脇明子のレビュー一覧
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驚くほどのナンセンス。驚くほどのブラック・ユーモア。こんなに面白かったっけ?子どもの頃に読んだことがある人も、再読のススメです。
特に、ブラックの方は、日本では在りえないなと思う程の強烈さ。お国の違いって、あるもんだなあ。言葉遊びも、こんなに手が込んでいるとは、知りませんでした。
日本の子どもには、たぶん・・・この本にちりばめられた言葉遊びと、ブラックを理解するのは難しい。でも、ナンセンスは、大人の何倍も楽しめるだろう。アニメなんかでは、このナンセンスの面白さは、半分も伝わらないと思うから、是非、子どものうちに一回読んで、大人になってから、再読すべき本だ!と思います。
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クリスマス・キャロル
- カート
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試し読み
Posted by ブクログ
クリスマス、業つくのスクルージのもとに4人の幽霊が現れ、自分の過去、現在、未来と向き合う。
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クリスマス近いので読み始めて、ちょうどクリスマスイブに読み終わりました。教訓に満ちたお話ですが、どうしても宗教的な背景が色濃く出ている作品というのは敬遠してしまいます。本作も深い共感には至りませんでした。思いやりや優しさを思い出す一日ではあるのでしょうが、いわゆるノブレス・オブリージュに収束する(西洋でよくある)パターンのお話というのは、「ハイジ」もそうでしたが、どうにも馴染めないです。
ただ、ディケンズが言わんとしていることは宗教的な背景は別にしてもよくわかるので、そこは共感できました。特に児童書というのはメッセージが直截的に語られる傾向があるので受け取りやすくてよかったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『闇の左手』(1969年)、『所有せざる人々』(1974年)、『ロカノンの世界』(1966年)、『辺境の惑星』(1966年)の順に読んで、3/4が厳しい冬の物語。
植民、ロミジュリ、科学の助けなしに発展どころか生存すらも困難であろう過酷な自然環境。ハイニッシュ・ユニバースは同じテーマで描くという志があったのだろうか。1990年代の小室哲哉の曲のように似てるので、間を開けて読んでも食傷する。最後に希望が差すが、状況が困難すぎてハッピーエンドには思えない。そのへんがアンチテーゼだったのだろうか。
ワイス&ヒックマンの冥界の門シリーズを思い出させる。念頭に置いて書かれたのではないかと思える。しかしテーマは異なる。ワイス&ヒックマンが語っているのは分断。1980年代終盤のアメリカで顕著になりつつあった社会の分断だと思える。
ル=グィンはなにを語ったのだろうか。
夢小説なきらいはある。家父長制的だが若い娘が自由に行動できる社会。
冷戦期に書かれたものだが、核の脅威は描かれていない。共産主義を盲信してはいないが礼賛している風はあり、なにを見ているんだかわからないところがある。創作のために都合の良い部分を抜き出しただけとみなしてよいのか。
五千日の寒冷期と五千日の非寒冷期を繰り返す惑星で、人類に似た生命が自然発生するだろうか。少なくとも三種。そう問うたとき、ハイン人のロストコロニーなのだろうという解に導かれるのは、説明を省いた著者の策か。後年の作品では明らかに語っているが、本作品では明示していない。
物語るために設定された世界で、物語の前や後がおざなりである。残された希望にすがる結末でありながら、前にも後にも世界に継続性が感じられない。投げっぱなしな印象がある。
残るは『幻影の都市』(1967年)と短編。 -
Posted by ブクログ
「異類婚姻譚」について調べていたときに「異形の女房」の例として出てきた『雪女』。
そういえば小泉八雲、ラフカディオ・ハーンってちゃんと読んだことなかったかも。入門書としてこちらを読んでみました。
有名な『耳なし芳一』、『雪女』のほか、ハーンが再録した日本の不思議な物語12編とエッセイ4編を収録。
もととなる原話と比較したわけではないですが、物語はハーン独自の視点や語り口でリメイクされているのではと思われます。そもそも物語のセレクトからしてハーン独自のフィルターが入っているわけですし。
エッセイ『夏の日の夢』に『浦島太郎』、同じくエッセイ『神々の集う国の都』に『子育て幽霊』の話が出てきます。これらの物語にある「哀れみ」や「哀しさ」のようなものにハーンは強く惹かれていたようです。
『遠野物語』なんかもそうですが、日本の伝承物語ってどこか暗さとか悲しさを含んでますね。
『東洋の土をふんだ日』、『盆踊り』、『神々の集う国の都』、『夏の日の夢』。エッセイ4編は抄訳ですが、どれもとても美しい文章で日本の印象がつづられています。
ハーンがだいぶ盛っているところもあると思いますが、明治時代の日本はかくも美しかったのか。異国人の眼で見るからこそわかる美しさもあったのかと思います。
「日本の町の通りは漢字で飾られているから絵のように見える。これを英語で置き換えたところを想像するとゾッとする」といったような文章があるんですが、日本人は英語で書かれた看板を無意味にかっこいいと思ってしまうんだから笑ってしまいます。
2025年秋の朝ドラ『ばけばけ』は小泉セツが主人公だそうですが、ハーンに日本の物語を紹介した女性に興味がわいてきたので、ハーンのエッセイとともにちゃんと読んでみたいなと思います。
以下、引用。
74
原話である『宇治拾遺物語』ではタヌキだが、英語圏の国々にはタヌキはいないので、ハーンはアナグマにしている。
132
そういう古い鏡というのは不思議なもので、それぞれが魂を持っているし、鏡の魂というのは女性なのだ。
140
日本の田舎にある村のうちには、真夏のよく晴れた日でもずいぶん暗いところがしばしばある。
こうした村の第一印象がちょっと薄気味悪いのは、一種独特の不思議な魅力を持った透明な薄暗さのせいというより、その静けさのせいである。
164
「第一印象というのは、たちまち消えてしまうものですからね。いったん薄れてしまったら、思い出そうとしても思い出せるものではありません。これからあなたはこの国で、ありとあらゆる不思議なことを体験なさるでしょうが、第一印象の魅力にまさるものには、二度と出会えるものではありませんよ。」
169
やがて、働いている人たちの着物にも、店の布にあるのとおなじ文字が書いてあるのに気がつく。どんな唐草模様を使っても、こんな効果は出せないだろう。意味を示しながら装飾にもなるようにと変形されたそれらの文字は、均整のとれた美しさを保ちながらおしゃべりでもあるが、意味を持たないデザインにはそんな芸当はできやしない。労働者の濃い青の上着の背中に、それを着ている人がどこの店や会社の者かを示すまっ白な文字が、遠くからでもかんたんに読める大きさで記されていると、ごく安い粗末な衣装が、華やかな装いをこらしているかのように見える。
それは、これらの通りが驚異的に美しい絵のような景色に見えるのは、まず何よりも、ありとあらゆるものが──柱の表面や紙製のスクリーンまでが──白、黒、青、金などで書かれた中国や日本の文字で、ふんだんに飾られているからなのだ、ということだ。それがわかったら、ほんの一瞬でいいから、これらの不思議な文字を英語の文字におきかえたらどうなるかを、想像してみてほしい。もしもあなたが、審美眼というものを多少ともお持ちだったら、そう考えただけでぞっとして、わたしと同様、《ローマジカイ》の反対者になることだろう。
172
なぜなら、自分でそれに気がついているかどうかはべつとして、本当に買いたいと思っているものは、店の商品だけではないからだ。店もほしいし、店の主人もほしいし、布がゆれている店が並び、人々が並んでいる通りも、町全体も、入江も、それを取り巻く山なみも、雲ひとつない空に、白く、夢さながらに浮かんでいる富士山もほしい。いや、本当のことを言うと、魔法のような木々や明るい大気、たくさんの都や町や寺、そして、この世でもっとも愛すべき四千万の人々をひっくるめた、日本全部がほしいのだ。
183
小鳥のように軽く身構えたその群れは、夢のなかで古代の壺のまわりをぐるぐるまわっていた女たちの姿を思い出させた。ひざのあたりにまつわりつく美しい日本の着物は、大きく垂れ下がる風変わりな袖と、ぎゅっと結ばれた幅の広い奇妙な帯さえなかったら、ギリシャかエトルリアの芸術家が壺に描いた絵をもとにデザインしたと言ってもいいほどだ。
212
川向こうの家々では、見えないランプの柔らかな黄色い光が、大きな《ショウジ》いっぱいにひろがり、優雅な女たちのほっそりした姿がその光のなかを動きまわっているのが、影絵のように見える。日本じゅうでガラスが使われるなどということにならないよう、わたしは心から願っている。そんなことになったが最後、このすばらしい影たちは消え失せてしまうのだ。
236
たぶん、それでも哀れに思ってしまうところに、この謎の答えがあるのだろう。この哀れみは、自分に対する哀れみなのにちがいない。つまりこの伝説は、無数の魂が作りだした伝説なのだ。それに対する思いは、光が青く風が優しい特別な時を選んで、ふっと心にやってくる。それはいつも、まるで昔もらった小言のようだ。
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Posted by ブクログ
豊かな人生を生きていく為に読書は大いに助けになる。
だけど、本を選び間違えてしまうとマイナスに作用してしまうこともあるので、しっかり読書力がつくまで大人が子供の成長に合わせて読む本をマネジメントしていくのが良いとの事でした。
とにかく何でもいいから本を読んでおいたらいいかな〜の私は目から鱗でした。
今の若いもんは甘くて柔らかいもんばっかり食うてる。もっと固いもんも食えー
みたいな説教じみた文章を多少感じてしまったのですが、全体的に著者から本や教育に対する強い愛や使命感を感じました。
読み聞かせの絵本や今後、児童文学を薦めるときの参考にしようと思います。 -
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以下、引用。
29
「これ、すてきじゃない、母さん?」と、ダイヤモンドは言った。
「ええ、きれいね」と、母さんは答えた。
「何か意味があると思うんだけど」と、ダイヤモンドは言った。
「母さんにわかるのは、さっぱりわからないってことだけよ」と、母さんが言った。
49
この本を読んでいる子どもたちのなかには、天才ってなあにと思う子もいるかもしれないが、さて、説明したほうがいいだろうか、それとも、やめておいたほうがいいだろうか? では、ひとつ、ほんの短い答えだけを書いておくとしよう。天才とは、だれにも説明してもらわないで、物事の本質を理解する人だ。神さまは、ときどきそういう人たちをお創りになって、その人たちを通じて、いろんなことを私たちに教えてくださるのだ。
125
どんなに立派な館でも、近くに、いや、すぐそばに森がなかったら、宮殿と呼ばれる資格はありません。それも、近ければ近いほどいいのですが、ぐるっと森に囲まれるのがいいというのではありません。
でも、宮殿と名乗る以上、一方の側には森がなくてはなりません。
129
たとえば、有名なあのお姫さまが百年間眠り続けたというのは、なんといいことだったでしょう! おかげで、ふさわしくない若者たちに、うるさくつきまとわれずにすんだんですからね。そして、ぴったりな王子さまがキスをした、まさにその瞬間に、目をさますことができたではありませんか。私としては、もっとたくさんの娘たちが、おなじような運命が訪れるまで眠っていられたらいいのにと、願わずにはいられません。
173
父さんはそれに対してはほとんど何も言わず、パンとバターに考えごとを添えて食事をすませると、すぐに立ち上がって、こう言った。
181
「おととい、女の人が一人、ここへ来たんだ。すごくきれいな人でね、すごくきれいな服を着てた。婦長さんがその人にね、青と金の服で来てくれてありがたいと言ったら、その人はね、子どもたちは地味な色が好きじゃないだろうから、って言ってた。」
184
どうしてあたいは、泥んなかじゃなく、夕日のなかで暮らせないんだろう? どうして夕日は、いつだってあんなに遠いんだろう? どうして、あたちたちのおんぼろな通りには、全然来てくんないんだろう?
193
月んなかって、どんなだと思う? すごくきれいな小さな家でね、青い窓に白いカーテンがかかってるんだよ!
320
「ここが大好きだと思ってたのに」と、ダイヤモンドはつぶやいた。「でも、ちっとも好きじゃなくなっちゃった。どこかが好きになるのは、そこにだれかがいるからで、そのだれかがいなくなったら、そのどこかはどうでもよくなっちゃうのかな。」
332
マクドナルド一家は、一八七五年に「かくれが(The Retreat)」を離れましたが、その三年後にそこを買い、「ケルムスコット・ハウス」と改称して住みはじめたのが、有名なデザイナーで、作家で、社会活動家でもあったウィリアム・モリスです。モリスはそこを、住まい兼工房にし、馬車置き場だったところを改装して、労働者のための講演会や集会を開く場所にしていましたが、マクドナルドの想像のなかでは、その屋根裏にダイヤモンドたち一家が住んでいたのかもと思うと、とてもうれしくなってきます。 -
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今年の目標のひとつとして放置していた「岩波少年文庫を読む」を再開しようというのがありまして、手始めに冬っぽいタイトルのこちらを選んでみました。
まずタイトルが素敵です。原題は『At the Back of the North Wind』、1871年の作品。
コバルト文庫に小林弘利『星空のむこうの国』というのがありますが、あきらかに本作に影響を受けたものでしょう。
「北風のうしろの国」を旅するファンタジーかと思いきや、ファンタジーというよりはSF?宗教?のような設定もあり、「北風のうしろの国」がでてくるのはダイヤモンド少年が語る一部のみ、ストーリーの大半はロンドンで暮らす少年一家の物語で、これも雇い主が破産したり、ロンドンの貧しい子どもたちの話になったりとあっちにいったりこっちにいったり。
解説によると、1868年から69年かけて『Good Words for the Young』という雑誌に長期連載されたもので「しっかりとした構想のもとに書かれたとは言い難い部分もあります」とのことです。
ダイヤモンド少年が文字通り天使のような純粋無垢さでいい子すぎるし(解説にもありますが『みどりのゆび』のチト少年っぽい)、道徳的で説教臭い話もある一方で、全体的に哲学的で難しかったです。
岩波少年文庫は小学生向けと中学生向けで番号がわかれていますが、こちらは「小学5・6年以上」となっていました。
おそらく死のメタファーである北風、そして天国である「北風のうしろの国」。でもこうやってまとめちゃうとつまんないんだよなー。
「どうしてそれがわかるの?」
「あんたのほうこそ、自分にはどうすればわかるんだろう、ってたずねなさいよ。」
「いま教えてもらったから、わかったよ。」
「そうね。でも、教えてもらってわかった気になっても、わかったことにはならないでしょ?」
(上巻100ページ)
「これ、すてきじゃない、母さん?」と、ダイヤモンドは言った。
「ええ、きれいね」と、母さんは答えた。
「何か意味があると思うんだけど」と、ダイヤモンドは言った。
「母さんにわかるのは、さっぱりわからないってことだけよ」と、母さんが言った。
(下巻29ページ)
御者として馬小屋に住んでいるダイヤモンド一家、雇い主であるコールマンさん、泥濘を掃いてチップをもらっている少女ナニーなど、当時のロンドンの経済格差のある風景も示唆的に描かれています。
どうしてあたいは、泥んなかじゃなく、夕日のなかで暮らせないんだろう? どうして夕日は、いつだってあんなに遠いんだろう? どうして、あたいたちのおんぼろな通りには、全然来てくんないんだろう?
(下巻184ページ)
作中に出てくる『ヒノヒカリ姫』の物語は『かるいお姫さま』に少し似ているし、ダイヤモンドが「小さなお姫様とゴブリンの王子のお話」を読んでいたりするんですが、出版順としては
『かるいお姫さま』(The Light Princess, 1864)
『北風のうしろの国』(At the Back of the North Wind, 1871)
『お姫様とゴブリンの物語』(The Princess and the Goblin, 1873)
となります。
本作執筆中にマクドナルド一家が住んでいてダイヤモンド一家のモデルにしたと思われる「かくれが(The Retreat)」はその後、ウィリアム・モリスが購入し、現在は「ケルムスコット・ハウス」として公開されているそうです。先日、『アーツ・アンド・クラフツとデザイン』展を見たばかりなのでこのつながりにびっくり。
以下、引用。
9
北風のうしろの国のことを話してあげる約束だったね。昔むかし、ギリシャのヘロドトスという人が、そこに住んでいる人たちのことを書いている。なんでもその人たちは、そこの居心地がよすぎるのにうんざりして、水に飛びこんで死んでしまったということだ。
20
冷たい空気の長い槍がヒューッと飛んできて、坊やの小さな胸に当たった。
29
「気にすることないわ。馬はいつだって、宝石よりずっといいもの。」
「でも、美しいものが悪いはずはないでしょ。あんたは悪くないよね、北風?」
「ええ、私は悪くないわ。でも、美しいものでも、ときには悪いことをして、だんだん悪くなっていくことがあるのよ。美しさがそのせいでそこなわれるまでには、いくらか時間がかかるわ。だから、小さい坊やたちが、美しいからというだけで何かについていくのは、まちがいのもとかもしれないのよ。」
36
この世界だって、ほんのときたまだけれど、まるで妖精の国みたいに不思議に見えることがある。
もちろん、小さな紳士の君たちなら、泣いたりはしなかっただろうね。でも、ほんとのことを言うと、私は、泣くのはちっとも悪いことじゃないと思っている。問題は、なぜ泣くのかということと、どんなふうに泣くのかということだ。淑女や紳士みたいに静かに泣くのか、育ちの悪い皇帝や根性の曲がった料理人みたいに泣きわめくのか、ということだね。なぜなら、皇帝だからといって紳士だとはかぎらないし、料理人だからといって淑女だとはかぎらないからだ。女王さまやお姫さまだって、おなじことだね。
52
厩とお屋敷をへだてる門の上では、沈んでいくお日さまが大きく真っ赤に燃えていた。その炎の上に広がる空は、緑の光をたたえた大きな湖のようで、そこに金色の雲がひとひら浮かんでいた。そのまた上には、藍色をした冬の空があった。ダイヤモンドは、自分の家はべつとして、これまでに見たどんなところよりも、この空に住んでみたいなと思った。家がどこよりもすてきなのは、母さんと父さんがいるからで、ぜいたくなものがあるかどうかなんて、関係ない。
55
それはプリムローズだった。とても小さいけれど、見事に整った形をしていて、この世の不思議というものの赤ちゃんみたいだ。
65
「だって、見たって理解できないものや、どう扱ったらいいのかわからないものを、見たってしかたがないでしょ?」と、北風は言った。「いい人はいいものを見るし、よくない人はよくないものを見るのよ。」
100
「どうしてそれがわかるの?」
「あんたのほうこそ、自分にはどうすればわかるんだろう、ってたずねなさいよ。」
「いま教えてもらったから、わかったよ。」
「そうね。でも、教えてもらってわかった気になっても、わかったことにはならないでしょ?」
175
「たとえ大好きな相手のためであっても、何もかもやってあげて、その人には何もさせないっていうのは、ちっともいいことじゃないわ。わかるわよね、ダイヤモンド、それは親切じゃなくて、自己満足というものよ。」
180
「北極じゃ、お日さまは夏じゅう眠らないって聞いたことあるよ。コールマンさんのお嬢さんが教えてくれたんだ。だったら、すごく眠いだろうね。だから光が、こんなに夢のなかみたいなんだ。」
「実際に役に立つ理解という意味では、それでちゃんと説明になるわね」と、北風が言った。
215
貧乏は人間を無価値なものにするわけではない。貧しくなったときのほうが、金持ちだったときよりも、ずっと価値のある人間になることだってあるものだ。しかし、不正というのは、人間をまるっきり無価値なものにしてしまいかねない。
306
父さんの話じゃ、人がお酒を飲むようになると、のどの渇いた悪魔がおなかのなかへはいこむんだって。
悪魔がもっと飲みたいって叫び続けるもんだから、その人はのどが渇いて、どんどんどんどん飲むようになって、しまいにそれで自分を殺すようなことになるんだって。
322
「でも、ぼく、わからないな、父さん。何かしてくれる人じゃないと、父さんの友だちじゃないの?」
「いや、そうは言わないよ、坊や。そんなことを言ったら、赤ちゃんを抜かすことになっちまうしな。」
「そんなことないよ。赤ちゃんは顔見て笑ってくれるし、耳に笑い声を届けてくれるし、幸せな気持ちにさせてくれるもん。それでも、何もしてくれないって言うの、父さん?」 -
ネタバレ 購入済み
う~~ん、難しい。
ゾクッとするほど残酷で、不気味なお話だと思った。
訳者のあとがきに寄れば、イギリスの児童文学に、大きな影響を与えた作品らしい。底辺に有るマザーグースの歌や、本来の言葉に含まれる言葉遊びが、良く理解出来ないので、面白いというよりは、難しいと感じてしまった。
子供の頃のように、何も考えずに読めば、アハハと笑って読めたかもしれないけれど….…. -
Posted by ブクログ
ネタバレもう一度北風のうしろの国へ。
ダイヤモンドは父を助けて辻馬車の仕事をし、病気になった貧しい少女ナニーを助け、生まれた子どもと歌を歌う。美しい北風に再び会い、共に旅する日を楽しみに。
純粋で優しく賢い子ども。ナニーとジムは頭が弱いというつもりでダイヤモンドを「神さまの赤ちゃん」と呼ぶがこれほどダイヤモンドを表した呼び名もないだろう。疑いもせず、夢の世界を本物として愛するダイヤモンド。天使の夢のあたりから、この子は長く生きられないことがわかっていたかもしれない。北風との旅の様子はまるで銀河鉄道の旅のよう。悲しみの中にきらめきを残したラストだった。 -
Posted by ブクログ
美しくて優しいメルヒェン。
「かるいお姫さま」魔女の呪いのせいで重さのないお姫さま。湖の中では重さを取り戻すことができたが、魔女の企みによって湖は干上がってしまう。王子が栓になり湖を取り戻そうとするが。
軽やかなお姫さまの声が聞こえそうな物語。重さがないだけに、悲しい気持ちや重々しい気持ちになることがなく、涙を流さないというのが面白い。
「昼の少年と夜の少女」少年は昼の光の中で育ち、少女は闇の中で育った。少女が月の光に出会い、少年が夜に出会ったとき、2人は何を見たか。
少女が月の光から日の中へ、少しずつ考えながら歩んでいくのに対し、少年の夜への恐怖が強いこと。勝手な魔女の子育てにも考えさせられる。
ふたつの物語はどちらも懐かしい雰囲気。マクドナルドが生み出したこれらの物語はいつの時代も読者を楽しませることだろう。いつまで経っても古びることなく、優しく包み込んでくれる。