佐藤高子のレビュー一覧
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最初はなかなか慣れず、アナレスとウラスのセクションの時間軸が今ひとつわからなかった。最後まで到達してようやく理解でき、読み終わった直後にもう一度読み直した。
『闇の左手』にも記載したが、そもそもル=グィンのハイニッシュシリーズはSFというジャンルなのだろうか。
確かに異星の物語で近未来という意味ではSFだが、文化や人に焦点が当てられていることを考えると、異星というのはただの舞台に過ぎないように感じる。
ル・グィンの素晴らしい点は、やはりその精密な世界構築だ。描く世界の文化や気質、時には歴史など、説得力のある世界を描く。今回は一般に資本主義の象徴のように語られるウラスと、共産主義のアナレスという2つの世界だ。
もちろんフィクションなので、これら2つの世界はある意味極端で、それをもとに現実の世界を語ることはできない。思考実験的な要素もあるのかな、と思う。
ただ、どちらの世界にも理想と現実があり完全ではない描写は、物事を二元論で語りがちな私達には少し立ち止まって考えさせるきっかけになるのではないだろうか。
描かれるアナレスとウラスは、ハイニッシュ・ユニバースの中では比較的文化的発展途上にあるようだ。作中にはおそらく地球であるテラという星が登場するが、テラは若干発展しているようで(西暦2300年らしいが、地球人はあと300年でここまで成熟できるだろうか?)、むしろアナレスとウラスに現在の地球の世界を投影してしまう。ナショナリズム的思想が強くなっている現在はなおさらだ。
さて、主人公シェヴェックはアナレスとウラスの両世界を知ることによって、本当の、そしてこの世界で唯一のアナーキストになったわけだが、彼はこれからどう世界に影響を及ぼすのだろうか。
改めて作品だが、異なる時間軸の2つの世界を交互に描くという手法は、もしかしたら読者に混乱をもたらすかもしれない(少なくとも私は混乱した)が、最後にここに到達するのか、という種明かし的効果があり、クライマックスを盛り上げる方法としては素晴らしいと思う。なるほど、と頷くラストだ。
主人公は、私には少々偏屈な人物に思え感情移入は難しいが、ウラスに向かう、あるいはウラスで貧困層を探しに出かけるためには必要なキャラクターだったのだろう。
とても素晴らしい作品だとは思うが、若干私には難しく心を動かすまでには至らなかったので、私的には★4。
私にもう少し賢さがあれば★5だったかも。 -
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人間にとっての理想郷はどこにあるのか? この小説の主人公であるシュヴェックとともに、読者である自分もそんなことを考えていました。
経済の繁栄した自由主義・資本主義的な惑星のウラス、自由や平等をモットーに荒廃した惑星を切り開いてきた、共産主義的な惑星のアナレス。
歴史、政治、文化、言語……、回想と現在を行ったり来たりし、二つの惑星の違いを丹念に浮かび上がらせていく、その詳細さは、本当に二つの世界があるように思わされます。
シュヴェックは共産主義的な惑星のアナレス出身。そんな彼は、経済や文明が繁栄しているウラスの光、そして闇も先入観なく見つめます。時間や仕事に囚われ、芸術にすら価値をつけ、自由なはずなのに資本を所有し、拡大させることを生まれながら義務づけられたウラスの人々。
シュヴェックのウラスの人々に感じる疑問は、そのまま今の世界を生きる自分たちの矛盾点をついてきます。
しかし平等や共有を謳い「所有せざる」ことを美徳としてきたウラスも、その理想通りにいかない現実があることが、シュヴェックの回想から徐々に浮かび上がってきます。それは気高い理想を持ちながらも、保身や欲から逃れられない人間の限界を示しているように思います。
では結局、理想郷は無理なのか。僕個人的には悲観的なのですが、でも物語の結末を見ていると、こういう人たちが一人でも多く増えれば夢ではない。そんな風に希望のボールを読者に委ねる、そんなラストだったように思います。 -
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アナレス:荒れ果てた惑星、原始的な共産主義。
ウラス:豊かな惑星、資本主義。
単純な物質だけでなく、人間関係の「所有」も排した共産主義の惑星、アナレス。そこの天才物理学者、シェベックが主人公。
あからさまな権力機構がなくとも、慣習に縛られ、息苦しくなった彼は、自らの研究成果をより必要としているであろうウラスに亡命するが、そこで彼はゼイタクを満喫する研究者やハイソサイエティに接する。しかし、そこでも彼はやはり孤独なのであった。
「共産主義」を題材にした小説というと、「1984」や「われら」のような冷徹な独裁者が君臨するディストピアものしかなかったので、今回の「飢饉や、戦争はあるがそこそこ成功した共産主義」の描かれ方が斬新であった。
たとえ、システム的に「所有」を廃棄したとしても、他者の足を引っ張ったり、成果を横取りしたりそういうものは消えず、厳然として壁として立ちはだかるという逆説的な描き方なのかもしれない。
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オズの魔法使いのボームによる連作ファンタジー。ボーム自身の記念すべき処女作でもあります。
舞台となるモーの国は太陽は沈まずお菓子でできており、そこに住む人々は年も取らなければ死にもしない。必要なものはなんでも木に生っている。そんな夢の世界のような理想郷なのですが、そこではアレコレと騒動も起こるのです。
王様の首がムラサキドラゴンに飲み込まれたり、モーの国に鋳鉄の大男が攻めてきたり、癇癪持ちの姫の癇癪を治すために魔女の元に旅立つ若者がいれば、足の親指を盗まれた姫は取り返そうとする。アベコベの国や巨人の国サル人間の国に迷い込んでの騒動などなど。
でもどんな騒動に巻き込まれても、大変な目に遭っても、基本的にみんな幸せに楽しく過ごしているのです。なので読み終えた時のこちらの気持ちも楽しく幸せになっているのです。 -
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40年近く前に描かれたユートピア。SF界の女王、ル・グィンの古びない傑作。
物語は、主人公シェヴェックが自らの画期的な物理理論を発展、完成させるために、故郷の星アナレスを離れ、惑星ウラスに向かうところから始まる。
物語の舞台は、アナレスとウラスという二重惑星。アナレスは、乾燥し、あまり人が住むには適さない環境の星。ウラスは緑と水が豊富な地球に似た星。
荒涼としたアナレスには、元々は人が住んでいなかった。アナレスに住む人々は、オドー主義者と呼ばれる政治的亡命者、革命主義者たちの子孫だ。
およそ2世紀前。ウラスの資本主義、自由主義経済国ア=イオから、オドー主義者たちが、自らが理想とする共産主義的社会を実現とするべく、新天地アナレスへと移住した。アナレスには権力機構が(少なくとも形式的には)存在せず、所有することが否定されており、貨幣も存在しない。人々は自由意思に基づく協力と分かち合いにより社会を営んでおり、貧しくはあるが、一見ユートピア的な社会が実現しているかのように見える。
ではなぜ、シェヴェックは故郷アナレスを離れ、ウラスに向かう事となったのか。アナレスとウラスの間には、物資の交換を除いて、基本的にはほぼ交流が無かった。シェヴェックは、半ば叛逆者としてアナレスを去り、ウラスでは、月からの最初の訪問者として、丁重にもてなされることとなる。豊かなウラスでの新たな生活と、アナレスにおける過去の生活と、場面を行き来し、対比させつつ、物語は進んでいき、次第に両社会の問題点が描き出されていく。
この小説は1974年に書かれたものであるが、古い小説という印象はしなかった。共産主義的なユートピア世界という舞台装置に少々埃臭さを感じないでもないが、全体的な作品の魅力をあせさせるほどではない。
ユートピアには、一歩間違えると、いや、間違えなくとも見方を変えると、ディストピアとなる可能性が常に付きまとう。極端なディストピアものとは違い、本小説で描かれる世界は、そのあたりの塩梅がとてもリアルだ。人々の自由な選択から始まったものが、いつしか、システムとして独り歩きを始め、人々を縛り、逸脱に対して不寛容になっていく。手段が目的化していき、組織が硬直化していくことは、私たちが普段よく目にする光景だ。
資本主義、自由主義経済社会について懐疑的な見方もある昨今。世間では新しい「所有せざる」暮らしに注目する人々が増えつつあるように感じる。脱市場経済、脱貨幣経済という考え方は、アイデアとしては面白く、比較的小さな試みではうまくいっていることもあるようだ。しかし、その世界が広がり、成熟したに何が起こるのか。まだまだ見えていない問題点があるように思う。
そんなことを考えるヒントに、今、改めて読んでみても良い作品ではないだろうか。 -
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オズの魔法使いシリーズ2作目。子供に読み聞かせをしながら私としては実は終盤まで内心でだいぶ不満があったのですが、終盤の展開に見事にやられたので、続けて第3作も今注文したところです。
訳者が違うということも理由のひとつではあるのでしょうが、物語の出だしからこれは前作とは違う作者が書いているのではないかと疑ったぐらい、なにかが違うと感じました。前作はどこか抽象的で各キャラクターも設定も何かのシンボルのような印象があったのに対して、私が本作の出だしで主人公の少年に感じたのはもっと生き生きした具体性でした。それでこれは筆者の話術に磨きがかかったということかもしれないと期待したのですが、中盤にさしかかるにつれて逆に不満を感じていくことになりました。映画でも小説でもしばしばあることですが2作目で単純化され冒険物語の側面が強くなり、1作目がそのシンボル的な物語によって伝えていた哲学的・教訓的なメッセージがなくなっているからです。1作目ではそれぞれ自分の欠点を回復することを切に願い、お互いを補い合っていた仲間たちは、今作では最初から自分に満足していて若干鼻につくほどその自慢を振りかざしており、その一方で仲間にはときに不満を持ち口論めいたこともしばしば起こります。しかし、考えてみればそれも筆者の洞察力が上がり、登場人物が一層私たち人間らしくなったということなのかもしれません。前作からドロシーの仲間たちは奇妙でしたが、本作ではますます奇妙さに磨がかかり、敵が女の子だけの軍隊ということもあって、ともするとなんだかかなり倒錯的な物語なのではないかという気がしてきてしまいます。それぞれの登場人物により著者が何を主張したいのかはわかるようなわからないような、です。そんなような不満は感じたのですが、本書にはそれを補う冒険があります。この本を読んで楽しかったなあと思わせる結末がありました。というわけで、(全14作まではいかないにせよ)ドロシーとオズマ姫にもう一度会うために3作目を読んでみたいと思いました。 -
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惑星ウラスの空に浮かぶ大きな月・アナレス。それはウラスよりは小さく貧しいけれど、大気をもったひとつの惑星。
かつてウラスでは、オドーというひとりの人物が提唱した主義にしたがい、やがてオドー主義者たちがあつまり、革命を起こした。ものを所有することをやめ、権力というものを廃し、貨幣による経済を捨てて、すべてのものを分け合う、完全なる共産主義の理想郷。彼らを危険視した当時の政府は、彼らに新たな大地――空に浮かぶ月・アナレスを与え、彼らをそこに隔離することで、ウラスの平和を保とうとした。
以来、交易船に載せられた積荷と、わずかばかりの乗員が、宙港同士を行き来する以外、完全にアナレスは閉ざされてきた。貧しいけれど、安定した社会。アナレスに住む人々は、ウラスに暮らす人たちを所有主義者と呼んで、欲得と戦争の入り混じるその世界を蔑視している。
それでも当然ながら、アナレスには独自の問題もあり、年月がたつにつれて、彼らの中にも自身の所属する社会にうまく適応しきれないものもいれば、自身を批判する目も出てくる。
そうした中、一人の物理学者が自分の研究を完成させるために、アナレスを出てウラスを訪れる、アナレス史上初めての人間になろうとしていた――
『ゲド戦記』『闇の左手』と読んで、ル・グウィン三冊目です。(ゲド戦記は6冊あるけど)
面白かった! やっぱりこの人、ファンタジーよりもSFのほうが、私にはツボに入ってきます。
異なる二つの社会の歴史と抱える問題。権力を放棄したはずの社会の中で、表向きには見えない場所に隠れるひそかな権力の構図。そしてそこに生きる人々の切実な姿。ただ科学的好奇心を満たそうとすることが困難な環境におかれた主人公が、ひたすらに目指した自由に研究ができる環境と、いざそこにたどりついたときに彼をとりまいている、目に見えない陰謀の数々。
大筋をいえば、閉鎖されて停滞しつつあるアナレスに、一種の新しい価値観を持ち込もうという試みの物語。でも、ストーリーそのものがどうこうというよりも、アナレスに住む彼ら所有せざる人々の親子関係、婚姻、社会制度、文化、そうしたものが丁寧に描き出されていて、読み応えばつぐんの一冊です。
『闇の左手』もそうですが、このシリーズと世界観を共有する作品群が何作も出版されているので、そちらも追々入手しようと思います。 -
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『オズの魔法使い』の続編、オズ・シリーズの第6作目。
(早川書房ではシリーズ第4弾として出版されています)
オズマ姫の計らいで、カンザスに住んでいたドロシー一家はオズの国へと移住することに。のんびり家族で観光を楽しんでいた一方、ノーム王は魔法のベルトを取られた復讐に、オズの国を征服する計画を企てていた。地下にトンネルを掘り、オズの住人に気付かれる事なくエメラルドの都へ攻め込もうというのだ。
オズマ姫はノーム王の恐ろしい計画に気付いたものの、良い案が浮かばない。一体どうやってオズを守るのか…?
元々作者のボームは、この巻でオズ・シリーズをお終いにするつもりだったので、シリーズ最後に相応しい内容だったと思います。ドロシーがオズマ姫の要望でオズの王女となって永住したり、最後にオズの国をああしてしまったり…。
しかし子供達の要望が高かったため、その後もボームのオズ・シリーズは14作目まで続いていきました。