あらすじ
哲学の以前に、我々は常識において、また科学において、現実を知っている。しかし、哲学は常識の単なる延長でもなければ、科学の単なる拡張でもない。では、哲学とは何か。現実の生活から出発して、人間生活の中における常識と科学と哲学の機能を明らかにし、つねに現実から問題を汲み上げつつ哲学的諸概念を展開した画期的な入門書。
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Posted by ブクログ
とりが中学2年(14歳)のとき、はじめて出会った哲学書。
著者は「哲学入門は哲学概論ではない」と言い切る三木清。ここに眠たいだけの哲学史はない。「現実の中から哲学する」という哲学する姿勢を学べる一冊。
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哲学の入門書というと、「タレスは万物の根源を水と論じ、、、」のように、哲学の歴史や流れが書いてあるが、この本はちょっと違う。
考え方、臨み方が書いてある。
何十年も前の本とは思えない。
読んでから知ったけど、この作者の運命がとても悲惨なもので不憫に思った。
Posted by ブクログ
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[ 目次 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
人間が日常的に見るモノや経験する事柄はどう認識されるのか、そしてその認識がどう知識と結びつくのか、知識とはどのようなものか、そしてその認識が行為とどう結びつくのか、そして行為とはどのようなものか、といったことが語られている。「先験的と経験的、合理的と実証的、構成的と模写的、主観的と客観的というように対立したものは認識において形成作用的に、弁証法的に統一される」(p.113)といった話。
…と思うのだけれど、とても難しかった。一昔前の人はこういう本を書いたり読んだりして、頭いいなあと思う、というなんか的外れな感想をまず持ってしまった。そしておれは全然知らなかったのだけど、三木清という人は戦前戦中に活躍した哲学者で、治安維持法で投獄されたり、遂には45年に獄中で死ぬという人だったらしい。
高校の時に倫理の勉強が好きだったが、特に「認識論」みたいなところが本当に難しかった記憶がある。カントの悟性、とかヒュームの認識の束、とかキーワードを覚えればとりあえずセンターはOKだったので、とりあえず覚えたけど、それ以上のところはなかなか理解できなかった。この本も字面を追うのが精一杯というところがたくさんあって、難しかった。「知性の自律性は合理性として現われる、合理的とは思惟によって自律的に展開され得ることである。そして知性はカントの意味においてアルヒテクトニッシュである。カントに依ると、アルヒテクトニックとは『体系の技術』であり、知識は一つの理念のもとに、全体と部分の必然的な関係において、建築的な統一にもたらされることによって科学的となるのである。しかしながら(後略)」(p.23)といった感じで、全体の意味を捉えるより前に、部分部分の意味を順番に捉えていき「~は~である」という記述をそうなのか、そうなのか、と捉えていって終わってしまった。
あと考えたことのメモ。全く関係ないが、英文法で「不変の真理は現在形」という用語が出てくるけど、ヒュームによれば「物の因果関係の知識も習慣に基づく信仰に過ぎぬ」(p.106)らしく、そうすればやっぱり現在形は「習慣」がキーワードになるのだろうと思う。あとヘーゲルを倫理で勉強した時も、弁証法とか世界史とかいうキーワードだけ覚えた気がするが、特に後半は「歴史」という言葉がたくさん出てくるが、難しい。歴史的世界に道徳が位置づけられるというあたりを、もう少し勉強したいと思った。(18/01/02)