伊丹敬之のレビュー一覧
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経営において注意すべき物事の性質について、どのような力が働くか、それに対してどんな反作用があるか、当たり前の事実を正面から見るという本である。
実証的な本ではないが、人間をよく見た本だと思う。納得出来る。
その意味でドラッカーの書に似たものを感じる。
”私は人が育つプロセスの本質は、「自育」のプロセスだと思っている。じぶんで育とうとしなければ、人は育たない。”
こういった人間への洞察を内包する論理展開だから、すんなり入ってくる。
本書は著者が大切だと思うことをかなり要約して書いたものだというが、確かに要諦が詰まっている。
著者の他の本ももっと読みたい。 -
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ネタバレ経営とは何か?について総括的に解説した本。個からはじまってリーダーシップ、会社全体と徐々に視点高度をあげて解説している。総括的に知るには良書。
・会社の側から見れば、マネジメントの一つの本質は富と情報と権力と名誉の適切な分配にある、と言ってもいいだろう。それを分配される個人の側から見れば、会社は彼らの人生にとって大切なこれら四つのものの分配を決めてしまう存在なのである。
・契約社員は会社にとって、銀行借り入れと似ている。満期が来たら関係がいったん終わること、そして更新があり得ることを事前に想定している点が似ているのである。その点、正社員は株主と似ていなくも無い。
・(人の)流動性が高いということは組織というチームを安定的に組めないということを意味する。メンバーが流動的に替わるからである。それでは、ノウハウの蓄積やチームスピリットの醸成などに、マイナスであろう。そして、いずれ放り出されると働く人が思えば、企業へのコミットメントは小さくなり、カネをもらった分だけ働くという態度になるであろう。それでは、企業としての発展に必要な知恵やエネルギーを従業員が出してくれなくなる。
・リストラが必要な状況になってしまった責任は働く人々にはないのがふつうである。したがって経営者は3つのことをやらなければならないだろう。1.経営者による陳謝と感謝、2.去る人々への「過分なほどの」補償、3.会社に残る人々も賃下げや厳しい人事制度改革などで痛みを分かち合うこと。
・(株式の)売買差益というリターンの面白いところは、リターンを株主に与えているのが、新しく株主になる人だ、ということである。
・「利益とは社会から頂いているお布施だ」という考え方が花王では伝統的にある。利益が社会へのお役立ち料であり、社会からのお布施であると考えれば、赤字を出すということは社会に対してお役に立っていないということを意味する。つまり、赤字はその意味で社会的な罪悪なのである。
・リーダーのあり方を考える上で、教育と経営の類似性を考えることの意義は大きい。名経営者は必ず名教育者だ、と思うからである。なぜか。もちろん、人を育てることが経営者として重要だという意味で経営と教育は関係が深いのだが、それよりも本質的に、教育するということの要諦と経営するということの要諦が同じなのである。したがって、経営者あるいはリーダーはあたかも教育者のようにものを考えると、経営がうまくいく、ということになる。経営とは、他人を通して事をなすことだと再三述べている。他人が仕事をしてくれるのである。つまり、他人が「自ら事を行うように仕向ける」のが、経営なのである。それは、教育の本質と同じである。教育のプロセスがうまくいくとは、学ぶ本人が自ら学ぶことがうまくいくことである。教育の本質は自学であり、自育なのである。
・The mediocre teacher tells. The good teacher explains. The superior teacher demonstrates. The great teacher inspires. 凡庸な教師は、命令する。いい教師は、説明する。優れた教師は、範となる。偉大な教師は、心に火をつける。(アメリカの教育者ウィリアム・ウォードの言葉)
・リーダーになってはいけない人。1.私心が強い、2.人の心の襞がわからない、3.責任を回避する。
・リーダーの内への仕事のうち一番中心になるプロセスマネジメントについて、リーダーとしての基本行動は何だろうか。それは、部下たちを「刺激すること」と「束ねること」である。束ねとしてもっとも大切なのは「方向性を説得的に示す」ということであろう。リーダーが示した方向性に向かって、多くの人が努力すれば、それが自然に束ねになっている。ここでは出される方向性の納得性とリーダーの説得能力がカギとなる。
・最近、考えられないミスが現場で起こるという話をよく聞く。直接の原因は合理化しすぎて現場をぶらぶらと見回って何くれとなく細かいところに気をつけている年配者がいなくなったことだそうだ。それは結局、マネジメントする側の立場の人間に現場の想像力が足らなくなったから起きた現象なのではないか。そういう一見ヒマに見える役回りの人がいないと、現場で細かな刺激と束ねが少なくなってしまうのではないか、という想像力である。
・任して任さず、という一見、矛盾するような言葉がある。松下幸之助さんが好んだ言葉の一つだそうだ。リーダーが自分でやるべきことと他人に任せるべきことの間の線引きの微妙な消息を伝える言葉である。
・上司のマネジメントをきちんとできるリーダーに、部下は信頼してついてくる。1つには、上司のマネジメントの状況が、そのリーダーの人格の表れる、一種の正念場だからである。上司に言うべきことをきちんと言えるかどうか、たんなるゴマスリでないことをしているかどうか。その人の人格が表れる。その人格が、リーダーの背中を通して、部下にはわかるのである。もう1つの理由は、リーダーがきちんと自己をもち、自分の組織内の立ち位置とチームの進むべき方向性について深い理解や核心をもっていないと、上司のマネジメントはできないからである。上司を説得するにせよ、誤りを正すにせよ、それは何かの基準に照らしているはずのことである。その基準がない人には、上司に従うことはできても、上司のマネジメントなどできないであろう。
・(企業戦略と事業戦略の)2つの戦略は、その内容やカギがかなり違う。企業戦略は事業間の資源配分がカギ、事業戦略は市場対応行動のプランがカギとなる。だから、事業戦略をただ集めれば企業戦略になるわけではない。しかし、そんな現実例が多すぎる。それは、事業責任者をやれる人は案外いるけれど社長が務まる人が少ない、という経営陣の人材的偏りとつながっている。
・人間はやっかいなものである。現実を知りすぎれば、拘泥する。しかし、現実を知らなさすぎれば、実行可能な戦略はできない。そのバランスをどう取るか。戦略の大きな設計図はトップの責任でつくり、その詳細設計は現場に任せる。基本的にはこれしかない。
・競争優位の戦略は、しばしば戦略の焦点(たとえばターゲット市場)の絞り込みと資源の集中を必要とする。絞り込んで、その狭いところに資源を集中するから、その集中のおかげで集中の結果で生み出される武器が有効となり、差別化が可能となるのである。「一兎を徹底して追うものは結果的に二兎を得る」というのが、多くの成功した戦略のパターンになっている。
・差別化の武器をきちんとつくる必要がある、と書くと誰しも納得する。では、差別化の武器を挙げてくれと多くの企業の方に問いかけてみると、最初は、自分たちはこれだけのことが「できる」というものが武器として挙がってくる。しかし、本当に競争相手と明らかに差があるものは何か、と突き詰めて問いかけると、あまり多くの武器が残らないことがしばしばである。「できる」と「優位」は違うのである。なぜその違いに気がつきにくいかを考えると、3つの理由がありそうだ。1.「明らかな」差がなければ、顧客の目を大きく自社の方へ向けることはできないということを忘れがちである、2.優位かどうかの最終判断者が顧客であることを、つい忘れている、3.競争優位を考えるあまりに競争相手の動きにばかり注意を払い、肝心の顧客のことを忘れてしまうことである。
・顧客を終着点とするとは、本当に顧客が製品を使う時点が最後の審判のときであるということである。吉野家の例で言えば、顧客が牛丼を口に入れるその時点である。顧客が実際に食べる時点で、うまい、安い、早い、と感じてもらわなければ、差別化の意図は実現できていない。吉野家がそういうキャッチフレーズをつくれれば、顧客がそう思ってくれるわけではない。吉野家の意図を実現できるように実際の仕事がきちんとなされなければならない。そのための仕事の仕組みの基本設計図が、ビジネスシステムである。
・ビジネスシステムの設計とは、基本的には次の3つの事柄の決定である。1.どんな業務を自分が行うか、何を他人に任せるか(他者との分業のあり方)、2.自分で行うことを、どのように行うか(企業内の仕事の細かな仕組みシステム)、3.他人に任せることを、どうコントロールするか(分業した業務のコントロール)
・戦略のカギを考える際に大切なのは、見えざる資産である。それは、技術、ノウハウ、信用、ブランド、システム力、などさまざまな目に見えない資産である。見えざる資産が戦略の背後できわめて重要である理由は2つある。1つには、見えざる資産が競走上の優位性の真の源泉だからである。見えざる資産は、カネを出しておいそれと買うわけにはいかない。自分で育てる必要がある。そして、自分で蓄積するには時間と手間がかかるものが圧倒的に多い。その時間と手間の部分が、競争相手との差をつくる源になっている。第二の理由はそれが変化対応力の源泉だからである。変化とは、既存事業での競争条件や需要の変化もあるし、産業構造の変化もある。それらの変化へ対応して既存事業を革新しあるいは新事業を開拓していくために、見えざる資産が使われる。見えざる資産は、見える人には見えて、見えない人には見えない。だからやっかいなのだが、そのやっかいさが戦略の優劣の大きな原因の一つになっている。
・ケンカのさせ方が大切とは、組織構造を設計するときに、どんな構造をつくっても組織の内部にコンフリクト(対立)が発生することを覚悟したほうがよく、むしろどんなケンカのさせ方が建設的かを考えた方がいい、ということである。しばしば起きる誤りは、対立が生じないような構造を懸命に考えるという誤りである。しかしそれは間違いで、むしろ、必要な対立が表面化して、建設的な解決策への議論へと進むことを狙うほうがいい。(例えば、銀行の審査部門を、営業とは独立の本社機構の主要部門と位置づけるか、複数の営業部門それぞれに審査部門をもたせるか)建設的なコンフリクトの吹き出させ方とは、そのコンフリクトが吹き出して顕在化することによって、重要な問題の存在をきちんと多くの人に知らせるような吹き出させ方、あるいはそのコンフリクトを解消しようとして多くの人が前向きの努力をするようになる、そういった吹き出させ方である。
・組織構造は人を動かすためにある。しかし、人は組織構造の下で育つものである。
・影響行動とは、部下の行動がより適切になるように間接的に影響を与えたいという行動である。たとえば、インセンティブを与えて部下の行動を導く、目標設定を部下と行う、部下が目標の達成状況がわかるよう期中に業績情報を提供する、などがその例である。直接介入は文字通り介入で、任せることの一時的中断である。
・当たり前スタンダードは私の造語である。一時期グローバル・スタンダードという和製英語が流行ったことがある。韓国と日本でしか通用しない英語だと聞いた。その頃、グローバル・スタンダード流行に違和感を感じて、グローバル・スタンダードより当たり前スタンダードを守るべき、と言いたくなったのである。当たり前スタンダードとは、文字通り、誰が考えても当たり前の標準、という意味である。例えば、1.顧客の満足度を本当に考えた行動を組織のあちこちでする。2.若いエネルギーを大いに活用して、スピードある組織活力を保つ。3.社長は大きなビジョンを掲げて、しかし責任を取るべきときはきちんと取る。4.資本の効率をきちんと維持する。
・松下幸之助さんの言葉に、「経営者の仕事は大きな事を考えることと、小さな事に目を配ることだ」という言葉がある。細部に注目して経営を見るようにすると、案外ものが見えてくる理由は3つある。第一に「現場こそすべて」だからである。いくら社長が立派な理念をもっていても、実際の仕事をするのは現場の人々である。彼らの細かな行動がきちんとしていなければ、組織としての業績は長期的によくはならない。その現場は、細部である。その細部まで経営の意思がどう伝わり、どう実行されているか。それが、経営のよし悪しを最終的には決めるのである。第二に「一事が万事」だからである。現場の細部にその組織全体の傾向を象徴するようなことが表れることが多い。だから、一つの細部を見ることで、全体の様子の想像ができる。一事が万事とは、一つの現象が実は氷山の一角であることを意味し、また一つの行動がその直接の対象にだけでなく多面的な波及効果をもつということである。つまり、細部は全体の象徴なのである。第三の理由は、細部が「蟻の一穴」だからである。立派に見える堤防も、そこに蟻の穴が一つあると、そして「不運にも」その穴から水が漏れ始めると、堤防の決壊につながることがある。細部と見えることが、大事をもたらす小さな出発点になってしまう。だから、そうした小さな穴を早期発見、早期解決できるかどうかで、経営の成否はかなり決まる。経営を見るとき、そんな眼で細部をあえて見てみるといい。
・(経営の論理に関して)私は次の3つの論理が大切だと思っている。1.カネの論理(経済の論理)、2.情報の論理(みえざる資産の論理)、3.感情の論理(人間力学の論理) それは仕事をする人間が三面性を持っているから。カネを必要とし、カネのことを気にする経済的存在・物理的存在としてのヒト。情報をつかみ、学習し、他人に情報を伝える、情報的存在としてのヒト。そして、感情をもち、他人の動きや言葉に感情的に反応しあう、心理的存在としてのヒト。三つの面すべてを、一人の人間がもってしまっている。分かちがたい。したがって、どのような経営判断、経営のあり方の決定も、必ずカネ・情報・感情の三つの流れに影響を及ぼす。その影響を通して、現場の人々の行動が左右されてくる。だから、この三つの流れがどうなるかの論理が、経営を考える際の三つの基本論理となる。 -
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伊丹先生の本は、これまでおそらく10冊くらいは読んできた。伊丹先生の本というだけで、とりあえず手に取ってしまうのだから、ファンだと言ってしまって間違い無いだろう。
伊丹先生の本の読後感は、他の本と少し異なる。読んだ後に頭がすっきりして自分が少し賢くなったように思えるところが特徴的だ。少し考えてみたけれど、その理由は彼の本の持つ絶妙な抽象度にあるのだと思う。
ビジネス書を大きく二つに分類すると、ビジネスマンが書いた自身の直接の経験に基づくもの(ビジネスマン本)と、研究者が書いた学術的なもの・知識的なもの(教科書)だ。
ビジネスマン本は、体系だっておらず客観的なデータもないけれど、自身の生の体験に基づいているため、臨場感があり、すぐに自分も動いてみたいという気持ちにさせるものが多い。
言い方を変えると、読んでいる最中や読み終わった直後から行動をとりたくさせる力が強いほど、優れたビジネスマン本であると言える。
教科書は、ビジネスマン本とは異なり、実際の経験ではなく、極力客観的にデータを収集し、それに基づいて導き出された法則や考え方のようなものが書かれている。
教科書の目的は、読者の即座の行動を促すことではなく、仕事を行う上でベースとなる体系的な理解を促進することにある。直接的な目的としては、会議資料の作成やビジネスの資格取得などが挙げられる。
いうまでもないが、ビジネスマン本と教科書のどちらが優れているということはない。また全ての本は純粋なビジネス本と純粋な教科書の間のどこかに位置している。
読者は、その時々の自身の状況や読書に求めるものに従って、読むべき本を、時には無意識に、時には意識的にセレクトしているのである。
さて、寄り道が長くなってしまったので本筋に戻る。伊丹本の持つ「絶妙な抽象度」について触れたいと思う。上述のように、ビジネス書にはビジネス本と教科書の二つに大別されるが、私の感覚としては伊丹本はちょうどその中間地点にある。もちろん伊丹先生は高名な経営学者であるが、敢えて抽象度をコントロールし具体的な事例とスムースレスに繋げることで、伊丹先生しか出せない絶妙な感覚を実現している。
上記の記述に対して「他の研究者の書いた教科書にだって具体的事例が載っているではないか」という反論があるかもしれない。だけど私の感覚としては、大抵の教科書に載っている具体的事例は、著者の理論を説明する内容になってはいるものの、どうもそれは理論とスムースレスにつながっているとは言い難く、別個に存在するものを半分無理やり繋げている感を拭えない。 -
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ネタバレ中二階とは、組織を動かすときのある種の原理。二階は基本原理=建前、一階は現場、その間を調整するねじれを調整するための機能。
二階から見ると単にでこぼこにしか見えない場合もある。
二階の原理から考えることには限界がある。中二階が以外な働きを示した場合が多い、無視をすると正課がでない。
二階の漢字、一階のひらがな、中二階の仮名交じり表記。
和魂漢才、和魂洋才。
天皇制という中二階。二階の統治者を支えて一階を納得させる手段。
廃藩置県、秩禄処分=一時金支給による棒録の廃止。
幕末以来の武士の危機感が、廃藩置県を無理なく推敲させた。
戦後の農地改革=日本の発案による施策。価格が1950年まで据え置かれたために、タダ同然に買収された。
地主は、やむを得ないものと諦観して、改革に応じた。土地の引き上げ(小作人から取り戻すこと)で納得した。
日本の農地改革と同様の試みは、台湾を除きアジアでは失敗した。地主にとってはひどい施策だが、民主化理念(やむを得ないという空気)の中二階の原理が、それを中和した。
コロナショックへの対応。罰則なしの自粛要請は、中二階の原理から機能した。全体のためには、一手間一配慮は当然、という価値観=中二階の価値観。工場のコストダウン、サービスのおもてなし、の源泉と同じ。
中二階の原理のマイナス面。
共同体からの排斥圧力。中二階の暴走=自粛警察など。二階の原理への過度の従順さ。
オーバーエクステンション戦略=蟹が自分の甲羅よりも大きな穴を掘るのと同じように、自らの能力を超える戦略をとること。不利を承知で参入する。鍛えられる中で成長する。中二階の原理を応用した例=ホンダのオートバイのアメリカ進出。二階が、その戦略のサポートをしっかり行うことで、中二階が発憤し、学習を積み重ねる。
神の隠す手の原理=人間は困難予測能力はあっても、隠れた問題解決能力は見えない。あえて無理を承知で動くことで、解決の手段が見えてくる。
世界銀行の援助プログラムは、事前の想定とは違う語りで成功している例が多い。
大きな挑戦は、想定外の障害にぶつかるが動き出すと何かが見えてきて、さらに動くことで神の隠す手が出てくる。オーバーエクステンションと中二階の原理は同じ構造。
買収の論理は二階の原理。しかし現場は思った通りにはならないことが多い。日本板硝子によるピルキントン、東芝によるウエスティングハウス、野村證券によるリーマンブラザース、など。成功例はブリジストンによるグッドイヤー、川鉄と日本鋼管のJFEホルディングス、など。二階の論理を押しつけず、中二階への目配りを行うことが合併、買収の秘訣ではないか。
アウトソーシングによって、現場の技術者が手配しになっている。アウトソーシングを意図的に不完全に行うことで、現場の情報の流れと技術を維持することが中二階の原理。
感情の齟齬を中二階の原理を使うことで解決する。職場共同体としての中二階を使う。
ソニーのVTR開発チームは、エレクトロニクス技術とメカ技術の技術者を、同じ部屋で隔てずに机を並べて、間には本を置かないよう指示した。
二階の原理の取り違い、の例はQCサークル。もともとは小さな集団のサークルで成功していた=中二階の原理。これを二階の原理であるデミング賞受賞に向けた活動にすると組織のヒエラルキーが強調されてうまく行かなくなった。二階の偉さ、を強調すると中二階がうまく機能しない。
日本の村落を中心とした共同体感覚がその源泉にあるのではないか。
企業の主権者は株主といっていいか。
逃げないカネを提供しているはずの株主と、逃げない労働を提供している従業員。しかし、株主は本当に逃げないカネ、といっていいか。
株式会社によて、企業は自然人の死とは関係のないゴーイング・コンサーンが可能となった。資本多数決の原理で、発言権の大小があることが意義。
株主だけが主権を持つ、という二階の原理を追求することの矛盾が吹き出している。そこで中二階の原理として従業員に主権の一部を持たせられないか。
ドイツは、法律で、従業員に経営に関与できる仕組みがある。二〇〇〇人以上の会社は49%まで。2000人以下だと1/3の関与でいいので、ドイツには従業員1900人程度の企業が多い。ドイツは、共産主義と間近に対峙していた経緯からではないか。
日本では、現場の慣行の積み上げで、中二階の原理を取り入れた。雇用を守る、取締役は昇進者で占める、株式の持ち合い、など。
欠点は、経営者へのチェック機能が無力化すること。
三井組(越後屋)が二番目の株式会社になったとき、1/4の株式を番頭手代が持つことになった。従業員持ち株会の奔り。
成果報酬よりも、この会社は自分たちの物である、という意識のほうがインセンティブは大きい。
従業員中二階の落とし穴胃
従業員の反対が怖くて慣行に沿わない施策がとりにくい。従業員の利益が既得権益化する。
経営戦略、組織マネジメント、企業統治のそれぞれで中二階が存在する。
日本の市場経済システムの中にも存在する。
自由な取引、公正な競争を二階の原理とし、ヒトのネットワークの安定、を中二階の原理とした。
労働力というヒトの市場、原材料などの財の市場、製品の市場、のそれぞれで中二階がある。
労働市場では、パートナーシップ採用。演劇の作り方でもアメリカはオーディション方式だが、日本は劇団方式がある。年功序列型人事も中二階のひとつの帰結。
系列取引という中二階の原理。GMは下請け12000社ほど、トヨタは300程度、二階の市場経済原理を共同遺体的な原理に薄めて中二階の原理で運用している。
金融市場は、共同体的強みが発揮しにくいので、真っ先に二階の原理に移行した。
人本主義という中二階の意義=ヒトのネットワークを活かした行動原理。
反面で、ぬるま湯的安定をもたらす、決断の空白、中二階の不安定化の恐れ、などがある。
日産の経営不振の理由は、ぬるま湯の副作用によるもの。ゴーン改革は、ぬるま湯を排除したが、新車開発のための系列間協力を壊した。トヨタやホンダの厳しさのある系列の維持とは違った。
平成の間の日本企業の低迷は、人本主義の弱さが表面化しつつ、それを脱却する強い経営者が現れなかったこと。
二階の原理に対して、現場とのねじれを解消するために中二階の原理が生まれる。結果として二階の原理がスムーズに遂行される。しかし副作用もある。
中二階の原理には、二階の空白を埋める、二階の強化、二階を弱体化する、の3種類ある。
メンバーシップ型による組織への一体感の醸成、二階の原理の現場への応用当てはめ、一階が受け入れられるような形への変換、など。
中二階が日本に多い理由=普遍性の高い原理が外国から入ってきやすい。古くからある共同体原理との共存のため。曖昧さをよしとする土壌。
アメリカは多様な社会故に、中二階の原理は成り立ちにくい。 -
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ネタバレ大企業は設備投資より配当のほうが多くなった。
バブル前より従業員数は増えている。人口は変わっていないから雇用参加率は増えている。
金利低下で売上経常利益率は増えた。
設備投資がないから自己資本比率が上がった=ROEが下がった。
メインバンクが頼りがいがなくなった=手元資金を増やす。設備投資は行わない。アメリカ流を取り入れて配当を増やす。
リーマンショック直後で輸出は33%減。
大企業は人件費は2001年以降変わっていないが配当だけ増えている。
人件費に使わず、大企業は配当を増やし中小企業は内部留保を高めた。
アメリカ流の株主重視策から。
委員会設置会社は普及していない。90社程度、2%程度。
海外設備投資も円安にもかかわらず増えていない。
配当増加の負のサイクル=一度増加させると減少できない。自己資本が積み上がるとROEが減少するから自社株買い=自己資本が少なくなる、に走る。
日本の半導体産業は投資抑制でサムソンに抜かれた。日米半導体協定でメモリ事業が官製カルテルになっていた。コンスタントな設備投資ができない。日米半導体協定とバブル崩壊の影響。
不況期にも株主配当を挙げる=株価維持=労働分配を犠牲にした。株式原理主義、コーポレートガバナンス改革の悪影響。
従業員への甘え、人事制度維持のほうを大事にした。
新興企業、GAFAMは人材資源を大事にして高給を出した。
企業は人と金の2面性がある=株式会社の制度の矛盾。
株式会社の本質は、有限責任で多大な投資を可能にした、だけでなく悪平等に対抗する意味もある=資本多数決の原則。
逃げない金=資本金、逃げないヒト=従業員、どちらにお金を掛けるか。
中二階の原理=従業員を1階から中二階に上げて、実質的に統治に参加させる仕組み。原則は2階の株主主権。
日本の中二階は、役員が従業員出身であること。
ドイツは、株主主権だけでない会社統治の制度を作った。49%の主権を持っている。
アメリカのUSスチールの労働組合による反対運動?
中二階の落とし穴=従業員の反対が怖くて改革ができない恐れ。投資効率が低い投資をしてしまう危険。投資リスクを取らない危険。
キーエンスの成長と経営効率。=従業員主権=分配が大きい。業績連動給は81%にのぼる。高給の企業。
情報共有=オープン化。主体性が発揮できるようにする。
共同体的市場取引=顧客と共同体、下請けと共同体。共同体の経済合理性は高い。知識の蓄積、コミュニケーション効率が高いなど。
5年で一人前になる=人材育成に力を注ぐ。
金の原理と人の原理の二重性は衝突が起きて判断の余地ができること。しがらみとの戦い。強い経営者が必要。
投資をしないから人が育たない、育たないから低迷する、投資ができない、の悪循環。人も設備も同じ。
人と金の二面性が企業の本質。株主主権だけでは二面性を解決できない。 -
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『日本漂流:失われた30年の経済解析』
統計情報 ☆☆☆☆☆
解釈 ☆☆☆☆
未来への提言☆☆
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【はじめに】
「失われた30年」という言葉は、日本経済の長期停滞を象徴するフレーズです。しかし、その実態を正確に説明できる人は少ないでしょう。この本は、マクロ経済の視点からミクロ経済の動向を理解するための重要なインプットを提供します。
【1;統計データの洞察】
1975年から2021年にかけての統計データは、売上高と従業員数の年率2%弱の増加、利益率の4倍の上昇、設備投資の年率1%の増加を示しています。これらのデータは、日本経済の変遷を理解するための鍵となります。
【2;解釈と解説】
伊丹敬之氏は、経営学者としての深い洞察を通じて、統計データを解釈します。彼の分析は、日本企業が直面した経済的課題と、それに対する経営戦略の変化を明らかにします。
【3; 日本経済の漂流】
伊丹氏は、失われた30年間で日本企業が設備投資や従業員への投資を行わなかった理由を分析します。これらの経営判断が日本経済の停滞にどのように寄与したのかを考察します。
【読み終えて】
2024年4月現在、急激な円安という形で、資本市場で日本に対する評価が低下しています。
マクロ経済の評価とミクロ経済(企業レベル)の評価は必ずしも一致しません。為替、日経平均とは逆の方向で、株価を上昇させている企業も多く存在します。
今後、企業側は、マクロ経済に左右されづらい顧客基盤、業務基盤そして結果としての財務基盤の必要性が増してくるのかもしれません。 -
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経営学の体系として、
・未来を設計する
現在の立ち位置(誰のための何者になるか)を設計し、さらに将来どうなりたいかを描く
・他人を通してことを成す
組織として成果をあげるための影響システム(適切な権限委譲、コミュニケーションと調整のしくみ作り、インセンティブシステム)と自己刺激のシステム(理念の浸透、リーダーが先頭に立って意志を明確にすることによる組織文化の醸成、ヨコの刺激が生まれやすい職場や仕事の設計)を構築する
・想定外に対処する
コンティンジェンシープランの策定、何を修正すべきかの判断、想定外から得た教訓の体制への組み込み、想定外対処から得たノウハウの蓄積
これらに通奏低音として流れる決断(直感で発想し、論理で検証し、哲学で跳躍する)の重要性。
を提示。
さらに、企業という存在の本質として、
・技術的変換により価値を生み出す存在であること
・カネの結合体であり、かつ、ヒトの結合体であること
・社会に生かされている存在であること
があり、この本質に照らして、適切な技術や情報の蓄積、カネの論理(結果主義)とヒトの論理(プロセスとしてのやりがい)のバランス、社会貢献に対して、未来を設計し他人を動かし想定外に対処して決断していくのが経営者の仕事であるとする。 -
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経営戦略の古典的名著ということで、ある人から推薦され、
読んでみました。
自分が生まれる前くらいに初版が出て、
年を追うごとに改定され、現在が第4版。
これだけのロングセラーなだけあって、
実際に読んでみるととても読みごたえがあります。
第4版は、事例を少なめにしたということなので、
ある程度の社会人経験がないと、
何を言っているのか分からない作りになっているかもしれませんが、
その代わりに考えさせながら読ませてくれる本です。
(実際、自分も技術のところは、あまり経験がなく、
イメージできないところもありました。)
驚かされるのは、伊丹先生のロジック構築力。
時間の推移も考慮しながら、論理のミーシー感がハンパないです。
決して簡単な本ではないですが、
経営を考える人は一度は読んでみたい本かと思います。