脇明子のレビュー一覧
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めでたしめでたしの続き。
ゴブリンを倒したカーディは、塔の大きな大きなおばあさまから王国とお姫様を救いに旅立つよう言われる。城に向かったカーディが見たのは、王国の腐敗と病に倒れた王の姿だった。
うまくいくのはいいのだが、エンディングがまさかの展開。解説によれば著者は当時あまりよい状況になく、悲観的な気分が作品に出たのではないかとのこと。しかし、決してうまくいっているとは言えない現代でこの物語を読むと、正しいことが続かないこと、信じることの難しさ、誠実や忠誠の清々しさをひしひしと感じる。
醜いが忠実な獣リーナとその仲間たちは、前の巻ではゴブリンの家畜として忌み嫌われていた。しかしこの巻では最も心強い味方である。見た目ではなく、中身というおばあさまにも通じるテーマを感じる。 -
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子供の頃、日曜日の朝にやっていた海外製のテレビ番組で童話を何週かにわたって放映していました。まだ布団が敷いたままの中に潜り込んでテレビを見るのは至福の時間。
お姫さまや王子さまの出てくるお伽話やファンタジーが中心だったと思うのですが、ちゃんと覚えているのはこの『かるいお姫さま』のみ。昔は『ふんわり王女』というタイトルでした。
呪いによって重さをなくしたお姫さまがフワフワと飛び交う様子とか、いかにも特撮なんですが全体的に絵本みたいなかわいい映像だったと記憶しています。
重力がないので物事を真剣に受け止めることができないお姫さまという、ファンタジーでありながら風刺のきいた物語。
王様がお妃に向かって「一人くらい子供を産んでくれ」というあたりとか、ジェンダー的に読むこともできそうです。
ほかの話は忘れちゃったのに本屋でこの本を見つけた時、あ、これはあのときの物語だと思い出したのは、ほかの童話とはちょっと違ったからなんでしょうね。
同時収録は『昼の少年と夜の少女』。こちらは魔女によって昼しか知らずに育てられた少年と、夜しか知らずに育てられた少女の物語。
こちらの方がより観念的で「あなたの昼とわたしの夜」なんて言葉もあったり、訳が硬すぎることもあって難しいです。こんな育て方をした魔女の闇が気になる。
元気いっぱいの少年よりも、夜の庭園の美しさを讃えたり、知的に真実に近づいていく少女の勇気が光ります。
ジョージ・マクドナルドはルイス・キャロルとも親交のある作家なんですが、今まで意識して読んだことがなかったので他の作品も続けて読んでみようと思います。
以下、引用。
王さまは、お祝いの会にみんなを招くための招待状を、全部自分で書きました。そして、言うまでもなく、書き忘れをしでかしました。
そんなときお姫さまは、笑いの精になったかのように笑いますが、ただ、その笑いには何か足りないものがありました。それが何だったのか、私にはうまく言えません。あるいはそれは、悲しむことのできる人にしか出せない、細やかなニュアンスのようなものかもしれません。とにかくこのお姫さまには、「ほほえむ」ということはなかったのです。
たぶんお姫さまにとっていちばんいいのは、恋に落ちることだったでしょう。しかし、重さのないお姫さまとしては、落ちろと言われても困りますし、落ちることができるくらいなら、そもそも何も困ることはなかったわけです。お姫さま自身が恋というものについてどう思っていたかというと、世の中にはそんな蜂の巣があって、落ちると甘い蜜とするどい針の両方にぶつかるなどということは、夢にも知りませんでした。
この王子さまが、そんなに完全な相手を求める権利があるほど完全な人だったのかと聞かれても、私にはなんとも言えません。
フォトジェンは横柄に言いました。男というのはみんなこんなふうに横柄で、女の人に教えてもらわないかぎり、決して直らないものなのです。
いいえ、それどころか、よく考えてみると、いま見ているこの姿のほうが、この小さな生きものの本来あるべき姿に近いのかもしれません。なぜなら、全体の形が完璧に見えるのは以前も同じなのですが、いまは各部分がそれぞれに完璧で、その完璧さによってそれぞれの部分がうまく結びつきあって、全体としてより高い完璧さに達しているからです。
君のきれいな目が見えるのだって、その中に光があるからなんだよ。その光のおかげで、ぼくは君の目を通して、まっすぐに天国までも見ることができるんだ。君の目は、空の彼方の天国にむかって開いている窓なんだね。星はそこで作られてるのに違いないと、ぼくは思うよ。
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「かるいお姫さま」
なかなか子どもに恵まれなかった王様とお妃様のところに、とりわけかわいいお姫様が生まれました。
赤ちゃんの洗礼式のお祝い会、王様はうっかり意地悪な姉王女を招待するのを忘れてしまったのです。
招待されなかった洗礼式に堂々とやってきた王女はお姫様に呪いをかけたのです。重さをなくす、呪いを。
眠れる森の美女のような冒頭に、良くある物語かと思ったら、王様は見栄っ張りで我儘だし、お妃様はヒステリックだし、お姫様はフワフワと飛び回りながらケラケラ笑う、とにかくカルイお姫様。
登場人物たちがリアルでそのままドラマに出来そう。
「昼の少年と夜の少女」
谷に住む魔女、ワトー。
こっそりと2人の赤ちゃんを育ててる。
夜を知らない輝く容姿の少年。
昼を知らない物静かな少女。
ある夜、2人は偶然にも出会うことになり。
魔女が何をしたかったのかが良くわからないのだけど、少女のしっかりぶりが少年の情けなさを支えてカッコイイ。 -
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『不思議の国のアリス』は、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832~1898年)が、ルイス・キャロルのペンネームで創作した児童小説である。キャロルが、オックスフォード大学在学中に所属していた学寮の学寮長の娘であるアリス・リドルのために即興でつくって聞かせた物語がもとになっており、キャロルはこの物語を手書きの本にして彼女にプレゼントする傍ら、知人たちの好評に後押しされて出版に踏み切ったという(1865年)。
本作品は、聖書やシェイクスピアに次ぐ数の言語に翻訳された、世界で最も読まれた児童小説とも言われており、冒頭の、白ウサギが「たいへんだ!どうしよう!まにあいそうにもないぞ!」とひとりごとを言いながらアリスのそばを通り、チョッキのポケットから取り出した時計を確認して、再び走り出す場面や、不思議の国で出会った、木の上にいるチェシャー・ネコが、しっぽの方から消えていき、にやにや笑いだけが枝の上に浮かんでいる場面など、その後、数多の引用、言及の対象となっている。
ただ、本作品には英語による言葉遊びが満載で、挿入されている詩や歌の多くは当時よく知られていたもののパロディだというが、それらの面白さは、他言語に翻訳され、時代も異なる我々に、十分に楽しめない点は残念である。(訳者は、その点を苦心しており、原文では伝わらない冗談を別の冗談に置き換える工夫をしたりしているという)
また、この岩波少年文庫の挿絵は、出版当初の、当時風刺漫画で有名だったジョン・テニエル(1820~1914年)によるものであるが、1907年に英国で作品の著作権が切れて以降、アーサー・ラッカムなど、世界中の挿絵画家によるものが出ている。
私は、今般、松岡正剛氏が有名書評「千夜千冊」(1598夜/2016年1月)で取り上げていたのを知って、改めて読んでみたのだが、この作品自体の評価はなかなか難しい。松岡氏は、「ルイス・キャロルには、むろん何か格別に天才じみたところがあったにちがいありませんが、この人は全体としてはもともと変な子であり、長じても変な大人だったと思います。まずは、そう思ったほうがいいでしょう。・・・案の定、へんてこ世界のアリスを誕生させた。」と書いているのだが、この作品は、大人の理屈を持ち込んで読むのではなく、子どもが子どもの感性で楽しむ世界なのだろう。そういう意味で、大人にとっては、子どもの感性を一時でも取り戻すために手に取ってみるのもいいのかもしれない。
(2020年4月了) -
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ネタバレ貧しい御車の息子ダイヤモンド坊やは、ある時から「北風」に誘われてあちこちの旅に連れて行ってもらうようになります。
ある日嵐を起こして船を沈めると言う北風から「北風のうしろの国」のことを聞かされたダイヤモンドは、自分もそこへ行ってみたくなり、北風に頼みます。
北風はそれを聞き入れ、彼は「北風のうしろの国」へ行きます。そこは穏やかな満たされた場所でした。
お母さんのことが心配になったダイヤモンドは自分の世界に帰りますが、そこでは彼は、病気で7日間も眠り続けていたのでした。
「北風のうしろの国」から帰った彼は、その後出会う人たちにたくさんのいい影響を与え、本物の「北風のうしろの国」に旅立っていくのでした。
「Good Words for the young」という、子どもたちに質の良い読み物を提供するための雑誌に長期連載されたこの作品は、その目的のためか、あまりにも教科書的で、物語としても冗長(特に前半、北風のうしろの国」に行くまで)です。
「北風の……」から帰った後、周りの人たちを動かしていく様子は頼もしく、おもしろく読めます。
上下2巻長い読み物なので、高学年向きなのでしょうが、現在の高学年が、この純粋無垢なお話を受け入れられるかどうかは疑問です。 -
クリスマス・キャロル
- カート
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試し読み
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英語での言葉遊びなど、きっと英語で読めればもっともっと楽しめるんだなぁと思います。
日本語では限界があるけれど、それでもアリスの世界観は楽しくステキだと思えて楽しいです。
ほんとに子供の頭の中を覗いているみたいで、めちゃくちゃで都合良くて、子供の理由もない恐怖もあって・・・大人なのにこんな世界を作れるなんて…と感心してしまいます。
あと、やっぱりアリスの挿絵はこの絵!挿絵がすばらしいし、子供の頃この挿絵を見たから、他のいろんな本の挿絵にも興味がもてたと思います。
いろんなきっかけをくれた不思議の国のアリス。英語を勉強していつか英語のアリスを読めるようになってみたいです。 -
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う~ん、この物語は難解だなぁ。 正直なところ KiKi にはよくわかりませんでした。 ダジャレ的なものが多すぎるうえに、これが「訳文」であることを考えると、「正しい反応の仕方」がまったくわからないんですよね~。 もちろん、この手のナンセンス文学に「正しい反応の仕方」な~んていうものがあるのかどうかはわからないんですけどね。 でも、やっぱりダジャレっていうやつは「オリジナル言語」で語られて初めて面白さがあるものだと思うし、この物語のように「マザー・グース」を多用している物語ではそれに親しんでいる下地みたいなものも要求されるような気がするんですよ。
ついでに言えば、トランプ遊び(ふしぎの国~)にしろ、チェス(鏡の国~)にしろ、KiKi の場合はあんまり遊びとして馴染んでいないので、そこもちょっとねぇ・・・・・。 訳者の脇さんはあとがきで
チェスの規則を知らないとお話が楽しめないんじゃないかと心配する必要はありません。
と仰っていますが、チェス盤になぞらえた世界で物語が進行している以上、やっぱり知らないよりは知っている方が楽しめることが多いんじゃないかと、半分僻み根性も手伝って感じてしまうのです。 とにかく KiKi には最初から最後までよくわからなかった・・・・・ということもあっての物言いだとは分かっているんですけどね。
(全文はブログにて) -
クリスマス・キャロル
- カート
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試し読み
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あのディケンズの名作の1つが岩波少年文庫に収録されているのは嬉しい限りです。 大作が多い中でディケンズ作品の入り口としてはまずまず・・・・なんじゃないでしょうか??
もっとも、KiKi の子供時代ならいざ知らず、現代の日本の子供たちがこの「キリスト教的説教臭さ」を受け入れてくれるのかどうか・・・・はちょっと疑問かもしれません。 特に過去の幽霊が見せてくれたあの「スクルージ少年」がどうして今の「スクルージさん」になってしまったのかは詳らかにはされていないし、いかに自分の葬式シーンを見せつけられたからと言って、それをきっかけにいきなり「いい人」になってしまうという転換はちょっと時代がかっている・・・・と言えなくもないような気がします。
でも逆に言えばこの本の面白さはそんな「時代がかった」ところにあるのかもしれません。 ディケンズが生きた時代のイギリス、そしてその延長線上にある今の私たちの生き様に想いを馳せた時、初めてこの作品が描いているある種の「我欲」みたいなものを振り返ることができる・・・・そんな作品だと思います。 いかにもヴィクトリア朝の作家の作品だなぁと感じるのは、「クリスマス」というイベントをこれでもかっていうぐらい神聖視しているところではないでしょうか?? もちろんクリスチャンにとって「クリスマス」というのは特別なイベントであるのは間違いないことだけど、あのヴィクトリア女王のメディア政策がこんなところにも影響を及ぼしているんだなぁ・・・・と感じ入ることしきりです。
(全文はブログにて)