加来耕三のレビュー一覧
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ネタバレ幼いころ病気にかかり右目を失明。
それからというもの、母親の愛情は、
もっぱら弟の小次郎に注がれ、
幼少年期の政宗を大いに苦しめます。
徳川幕府の時代になっても“天下”を狙いつづけ、
江戸の民から“伊達者”と呼ばれた政宗。
政宗は家族のうち、父親と弟を殺さねばならず苦渋の決断であった。残る母親とは不仲で、小田原に参陣して秀吉に臣従しようとする直前には毒殺され掛かる。
その際に、家中の不安を取り除くために弟の小次郎を誅殺せなばならなかったそうだ(但し、生存説もある)。
秀吉に臣従しても裏で一揆を扇動したりして、隙あれば秀吉の天下を覆そうとする政宗。当然に秀吉から詰問を受けるが・・・その度 -
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ネタバレ父・光秀の謀反により幸せな日々が一変!
夫を信じ、己を貫いた戦国女性の運命とは?
織田信長の重臣・明智光秀の娘に生まれ、
織田家臣団の若きエリート、細川忠興の妻となったガラシャは、
まさに幸福の絶頂にあった。
ところが、光秀の起こした“本能寺の変”によって、
彼女の人生は一変、奈落の底に突き落とされてしまう。
裏切り者の一族と後ろ指をさされつつも、
夫・忠興の理解とキリスト教への信仰を支えに、
強く人間らしい生き方をえらんだガラシャ。
時代の波に翻弄されながらも、
戦国乱世をたくましく生きぬいた、
一女性の波瀾の生涯をえがく。
戦国時代の女性は名前も判らないという人が多く、その中に -
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ネタバレ戦場で“槍の又左”の異名で恐れられ、前田家を加賀百万石に育てた猛将!!
若い頃の利家は「傾奇者」と呼ばれる派手な出立を好む戦国の不良少年だった。
それも四男で前田家の家督を相続できるわけでもない中途半端な立場が影響したと思われる。
が、主君である織田信長も傾奇者的なところがあり、何だかんだで気に入られて仕えることになる。
戦場で初陣を飾り利家の人生は順風かと思われたが、信長のお気に入りの小姓を勝手に無礼打ちして信長の勘気に触れ浪人となった。
浪人中の利家を気にしてくれたのが、柴田勝家と木下藤吉郎秀吉の二人。
勝家は大先輩。そして秀吉は同僚で住んでいた家も近所。また、利家の正室のまつと秀吉 -
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ネタバレ赤穂藩浅野家の家老。
忠臣蔵の主役として、指導者の理想像に。
名は良雄、内蔵助は通称。
山鹿素行に軍学を学んだと言われる。
1701年藩主浅野長矩が切腹、領地没収となると、家中を統率して浅野家再興を図る。
その望みが絶たれた翌年、赤穂義士の首領として、主君浅野長矩の敵・吉良義央を討った。
自身は、幕法違反として肥後藩預けとなり、切腹したが、浅野長矩の弟大学が五百石の旗本になっており、浅野家再興は別の形で実現した。
■忠臣蔵 あらすじ
元禄時代「浅野匠守」という赤穂藩の殿様が、「吉良上野介」にいじめられ、
逆上し、江戸城内の廊下で刃を抜き、浅野匠守は切腹となる。
それに憤りを感じた赤穂浪 -
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ネタバレ伝説の「関ヶ原の戦いでの敵中突破による退却」で知られる島津義弘の伝記漫画。
島津家の歴史は古く、源頼朝によって九州最南端の島津荘の地頭となって以来、鹿児島の地に根付いてきた。
戦国時代になって九州でも群雄割拠の様を呈し、島津家は他の国人に占拠されている
・薩摩国
・日向国
・大隅国
の3ヶ国を奪還すべく戦いを続けていく。
義弘は島津貴久の次男であり、兄は義久、弟に歳久と家久がおり、この四人は「島津四兄弟」として強固な絆に結ばれていた。
島津家の戦法は釣り野伏せと称される「伏兵戦法」であり、少数で大軍を引き付けてわざと敗走して、追ってくる敵を伏兵で取り囲んで殲滅するというものであった。
やが -
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ネタバレ幕末に日本史上最強の「剣客集団」として志士たちを震え上がらせた新撰組副長の土方歳三の伝記漫画。
明治を迎えて天寿を全うできなかった隊士の中で、土方は最後の最後まで戦い続けた点で、幹部の中でも特別ドラマ性の高い生涯であった。
近藤も土方も沖田も元々は武州・多摩の農民の出自である。
剣術が得意であったが、江戸幕府の身分制度の敷居は高く、武士には裏口を使ってもなかなかなれない。
本来ならば不満を抱えたまま一生を為す術なく終えるはずの身であった。
けれど黒船来航に始まる幕末の動乱が土方を歴史の表舞台へと登場させるに至る。
志士たちの暗躍する京都の治安を守るための浪士隊が結成され、近藤が隊長、土方 -
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ネタバレ幕末の英雄の一人、長州の「吉田松陰」と「高杉晋作」の師弟関係を描いた伝記漫画。
前半は「吉田松陰」を中心に描いていき、長州藩の置かれた状況。
当時の外国船が頻繁に来航する中で、危機意識が高まる世相を描いていき、
その中にあって全国各地を飛び回り国を守るためにどうすればいいのかを探し回る松蔭を語る。
外国を倒すにはまず外国を知らねばならないと考えて
「ペリー艦隊に密航して、米国へ渡航しようとする」ほど直情的な松蔭は幕府から危険思想扱いされて投獄される。
自分の行動に何ら罪の意識を持っていない松蔭は、お調べの段階で老中暗殺を企んでいたことをベラベラと自ら話してしまい、処刑された。
跡を継ぐ形 -
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ネタバレ聖徳太子の死後の話です。
聖徳太子生存中から権力を振るっていた蘇我氏の横暴は酷く、
聖徳太子の息子の山背大兄王も帝位に就けないまま、
蘇我入鹿に攻められ自刃した。
蘇我蝦夷・入鹿親子の横暴を苦々しく思っていたのが
舒明天皇と皇極天皇の息子・中大兄皇子。
秀才と名高い中臣鎌足と共に蘇我氏打倒の策略を練る。
見事、蘇我入鹿を天皇の御前で打ち倒すことができた。
だが、
皇極天皇に代わって即位した孝徳天皇は軽んじられ、
周囲も中大兄皇子を天皇扱い。
孝謙天皇は失意のうちに病没する。
そして孝謙天皇の息子の有間皇子も謀反の疑いを掛けられて処刑された。
中大兄皇子はまるで蘇我入鹿のようになってしまう -
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ネタバレ色白でひよわなために「姫若子」とよばれた不遇な少年時代。
その姫若子が、初陣で手柄をあげるや、土佐を平定し、さらには四国を統一する!
しかし秀吉がよこした、四国攻めの圧倒的な大軍にはなすすべもなく、
結局、その軍門にくだることになる――。
自由奔放かつ破竹の勢いで動乱の世を疾走した四国の雄、長宗我部元親。
夢半ばに終わった、その波乱の人生を描く。
戦国時代、全国的な騒乱は四国にも当然に及んでおり、土佐の国でも八家が入り乱れる群雄割拠の状態。
長宗我部氏はそのうちの一家でしたが、勢力としては最弱。
それを一躍躍進させたのが、元親の父・長宗我部国親になります。
元親はその国親の嫡子として生 -
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ネタバレ鎖国体制が揺らぎ始めた幕末。外国の脅威から日本の未来を守るため、新たな時代を切り開いた勝海舟の生涯をまんがで徹底紹介!!
江戸幕府の幕引き役を務めた勝安房守の生涯を描いた漫画。
海舟が幕府の貧乏御家人の長男として生を受けたのは11代将軍・徳川家斉の御世。
子供が50人を超えたという家斉の世は8代将軍・吉宗の時代の質素倹約・引き締め政策も薄れ、華美華奢な風情が勢いを取り戻していた。
なので幕府の権威も徐々に失墜しており、また海外から盛んに異国の船が日本に通商を求めて来航していたときだった。
海舟は剣術も免許皆伝、勉学も向上心が並ではなく、家が貧乏故にロクに本も買って勉強できなかったが、
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ネタバレ武田信玄は跡目を弟と争ったうえ、父を追放して跡を継いでいる、
上杉謙信も、兄を追い出したうえで、跡をついでいる。
山国の甲斐国の国主となった信玄は隣国の信濃国を攻め、これを領土とすることで自国を富ませようとした。
関東には北条家が南の駿河には今川家がおり、南進は強敵と干戈を交えねばならないため苦肉の北進であっただろう。
問題は信濃国の村上義清・小笠原長時といった信玄に領土を奪われた旧領主たちが越後の上杉謙信を頼ったこと。
自らを毘沙門天の化身と信じる謙信に領土拡張の欲はなく、義のために関東管領職であった上杉家を継ぎ信玄・そして相模の北条氏康と干戈を交えた。
中国地方の毛利元就が一代で十か -
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ネタバレ理想の世を目指し、鎌倉幕府
打倒に挑み続けた不屈の天皇!!
武士の世に即位した後醍醐天皇は、
天皇中心の政治体制を築こうと、
鎌倉幕府に戦いを挑む。
何度失敗してもあきらめず、
信念を貫いた後醍醐天皇の人生を描く!
南北朝の騒乱の大元になったともいえる人物「後醍醐天皇」の伝記漫画。
鎌倉時代末期。元寇以降幕府は弱体化し、世の中は乱れていた。
武士の世の中からかつてのような天皇親政の世の中にすることを願う後醍醐天皇は側近たちと謀議を重ねる。
けれど公家に武力はなく、また衰えたとはいえ未だ幕府の力は侮り難く討幕は容易ではなかった。
側近を各地に派遣して徐々に仲間を増やしていく天皇方だ -
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ネタバレ水戸藩主・徳川斉昭の七男として生まれ、
御三卿・一橋家を相続した慶喜は、やがて将軍の跡継ぎ候補として名をあげられるようになるが……!?
黒船が来航し、尊皇攘夷論が吹き荒れる幕末。
弱体化した江戸幕府を支え、のちに外国の脅威から日本を守るため、
大政奉還して江戸幕府に終止符を打った、
日本史上最後の征夷大将軍・徳川慶喜の激動の人生を描く!!
・初代「家康」創成期の功績
・三代「家光」安定期をもたらした功績
・八代「吉宗」転換期を迎えた体制を支えた功績
・十五代「慶喜」「源頼朝以来800年近くに渡って続いた武家政権の幕引き役」としての功績
徳川慶喜という人物に対する評価は難しいところがあ -
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ネタバレ秀吉の縁戚であったことがまず彼の出世の階段を駆け上るための足掛かりになった。
農民上がりの秀吉には譜代の家臣がおらず、数少ない親戚関係の加藤清正や福島正則は頼りになる存在であった。
秀吉の正室のねねとは親子も同然の間柄。福島正則とは生涯を通じての親友であった。
豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人である。
各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。
秀吉没後は徳川氏の家臣となり、
関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。
賤ヶ岳の七本槍の一人として歴史の表舞台に飛び出した清正であるが、
彼が戦場を思う存分駆け回れたのは朝鮮出兵の頃が最後。
秀吉の -
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ネタバレ伊達政宗の伝記マンガ。
幼い頃にかかった疱瘡(天然痘)のために右目を失った、戦国時代の奥州の武将、伊達政宗。
父から期待をかけられ 若くして家督を譲られるも、実母からは毒殺されかかったり、お家安泰のために弟を成敗したりと、苦悩もある。
豊臣秀吉が天下を治めた頃には、まだ血気盛んで、自らが天下をとりたかったとの野望があったため、秀吉からは目をつけられており、白装束や十字架を背負っての、歌舞いたアピールで伊達家を守ってきた。
なんだかんだで70才、徳川家光の世まで生き、伊達家は残ったのだから 力のある、魅力もある人物だったのだろう。 -
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ネタバレ人気の歴史人物シリーズ。
歴史で毛利元就、その名は知っていたけど、馴染みが薄かったので、登場人物や地名が 頭に入りにくいっ!(年か・・・)
すごい人だったのは わかった。
毛利氏は弱小地方豪族のだったため、元就の父が早くに隠居するのに付き添い、辛い幼少期をすごすも、知恵が闇を照らす明かりとなって、すすむべき道が見えてくると信じ、また、先祖が大江広元(源頼朝の下で守護地頭などの設置を実現させた人物)だという誇りをもって、孫子の兵法などを学んだ。
後に、権謀術数のかぎりをつくし、中国十カ国(九州の豊前までも)の太守として西国に覇をとなえるほどまでとなる・・・
有名な三本の矢のエピソードも