【感想・ネタバレ】使える!「国語」の考え方のレビュー

あらすじ

国語の授業はとかく批判されがちである。つまらない、役に立たない、小説を読む意味はない、といった声が聞こえてくる。そのため、論理力をつけるための内容に変えるべきだという意見も強まっている。でも、それで本当に国語の力はつくのだろうか? そこで、文学、論理といった枠にとらわれないで、読む力・書く力を身につけるための新しい考え方を提案する。これまでなかった国語の授業がここにお披露目される。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

「物語論」を専門とする筆者が国語教師の経験をもとにあるべき国語教育について語った本。

久しぶりに大変学ぶところの多い本だった。

・文章の読み方は、三つ
‐ 作者の立場で読む。作者がどのような状況で文章を書いたか
‐ 読者の立場で読む。文章が読者に作用する
‐ 物語の型として読む

・文章をわかりやすく書くには、読者の期待に応えていくこと
・「序論、本論、結論」は、どの階層でも意識する。
・「全体・抽象→具体→全体・抽象」は典型的な「序論、本論、結論」
・謎解きが、物語を面白くする。

・物事の時系列的な因果関係を示すものはすべては物語として語られうる。

・情報リテラシーは、SNS時代にあって極めて重要。「本当に、そういえるのか」を常に問う

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2021年08月21日

Posted by ブクログ

これはいい本。
第4章くらいまでは各章の内容は面白いものの、関連がイマイチわからなかったのだけど、後半のまとめ方がすばらしい。伏線を綺麗に回収したミステリを読んだような読後感。
”すべての事実は物語られる”という最終章のタイトルもいい。小説(フィクション)なんてなんの役にもたたないと考えている多くのリアリストは、この本を読み終えた後、きっと認識を改めると思います。

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2019年01月28日

Posted by ブクログ

タイトルと中身が合ってない。どっちかというと「今の国語の授業はつまらない」「こういう風に考えたら面白くなるんじゃないか」という話と、「論理的に書くというのは具体的にはどういうことか」という話。

「羅生門」「舞姫」を解説したところがわかりやすくて特に面白かった。7、8章はよくあるメディア論、ネット論で蛇足かな。

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2021年09月11日

Posted by ブクログ

現状の国語、特に小説の授業の課題とその克服が語られるのかと思いきや、現在の典型的な国語の授業を検証するまでは良かったのだが、この本の中盤の文章の書き方なついての記述はかなり唐突な印象を受ける。ということで、全体の構成は分かりづらい。ただし、得ることもあるのがこの本。特に「物語」についての記述。筆者は物語とは「時間的展開のある出来事を語ったもの」とし、そこに因果関係が存在するとしている。そして、一見して客観的に語られると思われがちな報道なども、実は物語的に語られるのが多いのである。日常で語る・語られる文章が時間軸を持った物語的に構成されていることが多いのであるとしたら、やはり国語で物語を検証するということは必要不可欠に思える。

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2019年08月22日

Posted by ブクログ

国語はそもそも何を学ぶ学問なのか。役には立たないのではという批判に答えつつ、論理的であることや、リテラシーなど国語周辺について語ってくれる。

国語を教える立場にある人と、いま国語を学習している人にはあまり直接的に得るものはあまりないように思う。学生の頃に国語の授業がつまらなかったと思う国語学習はとっくに卒業した大人辺りが一番面白く読むような気がする。

・学校での小説の扱いが「心情中心主義」「鑑賞中心主義」なのは狭すぎる。

・外国の小説をよむことで、相対的な視線が得られる。

・知識がどのようにできあがってるのか知るのが重要。

・教養のない人ほど真実という言葉を使いたがる。

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2019年03月26日

Posted by ブクログ

ゼミの読書会で読むというので買った本。学生時代に読んだ記憶があったが、改めて読み直してみて、ずいぶんと印象が変わった。昔は、書かれていることに対して、かなり共感しながら読んだ。ただ、改めて読んでみると、結局のところ、国語科教育の無価値化とでもいう現象が、どのレベルで生じているのかが、いまいち分からない。学習指導要領の問題を言っているのか、教科書の記述の問題を言っているのか、はたまた、教師の授業力のことを問題にしているのか。
教科教育自体が、学習指導要領に基づいて、教科書として具体化されたものを、現場の教員が教えるというものである。そうである以上、ここで指摘されている現場の国語教育の「浅さ」のようなものを改善するためには、カリキュラムレベルでどうやってその深さを保証するのかを提案する必要があるように思う。文学者による個々の授業や、現場の実態に対する指摘は、その通りであると思う一方、教育としてどうやってその指摘を具体化するのかがよく見えない。

この本の語りは、ある意味、文学者が国語科教育に対して行う批判や提案として、典型的な部類なのだということが、最近は分かるようになってきた。このタイプの主張は、穿った見方をするのであれば、「読める」人による、自分はこんなに深いことまで教えられるんだという自慢話のようにも聞こえる。その大きな理由は、結局のところ、老若男女、専門性も違う全国の教員たちが、それぞれに国語を教える学校現場において、何を最低限保証する必要があって、そのために、何を仕組みとして整えるのかが、よく分からないことによるのではないかと思う。

橋本陽介の本は大好きで、ものすごく影響を受けた。この本も例外ではなくて、今でも本筋としては、全面的に賛成する。けれども、公立学校で、現場の先生たちが指導要領や教科書の指導書と一生懸命にらめっこしている人たちを見るにつけて、そこを指摘しても意味がないのではないかと思うようになった。
別の視点で言えば、こういった文学者からの指摘を受けて、その学術的な厳格さをカリキュラムに載せていくのが、教科教育の仕事なのではないかとも思う。そういった意味では、未だにこうした本が出てくること自体、教育畑の側の怠慢だったとも言えるのかもしれない。
国語科教育学と文学、言語学といった内容学問との距離を、改めて感じる一冊だったとも言えるかもしれない。

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2025年12月09日

Posted by ブクログ

この筆者が作中で「やってはいけない」と指摘していることを、自分自身がやってしまったという残念な本。テーマがとっちらかっていて、散漫。タイトルと内容が一致しているのは小説を扱った第三章まで。論説文についてダラダラ語っている第四章以降がひどい。

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2019年05月11日

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