菊池良生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ学者が日本語で書いた文章は形式張っていたり賢く見せたいだったりで読みにくいことがあるが、本書は読みやすい文章でスラスラ読めた。
著者の専門は中世から近世のようで、古代や現代の情報は薄い印象(というより中世〜近世がかなり厚い)。
私は「傭兵と言えば三十年戦争」と思っていたのでその様子が詳しく記述され、そして思っていた以上に酷い有様で書いてあったので満足している。
同時期に読んでいるフォン=クラウゼヴィッツの『戦争論』が軍人の立場から書かれたものなら、本書は戦争経験も徴兵経験も無い純粋な学者の側面から書かれたもので、その対比は面白かった。
特に、クラウゼヴィッツが著書のところどころで絶賛しているフリードリッヒ大王を、したたかで冷酷(サイコパス的にも読める)な人物として書いているのは面白い。
「傭兵=食い詰めの厄介者」のイメージだったが、イメージよりももっと酷く、平時には即座に野盗化するので定期的に戦争をしたり、十字軍で外へ吐き出したりしているのも歴史の裏側を見ているようで、新たな知見となった。第4回の十字軍全体が盗賊化したのを不思議に思っていたが納得である。
非常にあっさりとしたあとがき(;平易な文章と合わせても自分を飾るためではなく、読者を考えて本書を執筆したのだろうなと思わせる、彼の講義を聴いてみたかったと思うような内容だった)で、傭兵についての資料の少なさや日本語翻訳がなされていない物が多いこともわかった。
これは傭兵が一般的では無くなったが故に研究対象として遠い存在となってしまったためなのか、倫理観に許されない行為のオンパレードだから研究の対象に適さないのか。どっちなのだろうか。 -
Posted by ブクログ
現在のドイツやイタリア、更にフランスやスペインも少し入るような欧州の“中世”、日本史で言えば平安時代の半ばに相当するような10世紀の様子を背景に、合戦や謀略や政治的駆け引き、近親者間での愛憎や争い迄と、実に色々と在る群像のドラマが展開するような物語であった。壮大な大河ドラマが展開するという内容で非常に面白かった。
オットー1世(912‐973)が本書で語られる物語の主人公に据えられている。「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」という概念はカール大帝(742?‐814)が創ったとされる。そのカール大帝が開いた帝位の伝統が途切れ、約40年ぶりにオットー1世は「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となった。そして後に<神聖ローマ帝国>と号することになる“帝国”を拓いたとされる。(同時代の、また御本人の認識としては「カール大帝の後継」であって、<神聖ローマ帝国>と号する存在が確立するのはもっと後、13世紀頃のようだ。)
本書はこのオットー1世の事績と時代を語る内容だ。そして御本人や同時代人が然程意識していなかったにせよ、現在の“ドイツ”という概念、そういうように呼ばれる版図の礎を築いた側面も在る。故に本書の題名に「ドイツ誕生」と在るのだ。
カール大帝が築いたフランク王国は、当時の「財産」としての領土や王権に関する理解、加えて相続の慣行により「分国」になって行った。大雑把に、現在のフランス辺りの西フランク王国、ローマ以北のイタリア辺りの中フランク王国、ドイツ辺りの東フランク王国に別れた。そして各王国内に色々と事情が在った。各王国は有力な大公の公国の連合体のような様相も呈した。
オットー1世はこれらの中、東フランク王国の王家の出である。父の代迄に東フランク王国は集権的な体制の礎を築き、「分国」になって行くような相続方式を改め、オットー1世が東フランク王国の王位を単独で引き継ぐというような体制を造った。そういう条件下、オットー1世は大公の公国の連合体のような様相を、「王に一定の権利を認められた伯爵が集まる封建制度の王国」という様相に替えて行き、更に当時の学識者で、文書作成等に通じた聖職者を行政官、官吏とするような体制を築いて行った。そういう動きの他方、異母兄、弟、息子と近親者が反乱の旗頭になるというような事態が繰り返し発生する。加えて、子女が次々に夭逝するという不運も相次いでいた。
それでも、オットー1世は東フランク王国で強力な権勢を有する体制を築いて君臨し、ハンガリーやスラブ系の諸族との争いでも優位に立つようになり、西フランク王国にも影響を行使するようになり、イベリア半島のイスラム勢力やビザンツ帝国との外交等も展開して行く。加えてイタリアに関しても、長きに亘っての争いを制し、やがて「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となって行くのだ。
オットー1世が軍勢を率いてイタリア方面に何度も押し出した経過の中、「“民衆語”とやらを話す連中が…」とイタリアの人達が彼らを他称した訳だが、それが「ドイツ」という概念の起こりと見受けられるらしい。「ドイツ」という語の基礎となるのは「民衆の」という表現であるという。そういう意味で、オットー1世は「ドイツ」という概念を産み出すような動きを起こしたと言い得る訳だ。
オットー1世の時代の後、ドイツの有力な王が「ローマ教皇による戴冠で即位する“皇帝”」となることが繰り返された。そしてイタリアに遠征するというようなことが重ねられた。他方、遠征に従軍するドイツ各地の伯爵達の伯爵領での権益が従軍の見返りに強化されて行く。こうしてドイツ語圏の色々な様子が何世紀にも亘って作り上げられることになる。その「起こり」はオットー1世の時代と言い得る。そういう意味でもオットー1世は「ドイツ誕生」の鍵となっているのかもしれない。
個人的には、嘗て自在に列車に乗降可能な“レイルパス”を手に欧州諸国の各地を巡った中で、ドイツを東西南北に様々に動き回った思い出が在る。そういう時期に通り過ぎた記憶が在る地名が沢山出て来るのが本書だ。当然、オットー1世の時代に鉄道は通っていないが、本書に在る地名で思い出して、「東へ進んだ…南へ進んだ…そして北側…」と位置関係を思い出していた。現在に迄、その地名が伝わる辺りや、地域間を結ぶ街道のようなモノや街の様子も想像し悪いような時代に、愛憎、謀略、野心に溢れる人達が展開したドラマを思い浮かべながら、少し引き込まれながら本書を愉しんだ。
高校2年の時に履修した世界史で、「オットー1世」という名は在ったような気もする。が、本書のような「凄いドラマ」の主人公とは思わなかった。自身が高校生だった頃の世界史は、何となく「極々大雑把な経過」と「極めて知名度が高い用語」とに終始する感じだった。そういう意味で、もう少し「人々のドラマ」というのか、判り易い形で「産業や文化活動の変遷」というような事柄が入り込む余地が大きい気がした日本史がより面白いと思い、高校2年の時の2科目と違って1科目を択ぶことになった高校3年の時は、日本史を択んで履修した。序でながら、大学受験の選択科目も日本史にしたのだった。ということで、本書のような本に時々出くわし、世界史を復習または「改めて学ぶ」というようなことをして何年も過ごしている気がする。
こうした「世界史関係の話題」というのも、時には凄く興味深いモノだ。 -
Posted by ブクログ
主にオットー1世に関して伝記的に記述しており、オットー1世のローマ帝国=一つのヨーロッパを志向する国際意識が逆に「ドイツ」という国家意識を醸成することとなった、その過程を書いています。
歴史的事実を淡々と書き連ねていくというより、著者による推測や余談が合間に挟むことで、人を選ぶとは思うが、私は飽きることなく読み進めることができました。
著者が繰り返し述べているように、同名の人物が多数出てくるので、読み始めの時はわけがわからなくなるのではと思ったものの、こうした余談やユーモア溢れる人物描写によって人物を具体的に想像することができ、読み終わる頃には何となく漠然とした人物相関図が頭の中に出来上がり、とても助かりました。
印象に残った内容は次の通り。
・公爵、伯爵、辺境伯などの違い
・日本の戦国時代のような東フランク内戦
・ベレンガーリオ2世のしぶとさ
・巡回王権
・オットーの国際意識が国家意識を醸成させたという逆説
・やたら行われる摘眼刑
大変面白い本でした。
中世ヨーロッパ史を全然知らなくても楽しめる一冊です。 -
購入済み
複雑なことをわかりやすく
この著者の書いた「30年戦争」を読んで感銘を受けたので、通史としてのこちらの本も読んでみた。ヨーロッパ市の中でも特に複雑でわかりにくい神聖ローマ帝国史を、省略せずにわかりやすく書いてある期待通りの良書である。ヨーロッパ諸国は千数百年間に渡ってこのように複雑で混乱した戦争と外交を繰り広げてきた。極東の島国でのほほんと暮らしてきた日本とは、外交や戦争において基礎が全く違うと思わざるをえない。
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Posted by ブクログ
ハプスブルク家が皇帝位を世襲してからはハプスブルク家に関する書籍はたくさんあるので良いですが王朝・諸侯入り乱れる神聖ローマ帝国史をテンポよく解説しているのでとても面白く読めました。個人的にはドイツ史(?)=神聖ローマ帝国は統一感もないし血統も複雑なので今まで避けてきた感がありますが良い本に出会えました。カノッサの屈辱のハインリヒ4世やフリードリヒ1世バルバロッサは一人の皇帝としては知っていましたが歴史の流れとして知ることができたのは大きいです。何度も読みたくなる本です。ただこのシリーズはよく買ってましたが表紙がシンプルになっちゃったのですね。内容は同じでしょうけど。
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Posted by ブクログ
西洋史で避けては通れない、というか避けたら西洋史ではないと言えるほどの存在感をしめしているハプスブルグ家。地方領主でしかなかった一族が、神聖ローマ帝国皇帝になり、ヨーロッパに君臨してゆく歴史を、令和の現在に読みやすくわかりやすく解きほぐした漫画。
「だんドーン」と同じような解きほぐし方で、わかりやすく楽しい。地味にカバー下表紙の家系図がいいです。漫画の登場人物表一覧にも使えるので親切。
最近読んだ中では「狼の口」や「ロージナ年代記」と共通する出来事があって、独りよがりにほくそ笑んでいたりします。この出来事知ってるぞ、という自分の脳内で横のつながりができるのは嬉しい。
カバー裏表紙のおまけコラム。X世についてで、マクシミリアンはどの称号でも1世というのが、1巻ラストと共鳴してカッコいいぞ、と唸らされます。単純かな。
まあ、あの歴代君主の野望が結実した瞬間と、その執念の果実を受け継いだマクシミリアン。彼がどの称号でも1世というのが、ハプスブルクの栄光の始まりを示しているようでカッコいいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「なんてわかりにくい・・」というのが中盤以降の本書の感想である。
ただし、わかりにくいのは本書の文章が問題なのではなく、神聖ローマ帝国の歴史自体が問題なのである。
本書の文章は軽妙で、読みやすくわかりやすい。本書『あとがき』でも担当者に感謝を述べているが、随所に挟まれる家系図や地図、巻末の年表も理解を補完する良い手助けになっている。
この著者の作品を読むのは本書が2つ目だが、以前読んだものと変わらぬノリで中世から近世にかけてのドイツ・オーストリア史を気持ちよく知ることができるので他の作品も「読みたいリスト」に加えたくらいだ。
しかし、その著者をもってしても神聖ローマ帝国の歴史はつかみにくい。
近世までの国家は、王朝の交代はあっても交代した王朝を軸として見ていけばその国の有様が把握できるのだが、神聖ローマ帝国はその主体が見えない。王朝はあっても、そこへローマカトリック教会による世俗権力への欲望やドイツ国内での領主間の勢力争い、隣国フランスや北部イタリア諸都市の都合といった様々な勢力の思惑が絡まり合い、建国の早い時期ですら国家の主体がどこにあるのかが分からない。これがわかりにくさの要因なのだろうと思う。
また、国として統一されないまま千年近くを経たこともわかりにくさを助長していると感じた。聖俗の権力争いだけを見てもローマ教会の世俗での権勢欲から始まり、教皇権の伸張と衰退、宗教改革、それを利用した教会領への諸侯の介入というように時代により状況が大きく変化していく。聖俗の関係は、教会組織を利用した王権の直轄支配のもくろみとドイツ地域独特の教会のありようという別の視点でも複雑に絡んでいる問題でもある。選帝侯を含むドイツ諸侯は自領や支配権の拡充だけをもくろみ、皇帝の任命により数が増減しパワーバランスも変化するし、隣国フランスは中央集権化を推し進めて強力になり、北部イタリアでも都市国家の連合から有力都市を中心とした国家へと発展していく。時代が進んでいけばヨーロッパ全体での足の引っ張り合いもあり、近世が近づくほど外部勢力の影響も増えて混迷を深めていく。
神聖ローマ帝国という国は、思っていたよりももっと複雑で、その複雑さには歴史の積み重ね、変化していく複数の勢力の思惑が絡まってできていた、ということはわかった。
貨幣の鋳造権や収税権も手放しているので、本書のなかでも度々問われる『神聖ローマ帝国は国家と言えるのか』という悩みが付きまとい、本書よりもっと細かいくくり(;選帝侯や有力諸侯、包括するいくつもの国)の個々の歴史を知らなければ「全体像を掴みきれない」という感覚は晴れないのではないかと思った。
もうひとつ、本書の影のテーマとして一貫していたのは「ローマ帝国の影」なのだと思う。
本書を読む前はローマ帝国というものの影響がこれほど深いものだとは思いもしなかった。「皇帝」という言葉も一般名詞ではなく、長い間「ローマ”皇帝”」という意味合い、固有名詞だったとは想像もしないことで驚いた。
ビザンツ帝国が滅ぶ15世紀頃には西ヨーロッパ諸国は文化・技術的にもビザンツ帝国に追いついた形になり、ローマ帝国への憧れから解き放たれたと思っていたが、本書を読めばその後も形骸化した東西ローマの皇帝を大事にしていることがわかる。本当の開放はナポレオンの登場する近世まで待たねばならないとは意外だった。
このローマ皇帝への気負いやコンプレックス(= 呪縛?)が神聖ローマ帝国の対外政策や周辺諸国の思惑をねじ曲げて不可解とも思える国外 へ/から の干渉へとつながっており、思惑の絡み合いをややこしくしている。
以下、本書を読んで所々で感じたことの覚え書き。
本書の冒頭は神聖ローマ帝国の最晩年から滅亡(解散)後の様子から始まるが、まずその部分で驚いた。第二帝国も連邦国家! ヴィルヘルム1世とビスマルクの中央集権国家だと思っていたにでびっくり。「これでは神聖ローマ帝国の焼き直しではないか」という思いを抱いてしまった。
本書でときに引用される『ドイツ史はそもそも存在するのか?』という問いに、この序章から本書を読み終わるまで一貫して共感を抱くことになった。
第1章は西ローマ帝国の滅亡からカール大帝の戴冠までの略史。短いがわかりやすく、ローマ教皇庁やフランク王国の思惑もわかりやすく、後の叙任権闘争へと発展していく根本や西欧諸国のローマ帝国への憧れがよくわかる。カール大帝の名前が複数言語で存在する理由もわかった。
支配権は中央集権化していくことが普通だと思っていたが、諸侯による選挙態勢もそれほど異常ではないことがわかった。この有力者による選挙という体制は、神話によらず支配者の箔を付けるという意味でも、劣悪な支配者を廃するという意味でも有効であろうと思われた。中央集権が進めば漢の霍光の事跡が後の世に語り継がれるように、皇帝や王を廃することがとても珍しく、困難なものになるという弊害もあることに思い至った。
簡単な家系図が王朝ごとに載っているのが良い。多数の同じ名前が出てくるので、漫然と読んでいると文章だけでは混乱するが、この家系図がある事で一目で整理することができる。
男系が絶えることで王朝は交代するが血統は続いていることもよくわかる。
選帝侯に司教が何人も入っていることが不思議だったが、これも一言で単純に説明できることでは無い歴史の積み重ね、思惑の絡み合いの結果であることがわかった。
ドイツ地域独特の教会のあり方と、世襲を排しようと教会組織を頼った皇帝の思惑、諸侯の削減にローマ教皇の思惑も作用している。そもそも選帝侯は最初から存在していた制度ではなく、国をまとめるゴタゴタのなかで収斂してきたものでもある。神聖ローマ帝国が一枚岩ではないことや時代と共に制度が大きく変化しわかりにくいことがこの一事からも感じられる。
第9章の三十年戦争やウエストファリア条約以降の内容は短い文章ではよく分からないという印象だった。
これは帝国がすでに体をなしていないためであろうが、ここだけで一冊本を書けるぐらいの内容なので、著者の『戦うハプスブルク家』を読んでみようと思い、地図とにらめっこすることなくぼんやりとした理解で読み進めた。