あらすじ
AKB48の魅力とは何か?なぜ前田敦子はセンターだったのか?“不動のセンター”と呼ばれた前田敦子の分析から、AKB48が熱狂的に支持される理由を読み解いていく。なぜファンは彼女たちを推すのか、なぜアンチは彼女たちを憎むのか、いかにして彼女たちの利他性は育まれるのか…。握手会・総選挙・劇場公演・じゃんけん大会といったAKB48特有のシステムを読み解くことから、その魅力と社会的な意義を明らかにする。圧倒的情熱で説かれる、AKB48の真実に震撼せよ。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
いい意味でも悪い意味でも「狂気の書」であると思った。AKBと宗教との対比、アーキテクチャとしてのAKB、といった論については、ただただ舌を巻くばかり。確かにAKBというシステムは、オウム・エヴァンゲリオン後の社会やコミュニケーションのかたちの縮図である。
しかし「たかがアイドル」――しかも、資本主義におけるモンスターよろしく大規模な搾取を続けている商品に対して、この国を代表する批評家が評価を与えている理由について、私が納得いくような回答は得られなかった。
筆者は日本のサブカルチャーやアーキテクチャの専門家であり、アイドルという卑俗なモチーフを扱いながらも有名な学者の言を引用しながら論を進めたり、自らの専門分野から鋭い指摘をしたりと、内容のおよそ半分は冷静な態度であった。しかしAKB自体に論が移ると、意図的かどうか分からないが明らかに冷静さを欠く。そして最も肝心な、「人はなぜAKBにハマるのか」という点については、偶然性によって出会った(一目惚れした)「推しメン」との疑似恋愛でしかないと言う。
ただただ納得するしかないが、じゃあ「普通に恋人を見つければ?」というツッコミ一つでこの本の価値は裸の王様になってしまうであろう。
もちろん恋人や配偶者がいてAKBにハマっている人もいるだろうから一概には言えないが、少なくともAKBを「恋愛弱者」の側から語るのか、そうでない側から語るのか、そのことで何か変わるのか、ということはかなり大きな問題であると思うので死生観云々よりもそっちを重要視してほしかった。
大体、偶然性によるつながりを量産するシステムってそんなに新しいのだろうか?濱野氏には、世界の中でも安全かつ多様に発達した、日本の性風俗産業にハマってもらい、同様の規模・視点から一冊書いていただきたい。皮肉でもアンチでもなく期待を込めて「マジ」で。
Posted by ブクログ
この本が出たのは五年前。あまり深く考えずに手に取ったのですが、この時差がけっこう面白いかも。私はアイドル界のことはよく知りませんが、当時は的を射ていた分析も、年月が経つとまた違って感じられるかもね。前田敦子さんも結局は消費されていく芸能人の一人だったのかなあと思ったり、頂点を極めたらあとは落ちていくのが自然の理なのかなと思ったり、いろいろ感慨深かったです。
Posted by ブクログ
この著者、AKBの追っかけしてるからじゃなく、
自著の想定読者に届く言葉かどうかを全く斟酌せずに専門用語を轟々と語りまくる、その一人よがりっぷりが
正真正銘の「オタク」なんだと思った。
AKBというシステムを宗教と対比させた視点は面白い。
資本主義社会の中では、こ~ゆ~カタチでしか純愛は成立しないのかも…とも考えた。
でも、これって決して新しいシステムでもなんでもなく、郭や茶屋の女たちだって、古くは白拍子だって、同じように「女」を売って―いや売られて、商売道具にされてたんだよね。
人気があれば着飾った絵姿なんかも出回った訳でしょ?
ぶっちゃけ水商売って普遍の商売なんだろぉな…。
ただ昔は買えたのは富がある者ってだけで。それが庶民まで下りてきたって事か。
貴賤貧富の差・男女の性差別が無くなった今、実際の性交渉が除外されたってだけだよね…とも思った。
Posted by ブクログ
AKB48の魅力とは何か? なぜ前田敦子はセンターだったのか?後に『不動のセンター』と称せられた前田敦子ちゃんを徹底的に分析することによってAKB48の持つ「宗教性」をあぶりだしていきます。
『前田敦子はキリストを超えた』
このセンセーショナルなタイトルは筆者の友人であり評論家の宇野常寛氏のツイートがきっかけとなっているのですが、時代と場所が違えば恐らくこれは轟々たる批判を浴びていたであろうなぁと思いながら本書を手にとって見ました。
内容はというと、自らもまたAKB48の『ヲタ』を自認する筆者があっちゃんこと前田敦子(性格には元メンバー)と筆者自身が『推しメン』として大ファンであるぱるること島崎遥香を中心にしてとしてのAKB48を新書一冊分丸々使って語りつくすと言うものです。それにしても『識者』と呼ばれる人間に思い入れ100%の本を何冊も書かせるAKBグループはいまや巨大な『モンスター』となってしまった感が否めません。
僕は半ば距離感を置いて本書を半分ほど読み終えた頃、好きな作家の佐藤優氏がラジオでここに書かれていることとほぼそのままの見解を話しているのを聞いて、やっぱりキリスト者(佐藤氏はプロテスタント神学)からAKB48を見ても、彼女たちにはそういった側面を持っているものだったんだなと思い、改めてここに書かれている内容を読み通してみたのでした。
「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」
前田敦子ちゃんが第三回選抜総選挙で1位を取った際、壇上で彼女が話したスピーチの内容は有名で、この中には『利他性』というものが存在すると筆者は説いております。この『利他性』というある種の『自己犠牲』はAKBメンバー1人1人の中に刻み込まれており、ついでにいうなれば第五回選抜総選挙で1位となった「さしこ」こと指原莉乃ちゃんの中にも確実にそれらが存在すると思うのです。
僕はこの辺のことをまったくわかっていないのですが、『アンチ』という存在がいて、1つはAKBそのものに対して否定的な、もしくはまったく興味の無い『AKBアンチ』もう1つはAKBの『ヲタ』のなかに存在する『AKBヲタ内アンチ』というものがあるそうで、これは昔日の会社の中にあった『派閥』のようなものだなと思っております。日ごろは『○○アンチ』や『××アンチ』といったようにメンバーやそのファンたちを非難していても、外から彼女たちの悪口を言われればガッチリと結束する。そういう風に捉えております。
しかし、彼ら彼女らがネット上に膨大な量で排出する匿名の批判。場合によっては誹謗中傷とも取れる発言の数々になぜああも耐えうることができるのか?その疑問に対しても筆者は、握手会や劇場公演などのナマで彼女たちを見る機会、さらに直接ファンとメンバーが直接交流できる機会を通じて、『ヲタ』が『メン』に大して語りかける励ましの言葉によってであるという分析は『あぁ、なるほどなぁ』と感じ入ってしまいました。
さらには、AKBグループ独特のシステムである『推し』について、第三章の『なぜ人は人を「推す」のか』で徹底的に語られており、AKBの運営は「偶然性」というものに彩られているということや、「擬似恋愛」としての側面を挙げて、彼女たちへの『ヲタ』の想いは恋愛でも性愛でもなく『恋→政=愛』という形態をシステム化させたということや、古典的なロマンチックラブの甦り、さらには彼女たちが成長していくのを「見守る」という「喜び」そして「商品」でありながら人間でもあるというアイドルのある種不思議な存在にぱるること島崎遥香ちゃんの例を用いて解説されており、その『熱さ』に思わず打ちのめされそうになってしまいました。
最後になる第四章の『AKBは世界宗教たりうるか』では
「たかがアイドル、されどアイドル」
で本当に世界宗教になるのか否かということはさておいても、ここまでのシステムを「偶然」とはいえ作ってしまった秋元康氏とわずか7人という観客からスタートし、今やその一挙手一投足までもが衆人にさらされるようになり、その中でも『傷つきながら、夢を見る』彼女たちを『推し』たくなるという『ヲタ』たちの内在的論理や行動原理は少しだけわかったような気がいたしました。
Posted by ブクログ
内容としては、なぜAKBファン(オタ)になるのか。AKBがファンを虜にする仕組みと関係性について書かれた内容になっている。
筆者の更なる言及と、もっと幅広いメンバーについて、新書以外で読んでみたい気もしますね。
Posted by ブクログ
「推し」とは何か?
絶対的なものへのコミットメント
⬇
境界線の恣意性
⬇
恣意性からコミットメントへ
(あえてコミットメントする)
宗教からAKBへはこういう一サイクルとなっています。
深いコミットメントを描いたここ最近の作品として
『1Q84』2009年村上春樹
『借りぐらしのアリエッティ』2010年 宮崎駿監督
しかしこの辺の作品が描く他者へのコミットメントとAKBの誰かへのコミットメントは違う気がする。
〈宗教〉としてのAKB48とは何か?
「あえてコミットメントする」から「あえて」がとれて
⬇
「(絶対的?)なものへのコミットメント」
まで1週したということ?
Posted by ブクログ
一世を風靡したAKBというグループの特異点をあげて、それが社会にどのような影響を与えるかを考察する本。著者は「近接性」と「偶然」の2つが、従来のアイドルグループと異なる点であり、それらが独特の関係性、共同体、利他性を生むのだという。今回この本を読んで、柄谷行人が唱える「交換様式」と似たものを感じ取った。資本主義社会のなかで、資本主義を真っ向から否定するのではなく、それに乗っかったうえで多くの人々(国境を越えて)に贈与する。これは数々のソフトパワーを有する日本にとって、ある種の国防戦略として取るべきかもしれないと思った。
Posted by ブクログ
前田敦子はキリストを超えた・・・知らんけど、
「私の事は嫌いでも、AKBの事は嫌いにならないでください」
人類の罪を背負って磔刑に処せられたキリストにちなんで、
「ゴルゴタの丘のあっちゃん」という著者の的確な例えのセンスすごい。
AKB総選挙の始まりについてを知り、
とても興味深く、社会史との近似性を感じた。
秋元康独裁政権 → デモクラシー → 総選挙
これは学校教育に取り入れてもいいくらいの
社会学のモデルケースではなかろうか。
理屈っぽい語りによるオタ心理も読めておもしろかった。
Posted by ブクログ
前田敦子も卒業しているし、そのライバルの大島優子も卒業し、そのブームも一段落した現在、読むにしては完全に時期を逸したけれど読んだ。志向性を持った集団やムーブメントとしてAKB48を宗教として読み解くという試み。宗教者からは冗談じゃない。ということになるかもしれないけれど、当時の情報の中にいれば、こういう読み解きを有効にするだけの熱量があったようにも思う。あまりに難しく語りにくい事柄としての宗教をポップ・アイドルを使って客観的になぞらえて考えるのはきっかけとしては悪くない気がする。
Posted by ブクログ
このヲタぶり凄いとしかいいようがない。
アンチの存在が、スターを創るという考えは鋭い。そしてアンチに耐えられるのがヲタとメンの近接性にあるというのも納得できる。
それにしてもこの人をヲタを夢中にするシステムを考えた秋元氏の才能は恐るべし。
このシステムから外れた途端にこれまで神の存在だったものがまったく普通の人になることから考えてもシステムの巧妙さがわかる。
ヲタもメンバーもそのシステムの中で踊っているだけなのだが、両者とも幸せならばそれでよいというのがこのシステムの巧みなところ。
願わくば、システム内で踊らされる側よりもシステムを作る側になりたいものだ。
Posted by ブクログ
タイトルもすごいのですが、たとえば「はじめに」に、「AKBの不動のセンターであったあっちゃんこと前田敦子が、この現代社会において、いかにしてキリストを超える存在たりえたかについて分析する」という文があったりします。ちょっとこれほどの文は、なかなか見ることのできないのではないかと思います。
内容は、アイドル・グループとしてのAKBの特異性を、オタクの視点から熱く語った本です。吉本隆明の『マチウ書試論』やマルクスの『資本論』などになぞらえているところもありますが、自分の好きな対象と教養を結びつける、いかにもオタクらしい語りかただと思えば、まあ受け入れられるかな、と思います。
匿名掲示板をはじめとする「アンチ」の言説に取り巻かれながら、「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という語った前田敦子の「利他性」に、著者は宗教的な自己犠牲に比するべきものが見られると著者は述べます。その一方で彼女たちは、握手会や劇場公演では、どこまでもファンと同じ目線に立ち、一人ひとりの呼びかけにこたえてくれる存在でもあります。ここに著者は、徹底的に世俗的な次元において聖性を宿すことに成功したAKBというアイドル・グループの特異性を見ようとしています。
ファンに近いところにいて、自分たちの呼びかけにこたえることでますます輝いていくメンバーを見ることの興奮はよく伝わってきました。ただ、本書で語られるAKBというシステムの原理は、匿名掲示板などに溢れるアンチの言説が彼女たちに向けられるという現実と背中合わせになっているようにも感じます。
Posted by ブクログ
こじつけだなんだという意見が多そうなのだけど、アイドルとキリスト教を並べて語って共通性を見出だしていくならば、文化レベルの違いからこじつけざるを得ないだろうと思う。
というかこの話題はどう書いてもこじつけと言われるんじゃないか?
個人的にAKBについては「まぁ知ってる」くらいのスタンスで読んだのだけれど、AKBがキリスト教を越える存在になるかどうかは別として、現代社会の新しい宗教として見てみるのは非常に面白いアプローチだった。
Posted by ブクログ
作者のAKB好きがわかる1冊。というか、それ以外の感想はよくわからない。変に哲学的な表現が多くて、わざと難しく言っているのではないか?と思うほど。ただ作者が単純にAKBにはまっている。というのはよくわかる。
Posted by ブクログ
こんな本が出るねんなあと思いつつ、AKBをちょっと理解できるかなと読んでみました。
終始高いテンションで進んでいく。筆者がAKBをめちゃくちゃ好きであるのはわかった。
文章のなかでときどき、それは言い過ぎやろうというものもあった。
AKBが宗教であるゆえんは、「近接性」と「偶然性」らしい。
通読してみても、なんとなくわかったような、わからんような、というような感じ。
AKBか、まあ、自分はこれからも好きにはならないと思いますが、今後どうなるか、楽しみにしてます。
Posted by ブクログ
タイトルは編集者が付けた釣りだと思ったが、どうやら違ってたようだ。著者は本気でそう思っており、それについて書かれている。
著者の言いたいことはわかる。
本書の読者はアイドルはおろかAKBも名前くらいしか分かっていない人であろう。それらの人向けにはこれである程度伝わったかと思う。
だが本当の意味ではアイドルにハマったことのない人に伝わっているのかは微妙だろう。
著者は現役のAKBヲタである。
私はというと、ももクロでアイドルにハマり、そこから他のアイドルにもハマっているKSDDである(AKBにはハマっていない)
著者はAKB以外のアイドルには興味が無いように思われる。
本書に書かれているAKBにハマる理由やアンチの存在。これらについては他のアイドルにもそのまま当てはまる。(AKBファン内アンチには当てはまらないが)そのため本書の内容だけではAKBの特異性を語られているとは思えない。
AKBから他界(他のアイドルに流れたりしてファンを辞めること)した人の話しを聞いたり、他のアイドルの現場(イベントやライブ)に行ってみて、そのファンと話たりしてみて改めてAKB論を語って欲しいと思う。
また違った切り口になって面白いものになると思う。
■この本を知ったきっかけ
本屋で見かけて。
■読もうと思ったわけ
タイトルと帯に惹かれて。 帯は「ハマれ。さらば救われる!」
そして、ちくま新書でこのタイトルだったから。
Posted by ブクログ
「キリストを超えた!」なんちゅう大袈裟なタイトルが話題になり、私もその過剰さが気になりつい手にとり、購入しちゃったw
キリストとあっちゃんのとりまく状況に類似性があるのは分かったが、あっちゃんがキリストのような存在になれるのか、また超えることができるかについては結局分かんねーな。著者による「キリストを超えることができるのか」についての推測も、おもしろかったけど納得できるほど説得力はなかったかな。
それよりも読んでいて、著者が実際にAKB48にハマっていく過程を追体験できる部分の方がおもしろかった。AKBに興味がない人はなんで特別かわいくも歌もうまくない小娘におっさんがハマっていくのか理解できんだろうが、この本でファン心理が少し分かるかもしれない。また、著者がイベントで見た小さな軌跡とも言えるエピソードの数々はおもしろかった。
タイトル負けしてると思うけど、
このタイトルじゃないとオレは手にとってないと思うので、結果OK!
Posted by ブクログ
キリストを超えた、というインパクトのあるタイトルはやはり大きい。
ここまではまるんだ→何でそこまで→それはこれこれ、こういう感じで、という、自分のような初心者にも一応納得できるアイドル・AKBへのハマり方を提示してくれている。
そこの表現が、かなり大袈裟(いい意味です)。
「大してかわいくない子たちが・・」と思っている人は劇場に行っていないからだそうで、間近で見ると声援を受けて輝く彼女たちの姿に、人はここまで変われるのか、と愕然とし、これはまさに宗教的奇跡とまで言い切ってしまう。
こういうところで興ざめして、拒否する読者もいるでしょうね。
AKBと宗教の類似性を論じた箇所に、役だつところあり。
会いに行けるアイドルという”近接性”がポイント。
現代の資本主義は人々を「疎外」するが、CDを買うなりすることで「近接性」を感じることができ、そこが”救済”としての意味を持つという部分。
何かにひかれる、というあまり意識していない部分も、これからはこの「近接性」が重要なキーワードとなる時代になっていくと思った。
Posted by ブクログ
[とりあえず要約]
「ここではないどこかに、はっきり存在するとは言い切れないが、いるとしか言えない」という否定神学が生む超越性でしか持ち得ない「贈与」を、ネットにおける匿名性が生み出す集合的無意識(アンチ)に曝されるネット身体とリアルの身体とを、絶対的「近接性」によって結束させることで得た「超越性」でもって(近接によって得た「関係の絶対性」を用いて結束させる)、マルクス資本主義における「搾取による疎外」を「搾取による贈与」に置き換えられる。贈与を可能にした近接性による超越性は宗教としか言えないのではないか。
Posted by ブクログ
AKB48のシステムが宗教として機能している側面を分析。
内容はタイトルほど刺激的なものではないが、無理からに吉本隆明のマチウ書試論を引いたり、いちいち面白い。
後半どんどん語り口が熱くなり、AKBのために本気で著したことが伝わってくるのもまた好し。
Posted by ブクログ
何回震撼するねん!と思いつつも共感はできる。この本を読む数日前にNHKで深夜に放送していたAKBのドキュメンタリーを見てしまったからだ。アイドルにはまる理由がわからない、という拒絶の姿勢だとたぶん何の面白みも感じられないとは思うが、そこに共感できるなら面白く読めるだろう。でも、深みはあんまり感じなかったな。