高橋和久のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
政治的な話は得意ではないが、名著とのことで読んでみた。500ページ弱あったが、凄まじい展開に引き込まれ、3日で読み終えてしまった。
初めのうちは、海外文学独特の言い回しや、極度の言論統制によって生まれたこの世界独特の概念(ニュースピーク、二重思考、二分間憎悪など)を理解するのに少し時間がかかった。しかし読み進めるうちに見えてきたのは、要するに、特権階級が人々を徹底的に支配する悪夢のような社会だった。
驚いたのが、最初は「到底こんな世界が日本で起こることはないだろう」と感じていたのに、読み進めるにつれて、「こうなってもおかしくないのではないか」という恐怖感、あるいは部分的には既に同様の状況に陥っているかもしれないと感じたことだ。
もちろん、現在の日本に作中のような絶対的な思想統制はないといえる。しかし、作中に登場する「プロール」と呼ばれる労働者階級においては、現代の我々庶民を重ねてしまう部分があった。
「プロール」は貧民層であり、党職員ほど厳しい圧政や思想統制を受けておらず、酒や恋愛などを比較的自由に楽しんでいる。だからこそ、かれらには必ずしも強い反骨精神は生まれない。
もし「党」がかれらに対して露骨な圧政を敷けば、国家全体の人口の約85%を占めるプロールが反逆する可能性がある。しかし「党」は、そうした反乱の芽を生まないよう、教育を制限して政治的・知的思考を発達させにくくしたり、戦争を長引かせて人々の意識を党以外のものへ向けたりする。
「今が苦しい」という認識はあっても、それを変えるために団結するだけの知識や意識を持ち合わせていない。そんなプロールの姿を見ていると、現代社会において政治への関心が薄れている状況を重ねてしまった。
もし、作中の「党」のような国家が現実に現れたとしたら、果たして我々は反逆するのだろうか。それとも、ある程度の自由や娯楽を与えられている限り、それを受け入れてしまうのだろうか。
そんな問いを本書から投げかけられたように感じた。
そして何より恐ろしかったのは、党に対する反逆者を単に殺害して排除することが、党にとっての最終目的ではなかったことだ。
党の統治目的については、各自が作品を読み、行き着いてほしいと思うところであり、ここでは割愛する。
支配とは恐ろしいものである。支配されている側は、自らが支配されていることに気付かないまま、与えられた現実を現実として受け入れてしまう。
果たして自分たちは、今目の前にある現実を、本当に自分自身の意思で享受しているのだろうか。
改めて自身の置かれている状況、政治体制の実情諸々、考えさせられる一作であった。 -
Posted by ブクログ
初ジョージ・オーウェル
ディストピア小説とは聞いていたが予想の斜め上をいったものであった
三国体制、管理社会といった壮大なスケールのようでその人の思考がポイントになってくる
特に二重思考という概念は自分も時折やってしまっているものだと痛感した
なんだかんだ希望のある感じになると思いきや急にどん底に落とされ思考、精神を体制に合うものになるまで徹底的な教育を施す
実際の1984年とは違うような世界であったが現実と同じようなところや未来に起きそうなところがあり感心よりも恐ろしさを感じた
暗い話ではあったが読み終わった後に何故か爽快感が湧き上がってきた
また読んでみたいと思える本だった
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ネタバレ某所で今読むべき本として紹介されていたので読んだ。怖かった。ここに書いてあることが遠くない未来に自分の身にも起こるかもしれない、そういう社会に生きちゃってるんだなぁと思えてしまうのが心底嫌だった。
(2026/7/19 追記)
1日置いて、余韻がじわじわきている。ゴリゴリのディストピア小説。1948年に書かれたというのが本当に驚きだ。
この作品は、社会主義国家・資本主義国家の如何に関わらず、全体主義に対する盛大な警鐘・風刺となっているのかなと思う。全体主義国家に反抗しようとする人々は、どのようにして「教育」されるのか、大変よくわかった。ひたすら怖い。ジュリアへの愛を捨てることになった最後の拷問が特にグロくて、自分の場合はどうなるかと想像しただけで総毛立った。人の心の折り方が、懇切丁寧に書かれている…
最近暗いニュースばかりで、追わなければと思いつつ疲れからあえて追わずに過ごすという日も増えてきていたのだけど、これはこの本で言うところの「自己防衛的愚鈍」な振る舞いに当てはまるのかもしれない。抵抗者がそうなることは折り込み済みで全ては予定通りである、と見透かされていたかのようで、ぞわっとした。最近の鬱々とした気分は、これから本格的に始まると予想されるディストピア的な未来に対して感じる鬱なのかもしれないと思った。
過去の歴史を為政者の思い通りに改竄できる社会というのは、Wikipediaの作られ方を思い浮かべれば容易に想像できた。Wikipediaは有志が記事を作っており、編集履歴も誰でも閲覧できるけれど、これを国主導で行って(歴史の教科書などに対して)、しかも編集履歴は全く残らない状態と思えばいいのかな。今の政府は重要書類をしばしば軽々と破棄するから、余裕であり得る話だなと思った。
作中に繰り返し出てくる「2+2=5」。Radioheadの楽曲にもこのタイトルの曲があり、どういう意味なのか長らくわからなかったんだけど、この作品から取っていたのかなぁとぼんやり合点がいって、ファンとしてはうれしかった。
愛(もしくは人間的な心)は恐怖で踏み潰すことが可能だ、ということを教えられた(知ってしまった)のがしんどかった。それでも愛を貫きそして殺されてしまう人のことを、宗教的には「殉教者」と呼ぶのかなと思い、中世〜近世で弾圧されたキリシタンの人々のことを思わず考えた。彼らの場合は、神に対する愛ということになるんだろうけども。
ウィンストンと同じ目に遭った時、私ははたしてどちらを選べるんだろう。
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Posted by ブクログ
ビッグ・ブラザーという独裁者が管理する世界で、2+2=5と洗脳される大衆と、それに違和感を持つ主人公。
国民の思考力を奪うため最低限に単純化されたニュースピークを使用させたり、偽りの戦争を続けることで国民を搾取する最もらしい口実をつくったり、性交渉を禁じ子に親を監視するよう教育することで男女や家族の関係性を希薄なものにしたりと、恐ろしい世界が描かれている。
大衆には酒や宝くじといった知識の伴わない娯楽を提供し続けることで、党への反撃を実行するどころか考えつきすらしない愚民へと育て上げる。一方ある程度の思考力や知識を持った者はテレスクリーンと呼ばれる実質的監視カメラで管理する(敵は近くに置け方式)。
難しくて理解できない部分(主にゴールドスタインの秘密の本)もあったが、理解できるようにならなければいけないことだけは分かった。
何度も読んで理解を深めていきたい。
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Posted by ブクログ
途中で放置した期間があったので、ちょいちょい忘れてしまったところがあり、難しい話をあんまり理解できずに読み終わってしまった。いつか再読したい…
最後のシーンが印象的だった。ウィンストンが変わってしまった(生まれ変わった?とも言うかも)ことがその世界にとって、彼にとって良いことだったのかは分からない。思考の内容がビッグ・ブラザーと同じだったことで自分が“ビッグ・ブラザー”の一員になってしまった、と言うことなんだろうか。
ん〜よく分からないけど、結局ウィンストンはビッグ・ブラザーに飲み込まれてしまったのだろうね。
附録にある『ニュースピークの諸原理』を読んだとき、ニュースピークが実際にあったものだと勘違い!
「へー、昔の人は大変だったなー」と一瞬自分の中で歴史が改竄されました…
もしかして、適性あり? -
Posted by ブクログ
伝説的ディストピア小説。『素晴らしい新世界』を読んだ時は、「こんな世界でも、悪くないかも」と思ったが、今作に描かれていたのは明確に嫌な世界だった。同時に、そんな世界に対して、自分がきちんと論理立ててNOを突きつけられるかと言われれば、そうではない。
オブライエン対ウィンストンの3部が圧巻なのは、そのためである。日本という比較的平和な民主主義社会に生きる自分にとって、オブライエンの唱える社会、それはすなわち、イングソックの諸原理に基づき、ビッグ・ブラザーを皆が崇拝する社会は、まさに悪夢そのもの。しかし、彼の狂気的な雄弁に対し、読者の自分は始終押し除けられていた。なぜか。それはウィンストンも言っていた通り、知性の点において彼に敵わないから。3部での2人の問答(拷問)において、読者は当然ウィンストンの視点に立ちながら、自分の思考・哲学・ポリシー・常識といったものがいかに脆いかを、果てしないまでに痛感させられる。
二重思考、ニュースピーク、思考犯罪といった、本作のディストピアを構成する様々な独自要素は、物語創作的な視点で捉えると、あまりにも魅力的である(もちろん、実現は希望しない)。また、人が戦争をする意味、権力を求める理由、記憶や記録の有効性といった、非常に抽象的なトピックに対し、重厚かつ長大な思索が綴られている。これもまた、上述した諸要素とともに、本作の魅力であり凄みであると思う。 -
Posted by ブクログ
観てから読みました。
映画は原作に忠実ではないけど、原作の風味を全く損なっておらず!それも驚きでした。
最終的な「真相」としては、マッキャンドルスの記録派です。
マッキャンドルスも、ベラも、信用できない語り手、だとしても、ラストの一文で、マッキャンドルス派…。
村田沙耶香さんの「信仰」を読んだ時と同じ感覚に。小説なんだから作り物前提なのに、事実としてあったかも、と思わせられる感じ。
頭が良くても、貧乏だと外見に出てしまい、やはり弾かれてしまうことの辛さも描かれていました。
マッキャンドルスの身の上話もそうだし、ベラの(実の)おとうさんが、成金後にベラに与えた教育内容もそう…出自、育ち、辛い言葉です。
そんな言葉に振り回されず静かに生きる方法…
そんなことも考えさせられました。
そして、反戦・反軍国主義小説でもありました。
若者を殺すだけの戦争…
そのあたりをきちんと語っていました。
また、社会主義をベラに語らせていました。
それにしても「ウェド」だらけで少々疲れましたが(笑)、不思議な、おもしろい本でした。
映画共々賛否両論なかんじ。
読める人、観ても大丈夫な人にオススメ。
私的に星4つぴったり。
内容をよく表現している表紙イラストもアラスター・グレイ本人。すごい。 -
Posted by ブクログ
映画を公開日に見て、非常に面白いと感じたので、原作を手に取ってみました。
映画でも扱われたシーンは頭の中で想像しやすくより楽しく読めました。
ヴィクトリアの手紙によって、映画で扱われた大部分を否定しているためどっちが真実なのかは分かりませんが、それもまた物語の深みも増して良いと思いました。
個人的には映画よりも、原作の方が哀れなるものたちというタイトルがとてもしっくり来ました。
訳者さんが、哀れなという訳を多様して下さっているので、心に引っかかる部分は多いと思います。
ぜひ、映画と原作合わせて見てほしいです。多くの時間、この作品に触れられて幸せです。 -
Posted by ブクログ
映画が衝撃的な面白さだったから原作を読んでみた。
ストーリーは概ね映画と変わりないけれど、"実在の人物が昔自費出版した本とその妻のメモを作者がまとめた"という体裁を取っているのが独特。映画には無かった最後の仕掛けによって、原作でも脳がクラクラする経験ができる。
序文や注釈によってフィクションをあたかも実際に起きた事のように思わせる作りなのに、最後にそれがひっくり返される。今までの作者の努力とは真逆の仕掛けのように思えるのだけど、「どっちが真実?」と混乱しているうちに、「どちらかが真実のはず」という思考になっていて、まんまと作者の術中にハマっていることに気付く。
ただ、映画を先に観てしまっていると完全にフィクションとして読んでしまうのがちょっと勿体なかったかな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ奇書だ…!というのが第一印象。
実際の手紙のヴィクトリアが夫をバカ呼ばわりしていたり「こんな物書く時間があれば社会貢献のために働けよ」的なこと言ってたのが残念な気持ちになった。資本主義や家父長制の倫理と似たような考え方に陥ってしまうのが。
事実と違うのに自分がフランケンシュタインの怪物にされてたら腹立つのも分からんではないが。
ヴィクトリアは(1914年には)アーチボルドの回顧録の内容を嘘だとして拒絶したが、1920年の「愛の経済」(の序文と書評)を読むとヴィクトリアが(アーチボルドの書いた)ベラと同一化していったようにも感じる。これの本文も読みたかった。 -
Posted by ブクログ
著者、アラスター・グレイが偶然手に入れた医学博士、ヴィクトリア・マッキャンドルスによる一連の書類をグレイが編集し直したもの、という体で綴られるメタフィクション。
ヴィクトリアの夫、アーチボールド・マッキャンドルスが発行した書籍がベースになっている。
この書籍は完全にアーチボールドの視点で描かれており、件のヴィクトリアは、自殺したうら若き美しい女性ブレシントン夫人の肉体に、彼女が身ごもっていた胎児の脳を移植したいわゆるフランケンシュタイン的に生み出された女性であり、いかにアーチボールドが彼女に惹かれそして人生を共にしたかについて綴られている。
内容は胎児の脳を移植されたヴィクトリアが逃げ出して世界を駆け巡る中で圧倒的な成長を果たしていくという様を、あたかも「アルジャーノンに花束を」のパロディのような感じで綴っているものであり、確かに面白いものではあるが、SFとしては「ふーんなるほど」という感じ。
この小説が面白いのは、ただ単にそれで終わらず、このアーチボールドの書籍に対し、当事者であるヴィクトリアの手記が添えられていること。
この手記はヴィクトリアの視点で綴られており、これを読む中で、どちらの主張が正しいのかがさっぱりわからなくなる。
その答えがどうなるのかは実際に読んでもらって体験して欲しいが、これはなかなか見事に考えさせられる構成となっている。
冗長かなーって思う部分も結構あったけど、500ページ強、ボリュームを感じさせず楽しませてもらった。
いいSFだったと思う。