこの国に欠如していることを嘆くのではなく、現代日本のネット空間に広がっている「繋がりの社会性」を認めた上で、そこからどのような制度設計が可能なのかを検討することこそが「希望」につながるというメッセージが発信されています。
情報社会論を専門とする濱野は、アメリカにおけるネット文化が「国家対市民」という対立構図の中で育まれてきたのに対して、村井純に始まる日本のネット文化は、コミュニケーションの内容よりもコミュニケーションそれ自体を目的とする、北田暁大のいう「繋がりの社会性」を実現するために発展してきたことを解説しています。そうした「繋がりの社会性」が、「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」といった、生産者と消費者が融合した「プロシューマー」的なコンテンツを生み出してきたことに、積極的な意義を見るべきだと主張します。
梅田望夫の主張するような、主体的な個人がネットを通じて意見を発信することで形成されるコミュニティを理想視し、「2ちゃんねる」のような「繋がりの社会性」を貶める二項対立的な図式をズラそうとする著者たちの意図はそれなりに理解できるのですが、ハーバーマス的な「公共性」に見切りをつけることができずにいる者としては、「希望」といっても甚だ景気の悪い話しかないじゃないか、と感じてしまいます。
たとえば宇野が、ネット文化における偽史的な想像力に期待を語っているのを見ると、そういう想像力は容易に囲い込まれてしまうのではないか、と反射的に思ってしまいますし、また望田の技術決定論を批判しているのを見ると、そういえば技術決定論批判の大御所はカール・シュミットだったのではないか(そういえば宇野は「決断主義」者でした)、といったようなことが思い浮かんでしまうのですが、そういう私のような読者にとっては、両者の語る内容は刺激的ではないかと思います。 -
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タイトルもすごいのですが、たとえば「はじめに」に、「AKBの不動のセンターであったあっちゃんこと前田敦子が、この現代社会において、いかにしてキリストを超える存在たりえたかについて分析する」という文があったりします。ちょっとこれほどの文は、なかなか見ることのできないのではないかと思います。
内容は、アイドル・グループとしてのAKBの特異性を、オタクの視点から熱く語った本です。吉本隆明の『マチウ書試論』やマルクスの『資本論』などになぞらえているところもありますが、自分の好きな対象と教養を結びつける、いかにもオタクらしい語りかただと思えば、まあ受け入れられるかな、と思います。
匿名掲示板をはじめとする「アンチ」の言説に取り巻かれながら、「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という語った前田敦子の「利他性」に、著者は宗教的な自己犠牲に比するべきものが見られると著者は述べます。その一方で彼女たちは、握手会や劇場公演では、どこまでもファンと同じ目線に立ち、一人ひとりの呼びかけにこたえてくれる存在でもあります。ここに著者は、徹底的に世俗的な次元において聖性を宿すことに成功したAKBというアイドル・グループの特異性を見ようとしています。
ファンに近いところにいて、自分たちの呼びかけにこたえることでますます輝いていくメンバーを見ることの興奮はよく伝わってきました。ただ、本書で語られるAKBというシステムの原理は、匿名掲示板などに溢れるアンチの言説が彼女たちに向けられるという現実と背中合わせになっているようにも感じます。 -
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面白かった。
普通の人にしたら4人のおっさんが若いアイドルに熱を上げて口角泡を飛ばして議論するのなんてキモいだけだろうけど、これは女について語ってるのではなく、AKBと言うシステムについて語ってる。
アキバ系アイドルと思われていたAKBが今日の日本社会とどの様にコミットしているのか、4人の論客が喧々囂々。それぞれが別々の専門分野を持ってるからいろいろな見方があって、ヒートアップし過ぎて所々で論理が飛躍してしまってる(笑)のにも、その場の熱さとか思いの深さによるものだろう。
文中にある“「俺はこいつを推せる」そう思えた時、人間は初めて本気を出す”。AKBに限らず、みんな自分の大事なものには本気を出すと思うから私はこの四人のおっさんの本気を「キモい」と責められない。 -
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ネタバレ漫画家の小林よしのり氏やサブカル評論家の人達 計4名が、AKB48について熱く論争した本。議論は、AKB48の魅力・アイドル論から、政治・メディア・宗教論へと展開していく。
最も印象に残ったことは、中森明夫氏の「アイドルは価値の創造(ねつ造)」であるという主張。私も同じようなことを考えていた。
小説などの「近代文学」にはもともと価値は無いと考えられていた。最初は大衆だけに受けて知識人にバカにされていたジャンルが、数百年かけて高尚な文化としての地位を勝ち取った。他の芸術のいろいろなジャンルもそうだと思う。
マンガ・アニメ・ゲームと同じく、アイドルというジャンルも、今その過渡期で摸作中なんだと思う。無料ダウンロードなどでコンテンツに対価を払うという意識が希薄になってきた現在、握手会や人気投票のために同じCD大量購入するという新たな消費行動を生み出した秋元康の手法は、経済価値の創造と言って良いのかもしれない。
ただ、この本の欠点は、著者4名がAKB48グループに心酔しすぎていて、冷静さを失った意見が多いこと。また、他のアイドルをきちんと論じきれていない。ももいろクローバーZは5人しかいないから多様性に欠けていて面白くない、と書かれていたが、目指すところが違うのだ。
何でも社会や政治に結び付けて考えたい著者達にとっては、AKB48グループだけが魅力的で、語る価値があるに見えるのだろう。 -
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タイトルは編集者が付けた釣りだと思ったが、どうやら違ってたようだ。著者は本気でそう思っており、それについて書かれている。
著者の言いたいことはわかる。
本書の読者はアイドルはおろかAKBも名前くらいしか分かっていない人であろう。それらの人向けにはこれである程度伝わったかと思う。
だが本当の意味ではアイドルにハマったことのない人に伝わっているのかは微妙だろう。
著者は現役のAKBヲタである。
私はというと、ももクロでアイドルにハマり、そこから他のアイドルにもハマっているKSDDである(AKBにはハマっていない)
著者はAKB以外のアイドルには興味が無いように思われる。
本書に書かれているAKBにハマる理由やアンチの存在。これらについては他のアイドルにもそのまま当てはまる。(AKBファン内アンチには当てはまらないが)そのため本書の内容だけではAKBの特異性を語られているとは思えない。
AKBから他界(他のアイドルに流れたりしてファンを辞めること)した人の話しを聞いたり、他のアイドルの現場(イベントやライブ)に行ってみて、そのファンと話たりしてみて改めてAKB論を語って欲しいと思う。
また違った切り口になって面白いものになると思う。
■この本を知ったきっかけ
本屋で見かけて。
■読もうと思ったわけ
タイトルと帯に惹かれて。 帯は「ハマれ。さらば救われる!」
そして、ちくま新書でこのタイトルだったから。 -
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AKBは「生きる歴史」で、AKBの運動が世界を変える。
さらに、三島由紀夫がAKBを見たら、天皇よりもこっちの方がいいと言ったかもしれない、と気鋭の社会学者?野智史は宣っております。AKBはナポレオンで、舞台の上にいるのは世界精神なんだとも言い出しかねない勢いです。
本書にはその他に漫画家の小林よしのり、元祖アイドル評論家中森明夫、若手批評家の宇野常寛が参加しています。論争というより座談会ですね。我ら如何にしてAKBにはまったか。それも「あえて」でなく「マジで」・・・
AKBは誰もがアイドルになれるカルチャー・フォーマットで、「絶対に必要な条件はない。実は美人である必要もない。その子がアイドルになれるかどうかは、誰かがその子をアイドルと思うかどうか決まるんです」(中森)、ここに「なぜ人は推すのか」という問いの答えがあるようだ。つまり、一人のファンが劇場公演でも何でもいいから、一人のメンバーに出会い、ボクのイチ推しはキミだと宣言した瞬間、一人のアイドルが誕生する。
ある種のゲームを積み重ねることで何かしらの公共性を生む仕組みをゲーミフィケーションというが、AKBは日本での一番の成功例だと宇野は言う。総選挙においては「一票の格差も少ないし、死に票もない。複数投票で政権=センター争いのダイナミズムを味わうこともできるし、一票が重い下位メンバーの当落を左右するゲームも楽しめる」わけで、現実の選挙とは完成度が段違い、参加意識を醸成する回路の強度が別次元なのだ。
近年の「政治の劇場化」に対するマスコミの否定的な論調は、自らの社会を取り込むべく物語形成能力の劣化に対する反動であって、ソーシャル・メディアを前提とした「ゲーム」への参加は、今日の先進民主主義社会にあって倦怠期にある公共性や正当性をリフレッシュするための手掛かり、文化的回路のひな型になりはしないか。
たしかに総選挙をはじめ、握手会やじゃんけん大会などは金儲けのための商売であり、?野が言うように、アイドルオタクにCDをじゃんじゃん買わせる資本主義の権化みたいな搾取のシステムなんですが、公と私、個と多(他)を繋げるステージであることに間違いなく、そこにはファナティックだがある種の共同体が生み出されている。
情念だけが人を動かす。だがそれだけでなく、人と人の間には「推す」という独特な距離感が必要なのだ。