橋本陽介のレビュー一覧
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物語構造を考えることは、世界に対する自分の立ち位置を考えること。…かも?
目から鱗だったのが物語の視点の問題について。
物語を作るときは視点の置き方を決めないといけないのだ。誰の視点で語るか。どの時点を起点にした視点で語るか。それと同時に物語に対してどんな距離感で語るか(ディエゲーシスとミメーシス)。
これを定めずに物語を作ろうとすると行き詰まる。というか困ってしまって語れないのだ(過去に小説書こうとして行き詰まった原因をようやく思い知る)。
普段の会話も同じだ。自分が話そうとする内容に対しどの立ち位置から語るか(客観的に語るのか、主観的に語るのか、両方を合わせながら語るのか)を決めないと話せないもんね。
というのが第一部の感想。
第二部は実際の作品分析。印象に残ったのは「この世界の片隅に」の距離をとることでエモーショナルな余韻を残す構造の分析。
あと文学史で出てくるような作品は、物語構造が発表当時センセーショナルだったのだなあということ。
物語に対して「構造」という分析視点を持たないで話の内容で捉えることになっちゃうのってないもったいない!魅力や面白さを理解しきれない。
本著を読んでそう感じた。 -
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「かさたなはまやらわ」の順番の根拠はサンスクリット語から、「はひふへほ」だけ半濁音がある理由、日本語の母音はなぜ5つだけなのか、575、337拍子などがなぜリズムがあると考えられるのか、実は日本語は4拍子!?との説明は目から鱗だった。古文、英語、中国語その他外国語の知識に及ぶ興味深い説明の数々。「ら抜き言葉」「さ入れ言葉」「全然~ない」の問題とむしろ合理的な変化の途中との説明は非常に柔軟だ。「連濁のルール」「赤・青・黒・白い、また黄色・茶色いと言いながら、緑い」と言わない理由、など著者は生徒たちに不思議と思うことを書き出させ、約70の問いに答える形での本となったもの。
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1980年代
1章 めくるめく勘違い小説『眩暈』 エリアス・カネッティ
2章 ラテンアメリカと魔術的リアリズム ガブリエル・ガルシア=マルケス
3章 アラビア語圏のリアリズム ナギーブ・マフフーズ
1990年代
4章 「黒人」「女性」作家 トニ・モリスン
5章 「情けないオレ語り」と日本文学 大江健三郎
2000年代
6章 中国語としての表現の追及 高行健
7章 ワールドワイドで胡散臭い語り V・S・ナイポール
8章 「他者」と暴力の寓話
9章 非非西洋としてのトルコ オルハン・パムク
10章 共産主義体制下の静かな絶叫 ヘルタ・ミュラー
2010年代
11章 ペルー、あるいは梁山泊 マリオ・バルガス=リョサ
12章 中国版「魔術的リアリズム」 莫言
13章 信頼できない語り手 カズオ・イシグロ
トニ・モリスン 『ソロモンの歌』『ビラヴド』
高行健 『おじいさんに買った釣り竿』(短編集『母』に収録)『霊山』
大江健三郎 『万延元年のフットボール』 -
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ゼミの読書会で読むというので買った本。学生時代に読んだ記憶があったが、改めて読み直してみて、ずいぶんと印象が変わった。昔は、書かれていることに対して、かなり共感しながら読んだ。ただ、改めて読んでみると、結局のところ、国語科教育の無価値化とでもいう現象が、どのレベルで生じているのかが、いまいち分からない。学習指導要領の問題を言っているのか、教科書の記述の問題を言っているのか、はたまた、教師の授業力のことを問題にしているのか。
教科教育自体が、学習指導要領に基づいて、教科書として具体化されたものを、現場の教員が教えるというものである。そうである以上、ここで指摘されている現場の国語教育の「浅さ」のようなものを改善するためには、カリキュラムレベルでどうやってその深さを保証するのかを提案する必要があるように思う。文学者による個々の授業や、現場の実態に対する指摘は、その通りであると思う一方、教育としてどうやってその指摘を具体化するのかがよく見えない。
この本の語りは、ある意味、文学者が国語科教育に対して行う批判や提案として、典型的な部類なのだということが、最近は分かるようになってきた。このタイプの主張は、穿った見方をするのであれば、「読める」人による、自分はこんなに深いことまで教えられるんだという自慢話のようにも聞こえる。その大きな理由は、結局のところ、老若男女、専門性も違う全国の教員たちが、それぞれに国語を教える学校現場において、何を最低限保証する必要があって、そのために、何を仕組みとして整えるのかが、よく分からないことによるのではないかと思う。
橋本陽介の本は大好きで、ものすごく影響を受けた。この本も例外ではなくて、今でも本筋としては、全面的に賛成する。けれども、公立学校で、現場の先生たちが指導要領や教科書の指導書と一生懸命にらめっこしている人たちを見るにつけて、そこを指摘しても意味がないのではないかと思うようになった。
別の視点で言えば、こういった文学者からの指摘を受けて、その学術的な厳格さをカリキュラムに載せていくのが、教科教育の仕事なのではないかとも思う。そういった意味では、未だにこうした本が出てくること自体、教育畑の側の怠慢だったとも言えるのかもしれない。
国語科教育学と文学、言語学といった内容学問との距離を、改めて感じる一冊だったとも言えるかもしれない。 -
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この本を、というよりは物語論を、少々誤解していたのかもしれない。
かねてから物語論に興味があり、筒井康隆の『文学部唯野教授』、中公新書の「批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義」と読んでみて、引き続く形でこの本も読んだ。
ぼくとしてはカグヤ型とウラシマ型の貴種流離譚や「行きて帰りし物語」みたいな、昔話チックな物語のアーキタイプを知りたかったのだが、物語論はどうやらそういう学問ではないようだ。
どうも気づくのが遅すぎた。ユング心理学やキャンベルの比較神話学でも読んだ方がよかったらしい。
そうではなく物語論の本なので、中公新書のもこの本も叙述の速度や視点、人称といった、専ら物語の形式的な面についての分析に終始していた。
ぼくとしては、言われなくても多少はわかる、かつそれ以上に緻密に分析する必要もないことを長々と解説されているようでいまいちノれず。
しいて言えば、プロップやバルト、ジュネットといった理論家の名前を示してくれる点で、中公新書の方よりこちらの方が親切ではあった。物語論という学問の変遷(といっても、現在まで通用しているのはほとんどがジュネットの功績のようだったが)が掴みやすく、同時にこれで本当に全部なんだろうなという感じもした。
そんな感じだった基礎編に続く応用編は、具体的な小説や映画、漫画、アニメの物語論的な分析。
こちらも個人的には、形式面への目配りはもちろん効いているものの特別なメソッドとまでは思えず、いわゆる印象批評とそこまで大きな差は感じられなかった。
ただラテンアメリカ文学や中国文学など、変わり種の作品をいろいろ知れたのは僥倖。いくつかは追い追い読んでいければと思う。 -
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用例が沢山載っているのだけど、何について扱っているのか、例示に対する解釈と物語論の部分とで右往左往したー。再読前提。
「『詩学』のアプローチの仕方は、物語を『解釈』する行為と、逆のことをする。つまり、ある解釈があったとして、なぜ、その解釈が生まれるかを明らかにしようとする。」
「物語の時間は、どのような順序で語るのか、どのくらいの速度で語るのかが二大要素であった。」
なぜ、「それ」を読むと私たちの琴線に触れるのか。なぜ、名作は名作たりえるのか。
物語の構造から考えようというアプローチは、ものすごく面白い。
「歴史や、ドキュメンタリー、ニュースなどが物語だとするなら、これは明らかに現実とつながっている。しかし、それはすでに語られている以上は、もう現実そのものではない」
その通りだと思うし、それを俯瞰するために手に取ったのだけど(難しかったなあ)。 -
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完全な初級者向けとして書かれているけれども
用例の紹介の豊富さと、扱う理論の幅の広さは
今あるもののなかでは随一と言っていいのではないだろうか。
形態論、文体、構文、ナラティブの問題、展開などなど、
物語にまつわるものでいったら、あとは読者論くらいじゃないだろうか。
個人的に物語論の大事なところは
文章の技術と効果から純粋に物語をすくい出すところだと思ってる。
それは物語の物語性は、ほとんど人間性の基礎に根付いているからです。
ただの断言ではありますが、これに対しては物語に対する飢えが
少なくとも私に存在しているからそう言っています。
また、もっとも応用という意味でもすくいあげられた物語は有用です。
つまり、この本でも「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」(漫画版)など
文章以外のメディア作品を扱えるのも、物語に固有のパラメータが存在するからです。
それにしても、各章立てごとに
複数の実例を挙げて説明していくのは、
著者自身の喜びがここにあることを証し立てているように思います。
本を書きたい人だけでなく、本の読み方の幅を広げてみたいと思う人にも
この著者の軽やかな紹介はきっと役に立つと思う。 -
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ナラトロジー:物語論
その昔、ウラジーミル・プロップについて知りたいと思ったことがあったので、本書で概略を把握できたのはよかった。
プロップの「31の機能」は、ロシアの魔法昔話という非常に限定的な対象に適用されるものであるが、物語のパターンの分析を最初に行ったという点で歴史的意義がある。
本書は理論編の第一部と分析編の第二部に分かれる。
日本語と他言語の違いなどが語られる第一部は面白く読めた。が、楽しみにしていた第二部は期待ほどではなかった。
『エヴァンゲリオン』『スラムダンク』『進撃の巨人』と、キャッチ―なタイトルが並んではいるが、正直客寄せパンダ感は否めない。 -
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プロップ 31の機能
物語の筋の展開に直接影響を及ぼす人物の行為
人物は機能に従属する存在、キャラクター性やその心理などはあまり重要なものではなく、何をするかという役割の方が大切(敵対者、贈与者などとその役割で呼ぶ)
vs. 近代小説では人物が「個人」として描かれるようになり、その心理も重点的に描かれることが多くなった。人物を1つの存在として描くようになった
昔話のように比較的単純な物語では、まだその個性は豊かではなかったので物語を展開させる行為が特に注目されることになった
クロード・ブレモン
物語の展開=可能性の論理
1行動が起こる前
2行動が進行中
3行動が終結
箱を渡されればそれが重要な役割を果たすし、銃が渡されればそれは放たれる
ロラン・バルト
物語は、「機能」と「指標」の組み合わせ
指標=物語の筋には関係しないが、人物のキャラクター性や雰囲気など、その他の状況を伝えるもののこと、時間的展開のない静的なもの
物語によって、機能を重視するものと、指標を重視するものがある。昔話はエンターテインメントでは、物語展開の方が重視されるのに対して、心理小説などでは、心の動きに焦点が当てれれる
二択を迫ることによって物語の筋を展開させるような機能=枢軸機能体
より副次的なもの=触媒
枢軸機能体のまとまり=シークエンス -
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副題が「最新言語学Q&A」となっていて、言語としての日本語に、起源・音声・語彙・文字・文法などなど、多方面からアプローチしたもの。「日本語本」は好物で、目につくと読みかけてみるのだけど、安直な内容で期待外れってこともある。その点、本書はかなり専門的な内容にも踏み込んであって興味深かった。
著者の専門は中国語。「お言葉ですが」シリーズや「漢字と日本人」の高島俊男先生も中国文学の専門家だ。日本語を考えるには、漢字についてのきちんとした知識が必須だなあとあらためて思う。日本語は、もともとは文字を持たない言語であったが、中国から入ってきた漢字を取り込み、長い時間をかけて今のような姿になってきた。つい忘れがちなそのことの意味はとても大きいとつくづく思う。
深い内容だが、Q&A形式で読みやすい。ただ、質問に対する答えになっていないのでは?と思われるところがいくつかあって、そこが若干気になった。 -
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普段は特別に意識もせずに日本語を話したり書いたりしていますが、外国語を勉強してみると、日本語の特徴が分かってくるようになりました。
英語と日本語は使う言葉が完全に異なるので意識しませんでしたが、中国語の勉強を始めて、日本語と中国語には似ている部分と似ていない部分があることに気づき始めました。
そんな私にとって、この本には興味あるネタが沢山含まれていました。特に前半の6章までのQ&Aは面白かったです。
以下は気になったポイントです。
・日本語は朝鮮語と似ている、文法体系・語順・助詞・動詞の活用による敬語が複雑に発達している・「が」「は」の使い分けがある等(p23)
・現代中国語の標準語を勉強すると、実感として「中国語は英語よりも日本語に近い」と感じられる(p28)
・子音とは、肺から上がってきた空気を、いったん口のどこかで阻害して出す音のこと。母音は息を完全にブロックしないので、連続して発音できる、母音発音の調整は、口の微妙な開き具合や、唇の丸め方(p31)
・イ、エ、オにそれぞれ二種類の発音があったとしたら、奈良時代まで日本語は、八母音であった可能性もある(p35)
・エという音はもともとなくて、「ア」と「イ」が結合して出来上がったから、辞書で「エ」から始まる単語が極端に少ない(p35)
・50音図のカサタナハマの配列は、音を作る位置が口の奥から徐々に前に向かうようになっている、この配列が作られた時(平安時代)には、ハ行の発音はファ、フィ、フ、フェ、フォになっていた、その後は、バビブベボになった(p37)
・単語と単語がくっついて一つの単語になるとき、後ろ側の語頭が濁音になる。しかし漢語は連濁しない、市民ホール、怪鳥(かいちょう)等、しかし例外もある。文庫本、株式会社など、直前に「ん」がくると連濁することもある(p39)
・律詩では、2・4・6・8句目の最後で韻を踏む(脚韻)ルールがある、声調にはおおきくは、平声と仄音(平声でない)があるが、脚韻の時に使う字は平声でなければならない(p42)
・和歌の、五七五七七は、五文字目が長く伸ばされ、七音のところは一拍長く読まれて、実際には、八・八・八・八・八のリズムで読まれる。八拍子にするために、七文字で余裕を持たせた方が良いと考えられる(p45)
・母語である日本語の発音の仕組みを知ったうえで、他の言語の発音がどう違うのかを知ると、外国語学習は必ず成功するはず(p52)
・奈良時代、平安時代、正式な文章はすべて漢字で書かれていた、古事記・日本書記も大部分は漢文(当時の中国語)で書かれていた(p52)
・音読みとは、当時の中国音を日本人が真似をしたもの、多くが中国語由来のもの、訓読みとは、元々存在していた和語を、漢字にあてはめたもの。(p54)
・いろは歌冒頭の、「いろはにほへど・・=色は匂へど」の場合の「匂う」は、花の色が目に見える様を表している(p55)
・「お」という接頭語は、基本的に和語につき、「ご」という接頭語は基本的に漢語につくが、例外もある。お茶、お食事、お時間、これらは漢語といっても暮らしの中に密着しているので、区別がつかなくなっているのだろう(p58)
・焼肉定食が四字熟語でないのは、その間(焼肉と定食)に別の要素を入れ込むことが可能かどうか、入れ込める場合には形態的緊密性が弱いことになる(p61)
・日本は、漢字音の原則から言うと、「ニッポン」と読む方が正しい。平安時代には、「ハヒフヘホ」という音が無かったので。読み方が統一されなかった理由として、漢字本位主義的な傾向があり、どう描くかが重要であり、どう読むかは副次的な問題であった(p64)
・一、四、七を漢語で読むと、「イチ、シ、シチ」となるが音が似ていて聞きわけが難しくなるので、4と7は、和語系に変えている。なので、14日は、「ジュウヨッカ」となり、「日」を「か」と和語で読んでいる(p72)
・ローマの最も古い暦であるロムルス暦(紀元前753)では、春分のある三月が1年のスタート、9番目の月は最初から現在の11月であり、ずれていない(カエサル、アウグストゥスが入れ込んでずれた)。10番目の月である現在の12月に1年が終了し、そこから現在の3月までの間は特に名前はつけておらず、1年間は304日間であった(p74)
・ヌマ暦(紀元前710)では、名前の無いところに、現在の1月(Januarius)と2月(Februarius)を追加した、紀元前153年の改革で、Januariusが一番目の月に変更され、この段階で、月の名称と実際の順番に食い違いが生じた(p74)
・ヌマ暦は月の満ち欠けを基準にした太陰暦で、1年=355日であtった、カエサルが皇帝になった時には3か月も季節がずれていたので、カエサルは紀元前46年を445日間として、1年を365日とするユリウス暦を導入した。ここで7月(5番目の月)をユリウス、8月をアウグストゥスに変えた。偶数月が30日、奇数月が31日であったが、アウグストゥスは自分の名前をつけた8月を31日間に格上げ、9月を1日減らして30日とした(p75)
・平安時代の基本的な単語のうち、滅びるか変化したのは23%である、つまり平安時代のうちよく使われた単語の内、8割は生き残っている。古文の試験では、現代語と同じ言葉が問われることがないので、古文は現代語とっまるで違うという印象を助長している(p89)
・片仮名の「仮名」に対応するのは「真名」=漢字である、文字とはあくまで漢字であって、仮名はあくまでも仮のものと考えられていた(p103)
・片仮名は漢文を読むための補助機能として開発されたもの、外国語を片仮名で書くという習慣は、片仮名が元々漢文という外国語のためのものだったことに由来する(p107)
・イギリスという国名は、ポルトガル語から日本語になった言葉、キリスト教を耶蘇教というのは、現代中国語では「イェスー」と読むので(p109)
・艮という音で読んでいた金属が「銀」、同という音で読んでいた金属が「銅」(p110)
・表音文字である英語でさえ、発音は変わっても綴りは変わっていないし、語源にこだわっている表記も多くある、表記方法が一度決まると、なかなか変えるのは難しい(p119)
・「は」が表しているのは文の主題、つまり「これからこのことについて話しますよ」というテーマであり、この話題は、話し手も聞き手も知っている事でなければならない、それに対して、目の前の出来事と描写するときには「は」ではなく、「が」を使う。(p143)
・誰、いつ、何、等の疑問詞には「は」はつけることはできない、聞いているということは、その部分がわからないということ。従って、それは新情報なので、「が」しか使えない(p146)
・本来的に色を表す言葉は、日本語では、赤い・青い・黒い・白い、の4つだけ。緑は本来は新芽を表す言葉であったが、そこから転じて色も表すようになった。木の色は青色である。黄色、茶色はよく使われたために、「い」が付くようになった(p253)
2016年6月5日作成