柳宗悦のレビュー一覧
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日本の民藝についての第一人者である柳宗悦による美の論説。本書で語られる柳の主張は、一切の反論の余地も与えないようなものでは確かにない。例えば創意工夫が美を損ずるとか、僅少で高価であることはそれ自体が不完全であるとか、絶対にそうとは言えないのでは、とその論理づけにおいて指摘したくなる部分は少なからずあった。
しかし柳の功績は貴族趣味的なものばかりがやたら有り難がられて、日用品が工芸品として評価されていなかった風潮に待ったをかけて、用の美というキーフレーズでいわゆるクラフトの価値を土俵に上がるところまでに押し上げたところにあると思う。現に日本のクラフトデザインの歴史を柳抜きに語ることはできないであ -
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まさに「民藝」の入門書として、提唱者の柳宗悦より平易な表現で、分かり易く解説されている。
「民藝」は、明治近代化の中でしばしば登場する概念であり、その影響力から、言葉としては認識していたが、体系的に理解できたことは収穫。
このように原則論を読んでいると、時代を超えた普遍性があり、現代においても意識すべき概念ではないかと思う。
以下抜粋~
・用が生命であるため、用を果たす時、器は一層美しくなってきます。作り立ての器より、使い古したものはさらに美しいのではありませんか。
・廉価であるということが、実に美を増す大きな基礎なのです。安いものであるから、強いて美を盛ろうとは工夫していません。
・無 -
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岩波文庫の『民藝四十年』をやっと入手できたと思ったのも束の間、ちくま学芸文庫から『民藝四十年』が刊行された。本書は新編増補版。刊行にあたってとの編集部の文章が付されているが、それによると、1958年に刊行された宝文館より刊行された『民藝四十年』の目次には柳自身による書き加えがあり、改訂の考えがあったらしい。本書はそれら15編の論考を新たに増補したもの。
かなり厚い本になったが、確かに柳の言わんとしたことが、より具体的に分かりやすくなったように思う。
「美の法門」では、仏教の教えが今一つ良く理解できなかったが、詳しくその考えを論じた「無有好醜の願」、「知」るよりも前に「観」ねばならないと -
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しばらく前に日本民藝館の展示を見に行った際、館内の売店で見つけた本。
本書は、民藝運動の創始者である、柳宗悦(やなぎむねよし)による、民藝論の入門書です。
著者自身が民藝学概論、と位置づける表題の小編と、やはり民藝の概念や良さについて、簡潔に語った随筆がいくつかおさめられています。
原本は1941年に刊行されていますが、現代仮名づかいに改められ、文字の大きさや組み方も新しく、読みやすい仕上がりが有り難い。
本書における著者の主張は終始一貫していて、民藝品は、大衆が用いる工藝品として、大量に、廉価に、簡単な手法で、実用的であるために不要な装飾を省き作られたことで、無心の健康的な美がやどってい -
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日本の手仕事、民芸の日用品の持つ美を紹介した本。日本中(北海道を除く)の手仕事を20年もかけて実際に観て回り、紹介している。ちょうど「日本民藝館創設80周年記念 民藝の日本 ~柳宗悦と『手仕事の日本」を旅する~」が開催されていたため、本書で紹介されているモノをたくさん実際に見ることが出来た。
挿絵も素晴らしいのだが、それでも紹介されているモノらが多く馴染もないことから、イメージが文章からだけでは理解しにくい点は残念。今回は展示会を観に行けたため実物を見て初めて理解したりもした。逆に元々知っていたものは、とても共感して読めた。自分の想像力不足によるものだが、やはり実際に観られるかどうかの影響は大 -
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昭和17年12月~18年1月に書かれた。
柳は手仕事の現状を示し、将来に向かっていかに発展させるか、という課題をもって書いた書物であるにもかかわらず、戦争、戦後の混乱、さらに近年の高度成長に伴う社会の変貌はまた別の意義をこの書物に荷わせた(解説より)。
各県の手仕事が示される。
真っ先に三重県をチェックして、お、四日市!と見てみたら、
「四日市は有名な『万古焼』の土地ですが、この焼物には不幸にも見るべき品がほとんどなくなってしまいましたから、通り過ぎることと致しましょう。今も沢山作りはしますが、いやらしいものが余りにも多いのであります。」
ですと。
いきなりのけぞってしまった。
素晴らしい -
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この名文にやられた。ただ、「真の美」という発想がいかにも時代を感じる。私の世代の人間には、逆に民藝もまた骨董の一種と化しているように見えるから。それに、他の本で見るようなゴテゴテと色んな民芸品を所狭しと並べている人は、正直言って悪趣味にしか思えない。ただ、河井寛次郎記念館や日本民芸館のように、客への心遣いを感じる装飾としての民芸品はさほど嫌みはない。何事も中庸を良しとするのだろうか。その意味で、「なぜ柳氏は茶道の世界を批判したのだろう?」というのが自分の中では疑問として湧いた。茶道のデフォルメはもはや用の美を忘れたと言いたいのか。それとも、千利休を称揚し、その美的感覚がスタンダードとなる中、流