あらすじ
「は」と「が」はどう違うのか。「氷」は「こおり」なのに、なぜ「道路」は「どおろ」ではないのか。「うれしいだ」とは言えないのに、「うれしいです」と言えるのはなぜか。「穴を掘る」という表現はおかしいのではないか。……素朴な疑問に、最新の言語学で答えます。日本語の起源から語彙・文法・表現まで、73の意外な事実。
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「は」と「が」に当たる助詞の使い分けがあるのは日本語と朝鮮語くらいしかなく、世界的に見ても非常に珍しい特徴。P139
「が」は、基本的には動作を行う主体ににる「主格」を表す格助詞。p140
「が」が主格を表しているのに対して、「は」は主題を取り立てるのが主な役割。p142
英語などのヨーロッパ言語は、原則としてものごとを客観的な視点から語る構造を持っています。ヨーロッパ
言語を母国語とする人たちにとっては、日本語のように登場人物の主観的な視点に同一化してしまう文は、理解が難しいと言われています。p159
世界の言語の大半がSVOかSOVのどちらかになっている。
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高校で古典も教える、中国語が専門の著者が、日本語の音声、語彙、文法、表現について、73の高校生からの疑問に言語学の視点から答えたもの。母語なのでそもそも疑問を持ちにくいことについて、まずそういう疑問があることが分かる(母語の相対化ができる)ということに気づける点も面白いし、また回答もそんなに専門的過ぎず、割と分かりやすい。日本語学の入門書として位置付けられるかもしれない。
これまで言語の本はたくさん読んだつもりだったけど、結局おれは英語が中心だったので、日本語についてはずっとモヤモヤするところもあったが、結構へえ、と思ったことも多かった。以下はその部分のメモ。まず「旦那」がサンスクリット起源で、donationにも通じる、つまり同語源(p.22)ってどっかで聞いたことあった気がしたけど、忘れていた。大学の時に「言語類型論」というのを知って面白そう、って思ったけど「言語類型地理論は多くの言語のデータをあつかわなければならず、簡単にはできないためか、研究している人はあまり多くありません。それでも比較的最近の研究成果として、松本克己の『世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平』を挙げることができます」(pp.28-9)ということで、研究者が少ない、というのは初めて知った。あと、ところどころ参考文献を紹介してくれているのも良い。次に日本語の音声について、個々の音声の話も面白いけど、超分節音素の話、つまりリズムの話とか面白い。「日本語のリズムは四拍子が基本であるらしいという説が唱えられています。」(p.45)という部分で、三三七拍子も五七五も、結局「休み」の部分を入れたら四拍子、って気づかなかった。あと「反対の意味の言葉」についての質問があったが、「実は言語における『反対の意味』というのは、厳密に言うと『反対』ではありません。『男』の反義語は『女』ですが、『男』と『女』の意味を考えてみると、『人間であって、性を表す言葉』という部分は一致しており、その性別の部分が反対になっているだけです。つまり、反義語とは類義語の一種であり、ある一部分が違っている言葉のこと」(p.71)というのも納得だった。そして「少し意味がずれるだけで、『反対』になる」(同)ので、反対の意味に変わる言葉がある、というのも納得。英語だと意味変化のパターンで良化と悪化(cunningは悪化、niceは良化など)があるけど、それとも関連するのだろうか。あと「言語の恣意性」って言語学の基本だけど、その反対(擬音語とか)は、「有契性」って言うらしい(p.77)。そんな用語あったっけ。忘れていたのか勉強不足なのか。ちなみにarbitrarinessに対して何て英語で言うんだろう、って調べたら、motivationだって。へえ。あと、「誤用」について、「言語学的に言うと、一人だけが言い間違えるのは『誤用』ですが、集団で使われるようになると、それはもはや言語の『変化』です。」(p.84)というのは規範か記述か、の基本の話で、その後の「美しい言葉遣いだから正しいのではなくて、正しいと決めたから美しいと感じているだけ」(p.99)に通じる話。「古文に対して、『現代語とまるで違う』という印象を持つ人も多くいます。しかし、ある言語の基本的な単語のうち、千年の間に滅びたり意味が変わったりしてしまう単語は全体の二十パーセントだという研究があります。(略)平安時代によく使われる単語のうち、八割は生き残っていると考えると、少なくとも『まるで違う』とは言えないのではないでしょうか。古文の試験では、現代語と同じ言葉が問われることはありません。違う部分だけが問題になります。そのようなところも『古文は現代語とまるで違う』という印象を助長しているのかもしれません。実際、大学入試でも現代語と違う単語を三百ほど覚えればひとまず対応できるといいます。これは中学校で学習する英単語の半分以下にすぎません」(p.89)ということで、こういう感じで冷静に捉えると古文の苦手意識も薄らぐのかなあと思う。おれも高校の時古文がずっとできないと思っていたけど、古文単語覚えたらそれなりに解けるようになっていった記憶がある。あとやっぱり音声や語彙の話はふーん、って感じだけど、文法の話が難しいと思ってしまう。定番の「は」と「が」の違い、もそうだけど、主語の話について、「『そもそも日本語に主語はないのだ』と声高に主張する人もいます。しかし正確に言えば、主語とは、その概念を導入したほうが文法を説明しやすいかどうかの問題であって、『あるか、ないか』ではありません。少なくとも現代語では、述語に対する主格は論理的にあります。『走る』という動詞なら、走る誰かがいるわけですし、『美しい』といえば、美しい何かがある場合がほとんどです。一方で、与格(〜に)や対格(〜を)はそうではありません。このように主格が優位であるという事実を考慮するならば、主語という概念を日本語に導入することは合理的だと思います。」(p.152)ということらしい。やっぱり極端な人目をひきやすい主張って、冷静に考えた方がいいよな、という例。あと話法?の話で、「英語などのヨーロッパ言語は、原則としてものごとを客観的な視点から語る構造を持っています。ヨーロッパ言語を母語とする人たちにとっては、日本語のように登場人物の主観的な視点に同一化してしまう文は、理解が難しいと言われています。(略)主観的視点を客観的視点に変更して翻訳する際に、誤訳してしまう例を比較的容易に見つけることができました。」(p.159)ということらしく、確かに小説の文を定期考査で出そうと思うことがあるけど、結構そのまま出しづらいなと思う部分が多い理由の1つはこういうことがあるかもしれない。この日英対照をもう少し突っ込んだ本をもっと読みたいと思った。「あの犬、かわいい」の「あの犬」は、話し手の「主体的判断の向かう先を主語に立てることができる」(p.164)、つまり「主語の側に存在物をおき、述語にその話し手の判断、感情を置くことができる」(pp.164-5)というのは現代英語にない文法なので、理解が難しい。でも日本語を勉強する外国の人はこういうの勉強しているのか。あと、「名詞に似た形容詞なのに、『形容動詞』と呼ばれているのか私は疑問で仕方がありませんでした。(略)「あり」は動詞ですし、助動詞がつくのも動詞の特徴だからです。」(pp.191-2)ということで、時々英語の文法を教えていて、形容動詞は?とか生徒に言われて、いやいやとか思うことがあるけど、こういう事情があるらしい。あと日本語の過去(というか完了?)を表す「た」は、「『たり』が縮まった」(p.200)ものらしい。それも知らなかった。日本語の時制に関しては紹介されている『日本語と時間―<時の文法>をたどる』という岩波新書があるらしいので、これを読んでみたい。
読む前は結構これ時間かかるかな、と思って敬遠してしまっていたが、読み始めたら結構楽しく読めた。高校生が考えた疑問、っていうのが、教員をやっているおれには良かったかもしれない。(23/12)
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日本語学に興味がある人が読むのに良いと思う。
変に俗説に偏らず、オーソドックスな先行研究を引いているので間違いなく薦められる。
大野先生のタミル語の話見るとついクスッとしてしまう。
時々着地点が流れる印象なのと専門としている人には易しいので目新しさはないかも、という点で星4。これから勉強する人には良著です。
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数千年前の人々と現在の我々を繋いでいる目に見える糸が言葉だと気づく。学生の出す素朴な疑問から、日本語を中心に言葉そのものの特性や、その背後にある人間の意識にまで光をあてる
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日本語を解説する著者が中国語,朝鮮語,英語などのヨーロッパの言語,さらに古文までの知識を駆使している点が素晴らしい.学生からの質問をベースの回答をしているが,ここまで精密に分析してくれる先生を持っているのは,ある意味で羨ましい感じだ.第7章で取りあつかった活用形の話はあまり調味を持てなかったが,他の章の質問と回答は楽しめた.
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「かさたなはまやらわ」の順番の根拠はサンスクリット語から、「はひふへほ」だけ半濁音がある理由、日本語の母音はなぜ5つだけなのか、575、337拍子などがなぜリズムがあると考えられるのか、実は日本語は4拍子!?との説明は目から鱗だった。古文、英語、中国語その他外国語の知識に及ぶ興味深い説明の数々。「ら抜き言葉」「さ入れ言葉」「全然~ない」の問題とむしろ合理的な変化の途中との説明は非常に柔軟だ。「連濁のルール」「赤・青・黒・白い、また黄色・茶色いと言いながら、緑い」と言わない理由、など著者は生徒たちに不思議と思うことを書き出させ、約70の問いに答える形での本となったもの。
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副題が「最新言語学Q&A」となっていて、言語としての日本語に、起源・音声・語彙・文字・文法などなど、多方面からアプローチしたもの。「日本語本」は好物で、目につくと読みかけてみるのだけど、安直な内容で期待外れってこともある。その点、本書はかなり専門的な内容にも踏み込んであって興味深かった。
著者の専門は中国語。「お言葉ですが」シリーズや「漢字と日本人」の高島俊男先生も中国文学の専門家だ。日本語を考えるには、漢字についてのきちんとした知識が必須だなあとあらためて思う。日本語は、もともとは文字を持たない言語であったが、中国から入ってきた漢字を取り込み、長い時間をかけて今のような姿になってきた。つい忘れがちなそのことの意味はとても大きいとつくづく思う。
深い内容だが、Q&A形式で読みやすい。ただ、質問に対する答えになっていないのでは?と思われるところがいくつかあって、そこが若干気になった。
Posted by ブクログ
普段は特別に意識もせずに日本語を話したり書いたりしていますが、外国語を勉強してみると、日本語の特徴が分かってくるようになりました。
英語と日本語は使う言葉が完全に異なるので意識しませんでしたが、中国語の勉強を始めて、日本語と中国語には似ている部分と似ていない部分があることに気づき始めました。
そんな私にとって、この本には興味あるネタが沢山含まれていました。特に前半の6章までのQ&Aは面白かったです。
以下は気になったポイントです。
・日本語は朝鮮語と似ている、文法体系・語順・助詞・動詞の活用による敬語が複雑に発達している・「が」「は」の使い分けがある等(p23)
・現代中国語の標準語を勉強すると、実感として「中国語は英語よりも日本語に近い」と感じられる(p28)
・子音とは、肺から上がってきた空気を、いったん口のどこかで阻害して出す音のこと。母音は息を完全にブロックしないので、連続して発音できる、母音発音の調整は、口の微妙な開き具合や、唇の丸め方(p31)
・イ、エ、オにそれぞれ二種類の発音があったとしたら、奈良時代まで日本語は、八母音であった可能性もある(p35)
・エという音はもともとなくて、「ア」と「イ」が結合して出来上がったから、辞書で「エ」から始まる単語が極端に少ない(p35)
・50音図のカサタナハマの配列は、音を作る位置が口の奥から徐々に前に向かうようになっている、この配列が作られた時(平安時代)には、ハ行の発音はファ、フィ、フ、フェ、フォになっていた、その後は、バビブベボになった(p37)
・単語と単語がくっついて一つの単語になるとき、後ろ側の語頭が濁音になる。しかし漢語は連濁しない、市民ホール、怪鳥(かいちょう)等、しかし例外もある。文庫本、株式会社など、直前に「ん」がくると連濁することもある(p39)
・律詩では、2・4・6・8句目の最後で韻を踏む(脚韻)ルールがある、声調にはおおきくは、平声と仄音(平声でない)があるが、脚韻の時に使う字は平声でなければならない(p42)
・和歌の、五七五七七は、五文字目が長く伸ばされ、七音のところは一拍長く読まれて、実際には、八・八・八・八・八のリズムで読まれる。八拍子にするために、七文字で余裕を持たせた方が良いと考えられる(p45)
・母語である日本語の発音の仕組みを知ったうえで、他の言語の発音がどう違うのかを知ると、外国語学習は必ず成功するはず(p52)
・奈良時代、平安時代、正式な文章はすべて漢字で書かれていた、古事記・日本書記も大部分は漢文(当時の中国語)で書かれていた(p52)
・音読みとは、当時の中国音を日本人が真似をしたもの、多くが中国語由来のもの、訓読みとは、元々存在していた和語を、漢字にあてはめたもの。(p54)
・いろは歌冒頭の、「いろはにほへど・・=色は匂へど」の場合の「匂う」は、花の色が目に見える様を表している(p55)
・「お」という接頭語は、基本的に和語につき、「ご」という接頭語は基本的に漢語につくが、例外もある。お茶、お食事、お時間、これらは漢語といっても暮らしの中に密着しているので、区別がつかなくなっているのだろう(p58)
・焼肉定食が四字熟語でないのは、その間(焼肉と定食)に別の要素を入れ込むことが可能かどうか、入れ込める場合には形態的緊密性が弱いことになる(p61)
・日本は、漢字音の原則から言うと、「ニッポン」と読む方が正しい。平安時代には、「ハヒフヘホ」という音が無かったので。読み方が統一されなかった理由として、漢字本位主義的な傾向があり、どう描くかが重要であり、どう読むかは副次的な問題であった(p64)
・一、四、七を漢語で読むと、「イチ、シ、シチ」となるが音が似ていて聞きわけが難しくなるので、4と7は、和語系に変えている。なので、14日は、「ジュウヨッカ」となり、「日」を「か」と和語で読んでいる(p72)
・ローマの最も古い暦であるロムルス暦(紀元前753)では、春分のある三月が1年のスタート、9番目の月は最初から現在の11月であり、ずれていない(カエサル、アウグストゥスが入れ込んでずれた)。10番目の月である現在の12月に1年が終了し、そこから現在の3月までの間は特に名前はつけておらず、1年間は304日間であった(p74)
・ヌマ暦(紀元前710)では、名前の無いところに、現在の1月(Januarius)と2月(Februarius)を追加した、紀元前153年の改革で、Januariusが一番目の月に変更され、この段階で、月の名称と実際の順番に食い違いが生じた(p74)
・ヌマ暦は月の満ち欠けを基準にした太陰暦で、1年=355日であtった、カエサルが皇帝になった時には3か月も季節がずれていたので、カエサルは紀元前46年を445日間として、1年を365日とするユリウス暦を導入した。ここで7月(5番目の月)をユリウス、8月をアウグストゥスに変えた。偶数月が30日、奇数月が31日であったが、アウグストゥスは自分の名前をつけた8月を31日間に格上げ、9月を1日減らして30日とした(p75)
・平安時代の基本的な単語のうち、滅びるか変化したのは23%である、つまり平安時代のうちよく使われた単語の内、8割は生き残っている。古文の試験では、現代語と同じ言葉が問われることがないので、古文は現代語とっまるで違うという印象を助長している(p89)
・片仮名の「仮名」に対応するのは「真名」=漢字である、文字とはあくまで漢字であって、仮名はあくまでも仮のものと考えられていた(p103)
・片仮名は漢文を読むための補助機能として開発されたもの、外国語を片仮名で書くという習慣は、片仮名が元々漢文という外国語のためのものだったことに由来する(p107)
・イギリスという国名は、ポルトガル語から日本語になった言葉、キリスト教を耶蘇教というのは、現代中国語では「イェスー」と読むので(p109)
・艮という音で読んでいた金属が「銀」、同という音で読んでいた金属が「銅」(p110)
・表音文字である英語でさえ、発音は変わっても綴りは変わっていないし、語源にこだわっている表記も多くある、表記方法が一度決まると、なかなか変えるのは難しい(p119)
・「は」が表しているのは文の主題、つまり「これからこのことについて話しますよ」というテーマであり、この話題は、話し手も聞き手も知っている事でなければならない、それに対して、目の前の出来事と描写するときには「は」ではなく、「が」を使う。(p143)
・誰、いつ、何、等の疑問詞には「は」はつけることはできない、聞いているということは、その部分がわからないということ。従って、それは新情報なので、「が」しか使えない(p146)
・本来的に色を表す言葉は、日本語では、赤い・青い・黒い・白い、の4つだけ。緑は本来は新芽を表す言葉であったが、そこから転じて色も表すようになった。木の色は青色である。黄色、茶色はよく使われたために、「い」が付くようになった(p253)
2016年6月5日作成