著者の心の中をそのまま読んでいるような、とても率直で飾らない言葉で書かれたエッセイ。
大阪にあるマザーハウスの店舗の前を何度か通ったことがあるけど、高級路線で敷居が高いイメージだったので、この文章を読んで意外だなと感じた。
子供の頃から、あらゆる困難が降りかかってくる。
柔道の話が出てきた段階で、思った。「あ、私は無理だ。」
努力とか根性って誰でも報われるんじゃない、選ばれた人が生き残るんだ。体力と精神力が生まれつき人より備わっていて、なおかつ負けず嫌いの気質を持っている人。
著者はだから結果的に生き残っただけで、凡人がこれを真似たところで失敗して立ち直れず挫折するだけ。
できなかった、で終われば良いけど、鬱や引きこもりになって二度と立ち直れない可能性もある。
だからできる人だけがやれば良い、できる人の責務なんだ・・・と自分の心が説得してくる。
数々の屍の上に立つのが著者のような人間なんだ。
私より少し上の世代だけど、自分が学生の頃にこんな人生を送っている人がいるなんて信じられない思いだった。いじめやパワハラ、差別も今より酷かっただろうし、まだ今のようなデジタル社会でもなかったし・・・
でもその分、自主的に物事を考えたり、成功するぞという気概のある人がいた世代なのかな。
著者が一番恵まれているなと思ったのが、大学入試。推薦とはいえ10月から慶応を目指して受かることなんてあるんだろうか。それも工業高校から。猪突猛進で、決めたら限界を超えても頑張れるから、それこそ一芸が認められたのだと思う。普通じゃない学校に受かる人は、普通じゃない。
入学しても周りのレベルが高いので、自分も何かやらなきゃ、やろうと思える。人が成長する為には環境って本当に大切なんだなと思う。周りの人間もモチベーションが高く優れた人だったので、著者は仲間に後々何度も窮地を助けられたのだろうなと想像できる。
この人を追い立てるものはなんなんだろう。
「今まで一番にならなきゃ意味がないって思っていた。」そのある種思い込み、洗脳のような考えはいつ身についたのだろう。
睡眠不足で体調が悪くなるのは想像がつくのに結局救急車に運ばれたり、貧しい国を自立させようとしているのに、その国で値切らなければいけないほどお金を持っていなかったり・・・
私は逆にそうやって他人に迷惑をかけたり自分が恥をかいて面倒な事になるが嫌で、力を調整して何にも没頭できない。だから全力を出し切れることがある、というのが本当に羨ましい。私は未だに自分がどちらに向かっていきたいのかさえ分からない。
まさかこの本で竹中平蔵が出てくるなんて思いもしなかった(笑)人ってどこで繋がってるか分からないものだな・・・
そして発展途上国やODAの話が出てきた時に思った、今の日本って、もはや後進国だよな?国民にお金も余裕もなくて、むしろ開発・援助してもらう立場なのでは?
この本の頃はまだ今のように切羽詰まった空気ではなかったからだと思うけど、この20年ほどの間にも日本は落ち続けていたのだと実感し、この本との時差を感じてしまう。
もちろんバブル崩壊、リーマンショック、大地震、コロナ等々で日本を立て直せず、ずっと後を引っ張ってしまっているからなのだけど。
存在も知らなかったけど、米国開発銀行の内部が思ったよりアメリカだった。会話がラフ。確かに途上国に行ったこともない人間が、何をどうやって援助しているのだろう。
そして途上国出身でもお金持ちはいる。これが「格差」なのだろうか。とんでもないお金持ちと、住む場所もままならない人。資本主義とは一部のお金持ちだけに都合が良いシステムなんだと思う。
バングラデシュの様子は、よくあるというか、想像通りだなと思った。ぼったくりや日本人に対する不信の目、嫌がらせ。本当に、貧すれば鈍する。貧しければ貧しいほど人から嫌な目に遭わされて、自分も他人に攻撃的になる。
でも首都から離れた田舎では貧しくてもみんな幸せそうに生きている・・・ということは農耕や自給自足の生活から離れて、資本主義の歯車に乗せられた上で貧困に陥ると不幸と感じてしまうのか。競争で負けて、底辺になること。これが人間にとっての不幸。
よくNGOが途上国に学校を建てたりしているのを見るけど、その子供達は学校を卒業したらどこに行くのだろう。学校で学んだことが活かせる職業があるのだろうか。雇用はあるのだろうか。その後のサポートがないと結局貧困から抜け出せない。
実際この本にも大学院を出ても就職先がないと書いてある。子供は未来の大人だ。子供じゃなくなったらさようなら、では意味がない。
著者がちゃっかり日本で内定を貰っているのにはびっくりした(笑)すごく要領の良い人なんだなって。
その後の工場とのやり取りは本当に大変そうだった。ラッセルさん、文字で読んでるだけでも度々「ん?」と思うような怪しい言動をしていて、全く信用できない。また海外のバイヤーがそんなに高圧的な物言いをすることも信じられなかった。どういう立場で言ってるのだろう。
「今までバングラデシュの人たちは、安いものをずっとつくってきました。ですが可能性は埋もれていて、光る素材も人材もたくさんいるんです。世界と競争するために、本当にいいものをつくるには、技術とノウハウを教える必要があるんです」
これって、今の日本人にも言えるのではないか。若者が安い給料で、ろくに仕事も技術も教えられず働いている。非正規雇用がどんどん増え続けている。若者が悪いのではなく、そういう社会を作った上の世代の責任だ。もしこれを今後も続けるならば、日本の未来は推して知るべしだ。
やっぱり一番衝撃的だったのは、アペルさんの話。知り合いの知り合いなのに、よくとんずらできるなと。居場所を突き止められたらどうするつもりだったのだろう。でも日本人の若い女性など怖くもなんともない、と見下していたのかも。
これでまた一からやり直しになってしまったのに、それでも諦めないのがこの人の強さ。ちゃんと前回の反省を活かして同じことは繰り返さない。私なら絶望してる。でもちゃんと次を見つけてくる。その運と縁を持っているのがすごい。
昔、なぜ高学歴や頭の良い人はリスクのある新しい挑戦を怖がらないんだろうと真剣に考えたことがある。彼らは私からしたら信じられないぐらい無謀だったり、行動的で大胆なことをする。
なぜ失敗したり、一文無しになったり、他人に傷つけられることが怖くないのか。
それはどんな目に遭っても、自分の頭を使って自分を助けられるから。つまり問題解決能力が高い。
頭が悪いと、問題が起きた時にどうしたら良いか分からない。だから挑戦できない。
この本を読んで改めて思い出し、確信した。
「他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。」
こういう考えの人は少なくないはずなのに、なぜか日本では全然広まらない。
「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」
日本では便利な生活や物が手に入るが、根源的な欲求が薄れて分からなくなる矛盾。
「誰かの一言やちょっとした制度や仕組みが、人間がもっている可能性を邪魔してしまうことは多くて、残念ながらそれでジャンプできない人たちがたくさん日本にはいることを知りました。」
著者のような、人より早くたくさん経験できる人、そういう人こそがジャンプできない日本人の希望になるんだと思う。
こういう人が、日本の可能性を広げて引っ張っていける人だ。
20250216