芳川泰久のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
読み応え十分でした。翻訳者の方の描写力が素晴らしい。引き込まれます。またまた、すごい小説に出逢ってしまった。
ボヴァリー夫人、彼女の名はエンマ。不倫街道まっしぐらに突き進む姿に、恐れおののき、「そのへんで、やめとけば!」と声をかけたくなるも、続きを知りたくなってしまう、悪魔的な面白さにハマります。相手の男性は2人。よくもまあ、人妻に手を出したなという感じ。この男性の描き方も悔しいぐらい上手いのです。
エンマの内面の葛藤を、何も気づかない夫の存在が何とも、もどかしく、一人娘が不憫です。
結婚というものに、同一歩調で歩んでいけない夫婦の末路はいかに.......
結婚、嫁姑の関係、男女の気持 -
-
Posted by ブクログ
ネタバレ『ボヴァリー夫人』
「そろそろやばいかな」とかこの若妻は思いません。
元祖ゴーイングマイウェイな”ボヴァリー夫人”。
若い時の夢見がちな空想って、
いつしか現実と向き合う時間が増えるにつれ
にこやかに送り出せるものだと思うのですが、
(と言うかサヨナラせざるを得ない…?)
この妻、諦めない。
夢想で無双。
ナボコフは『ナボコフの文学講』の中で、
「俗物の中の俗物」みたいな勢いで彼女を評していましたが、今で言うと
スイーツ大好きインスタ映え命の韓流ドラマ大ファン女子って感じでしょうか。
(悪気はないです。例えね例え。)
もうね、ここまで貫かれると賞賛しちゃう。
あっぱれだよあ -
Posted by ブクログ
ネタバレどうしようもない女性の話。真っ当で愛情深い夫を退屈で凡庸だと軽蔑。夫は安定した稼ぎがあるのに、この人でなければ自分はもっと裕福な暮らしができたはず、と自惚れ。そんな女性の話でも一応の格調を保っている。文章の美しさもさることながら、女性の一途さ故に。ただ物語のような恋愛をひたすら求める様は、哀れだけども純粋である。
高評価にしたのは、主に話の筋から。予想はできながらも終結はやはり圧巻である。それと上記にみるような、低俗さと高貴さの絶妙なバランスから。
しかし、男性には不評かもしれないと思う。この女性は完全に恋愛脳で、メンヘラだからだ。 -
-
Posted by ブクログ
でたらめな父親と、気位の高い母親にふりまわされて
シャルル・ボヴァリー氏は自分では何もできない男だった
親の言うまま勉強して医者になり
親の言うまま資産ある中年女を嫁にとった
しかし患者の家で出会った若い娘と恋におち
初めて自らの意思を持ったシャルルは
熱愛のさなか妻が急死する幸運?にも恵まれ、これを成就させるのだった
この第2の妻が、物語の中心人物エンマ・ボヴァリー夫人である
シャルルは自分の意思を達成したことに満足していたが
エンマはすぐに幻滅を味わった
彼女をおそう退屈は、ただの退屈ではない
娘だった時分、小説を読み過ぎた彼女にとってそれは
自尊心を貶め、つまらない女であることを強要す -
Posted by ブクログ
配偶者や恋人以外の男女に心が傾くことを浮気と呼ぶのは実に言い得て妙だ。足が地につかず、まさに気持ちがフワフワと浮き立つ如きその感覚は、恥ずかしながら私自身にも経験がある。以前読んだ桐野夏生著「柔らかな頬」のなかで、不倫相手と密会する主人公が「このまま彼と生きていけるなら子供を捨ててもいい」と考えるのだが、これは誇張でも何でもなく実際そんな風に思えてしまうものなのだ。本書の帯に記された「甘い恋の毒が人妻を狂わせる」のキャッチコピー通り、悦楽と陶酔さらには高揚感をもたらす浮気の作用はもしかすると麻薬に似ているのかもしれない
少女の頃から数多の小説を読み耽り、劇中のヒロインが胸焦がす洒落たロマンス -
Posted by ブクログ
ネタバレ初夜のあとシャルルがむしろ処女だったみたいでエンマはスンとしてたのウケる
「彼女が知らない場所で寝るのはこれで四度目だった。(中略)そして、そのどれもが自分の人生に新たな段階の幕開けをもたらしてきた。場所が違うので、同じことがまたしても起こるかもしれないなどとは思えず、これまで体験してきた部分がなにしろ辛いものだったので、たぶんこれから味わうべきものは、もっとましになるだろう。」
「男の子を持つというこの思いは、これまでできなかったさまざまなことに対するひそかな復讐のようなものだった。少なくとも、男なら自由で、どのような情熱もたどれるし、いかなる国々も駆けめぐることができ、あらゆる障害をくぐり -
Posted by ブクログ
19世紀フランス文学の名作。モームの世界十大小説のひとつ。原文に忠実な訳文を目指したという日本語最新訳。
恋愛小説のような情熱的な恋に憧れていた少女が、うっかり平凡な結婚をしてしまった反動で引き起こしてしまう壮絶な不倫劇。不倫にまつわる情動の燃え上がりや苦悩の激しさをあますことなく描き切り、恋愛と結婚の本質に芸術的な迫力で切り込んでいる。こういうドロドロとした話を目にすると「昼ドラ」という単語が頭に浮かんでしまうが、内容そのものは実際、現代においては目新しいものではないのかもしれない。しかし酸いも甘いも噛み分けたようなフローベールの筆致は並みのエンタメでは味わえない凄まじさがあり、読み継がれ -
-
Posted by ブクログ
吉田健一の『文学人生案内』第一章「文学に現われた男性像」に小説には女性が華やかに、かつ悲惨に焦点を当てられ中心になって描かれているのが多い、男性には光が当てられてない、 という記事にはわたしは目をひらかれる思いだった。
吉田氏はこの本の中で「フローベルの『ボヴァリー夫人』」という章で詳しく、文学論のような感想をも書いていてらっしゃるのだけど、第一章のように副主人公の男性ボヴァリー氏については掘り起こしていない。
ただ、「フローベルは人生など何ものでもなく、充実か虚無かのふたつであると思っている思想のもとに描いた」と結論付けている。
しかし先の「文学に現われた男性像」に吉田氏が触れられてい -
-
Posted by ブクログ
ネタバレ初出の記載なく書き下ろしか
死後の 猫の"我輩"の夢枕に死後の漱石が立ち、『それから』の三千代がどうなっているのかを、"我輩"の思念が映像化することで調べさせると、物語の登場人物たちは、その後もそれぞれの人生を歩んでいた、というお話。
三千代と結婚した代助は失踪し、福島の川で梅花藻の上に身を横たえオフィーリアよろしく水死。天麩羅屋を営んでいた三千代はその後自殺しようとしていた『こころ』の先生(本名佐藤一郎)を助け、代助と呼んで家に置く。
代助の墓を建てようと二人が雑司ヶ谷の墓地へ行くと、一郎の墓が建てられ、先生を慕っていた学生(本名佐藤二郎!)