三木清のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
昭和初期に活躍した哲学者、三木清氏の人生について、考え抜かれた23項目の小論文的なエッセイ。
さすがに、俯瞰的に考えていられて、時代を感じさせない。
個性について、というのが最後に掲載されている。これは、附録とされ、大学卒業直前の「哲学研究」掲載の文章とのこと。それまでのものと比べると、長く、難しい。その中で、自分自身の個性に触れているところがあり、「万の心をもつ人」であるという。そして、心理学者がそれを理解する試みをするだろうと。そして、自分の定義がされればされるほど、その価値が減じるように思うという。
たぶん、おそらくは、私達が理解しかねるところを、解説書を読むのではなく、ご本人の著述を読んで考えて欲しいと思っているのではないのかと思う。
虚栄について、偽善について、懐疑についてなどは、それぞれが絡み合いながら著述されてくる。
なかなか、全部を理解することは、難しいし、お互いが、所属する組織が、双方で理解していないとその実践には至らないのでしょう。三木もどうにか戦争を回避しようと、彼の理論を使っただろうけど、最後は、一人で獄中死を迎える。
また、時間を置いて読んでみようと思います。
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Posted by ブクログ
ネタバレ本書裏表紙の説明文に、著者のことを「ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在であった」とし、本書については、その著者の肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集」と解説されていた。
本書は文学ではなく、社会評論の要素が少し入った、どちらかというと哲学なのかなという認識で読んだ。そして、確かに肌のぬくもりは感じられたし、現代でもうなづけるような言葉が幾つもちりばめられていて、結構な箇所に傍線を引いた。
自ら選んだ23のテーマについて語っている。かつて「文学界」という出版物に連載されていたもののようだ。
後半のほうでは、例えば次のような定義にイチイチ納得させられた。
「娯楽について」
「娯楽は衛生である。ただ、それは身体の衛生であるのみでなく、精神の衛生でなければならぬ。」
「希望について」
「希望に生きるものはつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している」
「旅について」
「人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。」
「個性について」
「個性は宇宙の生ける鏡であって、一にして一切なる存在である」「個性は自己自身のうちに他との無限の関係を含みつつしかも全体の中において占めるならびなき一によって個性なのである」
そもそも、本書はちょっぱなから「死について」という大きなテーマを扱っている。本書を執筆したとき、自ら書いた「後記」の日付から著者は44歳だったと想像できる。そしてその稿の中で「40代は初老」であると述べていた。また初老に差し掛かった著者は、「死の恐怖」を感じなくなってきたとも言っていた。
恐らく著者は、人生の要素の中で「死」のテーマが最も大事で、「死の恐怖」の克服が最重要事項と考えたのではないだろうか。
そしてその次は、2番目のテーマである「幸福」だったのではないか。また後ろのテーマへ進むほど、前のほうのテーマで述べられたことが前提となっている。
日常で考えさせられるようなテーマにも触れている。
「虚栄心」と「名誉心」はどう違うのか?
これらは最も区別されなければならないのに、もっと混同されているという。これらを明確に区別することは、人生における知恵の半分に当たるとまで述べる。
「怒」と「憎み」とも本質的に異なるのに、混同されていると指摘している。「怒」には名誉心からの「怒」があり、それは人間的であるという。
「嫉妬」は、多忙でしかも不生産的な情念であるという。ベーコンが言った「悪魔」に最もふさわしい属性であると述べている。これは、23のテーマのなかでも最悪のイメージが漂っている。
「感傷」というのもよくない。「偽善」もよくない。「感傷」も「偽善」も、それらは「虚栄心」によるものであるとの指摘である。
「虚栄心」の本質を理解し、「名誉心」との区別がつけられるということは、確かに人生に大きく影響を及ぼしそうだなと実感している。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ死、幸福、懐疑、習慣、虚栄、名誉心、怒、人間の条件、孤独、嫉妬、成功、瞑想、噂、利己主義、健康、秩序、感傷、仮説、偽善、娯楽、希望、旅、個性という23のテーマについて書かれています。
こうした系統の本にしては、言葉が率直であり比較的読みやすい方だと思います。
どちらかというと軽快な文章で、読み物として読めるのではないでしょうか。
ネットのレビューを見るとわかりくいと言う方や
内容がぴんとこないという方もいらっしゃるようで
賛否両論の様子ですが、
私は大変わかりやすく、また内容もしっくりくるものばかりでした。
筆者の三木清は、ドイツに留学してハイデッガーに師事し、
昭和初期に活躍した哲学者です。
かと言って平成の現代においても古さを感じる内容ではありません。
これは、人は変わらないということの証左であるとも言えます。
健康は不健康によって認知されること、信仰の根源は他者にあることなど
読んでいて思わず強く頷くことが多いです。
紙幣はフィクショナルなものであるということ、幼少期にとても疑問に思ったことがあるので、こうして書かれているのをみてどこか安心しました。
"人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。"
というのは面白い言い回しだなと思います。
他の人に対して自分が良い存在であろうとする為の虚栄は、確かに良いことであると言えます。
名誉心と虚栄心は違う。区別して後者に誘惑されないのがストイックである。
という記述にはっとさせられました。
この2つは、とかく混同されがちであると感じます。
人は環境と直接に融合して生きることができず、むしろ対立し戦うことで生きるものであり、
だからこそ名誉心とは戦士の心でありまた武士道であります。
世間の評判はアノニムであり、それを気にするのは虚栄心。
匿名と抽象は違うものということも、見逃されがちな事実のように思います。
すべての名誉心は何らかの仕方で永遠を考えていて、
名は個人の品位の意識で抽象的なものとしての永遠である。
翻って虚栄心は時間的なものであるという記述に、腑に落ちたものがあります。
武士道を語るとき、名誉のため、お家のために命を捨てることを
現代の感覚のままに浅墓だと言われることに納得がいかないのですが、
名を残す、体面を重んじることは永遠だからこそ、大切にしたのだと思いました。
"抽象的なものに対する情熱によって個人という最も現実的なものの意識が成立する"
宗教は永遠とか人類だとかの抽象的なものを具体的にし、名誉心の限界を明瞭にするものだという描写もしっくりきました。
具体的な社会では抽象的な情熱である名誉心は一つの大きな徳であることができたのに、
社会が抽象的になった為に名誉心も抽象的になり過ぎて根底がなくなり、
虚栄心と見分け難くなった。
これが先程あげた武士の名誉心が現代では理解されにくいどころか
馬鹿にされることすらある理由なのではないでしょうか。
同様に怒りも良くないことのように近代では捉えられがちですが、
怒りそれ自体は悪いものではないはずです。
避けるべきは怒りでは無く憎しみ。混同されるのは怒りの意味が忘れられているからだという記述に、なるほどと思いました。
確かに神は怒りを表しますが、憎いからやっているわけではありません。"神の怒を忘れた多くの愛の説は神の愛をも人間的なものにしてしまった。"という部分が、確かにある気がします。
人間が怒る時というのは名誉心からくる怒りであり、名誉心と虚栄心の区別が曖昧になった現代では、怒りすら曖昧になってしまいます。
無性格な人間が多くなったということであり、怒る人は少なくとも性格的だということになります。
昔の人間、具体的にはこの場合、江戸時代後期から明治あたりでしょうか。人間は限定された世界に生きていたというのは非常に頷くところです。
地域が見通せていて、相手が何処の誰でどんな人か、
道具ひとつとっても誰が作ったものかわかっていました。
つまり人間に性格があったといえます。
しかしながら現代は無限定な世界で、全てがアノニム(無名)でアモルフ(無定形)になってしまっています。
以前、現代の仕事がつまらないのは当たり前だという意見を目にしたことがあります。
昔なら、ある品物があったとして、これは自分が作った、隣の職人が作ったものであり、
どういうところがどんなに素晴らしいかよくわかっています。
だから、本当に良いと自分が思うものを、良いところをありったけ事実だけ述べて
人に広め、対価をもらうことができます。
翻って、現代は顔の見えないどこかの誰かが管理して作った工業製品で、
知識としてしか品物の良さも知らず、それをまた顔の見えない誰かに売るのが
営業おちう仕事になっているからだ、というものです。
これも、全てがアノニムでアモルフになってしまったということでしょう。
現代は全てが薄まり混ざりつつあるのかもしれません。
現代は成功=幸福と捉えられがちな気がします。
幸福は現代的では無く成功は現代的だから、この2つが相反する意味にとられてしまうのです。
人の幸せを羨ましいと思うのはまだしも、妬むのが理解できなかったのですが、
そういう人は幸福=成功と見ているから、というので納得がいきました。
幸福の基準は飽く迄も個人であり人それぞれですが、
成功は一般的な基準があり嫉妬がされやすいというのです。
幸福は存在に関わり、成功は過程に関わることから、
他人から成功しているといわれてもピンとこない人もいるというのも
なるほどと思いました。
自分にとっては、まだゴールを目指して進んでいる最中で、
それを成功していると羨まれても、
当人からすればゴールを目指して頑張っているだけでしょう。
でもそのスタンスがまた、嫉妬する人にとっては
謙遜であったり不遜であるように感じてしまい、
余計マイナス感情を持ってしまうのではないでしょうか。
成功と幸福を混同してしまえば、不成功=不幸になってしまい、
幸せを自覚することが難しくなります。
現代の人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった、ということです。
成功は幸福とは別個のものであり、ここを切り分けて
成功することを一種のスポーツとして追求するというのは
自分にとっては目新しい表現ではありましたが、
成功している人を見るとそういった側面があるように思いました。
自分の幸福を揺るがすものとして捉えるよりも、
スポーツで勝利を目指すように成功を追い求める方が確かに健全です。
近代の成功主義型は型として明瞭ではありますが、
現代は個性を重んじると言いつつも、実態としては
個性ではない個人意識が発達しています。
型的な人間が増え、謂わば量産型な人間で個性的ではなくなってしまった
という記述に危機感を覚えるところです。
この本の中の現代と私が今この本を読んでいる現代とで差があまり無いように感じるのは、
人間が人間らしく生きていたのは幕末前後であったからではないかと
改めて思ってしまいました。 -
Posted by ブクログ
『死について』『幸福について』『懐疑について』など、一つのトピックについて数ページの文章で語られている。
三木清という哲学者の実直さが感じられる質実剛健な文章。内容は短いが奥行きがある。
手元に置いて、迷ったとき、行き詰まったときに開いてみる。そんな本だ。
「幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか」という三木氏の指摘は、寺山修司の「幸福の相場を下落させているのは、幸福自身ではなく、むしろ幸福という言葉を軽蔑している私たち自身にほかならないのである」(幸福論)という一文を思い出させる。
もっと「幸福」を語ろう。 -
Posted by ブクログ
本書は23編の論考を集めたものである。文章自体は比較的読みやすいが、内容については一読しただけでは理解するのが難しく感じた。私も実際に一つのテーマを何度も読み返したが、それでも十分に理解できたとは言えない。
全体を通して、健康や秩序、幸福など、普段何気なく使っている言葉の意味を改めて考えさせられた。例えば健康とは、単に病気をしていない状態を指すのではなく、生命が自己形成的に活動している状態であり、その現れ方は一人ひとり異なるという点が印象に残った。そのため健康は画一的な基準で測ることはできず、身体と精神の両面からその人らしいあり方として見つめる必要があると感じた。このように、本書で扱われる概念は固定された意味にとどまらず、状況や視点によって常に問い直されるものであると考えられる。
本書は、既存の固定的な見方を揺さぶり、物事を改めて捉え直すための視点を与えてくれる一冊である。 -
Posted by ブクログ
昭和十三年(一九三八年)から昭和十六年(一九四一年)まで「文学界」に連載された随筆。「死について」、「幸福について」という感じで、それぞれのテーマについて著者の思うところが述べられる。人間学という分野が登場したきっかけと、その動機があっという間に忘れられてしまったことを指摘した箇所(p19)、名誉心と虚栄心の違いを「ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである」と述べた箇所(p50)、娯楽が消費活動になってしまい生活と切り離されていることを批判し「娯楽が生活になり生活が娯楽にならなければならない」と述べた箇所(p142)が印象に残った。